第七話:荘園領主
「この摂津国から帝がおらんようになってどれくらいになる」
慈念寺の最奥の間、障子の奥から野太い声がした。
「ざっと十年は経ちましたろうか」
返事をするのは廊下にはべる若い坊主である。
「いつ、お戻りになるかのぅ」
てらてらと燭台に照らされた板敷の廊下からは「さて」と返事がある。
「帝がおらんと商いがまわらん。どうにかならんか」
声の主は苛立たし気に言い捨てる。
「座がございます」
「確かに座ができてからというもの、商いは安定しておるが、しかしやはり帝が必要じゃ。往来を行きかう人の数がまるで違う」
冬の、冷たい空気が満ちる室内にあって、三方を塞ぐ襖の上の龍が声の主をぎょろりとにらみつけている。
「そういえば」
と、若い声が話題を変えた。
「荘園の方にまた若い子らが流れ着きました」
この時代、身寄りのない者は多く、その大部分は地方の荘園がおさめる農地などの働き手として使われ一生を終える。
「おお、そうか。して――」
野太い声は続く言葉を待つ。
「見目のよい男子がひとりおりましたので、明日にでも連れてまいります」
「うむ」
そう返事をしたこの慈念寺の荘園領主は、この頃には珍しくもない両刀使いであった。
時刻はもう子の刻を過ぎている。
領主は器に半分ほど残っていた酒をあおり、獣のようにくつくつと喉を鳴らすのであった。
翌日、異朱は多くの若い子らとともに、慈念寺の農地を案内された。
「ここがこれからお前たちが死ぬまで働く慈念寺の畑じゃ。心しておくように」
案内役の坊主が声を張り上げる。
それから日が傾くまで皆で軽く畑を整えて、夕飯の頃、あらかじめ告げられていた通り、異朱だけ別に西の端の部屋に呼ばれた。
「これへ」
そう言われて前にした部屋の襖には、大きな鶏の絵が描かれていた。
異朱はばれぬようにそっと、ふんどしに挟んだ短刀に手をやった。
勝負は一瞬だ。
必ず仕留める。
しばらくの沈黙の後、襖の奥から「入れ」と野太い声がした。
「はい」
と短く返事をして、異朱は居住まいを正し襖に手をかけた。
「おぬしが、茶々丸か」
「はい」
茶々丸とは、異朱が洞耶から与えられた偽名である。
「こちらへ来て酒を継げい」
こいつが、慈念寺の荘園領主か――。
異朱はその顔をちらりと見た。
でっぷり太った体の上に、これまたでっぷりと溶けそうなほどの肉を首元にたたえて大きな禿げ頭がのっかっている。
しかしその目は驚くほど大きく、鋭い。
領主はぎろりと異朱を見やった。
異朱は目を合わさずに領主の隣にしずしずと座り、言われるがままに徳利を持ち、領主の持つ杯に酒を注いだ。
「おぬし、生まれは」
赤ら顔の領主が問う。
「北の方から来ました」
「北、か。京の都を知っておるか?」
「いえ……」
異朱の手が震えた。
「そうかたくなるでない。何も取って食おうというわけではないのだから、な」
そういうと領主は酒のしたたる大きな舌で、唇のまわりをぐるりと舐めた。
このっ……!
たまらず異朱は腹におさめていた短刀に手をかけた。
そして素早くその場に立ち上がると、領主の首元めがけ、一気に振り下ろした。
「危ないのぅ」
異朱は目を見開いた。
自分の手が、領主の手により握られている。
「先日も、そうやって儂の首を狙ってきた小僧がおったわ。儂がこの手で縊り殺してやったがの」
そう言って領主は大きな目で異朱の両目を捉えた。
領主に真正面からにらまれる形となった異朱は、全身がかたまり動けなくなったかのようだった。
どうすればいい――歌丸――洞耶さん――ごめんおばあ、俺失敗した――……!
様々な思いが一瞬のうちに身の内をかけめぐり、熱い体の表面を覆うすべての毛を逆さにした。
「であえ!」
領主が叫んだ。
駄目だ、人を呼ばれた!もはやこれまで――。
異朱はその場でかたく両目を結んだ。
すると次の瞬間、ごとり、と異朱をつかまえていた力が解け、一気に腕が軽くなった。
突然のことに異朱は両目をそっと開けてみる。
目の前、部屋の真ん中に立っていたのは、いつか慈念寺の前の店で見た、釣り目の男だった。
男は手に刀を持っていた。
異朱の持つ短刀とは違う、もっと長い、本物の刀だ。
その刀が、赤く染まっている。
「おのれ何やつ!」
声のする方を見ると領主が足元でうずくまっていた。
自由になった異朱はその場をさっと飛びのいた。
視野に入ってきた領主の全身をあらためて見ると、なんと領主は自分の片腕を抱きしめてうずくまっているではないか。
その腕は、肘から先ではあるが、体から切り離されて傷口をあらわにしている。
何が、起こった――。
状況から判断するに、釣り目の男が刀で領主の腕を切り落としたのだ。
なぜ――。
頭の追い付かない異朱の目の前で、釣り目の男が床の間にあった大きな壺に近づいてゆく。
男はそのまま壺の中に腕を突っ込むと、そこから白いものを引っ張り出した。
その手にあるものは、書状のように、見えた。
「座の連判状はこれに違いないねぇ」
釣り目の男が、その場にそぐわぬのびやかな声でこぼした。
「ええい、それを返せ!返さぬか!」
領主は男に向き直り、自分の切れた腕を握ってぶんぶん振り回しはじめた。
足元の畳や乱れた食器の上に血のしぶきが飛ぶ。
「誰か!誰かある!」
領主は全身に油汗をかきながら大声で叫んだ。
「おい、お前、俺を覚えているか」
異朱の口から、やっとそんな言葉が出た。
釣り目の男が異朱に振りかえる。
「おや、君はたしか、店の前で見たいつぞやの……」
「頼む!その連判状、俺にくれ!」
気づけば異朱はそう叫んでいた。
男はしばし考える素振りをした。
時は刻一刻を争う。
何を悠長に考え事などしているのか、と異朱のいらだちが一気に極地に達した。
さらにしばらくの沈黙の後、男は「いいよ。あげる」と異朱に笑顔を向けた。
男は連判状を手渡しながら、異朱に「私はもう覚えてしまったし、あげるよ、それ。それに君の連れの最後を知る者として、この場は大盤振る舞いだ。助けてあげるよ」と耳元でささやいた。
かと思うと次の瞬間、男の持っていた刀が領主の脳天のど真ん中を貫いていた。
あっけにとられている間に、男を中心に一陣の風が吹き、何事かと思って目をつむり再び大きく開いた時には、異朱は男に抱えられ冬の夜空を飛んでいた。
あまりの展開に言葉が出ない。
男に抱きかかえられた異朱の目に飛び込んできたのは、男の尻から伸びる二本の長い尾であった。
あわてて振り仰いでみると、男の額の上の方には獣の耳がのぞいている。
「お、お前、ば、化け物っ、か」
異朱はがたがた震える歯をなんとか合わせようとしたが、顎全体が浮いたようにかみ合わない。
するとその様子を見て、男がふふっと笑い口を開いた。
「せっかく助けてやったのにご挨拶だね。化け物じゃない。化け猫だよ。テンという名前だってある。よろしくねぇ」
なんと言い返せばよいのか分からず、何より宙に浮いているということが信じらず、異朱は再び足が地に着くまでじっとしているしかなかった。
「あ、ありがとう、助けてくれて。あと、連判状も」
やっと言葉が出たのは、村はずれの大通りの端に降ろしてもらってからのことだった。
「いいんだよ、そんなことは。それより、もうあんな危険なことをしては駄目だよ。君はまだ若いんだから。もっと自分を大事にしなければ」
今までかけてもらったことのないそんなあたたかな言葉を、本当にこの目の前の、先ほど領主を切り殺した化け猫が発しているのか。
異朱はまじまじと男を見返した。
「助けてもらってなんだが、おぬし、俺の仲間にならないか。俺はこう見えても忍の卵でな」
思わず異朱の口から出たのは、そんな言葉だった。
それを聞いて、男ははははと声を出して笑った。
「ずいぶんと未熟な忍だね。そんなんじゃあ命がいくつあっても足りないよ。もっと修行しないとね」
それは痛いほど身に染みていた。
しかし歌丸は殺しの術を教えてくれなかったのだ。
歌丸は――、
「それに、私は元々殺しは嫌いでね。今は商いが面白いんだ。どうだい?君も商いをしては」
殺しが嫌い――。
いつか歌丸が口にした言葉だ。
しかしそれは殺しを当然のように出来る者の言葉でもあることを、異朱はもう知っていた。
俺はまだまだ弱い――。
今は悔しさだけがこみあげてきていた。
ふ――。
異朱の口元から、力の抜けた笑いがこぼれた。
俺は今日死んでもおかしくはなかったのだ。
しかし今、俺は生きている。
その事実が、頬を自然と緩ませた。
そうして、男の言葉が遅れて耳に届いたかのように響いてきた。
「はは、変わった化け猫もあったものだな」
異朱の口から、そんな笑いの混じった言葉がこぼれていた。
「ほんに、ねぇ」
まるで他人事みたいにそうこぼすと、男はそのまま「じゃあねぇ」と言い捨て、ふっと姿を消した。
寒空の下、明かりも無いのにあたりが輝いて見えるのは、頭上にのぼる満月のせいであったか。
連判状を手にした異朱は、そのまま洞耶の待つ忍の里へと足を向けたのだった。




