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第22話 コハル「覚えてる? きっかけのこと」(前編)

 ピロン、と。

 コハルのベッドの上に放り投げられていたスマホが、短い通知音を鳴らした。


 俺はついつい視線をやる。

 画面にポップアップしたのは、一通のメッセージ。


 送り主はフユミ。


 文面は、『お話できました』。

 

 たった一言、句点もスタンプもない簡潔な文面だった。


 コハルはスマホを胸に抱きかかえ、ため息を長く吐き出した。


 俺は思わず口を開いた。


「うまくいったみたいで良かったよ」


 コハルの部屋にお邪魔してからというもの、俺はずっと気になっていた。


 コハルの振る舞い。


 いつも通り明るくフランクだったが、その笑顔の裏で、ずっと何かを気にしていた。

 ふとした瞬間の表情や、声音のわずかな張り。俺に心配をかけまいと、精一杯に心を抑え込んでいるのがわかった。


 ナツキのことだろう。

 俺が倒れたせいで、罪悪感に沈んでしまった、俺のたった一人の後輩。

 ナツキが今どんな状態なのか、そしてコハルがフユミに何を頼んでいたのかは、想像に難くない。


「あ。まーたアンニュイな顔してる」


 コハルは俺の顔を下から覗き込む。

 そしてパッと花が咲くような、いつもの笑顔を浮かべる。


「トーマってさぁ、ヘンなとこ敏感だよね〜。あ、エッチな意味じゃないよ?」


 からかう口調でコハルが笑う。

 今度は虚勢でもなんでもない、本当に安心しきった、あどけない笑顔だった。


「臆病なだけだよ、俺は」


 俺は苦笑まじりにそう返した。


 フユミと疎遠になって以来、仲良くしてくれる人に嫌われることが二度とないよう、周りの顔色をうかがって生きてきた。


 そのせいで身についた察しの良さだ。

 褒められたようなシロモノじゃない。


「んーん。そういうとこ、アタシは好きだよ」


 こつん、と。

 コハルが、俺の肩に自分の頭を乗せてきた。

 さらさらとしたプラチナブロンドの髪から、いつものココナッツの甘い香りが、俺の鼻腔をくすぐった。


「ねえ、トーマ」


 コハルは俺の肩に頭を乗せたまま、甘えるような声で囁いた。


「覚えてる? アタシたちの、《《キッカケ》》の事」


「覚えてるよ、もちろん」


 忘れるわけがない。

 俺とコハルが、ただのクラスメイトから、少しだけ仲良くなった日のこと。


   ◆


 一年前の梅雨。

 灰色の雲が空を覆い、五月雨がしとしとと降り続く放課後のことだった。


 俺は通学路の途中で、あるものを見つけた。

 

 屋根付きのバス停で、雨宿りをしている少女。


 火伏(ひぶせ) 琥春(こはる)

 YouTuberでTikTokerでInstagramerのインフルエンサーだ。


 入学して間もないというのに、すでに学年中で名前を知らない者はいないほどの一軍である。


 だが、その日の彼女はいつもの華やかさとは打って変わって、ひどく儚げで所在なさげだった。


 制服は雨でビショ濡れ。雨具を持っていないらしい。

 白い夏服のブラウスが肌に張り付き、何とは言わんが派手な色のそれがくっきりと透けてしまっていた。


 目のやり場に超困る。

 何よりこのままじゃ、絶対に風邪を引いてしまう。


 俺が傘を差し掛けようと近づくと、彼女がふと顔を上げた。


「あれ? 日村くんじゃん」


 俺は内心、かなり驚いた。

 一軍のトップギャルが、俺みたいな地味なモブ男子の名前を覚えていてくれたのかと、不覚にも喜んでしまいそうになった。


 だが、すぐに思い直す。

 同姓の有名なお笑い芸人がいる。だから、たまたま記憶の片隅に引っかかれたのだろう。


 俺は勘違いをしない。オタクは勘違いをするから絶望するのだ。


 ところで、その日は梅雨冷えで。

 半袖では肌寒いほどに気温が低かった。


 彼女の華奢な肩が、わずかながら震えている。


火伏(ひぶせ)さん、大丈夫? 家、すぐそこだから、タオルか何か持ってこようか?」


 俺が声をかけると、彼女はきょとんとした顔で俺を見つめた。


 バチバチのメイクが雨でやや落ちている。

 スッピンも相まって、彼女の呆け面は何とも幼く見えた。


 しまった。

 あまり話したこともない女子に、いきなり「家からタオルを持ってくる」と言うのはキモかった。


 とっさに自省して、雨音の中で冷や汗をかく俺。

 しかし次の瞬間、彼女は「ふふん」と満足げに笑ってくれた。


「日村くん、やさしーねー。……じゃ、シャワー貸して?」


「……はいっ?」


 突拍子もない提案に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。


 男の家でシャワー?

 このギャル、警戒心というものがないのか?

 戸惑う俺に、彼女は両手を合わせて拝み倒す。


「おねがい! 水道代と光熱費は倍にして返すから!」


「いや、お金とかそういう問題じゃなくてさぁ……」


 とはいえ、ぷるぷる震え始めている彼女を放っておくわけにも、この濡れネズミ状態で帰らせて風邪を引かせるわけにもいかない。


「……わかった。ホントにすぐそこだから」


 俺は頷きつつ、彼女を我が家へと招き入れた。


   ◆


 我が家の浴室でシャワーを浴び終えた彼女に、俺はとりあえず母の服の予備を引っ張り出して貸した。


 少し大きめのルームウェアを着た火伏(ひぶせ) 琥春(こはる)が、タオルで髪を拭きながらリビングに現れる。


「ありがとー。……これ、日村くんの彼女の?」


 からかうような視線に、俺は慌てて首を振る。


「いやあ、母のです」


「あっは、なんで敬語〜?」


 彼女はツボに入ったのか、ケラケラとおかしそうに笑った。


 それから、珍しそうに俺の部屋を見渡し、本棚の前でピタリと足を止める。漫画しか置いてないのに……待てよ、ToLOVEる置いてあった気がする。気付かないでくれ! 頼む!


「お、カグラバチあんじゃ〜ん。単行本まだ買ってなかったんよね。読んでいい?」


「あ、いいっすよ」


「さんきゅ〜!」


 俺が許可を出すと、彼女は我が物顔でリビングのソファにコロンと寝転がり、漫画を読み始めた。


 なんという適応能力の高さ。そして無防備さ。

 風呂上がりのいい匂いがリビングに漂い始めて、俺はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。


 とりあえず何か温かいものでも出そうと、俺はキッチンに立つ。


「ココア作るけど、火伏さんも飲む?」


 俺が背中越しに尋ねると、ソファから弾んだ声が返ってきた。


「え、いいの? ありがとー」



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