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第36話 トーマ「そこにいたのは」

 七月四日、文化祭最終日の夕暮れ。


 俺の家の前に、人影があった。


 プラチナブロンドの長い髪が、夕日を受けてキラキラ輝いている。緩くウェーブした毛先が夏風に揺られてたなびく度に、ココナッツの甘い香りがする。


 彼女はスマホに向けていた視線を上げる。

 くりくりした瞳が俺をとらえる。柔らかく微笑む。


「トーマ、おっつ〜」


 火伏(ひぶせ) 琥春(こはる)がそこにいた。

 コハルはスマホをポケットにしまい、ひらひらと手を振る。


「コハル? なんで……」


「なんで、って」


 コハルは唇をつんと尖らせた。


「理由がなきゃ会いに来ちゃダメなの?」


「まさか!」


 俺は手を振って否定した。


「嬉しいから気になったんだよ。それに、今日はショート動画の撮影があるはずだろ? だからビックリしちゃって」


「……ふーん?」


 コハルはすっと視線を逸らした。スマホを胸に押し当てて、ほんの少しだけ俯く。プラチナブロンドの前髪に隠されて、表情は見えない。が、多分、照れてる。耳の先が赤らんでいる。


 俺は気付かないフリをして問いかける。


「今日は時間あるの?」


 こくん、とコハルが頷く。


「ならよかった。上がって行きなよ」


「……うん」


 コハルの返事を確認して、俺は自宅の鍵を開ける。


「トーマさぁ」


 コハルの声が背後から響く。

 俺が聞き返す前に、コハルは続ける。


「チャラくなったよねー」


「誤解です!」


 叫ぶ俺の声は、夕空に吸い込まれた。




 俺とコハルは、リビングのソファに並んで座って、他愛ない話をした。


 七曜祭の話、SNSの話、コハルの妹・ヒヨリちゃんの最近の話。

 ヒヨリちゃんは、コハルに憧れてダンスの練習を頑張っている。が、そのせいで学業がおろそかになっているらしい。


 コハルは、「勉強優先って言ってんだけど、聞いてくんないんだよね〜」と、呆れ混じりに笑いながら話してくれた。


 コハルはスナック菓子をつまみつつ、ふと思いついたように問いかける。


「てか、フユちゃんは? 今日いないの?」


「ああ、今日はアメリカの独立記念日だからね。家族で横田基地まで行ってるよ」


 毎年七月四日は、フユミの家はいつもそうだ。

 フユミのお母さんがアメリカ人だから、独立記念日はイベントに出かける。子どもの頃は、俺も何度かご一緒したことがある。


「へ〜〜。あ、ナッちゃんはどうだった?」


「ナツキは……元気だよ。いっしょにピザ食ってコーラ飲んだ。今は寝てるんじゃないかな」


「あっはは、よかった〜。元気いっぱいじゃんね!」


「ホントだよ」


 俺たちは二人で笑い合った。


 他愛ない笑いだった。

 でも、こういう時間が、何より落ち着く。


 窓から吹き込む風からは、夏の夕方の匂いがする。コハルの横顔は、落ち着いている。


 リラックスした雰囲気だ。

 こういう時間を、いつまでも続けたいと思う。


「あ、そーだ」


 コハルは、ぽん、と手を叩く。


「アキハ先輩は今夜と明日の朝、パーティー入ってて忙しいんだって」


「ああ、そっか。七曜祭の後だもんなぁ」


 アキハ先輩は、若くして社交界の顔役だ。

 七曜祭を成功させた後の挨拶回り、名士との会合、その他もろもろ。それらが一晩で終わるはずもない。


 あの人が俺たちと同じ高校生だなんて、時々信じられなくなる。

 特に今みたいに、ヌルくて静かな時間を過ごしていると、別世界の住人のようにすら感じてしまう。


「アキハ先輩さぁ」


 コハルの声のトーンが、少し変わった。


 琥珀色の瞳は、どこか遠くを見ている。

 つやめく唇は少し開きかけて、何かを探すように止まっている。夕暮れの残光が窓から差し込んで、コハルの横顔を柔らかく縁取っていた。


「……すっごく大人っぽいのに、ちょー子どもっぽいとこあるよね」


「そうだなぁ」


 俺は少し考えてから、言った。


「みんな大人っぽくて、みんな子どもっぽいと思うよ」


 コハルは、ぱちくりと瞬きした。

 そして、ネイルチップで彩られた人差し指を、自分に向けた。


「アタシも?」


「コハルも」


 俺は笑って頷いてから、自分自身を指差してみせる。


「俺も」


「おぉ〜」


 コハルは少し感心したように嘆息した。


「トーマってやっぱ、ヘンに目ざといとこあるよね」


「変とは何だ変とは……俺は普通の男子高校生だよ」


「普通の男子高校生は4股なんてしないよ」


 う、と言葉に詰まる。

 アカン完全に詰んだ。返す言葉がない。反論が無いから俺の負けだが?


「はい勝ち〜! ウィ〜!!」


 コハルはギャルピースを示してみせる。


「ま、負けました……」


 俺は肩を落とす。コハルはケラケラ笑う。ひとしきり笑い終えてから涙をぬぐい、思い出したように言う。


「そうだ、お腹すいてない? お夕飯いるならカンタンに作っちゃうけど」


 俺は少し考えてから答える。


「ありがたいけど、今はいいかな。ナツキとピザ食ったし」


「そっか」


 コハルは軽くうなずき、


「じゃあ、もういっか」


 トン、と俺を押し倒した。

 俺が何か言う前に、ぎゅっと抱きしめられる。空気も通さないほどの密着感。


「こ、コハル?」


 コハルは応えない。

 どうしたものか分からぬまま、俺はとりあえず、コハルの腰に腕を回す。


 コハルは俺の胸元に顔を埋めたまま深呼吸する。恥ずかしいが、抗議できない。


 コハルがぽつりと呟いた。


「スミレの匂い……ナッちゃんとシたんだね」


「う、ああ、うん」


「昨日の夜から朝までフユちゃんとシてて、文芸部室に行ってからはナッちゃんとシてたんでしょ?」


「…………はい。そうです」


 俺の答えに、コハルは再び黙り込む。俺はどうしたものかわからず、とりあえずコハルの背中をさする。


 不意に、


「──別に、慰めてほしいわけじゃないんだよね」


 コハルはそう言い、顔を上げる。


「ただ、トーマがすっきりしてても、アタシはずーっと《《おあずけ》》されてるわけ。わかる?」


 真剣な眼差しが俺を射抜いた。


「……わかった」


 俺は小さく頷き、右腕でコハルのうなじを、左腕でコハルの膝裏をすくい上げる。


「え、ちょっと──!」


 俺はコハルを抱き上げた。


「暴れないで、危ないよ」


 お姫様抱っこである。

 そのままベッドルームへ向かう。


 コハルはと言うと、顔を真っ赤にしていた。


「ちょ、ちょっ、ちょっと、ちょっと待って!」


「待てない」


「まだ心の準備が!」


「いらないでしょ、今さら」


「てかシャワー浴びてない!」


「俺は気にしない」


「アタシが気にすんの!!!」


「じゃあ一緒にシャワー浴びる?」


 う、とコハルが言葉に詰まった。

 ゴールデンウィーク、コハルの家で一緒にシャワーを浴びた夜から、俺たちは恋人になった。


 そのときの意趣返しのつもりで言ったのだが、効果は抜群のようだ。


 コハルは無言で俺の胸に顔を埋める。火照った頬の熱さが、シャツ越しにも伝わってくる。


「……いじわる」


 コハルの細く震えた声に、俺は笑って返した。


「好きな子には意地悪したくなるんだよ」




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