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第31話 ナツキ「すぐに済むので」/☆コハル「宣戦布告ですよっ!」

 俺はナツキと二人で寄り添い合って、ゆるやかな時間を過ごす。


 文化祭の喧騒は、文芸部室の防音設備に阻まれている。うだるような夏の熱気は、冷房完備のこの部屋には入り込めない。


 俺たちは世界に取り残されているかのようだった。


 ナツキの穏やかな息遣いが聞こえる。黒髪を手で梳くたび、スミレの花の香りがふんわりと漂う。


 俺はというと、窓越しに空を眺めていた。

 青く澄み渡る七月の空に、入道雲が立ち上る。ゆっくりゆっくりと形を変えていくその様を、俺は見つめていた。


「ところで」


 ナツキは出し抜けに、俺の腕の中で声を上げた。


「今後については、心配しないでください」


「何が?」


「昨日のことです」


 ナツキが演劇の上演中、観客の前で俺とキスしたことだ。


「私は目立つつもりはありませんから。また瓶底メガネをかけて髪を乱しておけば、同一人物だと気づく人間はほとんどいないでしょう。そもそも私は授業に出ないので、何とかなるはずです」


 ナツキは平然と言ってのけた。


「……それ、本気で言ってる?」


 授業には出ておいたほうがいいし、ナツキに身を隠すようなことはしてほしくない。


「本気です。私の素顔を知っている人間は、事実上、先輩を含む四人のみです」


 俺とフユミとコハルとアキハ先輩の四人だ。

 ナツキはたまにしか授業に出ないので、彼女を知る者は極端に少ない。


「私は元々、目立つのは嫌いなので」


 ナツキは有無を言わさぬ口調で断じる。


「正体不明の美少女として、静かに生きていきます」


「自分で言う? 正体不明の美少女って」


「事実の陳述です」


 キリッと言ってのけるナツキ。決め顔は凛然としている。顔が良いと得するな、ほんとに……。


「あと」


 ナツキは続ける。


「フユミさんとコハルさんのファンクラブの方々についても、問題ないかと」


「マジで?」


「さすがに、観劇中に倒れた人間を袋叩きにはできないでしょう。誰しも、多少は世間体を気にするものです」


「それは……俺の気絶を言い訳にする、ってコト?」


「免罪符と言ってください」


「より悪くないか!?」


「事実を述べているだけです。先輩は倒れました。当面の間、その事実が抑止力になります。稼いだ時間でアレコレ工作しましょう」


「工作って……」


 俺はナツキの謀略に(おのの)く。


「まるで、アキハ先輩みたいなことを」


「私といるのに他の女の話とは、随分と良い御身分ですね」


 アカン墓穴掘った!

 ナツキが俺を見上げる。感情の読めない瞳は、それはそれは冷たく、俺は思わず身震いした。


「ところで先輩。この後の予定は決まっているのですか?」


「予定? 別にないけど、なんで?」


「『なんで』って、今日は七曜祭の最終日ですよ?」


 言われてみれば、その通りだった。

 朝はアキハ先輩とタカさんと過ごし、そのままコハルの家にオジャマして、文芸部室へ訪れ、今に至る。


 濃密なスケジュールのせいで時間感覚がおかしくなっていたが、よくよく考えれば、今日は七曜祭の最終日。


 とは言え、もろもろが一段落特した今、特に予定はない。


「もしかして、ヒマなんですか?」


 ナツキの問いは単刀直入だった。


「ま、そういうことになるね」


 俺の答えは、曖昧だった。


「そうですか」


 ナツキは机上のリモコンを手に取った。


「──言質を取りましたよ」


 ピ、という電子音。

 カチッ、という金属音。


 文芸部室は、電子的に施錠された。


「お、おい、何を……」


 戸惑いを隠せない俺を置き、ナツキは窓へ向かう。カーテンを閉めきる。


 夏の真昼の最中にて、文芸部室は闇に隔てられた。


 ナツキは振り向く。大きな瞳は薄暗い部屋の中で、猫のそれのように光り輝いていた。


「先輩、スマホの電源を切ってください」


 俺が言葉を返す前に


「すぐに済むので」


 ナツキは、そう言った。


 一体これから、何が始まるのか。


 俺の心臓は、ずきずきと高鳴りはじめた。






◆◆◆◆◆◆





 同刻、七曜学園の第二会議室。


 木南(きなみ) 秋葉(あきは)火伏(ひぶせ) 琥春(こはる)は、テーブルとティーセットを挟み、向かい合っていた。


 うだる夏の午後、クーラーの効いた室内で、優雅なティータイム。


 ──だけでは済まないことくらい、二人とも理解している


「さて、話というのは何でしょうか?」


 アキハの優雅な声を聞き、コハルは我に返った。


 見惚れていた。

 完璧。完全。そういう言葉で人を褒めるのは珍しくない。コハルもよく褒めるし、褒められる。


 だが、木南(きなみ) 秋葉(あきは)より、『完璧』な人がいるのだろうか。


 濡烏の長髪、黒曜の瞳、白磁の肌。

 たおやかで澄んだ声、ほのかなダマスクローズの香り。


 一瞬で分かる美しさに、コハルは畏敬の念を禁じ得なかった。


 だからこそ、コハルは言ってのける。


「宣戦布告ですよっ!」


 アキハはティーカップを手に持ったまま、ぴたりと固まる。絵画みたいな光景だ、とコハルは思った。


「────なるほど」


 アキハはコハルの目を見据え、静かに一言つぶやいた。


 あからさまに敵意を向けたわけではない。が、そのプレッシャーは凄まじいものだった。コハルは、自分の体がズッシリ重くなったようにすら感じた。周囲が急速に冷え込む。空調によるものとは異なる悪寒。


(世界観が違うよ〜!!)


 コハルは胸中で悲鳴を上げるが、今さら引き下がるわけにもいかない。


 目をぎゅっとつむり、気を張り直す。


「フユミちゃんに先を越されちゃった以上、アタシも黙ってられません。どうせならと思って、言いに来たんです」


「ふむ……」


 アキハは紅茶にティースプーンを差し込み、ゆっくりと掻き混ぜはじめた。琥珀色の液体が渦を巻くのを、アキハは一瞥もしない。ただ、コハルを見つめている。


 銀製のティースプーンは、夏日を受けて眩しく輝く。反射光がチカチカとコハルの目に射し込む。しかしコハルは、瞬き一つしない。ただアキハを見返していた。


 アキハはコハルを見つめつつ、優雅に紅茶を傾けた。一息ついてから、尋ねる。


「わからない点が、いくつかあります。『フユミさんが先を越した』というのは、どうしてわかったのですか?」


「トーマの雰囲気を見ればわかりますよ、そのくらい」


 コハルの即答に、アキハは楽しげな笑みを浮かべる。


「ええ、まあ、そうでしょうね。では、二つ目。なぜ、私たちが競い合う必要があるのですか?」


 アキハの声は静かだったが、声色は愉悦を隠しきれずにいた。


「一位以外は二位も最下位も一緒。どんな競争においてもそうです。ここは仲良く譲り合う、でも良いのではないですか?」


「心にもないこと言ってますね。アキハ先輩、二位を勝ち取る気まんまんでしょう」


 コハルの断定に、アキハは


「ふふふ」


 天真爛漫な笑い声を漏らす。


 コハルは改めて実感した。

 アキハは、自分でコントロールできない状況を楽しんでいる。なんでもできるからこそ、操れない物事に興味を示している。


 あらゆる分野で一位を取り続けてきたからこそ、今のアキハは戸惑っている。


 二位に甘んじるしかない自分に戸惑っている。

 そして、二位を勝ち取りたい自分に戸惑っている。


 その戸惑いを無邪気に愉しんでいるのだから、この人は相当な変人だ。


 コハルは心からそう思った。


 アキハはと言うと、浮かれたような様子で紅茶を注ぎ直していた。


 そして、ちらりとコハルを見やる。


「……最後の質問です。なぜ私に、宣戦布告したのですか? 黙ってやれば済むことをわざわざ対面で伝えるのは、非合理的に思えますが」


 コハルは紅茶をソーサーに置き、椅子の背もたれに全体重を預ける。


 そして、大げさに肩をすくめてみせた。


「かっこつけたくなったんですよ、トーマみたいに」


「んふっ」


 アキハは小鼻から息を漏らす。手で口を覆って、からからと笑った。


 コハルは呆気に取られた。


 アキハが声を上げて笑うのは初めて見た。というより、木南秋葉がそんなふうに笑うところを、今の今まで想像だにできなかった。


 アキハは鈴を転がすような声で、子供のように笑い続けた。


「はあ、失礼。取り乱しましたね」


 アキハは目尻の光を拭い、居住まいを正す。


「かわいい宣戦布告をありがとうございます。ですが、私はコハルさんに謝らねばなりません」


「何をですか?」


 コハルは問い返しながら、『答えはわかりきっている』と思った。


「私が必ず勝ちますから」


 アキハは当然のことのように言った。


「トーマさんには『迎えに来てください』と伝えてありますから。フユミさんの次に結ばれるのは私です。そして、ゆくゆくはフユミさんよりも強い絆を手に入れます」


 アキハの様子には、てらいも気負いも見て取れない。一分の陰りもない彼女の眩しさに、コハルは少し目を細めた。


「ゴールデンウィークに、トーマさんがフユミさんの次に選んだのは私です」


 アキハは澄まし顔でティーカップを手に取り、ゆったりした手つきで口を付ける。


「なればこそ、今回も私が二位です。そして、やがて私は一位になります。今の私がフユミさんに勝てないのは、懸けた時間の差があるからです。ですが、先の人生は長い。十年も懸ければ、私がフユミさんに負けるはずありません」


「……思ったより長期スパンで考えてるんですね。『夏のうちに圧勝します』とか言いそうなのに」


「私は楽天家ですが、非現実的なことは言いません。数ヶ月でフユミさんを上回るのは不可能でしょう。トーマさんが記憶を全て取り戻した今、難度はさらに上がっています」


 ですが、とアキハは言葉を切る。


「勝つと決めた以上は、勝ちます。どんな手段を使っても、どれだけ時間がかかろうと、必ず」


 コハルはアキハを見つめつつ、机上のマカロンを手に取る。


「アタシとナツキちゃんは眼中にないですか?」


 コハルは釘を刺してみるが、


「いえ。お二方とも可愛いと思っていますよ」


 アキハはどこ吹く風と言わんばかりだ。


「ですが、コハルさんもナツキさんも、自分から攻めるのは不得手と見受けられます。花も恥じらう乙女ですから」


 自分はそうじゃないみたいな言い方!

 コハルはそう思ったが、口には出さずにおいた。


 何と返したものか。コハルはしばし考えてから、


「ガールズトーク、しましょうか」


 雑談を持ちかけた。

 アキハは目を丸くした。こういう表情は子どもっぽいな、とコハルは思う。


「よろこんで。お題は何にしましょうか?」


「じゃあ、好きな人の悪口で」


「ふふ、素敵ですね」


 紅茶の匂いに包まれて、二人は話に花を咲かせた。




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