Ep-1
何もかもが元通りに戻ったように見えるこの島での日々にも、わずかにだが変わったことがある。以前はまるで興味の湧かなかった講義にも積極的に顔を出し、一日の大半が講義を受ける時間に費やされるようになった。
木下と出会ってから大人に対する見方が変わったのと、何より今はいろいろな知識を身につけておきたいと考えるようになったのが主な理由だ。
朝は適当な時間に起きて、学校では優花とともに講義を受ける。そして、時たま班の四人で集まっては、くだらない雑談で暇をつぶす。そんな風にして毎日を過ごして、時間の流れに身を任せた。
季節の進行なんてものは、時間の密度とは全くの無関係で、どれだけ退屈な日々が続こうと、知らん顔をして過ぎていく。
激動の夏が終わりを迎えると穏やかな秋が来た。あれだけの革命も、夏の日差しが灰色の空に覆い隠されるのと共に、この島の人々の記憶から薄れていったように思える。
そして、秋の気候がこの島に居座るのは、毎年一瞬のことだ。すぐに傍若無人な冬の風が吹いて、秋の空気を蹴り飛ばすようにして、穏やかな空気を切り裂いていく。
そんな冬の始まりを告げる風がこの島に訪れたのと同時に、創たちの班にも最初の変化が現れた。
何の前触れがあったわけでもない。ある朝突然一四歳の少女が現れて、今日から同じ班になるからよろしくと、ずいぶんと軽い調子の挨拶をした。
新たに班員として加わった彼女は、どうやら今までの班のメンバーとそりが合わずに、班を抜け出してきたようで、ちょうど一四歳になったばかりというわけではないようだった。
創にとっての班員は、優花には修也、そして竜司と涼子の四人だけだ。それ以外の誰かがこの班にいたことはなく、この空間に誰か他の者が入って来ることなど、想像さえもしていなかった。彼女の人柄がどういうものかは知らないが、彼女と仲良くしようという気は、少しも湧いてはこなかった。
涼子も創と同様に、新入りの少女とは明らかな壁を作り、頑なに近寄ることをしなかった。結局、彼女と交流を持ったのは優花と竜司の二人だけで、それも決して班員同士の自然な関係とは言い難い物だった。
五人で一つの班のはずなのに、班の形は明らかに歪なものになった。一緒にいるのは誰かと誰かで、五人全員が同じ場所に集まることはない。誰もがみんな、バラバラの方角を向いていた。
ある日、いつもの空き教室で涼子と二人になった時、ふと問いかけてみた。
「新入りとは話さなくていいのか?」
「必要ある?どうせ数ヶ月の関係なんだし」
返ってきたのは、たったそれだけのそっけない返事。それが新入りの彼女を気遣っての行為なのか、それともただ面倒ごとを嫌っての行為なのかは、創には分からなかった。
あまりの簡素な言葉に、これ以上返す言葉も見当たらなくて、会話はそこで途絶える。たった一往復の短い会話。もうずっと、そんな毎日が続いていた。
皮膚を突き刺す冬の空気は日に日に鋭さを増していき、あっという間に冬の暮れが訪れた。それほどの時間が過ぎたところで、バラバラになった班がまとまるようなことはない。町に起きた事件といえば、この島に数年ぶりの雪が降ったことくらいで、興味を惹かれる出来事もない。冬の寒さに耐えるようにして、家の中に籠るだけの退屈な日々がひたすらに続いた。
ようやく長い冬が終わりを告げると、いよいよ心地の良い日差しを放つ春が来る。しかし、春の訪れは同時に、再びの別れを意味していた。
春真っ只中の四月一六日、それは涼子が一七歳の誕生日を迎えるちょうど一日前。その日の夜に創たちは、大人になる涼子を見送るために家の前で集まっていた。それは、ずいぶんと久しぶりの集合だった。
修也を見送った時と同じ、二四時から少し前の町中で、ただ静かに時が経つのを待つ。何もかもあの時と同じはずなのに、静寂が持つ意味合いは、まるで違うものだった。
涼子の見送りをしようと言い出したのは優花であり、始め涼子はそれさえ拒んだが、やがて頑なな優花に屈する形で、見送りが行われることに決定したのだった。
果たして、この見送りと言う行為に意味があったのかはわからない。見送られる立場であるはずの涼子は涼しい顔を保ち続け、新入りの少女は居心地が悪そうに、始終地面の方へ視線を泳がせていた。やがて迎えの大人がやってくると、涼子はわずかも抵抗するそぶりを見せず、導かれるままにこの場を去っていった。
最後の別れにあったのは、「じゃあね」と言う簡素な言葉だけ。一日の終わりの別れと変わらない、あまりにも寂しい別れとなった。
去っていく涼子にこれ以上の言葉をかける勇気などなくて、あまりにもあっけなく、その背中は闇へと消えていった。
涼子の姿が見えなくなった後、胸の中に残ったのは虚無感だけで、修也がいなくなった時のような悲しさはない。
隣では優花が不安そうに顔を覗き込んでいるのがわかったが、その視線には気づかないふりをする。心配されるようなことは何一つないのだと、一人頭の中で強がりを言ってみた。
そこから二ヶ月ほどが経つと、また新しいメンバーがやってきた。今度は一四歳になったばかりの、初めて班に加入する少年だった。家が近いこともあってか、何度か見かけた顔ではあったが、実際に話したことは一度もない。その少年は力を使っていろいろないたずらをするのが好きなようで、どこにでもいるような普通の子供だった。
いよいよこの班が自分の班に思えなくなったのはこの頃からだ。冬の終わり頃から竜司は一人目の新入りの少女と共に過ごすことが多くなり、涼子のいなくなった今、創の拠り所はいよいよ優花一人となっていた。
聞いた話では、新入りの少年は一人で過ごすのが好きらしく、この班の誰かと親しくしようとはしていないようだった。
五人で一つの班であるはずなのに、いつの間にかそれは、綺麗に三つに分かれる形となっていた。
班を一つにまとめあげることがどれほど大変なことなのかを知り、改めて修也がどれほどの苦労をしてきたのかを痛感する。それは決して、真似が出来る芸当には思えなかった。
バラバラになってしまったこの班の中で、それでもただ一人優花だけは必死に班をつなげようと努力をしていた。けれど、あちこちを向いている五人の目線を合わせられることはなく、何一つ状況は変わらないままに、この班で迎える三度目の夏が来た。
最後の大会と臨んだ試合も、二試合目であっさりと負けた。決して強敵と呼べる相手ではなかったはずだったが、まるで連携が取れていないのだから当然の結果だ。この大会に果たして修也が観戦に来ていたかは分からないが、こんな醜態を見られていないことを祈るばかりだ。
そして大会の三日後、ついに恐れていた時がやってきた。
それは、優花の一七歳の誕生日。子供ではない別の何かになり、創の元を離れていく運命の時。
その日の優花は落ち着いていた。その日は朝から優花と二人で過ごしていたが、始終穏やかな調子であった優花とは対照的に、創の目線は忙しないほどに時計の動きを気にかけていた。
二四時が近づけば近づくほど焦りは増していく。大人という存在がそれほど悪いものではないとわかっているにも関わらず、そう簡単に割り切れるものでもない。
優花の目の前で無様に取り乱す真似はしたくない、ただそれだけのプライドでどうにか持ちこたえていた。
ついに二四時が訪れると、相変わらず一分の狂いもなく、迎えの大人は現れた。今までの二人と同じ、感情の入り込む余地もないほどに、機械的な儀式。いよいよ心臓が激しく暴れ始め、それを必死に押さえつけようと、爪が食い込むほどに拳を握り、唇をかしめる。
最後の瞬間に何を話したのか、その記憶はほとんど残っていない。覚えているのは大人に連れていかれるときの優花の表情だけ。寂しさとか悲しさとか、そういったものを感じさせない微笑みを浮かべながら、こちらに手を振っていた。
きっとこの光景は、一生忘れることはないだろう。大人になってからのことは何一つ分からないが、それだけは確証が持てた。
優花がいなくなったその日から、生活の全ては一変した。優花という拠り所を失うと言うことは、それと同時にこの町での居場所まで失うことを意味していた。優花がいなくなったその日から、まるで何かから隠れるように、ひっそりと息をひそめるように生きていった。
得意だった力の行使も、少しずつ苦手になっていた。大人狩りの終わり頃からその兆候はあったが、優花がいなくなって無気力な毎日を送るようになってから、いよいよそれは顕著になった。
けれど、力を使うことが苦手になったからといって、別段困るようなことは何もない。力を失うことと引き換えに、学校の講義からさまざまな知識を身につけることができた。
特に木下からは、普段担当している生物の話だけでなく、もっと日常的な知識についても話を聞いた。だが、質問にはなんでも答えてくれる木下だったが、この島の歴史に話が及ぶといつも閉口した。きっとそれは大人になるまでは知ってはいけないのだと思ったし、それで構わなかった。
いつしか創は大人になることを待ち望むようになった。
優花がいなくなってからの時間の流れは、ひどく緩やかなものだった。優花の誕生日と創の誕生日は五カ月も離れている。ただ一人で時間をつぶして過ごすには、この五カ月と言う期間はあまにも長い。
苦痛の日々は続いていく。家で寝て、ご飯を食べて、講義を聞いて、また家に帰って寝る。ただそれだけの日々を繰り返す。
班員との交流は本当に必要最低限になり、長い付き合いである竜司とさえほとんど話しをすることはない。最後に言葉を交わした日すら、思い出せはしなかった。
ある日の夜、突然家のチャイムが鳴った。怪訝に思いながらドアを開けると、そこには真面目な顔をした竜司が立っていた。
その表情だけで大切な話なのだと察して、玄関を出て竜司の言葉を待った。
「どうせ覚えてねえと思うから伝えとく。俺、明日には大人になるから」
「そっか」
言われて始めて気づく。もはや日付の感覚さえなくなっていたが、いつのまにかそんな時期になっていたようだ。ついにこの班から、最後の一人がいなくなろうとしていた。
「別に見送りはいらねえ。ただ伝えておきたかっただけだから」
「ああ」
「一足先に行って待ってるよ。大人の世界ってやつでさ」
「ああ、俺もすぐに行くさ」
あれだけ大人という存在を嫌っていた竜司だが、その語り口からは、これといった感情は読み取れない。心境の変化か、ただの強がりかは分からなかった。
二人の間には、少しの間沈黙が続く。ややあって、少しだけ哀愁を含んだ声で、竜司は言った。
「大人の世界でなら、またお前とも普通に話せるようになれるかな」
「わからない。けど、そうなるといいな」
その言葉に竜司は、満足そうに小さく笑う。そして、そのまま片手を上げて去ろうとする。
「ま、残り数ヶ月元気でやれよ。じゃあな」
去っていく竜司へ「じゃあな」と返す。これが子供としての竜司と交わす最後の挨拶だと言うのに、やけに呆気のないものだった。
これでもう、いよいよ本当に一人だ。腹の中に溜まった全ての靄を吐き出すように、空に向かって長く息を吐いた。
そこからの毎日は不思議と足早に過ぎていった。頭の中を空っぽにしていたのが逆に幸いしたのかもしれないが、そこからは本当に穏やかな毎日だった。
本当に何もない、平穏な日々。そして、また数カ月が過ぎ、一七歳の誕生日を迎える、運命の時を迎えた。




