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第26話 ☆コハル「そっちじゃないよ」(後編)

 日村くんは、両手にウーロン茶とオレンジジュースを持って部屋に戻ってきた。


「はい、おまたせ」


「ありがと。……ねえ、日村くん」


 アタシはグラスを受け取らず、まっすぐ見上げた。


「ウチ、泊まりなよ」


 できるだけいつも通りのテンションで、何でもないことのように言う。

 日村くんは目を丸くして、それから困ったように眉を下げた。


「いや、でも……親御さんの許可は?」


「取ったよ」


 即答した。

 予想してた質問だったから。


 ママに『帰れなくなった友達を泊めるね』ってLINEしたら、『オッケー、 戸締まりしっかりね!』と返ってきた。


 友達が男の子とは言っていない。でもウソはついてない。


「……そっか。じゃあ、お言葉に甘えようかな」


 日村くんは少しホッとしたように笑った。

 アタシは全身が緊張で震えるのを、必死でガマンした。


 カラオケを出たアタシたちは、台風並みの雨風の中を走った。途中にあるコンビニで、傘を二本と、日村くん用の大きめのパジャマとバスタオルだけを急いで買った。


 初夏の嵐はハンパなかった。

 買ったばかりのビニール傘は、ひっくり返って圧し折れた。


 結局二人とも、アタシの家に着く頃にはズブ濡れだった。


「狭い家だけど、許してね」


 アパートの外階段を上りながら言う。


「いや、そんな。ありがたいよ、本当に」


 日村くんは目尻を下げて笑った。また仔犬みたいな表情(かお)してる。こんなに優しい男の子を、アタシは騙して家に連れ込んでいる。


 いけない子だな、なんて他人事みたいに思う。


 ガチャリと鍵を開け、日村くんを招き入れる。


 日村くんはビシャビシャの靴を脱ぎ、靴下を絞る。そして、ふと不思議そうな顔をした。室内が静かすぎるって気付いたみたい。


「ご家族は……皆さん寝てるの?」


 ひそひそ声で聞いてくる日村くんに、


「ううん。みんな姉貴の家に避難してて、今日は誰もいないよ」


 アタシは平気なふりをして靴を揃える。……手が震えてるの、バレてないかな。


 背後で、日村くんが息を呑む音がした。

 アタシは振り返らずに、お風呂のスイッチを入れる。


 ピ! 甲高い電子音。


 雨音。風音。窓にさえぎられた環境音は他人事のように遠く聞こえて、かえって静寂を強調している。


「ビショビショだね〜、お互いに。あっははは……」


 笑ってごまかすアタシ。

 でも、リビングに上がってきた日村くんの動きは、ロボットみたいにぎこちない。


 二人きりの、誰もいない家。密室。それを、ようやく理解したらしい。


 アタシは場を和ませようと、日村くんの肩にポンと手を置く。


「ほら、『先にシャワー浴びてこいよ』っ!」


 アネゴ肌っぽく言ったつもりが。

 触れた肩の熱さと、濡れたシャツから透ける筋肉に、


「ふゎっ……!」


 アタシの方まで照れてしまった。

 日村くんも、アタシの視線に気づいて顔を赤くする。


 お互い強烈に意識し合ってる。気まずい沈黙。


 居ても立ってもいられなくなったのか、


「ひ、火伏さんこそ!」


 日村くんが慌てて手を振った。


「お湯ためてる間に、シャワー浴びちゃいなよ!」


「いやいや、お客さんなんだから日村くんが先でしょ!」


「俺は後でいいって!」


 何ターンか譲り合いの押し問答が続いたけれど、最終的に『お客さんだから』というアタシの理屈で押し切り、日村くんが先にお風呂に入ることになった。


 シャワーの音が聞こえ始めたのを確認して、アタシはリビングで着替える。濡れた服はすぐ脱がないとすぐ風邪を引いちゃうから。


 それにしても、肌に張り付いてとにかく脱ぎにくい。悪戦苦闘をようやく終えて、アタシは裸になる。そして、ため息を長く吐き出した。


 どうしよう。

 アタシ、日村くんを家に連れ込んじゃった。


 この後、どうする?

 日村くんがお風呂から出たら、アタシが入って、そのあと二人で並んでパジャマ姿でリビングに座って……


 それで?


 ……絶対に、気まずくなる。


 それが嫌だから、積極的にアプローチしたら?


 ……仲良くできるけど、進展はなさそう。


 ヘタレなアタシたちのことだ。一緒に楽しくテレビを見て、日村くんが『じゃあ俺は床で寝るから』とか言い出して、しばらく押し問答してから、結局は何事もなく朝を迎える。そうに決まってる。


 安心安全で心地いい。もどかしい距離感。それがまた繰り返されるだけ。


 そんなの、絶対にイヤだ。

 今日で決着をつけるって、自分で決めたんだから。


 だから──


「……もう、いいや」


 めんどくさくなっちゃった。

 駆け引きとか、恥じらいとか、プライドとか、ぜんぶ全部めんどくさい。


 アタシは裸のまま、自室を出て洗面所に向かった。

 すりガラスの向こうから、シャワーの音が聞こえる。


 コンコン、とドアをノックした。


「日村くん、入るよー」 


「……えっ!?  ああ、うん、《《脱衣室に》》ね!」


「あっはは、もー日村くんってば」


「ご、ごめんごめん。ははは」


 アタシたちは、浴室のドア越しに笑い合う。


 そしてアタシは、


「そっちじゃないよ」


 全裸のまま浴室へ入った。


「ンなぁ──っっ!!?」


 叫ぶ日村くんは湯煙の中、シャワーヘッドを手に凍りつく。


 目は限界まで見開かれ、口は開いたままふさがらない。氷漬けにされたみたいに固まっている。


 アタシはっていうと、自分でもビックリするほど冷静だった。


 日村くんの唇に人差し指を伸ばし、「しー」と制する。


「大声出しちゃダメ。ウチ、壁薄いから」


 ご近所メーワクだよ、とアタシが言っても、日村くんは全く聞いてなかった。日村くんのつぶらな瞳は、上へ下への大騒ぎ。


「あ、わ……ひぶ、えっ……!?」


 目線が吸い寄せられて、慌てて離されて、また吸い寄せられて。


 アタシだって恥ずかしいのに!

 恥ずかしいけど、もう止まれない。


「これが一番わかりやすいでしょ。ダメならそう言って」


 アタシは、日村くんの目を真っ直ぐ見つめる。


「言わないならもう、アタシ、やりたいようにやるから」


 ズルいなぁ、って自分でも思う。

 逃げ道を与えるようなフリをして、実質的には塞いでる。

 啖呵を切ったようでいて、自分を人質に脅迫してるだけだ。


 これで振られたらアタシもう、日村くんのこと、一生逆恨みする。日村くんもそれをわかってる。日村くんは優しいから、きっと応えてくれる。


 案の定、日村くんは絞り出すように言った。


「お、俺も……火伏さんのこと好きだけど、好きだから、でも、こんなの、急すぎるって──!」


 急すぎる、って。

 それを聞いた瞬間、アタシの中で張り詰めていた糸が、プツンと切れた。


「急じゃないでしょーが!!」


 アタシの絶叫が響き渡った。


「お家デートして外でもデートしてバレンタインも一緒だった一年間、なんも急じゃないでしょーが!!!」


 似た者同士の臆病者同士。

 ずっと安全圏から見つめ合ってたから、ここまでしないと触れ合えなかった。 


 日村くんはビクッと肩をすくめ、


「ご、ご近所メーワクだよぉ……」


 と、さっきのアタシのセリフを弱々しく繰り返した。


 アタシはフン!と鼻を鳴らし、両腕を広げた。


「ん!」


 抱きしめて、ってことなのに。

 日村くんは、わたわた慌てふためいている。どこにどう触れていいのか、そもそも見ていいのか分からないってカンジ


 アタシはもう一度、


「ん!!」


 両腕を広げてみせる。

 日村くんは観念して、恐る恐るアタシの背中に腕を回る。


 じれったいから抱き寄せる。密着する。


 うわ、どうしよ──


 と思ってたのに、アタシの体は勝手に動く。目を閉じて、上を向いて、背伸びをする。日村くんはためらいがちに、そっと唇を重ねて。


 頭が、真っ白になる。


 テッペンからつまさきまで白熱して何も考えられない。

 なのに心のどこかの片隅で、(日村くん急に積極的になるんだなぁ……)なんて思ってる。


 映画みたいなことしてるなぁ…………あれ?


 ファーストキスなのに、妙にフィットするというか、優しくて滑らかで、心地いい。


 唇が離れる。


 起きても夢から覚められないときみたいに、頭がぽやぽやしている。


 曇りかけの鏡にアタシが映ってる。

 うわ、やらし〜顔……こんな表情、アタシじゃないみたい。


「火伏さん……」


 日村くんの声で我に返る。

 アタシは慌てて顔を覆って、息を整える。


 そして、せいいっぱいのジト目で日村くんを睨んだ。


「日村くん、な〜〜んか慣れてるよね?」


「そ、そんなわけないでしょ! 彼女できたことないよ俺!」


 日村くんは必死に首を横に振る。


「火伏さんこそ、その……チューも器用というか……」


「あっは、言い方きも〜」


 軽口を叩きながら、アタシの胸の奥は、どうしようもないくらい愛おしさでいっぱいになっていた。


 アタシも経験なんてない。ただ合わせるのが得意なだけ。


 お互いに初めてで、不器用で、いっぱいいっぱいで。


 密着したまま、日村くんの体を改めて感じる。

 服を着ているときは気付かなかったけれど、割としっかり鍛えてるっぽい。そして、それ以前に、骨格からアタシとは全く違う。


 ほんとに男の子なんだなぁ……。


 そう実感した瞬間。

 日村くんの一部が、アタシのお腹の辺りに、硬く当たっているのに気づいた。


「……当たってるんですけど」


「ふ、不可抗力でしょ!!」


 顔から火が出そうなくらい真っ赤になって叫ぶ日村くんに、アタシはたまらず吹き出した。


「あっははは!」


 笑いが止まらない。

 なんでアタシたち、こんな大事なときに漫才みたいなことやってんだろ。


 でも、それがアタシたちらしいかも。

 アタシは日村くんの首に腕を回した。


「いいよ。好きなこと、アタシにしたいこと、なんでもしていいよ」


 それは、アタシのすべてを委ねる言葉だった。

 日村くんの喉仏が、ゴクリと上下する。


「でも、一つだけ」


 アタシは人差し指を立てて、日村くんの鼻先にツンと触れた。


「コハルって呼んで。アタシも、トーマって呼ぶから」


 ここから先は、恋人同士。

 トーマは、大きく息を吸い込み、コクンと頷いた。


「じゃあ、コハルさん」


「よ・び・す・て!」


「こっ、コハル」


 震える声とは正反対に、トーマの瞳は真っ直ぐだった。


「俺、好きだから。勢いに流されてるわけじゃない。コハルのことが好きだから」




 ────心臓が、バクハツした。


 頭の中が焼かれてるみたいに熱い。

 

 ズルい。トーマはズルい。ズルい。


 ズルい!

 ズルい!!


 こーゆーの、どうせ他の子にも言ってるんじゃないの?

 言ったことなくても、後で他の子にも言っちゃうんじゃないの!?


 イヤミを言ってやりたいのに、アタシの唇は震えるだけで。


 それをトーマが唇で塞ぐ。

 水音は、換気扇の音で搔き消されて。


 恋人の夜が始まった。


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