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第14話 ☆フユミ「あててんのよ」/アキハ「だって、あの人」

 ネグリジェ姿のフユミは俺の腕をがっちりホールドしている。


 薄手のシルク越しに体温が伝わってくる。

 こ、こいつ、ナイトブラすら着けてないぞ……!


「あの、」


「なに?」


「あたってます」


「あててんのよ」


 おお、夢にまで見たやりとりがここに……。

 なにとは言わんが、やわらかいな……柔軟剤使っただろ?


「ねえ、トーマ」


「はい、日村ひむら 斗真とうまと申します」


 ムーディな雰囲気に耐えきれずチョケてしまう。

 しかしフユミは突っ込まない。大人っぽく微笑むのみだ。


 強い、強いぞ今夜のフユミ!


 大人の女の人みたいだ!


木南きなみ先輩も帰ったし……ね?」


 上目遣いで、頬を火照らせて言うフユミ。

 薄いネグリジェからは柔らかな肌が透けて見え、風呂上がりの甘い香りが俺の理性にヒビを入れる。


 アキハ先輩の『我慢してください』という警告と、目の前の現実が、俺の脳内で激しく火花を散らす。


「な、なんのハナシ?」


 俺がしらばっくれると、


「なに今さら照れてんのよ……」


 フユミは俺の耳元に唇を寄せ、ぽしょぽしょと囁いた。


「お風呂入ってこいって言ったのは、《《そういうこと》》でしょ?」


 フユミは、細い指先を俺の太ももに這わせる。


 ゾクゾクする。

 まずい。これ以上は本当にまずい。アキハ先輩の予言通り、俺はフユミの誘惑に抗えそうにない。


 四天王の均衡が崩れる音と、アキハ先輩の冷たい笑顔がフラッシュバックする。


「フユミ……」


 俺は必死に言い訳を探す。だが、適切な言葉が出てこない。


「トーマ……」


 フユミの顔が近づいてくる。瞳が潤んでいる。

 俺の心臓は早鐘を打ち、限界突破寸前だ。


 ――ガクン。


 突然、俺の視界が下落した。

 意識が急速に沈んでいく。


「えっ、トーマ……?」


 フユミの驚いた声が遠く聞こえる。

 そうだ。俺は今日、朝から幼なじみの爆弾発言を受け、ギャルに密着され、文学少女に詰め寄られ、生徒会長に脅迫され、とにもかくにも色々あったのだ。


 自業自得だが、精神的にも肉体的にも疲労の限界だ。


 色っぽい展開への期待よりも、生存本能としての睡眠欲が勝ってしまったらしい。


 俺はフユミの胸に顔を埋めるようにして、深い眠りに落ちていった。




◆◆◆




 木南きなみ 秋葉あきはは本革のシートの上で背筋を伸ばし、窓の外を流れる住宅街の灯りを眺めていた。


 センチュリーの車内は、深海のような静寂に包まれている。


 街灯はアキハの横顔を、規則的に照らし出す。


 陶磁器のように白く、滑らかな肌。怜悧な光を湛えた黒瞳。長い睫毛まつげが落とす影すら、絵画のように美しい。


 七曜学園の生徒会長にして、世界的な企業グループである『木南ホールディングス』総帥の愛娘。


 アキハの美貌も知性も、人間離れしていた。


「……上機嫌どすな、お嬢様」


 静寂を破ったのは、運転手の声だった。

 ハンドルを握っているのは執事服の老女である。

 木南家に代々仕えるボディガード、たか 喜美子きみこである。


「あら。わかる? タカ」


 アキハは窓から視線を外し、艶然と微笑んだ。

 イントネーションが、普段と少し違う。アキハは京都出身であり、身内の者のみの場では京都弁を使っていた。


「ええ。なごうお仕えしとりますから。……して、『置き土産』は無事に?」


「洗面台の一番目立つ場所に置いてきたわ」


 アキハはくすっと微笑んだ。

 庶民的な日村家には似つかわしくない高級品。

 月澄フユミがそれを見つけた時の顔を想像するだけで、アキハの胸には愉悦が広がる。


「月澄さんは賢い人やし。ただの忘れ物やなくて『マーキング』やってことくらい、すぐに気ぃ付かはるやろね」


「お嬢様……ご両親に似て、ええ性格してはりますわ」


「褒め言葉として受け取っとくわ」


 アキハは瞑目し、思考の海に深く潜る。


 テーマは『五人の幸福な共存』。

 普通に考えれば、四股など破綻する。感情のもつれ、社会的制裁、果ては嫉妬による刺し違え。


 だが、木南秋葉という規格外の存在が介入すれば話は別だ。


 法的な問題は、木南家の政治力で解決できる。

 世間体も、各メディアに働きかければでどうとでもなる。


 最大の問題は『人の心』。

 だからこそアキハが自発的に、積極的に動く必要がある。


「月澄さんの独占欲、火伏ひぶせさんの好奇心、冷水しみずさんの執着心……ベクトルはちごうても、ぜんぶトーマさんに向いとる。きっと共存できるはずやわ」


「難儀なことどすなぁ。……しかし、そこまでする必要があるんですか? お嬢様の実力なら、他の三名を排除して、トーマ様を独占するんも容易いでしょうに」


 タカがバックミラー越しに鋭い視線を向ける。


 木南秋葉は、欲しいものは全て手に入れてきた。分け合うことなど、彼女の美学に反するはずだ。


 だが、アキハはタカには目もくれず。気だるげに窓の外を見た。


「それやとあの人が悲しまはるわ。それに……」


 彼女はゆったりと足を組み替え、


「どれだけ選択肢があっても、あの人の最愛は結局ウチやもん」


 断言した。

 それはアキハにとって、自明の事実だった。

 明日も明後日も千年後も、太陽は東から昇って西へ沈む。


 それと同様の、単純な真理に過ぎない。


 絶対的な自信。圧倒的な自己肯定。

 それこそが木南きなみ 秋葉あきはだった。


「ウチが本妻なんは決まっとる。火遊びくらい気にせえへんわ」


「……相変わらずどすなぁ」


 タカは呆れたように肩をすくめた。

 信号待ちで車が止まる。タカは再び呟いた。


せへんことは、まだおます」


 アキハは応えない。


「なんで、『彼』なんです? 家柄も、才能も、容姿も……おそれながら、お嬢様の隣に立つには、あまりに凡庸に見えますさかい」


 木南秋葉の伴侶となれば、政財界から少なからぬ注目を集める。


 なぜ、日村ひむら 斗真トーマなのか。

 計算高いアキハが、なぜそのようなリスクを冒してまで彼に執着するのか。


 タカはバックミラー越しにアキハの顔を見る。

 先ほどまでの冷徹な『支配者』の顔は、もうなかった。

 頬がほんのり朱に染まり、目尻が下がり、口元がほころんでいる。


 それは年相応の、恋する少女の顔だった。


「だって」


 彼女は自分の顔を両手で包み、あの日、トーマと交わした甘い時間を反芻するように、うっとりと呟いた。


「だって、あの人、カッコいいし、かわいいんやもん」


 論理も、計算も、家柄も関係ない。


 ただ、その一言が全てだった。


 信号が青に変わった。タカはアクセルを踏み込む。


(やれやれやわ……)


 アキハに聞こえないように、静かにゆっくりため息をつく。

 センチュリーは音もなく加速し、夜闇へと滑り込んでいく。


 きっと世界一の頭脳を、たぶん世界一愚かな恋に使う、悪魔のような少女を乗せて。



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