最終話 夏祭り
夏の夜は、なぜこうも特別なんだろう。
「先輩! こっちですよ、こっち!」
浴衣姿のナツキが、俺の腕をぐいぐい引っ張る。紫陽花柄の落ち着いた寒色とは似合わない活発さだ。
「ちょ、ちょっと待って」
振り回される俺のすぐそばで、フユミとコハルが談笑している。
「ナツキ、こんなにハシャぐタイプなのね。少し意外かも」
「ナッちゃん友だち居なかったからねー。こういうの、新鮮なのかも」
フユミもコハルも、浴衣を着ていた。
フユミは深い紺地に白い朝顔の柄。金髪を編み込みにして、金の簪を挿している。凛とした姿だった。
コハルは桜色に白い百合の柄。プラチナブロンドをゆるくまとめて、大きなリボンで結んでいた。派手な髪色が、浴衣の色調に不思議と馴染んでいる。
ちなみに、すべてアキハ先輩が事前に購入してくれていた。値段は聞いていない。サイズをいつ確認したのかも、もちろん聞いていない。怖いから。
着付けについては、フユミとコハルがやってくれた。ことファッションにかけては、この二人は万能だ。
「ほら先輩! 見えてきましたよ!」
ナツキの声にしたがい前方を見ると、木立の向こうから提灯の明かりが見える。
耳を澄ます。太鼓の音が響いている。
歩を進めるに連れ、生ぬるい夜気の中に、ソースの焦げる香りが混じる。
会場にたどりつくと、
「皆さーん、こっちこっち!」
浴衣姿のアキハ先輩が、人混みの中から手を振っていた。
白地に金魚の柄。長い黒髪をゆるく結い上げて、簪を一本挿している。うなじが夜風に晒されて、祭りの赤い提灯が、黒曜の瞳に淡く映っていた。
美人画のような光景だ。
俺は一瞬、言葉を失った。
「アキハ先輩、めっちゃ可愛い!」
コハルが先に叫んだ。
「ありがとうございます」
「トーマ、言うことないの?」
フユミが俺の脇腹をつついた。
「……綺麗です」
「素直じゃ〜ん!」
コハルが笑った。
アキハ先輩は、ふっと微笑んだ。頬のあたりが、祭りの灯りとは別の色で、ほんのり染まっていた。
アキハ先輩は手に持った紙袋を俺たちに差し出す。
「焼きそば二人前と、フランクフルト五本、買ってきました」
アキハ先輩は屋台の場所を下見して、花火のベストスポットを押さえて、食べ物まで買ってきてくれていた。
「相変わらず、恐るべき準備の良さですね」
ナツキが呟いた。
「そんな、照れますよ」
「褒めてません──というと語弊がありますね……感謝しています」
「アキハ先輩が何か企画するときの『念のため』、いつも五段階くらい余計ですよね〜」
コハルが言うと、
「そ、そんなそんな。照れますよぅ」
アキハ先輩は真顔で繰り返した。
「褒めてないんですけど……」
コハルが苦笑いする。フユミが肩をすくめる。
雅やかに装っても俺たちはいつも通り、ぜんぜん締まらなかった。
◆
俺たちは、五人で歩き出した。
屋台の提灯が参道の両脇にずらりと並んでいる。綿菓子、かき氷、イカ焼き、たこ焼き、射的、金魚すくい、ヨーヨー釣り、リンゴ飴。
子ども連れの家族が、楽しそうに行き来している。子どもたちが、かき氷を片手に走り回っている。年配の夫婦が、ゆっくり歩きながらお互いの浴衣を褒め合っている。
どこにでもあるような、さして大きくない夏祭りだった。
「わ〜、たこ焼き!」
「リンゴ飴……!」
コハルとナツキが子どもみたいにはしゃぎ、
「コハル、迷子になるでしょ」
フユミに袖を掴まれていた。
◆
ナツキはリンゴ飴を一本買って、元気に齧っていた
三分の一ほど食べてから口を覆い、けぷっと小さくゲップをした。
「アキハ先輩、アキハ先輩」
「何でしょう?」
「これ、あげます」
「食べきれなくなってしまったのですね」
「んもー、ナッちゃんってば」
コハルが笑う。
ナツキから差し出されたリンゴ飴に、アキハ先輩が齧りつく。どこか子どもじみた一幕だった。
コハルは綿菓子を食べていた。唇の端に白い糸がくっついて、それを指で取ろうとして、結局は舌で舐め取る。俺がそれを見て笑うと、コハルは少し恥ずかしげに目を伏せた。コハルにしては珍しい表情だった。
俺は、射的でゴム鉄砲を借りて、棚の上のクマのぬいぐるみを狙った。隣で見ていたフユミは「相変わらずね」と言って、俺より得意げに胸を張った。
ナツキは金魚すくいにチャレンジしたが、一匹も掬えなかった。ナツキは眉間に皺を寄せて、「この道具は構造的に欠陥があります」と真剣に分析していた。おじさんが気の毒がって、一匹くれた。ナツキは「分析が甘かった」と自分で反省していた。
俺たち四人が笑うと、ナツキは少しむくれた。
アキハ先輩はというと、ずっとリンゴ飴と格闘していた。お上品に食べるせいで、なかなか食べ終わらなかった。
「フユミさん、フユミさん」
アキハ先輩がクイクイと袖を引く。
「なによ」
「リンゴ飴、あげます」
「いらないわよ」
「私も、もう要らないのです」
「何なのよアンタは……そういうとこ、ナツキに似てるわね」
「そ、そんな、照れますよぅ」
「褒めてないのよ」
フユミは小さくため息をつき、渋々といった感じでリンゴ飴を受け取り、一口かじった。
二人とも仲良くなってくれたなぁ、と俺はしみじみ思った。
◆
花火が上がるのは、午後八時からだった。
河原の方に、人がぞろぞろと移動していく。
アキハ先輩が押さえてくれていたベストスポットは、河原から少し離れた丘の上の芝生だった。屋台の喧騒からは少し外れているが、視界は開けていて、花火がよく見える。
敷物を広げて、五人で並んで座った。
紙袋から焼きそばを出して、分けて食べた。プラスチックのフォークで頬張ると、ソースの香ばしい匂いが立ち上る。祭りの焼きそばは、家で作ったものより美味しく感じる。
「始まりますよ」
アキハ先輩が、腕時計を確認した。
その瞬間。
ドン、と、低い音が、胸に響いた。
夜空が華やかに彩られた。
「おおっ」
周囲から歓声が上がる。
大輪の花火が夜空に咲く。
光が広がって、ゆっくりと崩れて、消えていく。ドン、ドン、と、次々に花火が打ち上がる。極彩色の光が、みんなの顔を繰り返し繰り返し照らしていった。
フユミの碧眼が、色とりどりの光を映してきらきら光る。
コハルのプラチナブロンドが、花火の色に染まる。
ナツキの黒曜の瞳が、不意に柔らかくなる。
アキハ先輩の簪が、一瞬だけ朱色に染まって、また夜闇にまぎれる。
みんな、空を見上げていた。
俺は夜空を見ていた。そして、みんなの横顔を見ていた。
「……綺麗」
コハルが、ぽつりと呟いた。
「ええ、本当に。すぐ消えちゃうのがもったいないくらい」
フユミが、小さく頷く。
「でも、思い出は残りますから」
アキハ先輩が、いつも通りの落ち着いた声で言った。
「そうですね」
ナツキが淡々と同調する。
「覚えている人が居るなら、それは永遠です」
コハルが、ふっと柔らかく微笑む。花火に照らされた横顔は、どこか大人びていた。
「ナッちゃん、今日なんか文学的〜」
「いつも文学的ですよ、私は」
四人が笑い合う。
俺は、四人の横顔を、ずっと見ていた。
何でもない夏の夜、何でもない団らん。
それが、どうしようもなく愛おしい。
この二ヶ月……本当に、いろんなことがあった。
俺は、記憶と命を失いかけて、四人に救われた。
改めて思う。
五人で一緒にいたい。
そのために将来、俺は弁護士になる。アキハ先輩は、木南ホールディングスの総帥になる。フユミもコハルもナツキも、それぞれの分野で名を残すだろう。
でも、そんな大きな出来事があっても、俺たちはまたこうやって集まって、一緒に同じ風景を眺めるのだろう。
それが、俺の一番欲しい未来だった。
俺は、口を開いた。
「──あのさ」
四人が、同時にこっちを見た。
花火が、また、ドン、と上がった。
空が、青く染まった。
「また、みんなで花火を見よう」
「……ええ」
フユミが、すぐに頷いた。
「来年も、再来年も」
「うん」
コハルも頷く。
「その次も、その先もずっと……」
「はい」
ナツキが、小さく頷いた。
「ずっと、五人で」
俺は、最後にアキハ先輩の方を見た。
アキハ先輩は、俺の少し後ろに座っていた。切れ長の瞳が、花火の光を映してきらめく。うなじが、また一瞬、赤く照らされた。
「……約束ですよ」
アキハ先輩は、ふっと微笑んだ。いつもの完璧な微笑みじゃない。少しだけあどけない、一人の少女の笑顔だった。
「絶対ですよ」
「もちろん、絶対です」
俺は、頷き返した。
ドン、と、また花火が上がった。
夜空いっぱいに、大輪の光の花が咲き乱れる。
花火はそれで終わった。
帰り支度を始めた人々とは別ルートの裏道で、俺たちは帰路を往く。
俺たちは、誰も何も言わなかった。
気まずいわけじゃない。ただ、なんとなく寂しいような、切ないような気がしていた。
「んん〜、写真!」
コハルが、出し抜けに声を上げた。
問い返す間もなくコハルは続ける。
「思い出を形にしたら、寂しくなくなるよ! みんなで写真撮ろ!」
「ふむ……一理ありますね」
ナツキが顎に手を当てて頷く。
「確かに、たまには写真も悪くないわね」
フユミが俺の隣でそう言った。近い。いつの間にこんな至近距離まで来ていたんだ……?
「ぷりくら、というものですね。漫画で読みました」
アキハ先輩は、手を打って目を細めた。嬉しそうなところ悪いけど、プリクラとは違いますよ。
「決まりね。ハイみんな寄って寄って!」
コハルが言うが早いか、フユミとアキハ先輩がぐいぐいと身を寄せる。俺の真ん前にはナツキ。その隣にコハル。
「撮るよ〜。はい、チーズ」
シャッター音が響いた瞬間。ちゅ、と音がした。
フユミが頬にキスをした。
「あ」
反射的に振り向く俺の目の前で、
「ふふん、油断してるからよ」
フユミが蠱惑的に微笑んだ。
呆気にとられた俺の隣、
「あらあら」
アキハ先輩が冷たい視線を向けていた。
「見せつけてくれますね、どうも」
「い、いやあ、これはその……」
俺が言い終わるより早く、アキハ先輩が俺の肩を抱く。
「ちょ」
もう片方の肩を、コハルが抱く。
動揺している俺をヨソに、アキハ先輩が言う。
「行きますよ、コハルさん」
「あいあいま〜む」
コハルが敬礼を返し、
「「せー、の!」」
二人がかりで俺の膝裏をすくい上げ、持ち上げた。
「ちょっ、なに?」
俺の問いに答えず、二人は走り出した。
「なになになに!?」
「フユミさんが抜け駆けしたので」
アキハ先輩は、当然のように言う。
「私たちも、抜け駆けしようかと」
「マジで!?」
頓狂声を上げた俺に、コハルが笑いかける。
「シャワー浴びる時間もあげないからね〜」
「加減してくれ!」
「加減してあげないよ〜。アタシもトーマに同じことされたも〜ん」
コハルがつーんとそっぽを向く。
「同じく〜」
アキハ先輩も同調する。
「たまには意趣返しいたしま〜す」
「わ、わかったから、おろして! これメチャ恥ずかしい!」
「「おろしませ〜ん」」
二人は声を合わせた。いやまあ、俺も二人にお姫様抱っことかしたけども─!
自分がやったことをいざやり返されてみると、恥ずかしさが分かるというものだ。
じたばた暴れるわけにもいかず、縮こまる俺。
その後ろから、響く声。
「待ちなさーい!」
フユミが、ナツキを抱えて追いかけてきていた。フユミもフユミでフィジカルが強い。
「ってかナツキ! あんたも自分で走りなさい!」
「無理です」
ナツキは、米俵のように担がれたまま即答した。
「いっぱい食べたばかりなので。ちょっとでも走ったら戻します」
「ああもう世話の焼ける──!」
「お世話様です」
「だまってなさい!」
フユミは吠えるように言った。
コハルとアキハ先輩は楽しげにくすくす笑った。
「お家に着いたら、鍵を閉めてしまいましょう!」
アキハ先輩は、わざと大きな声で言った。フユミが聞き取りやすいように。
「鍵を開けてあげるのは、トーマさんが動けなくなるまで楽しんでからです!」
「なっ!?」
フユミが驚きに息を呑む声が響いた。
「お、アキハ先輩だいた〜ん。アタシも混ざっちゃおうかな〜?」
「私はかまいませんよ」
「うぇえマジすか!?」
おどけていたコハルが、驚愕に目を丸くした。
「この木南秋葉に恥じることなどありませんから。それに、トーマさんが皆さんにどう接しているか、ぜひ見てみたいですし」
「俺はお見せするの恥ずかしいんですけど!?」
「ならば、なおさら好都合です。トーマさんに辱められてばかりなので、トーマさんを辱めたいので」
アキハ先輩、真顔でなんてことを……!
「確かに、そのためならアタシも恥をかこうかな」
「ノセられんなよコハル!」
そうこうしてるうちに、別荘が見えてきた。
後ろからは、ナツキとフユミの声がする。
「フユミさん、スピード落としてください。酔ってきました。乗り物酔いです」
「私は乗り物じゃないのよ!」
「じゃあ逆にスピード上げてください。いったん止まったら治るはずなので、早く別荘に着いてください」
「言われなくても──!」
フユミはぐん、と加速した。
それを一目見たアキハ先輩が、笑って前へ向き直る。
「ラストスパートですよ、コハルさん」
「はいっ! ペース上げますよ、アキハ先輩!」
別荘までは後少し、二人は走る速度を上げる。
「待ちなさい、このっ、トーマ! アンタも神輿みたいに担がれてんじゃないわよ!」
「そりゃそうだけど、おりたくてもおりれねーんだよ!」
「このっ、トーマ──」
フユミの声が月下に響く。
「私で童貞捨てたくせに──!」
「今それ言う!?」
担がれたまま、俺は叫び返した。
きっとこの言葉を、これから何度も言われるのだろう……なんて思いながら。
完




