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自由の島  作者: 琴羽
第5章
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1-3

 

 ちりり、腕にできたすり傷が、床に敷いた布団とこすれて痛みを与えた。今日の練習中にできてしまった、なんてことのない小さな傷だ。練習中、お互いにどれだけ気を付けていようと、こうした怪我は頻繁にできる。何かきっかけがなければ思い出すこともないような、そんな小さな傷ばかりが身体にたまっていく。そして気づくこともないうちに、傷は癒える。その繰り返し。

 練習を終えた創は、かいてしまった汗をシャワーで流した後、その身体の疲れを癒すために自室の布団で横になっていた。力を多用する練習では、自分の感覚以上に身体には負担がかかる。もう一時間近くは同じ体勢で横になっているだろうか。

 布団の上で寝がえりを打つ。時折部屋の窓から吹き込む風は心地いいが、それでも部屋の気温は暑く感じる。開けた窓の向こうから聞こえる、さらさらと草が風で揺れる音さえも、この蒸した部屋の中では涼しげだ。

 いい加減にじっと待っているのも退屈になって、上体を起こしたその時、床の軋む音が聞こえてきた。その音は、確実に近付いている。やがて音が扉のすぐ目の前まで近づいた時、音は止み、代わりにドアを叩く音と声が聞こえた。

「入るよ?」

「ああ」簡素な返事をすると、間髪を入れずに扉が開いた。断られることなんて万に1つも考えていない、形式だけの確認だった。

 扉から顔をのぞかせたのは、よく見慣れた顔の少女。平均よりも少しだけ低い背に、柔らかいシルエット。優花だった。

 練習の後に、落ち着いたら家に来て欲しいと話しをしていた。

「お待たせ」

「遅かったな」

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった。本当はもう少し早く来るつもりだったんだけど」

 優花はそう言うと、律儀にも眉をひそめて申し訳なさそうな顔を作って見せた。こうして優花が時間に遅れてくるときはたいてい、誰かと話し込んで時間を忘れてしまうことが原因だ。今日もきっと、両親とでも話し込んで遅れたのだろうと推測する。

「気にすんなよ。自分が遅刻するくせに、誰かの遅刻に目くじらを立てるほど、俺はひどい人間じゃないよ」

「うん、分かってる。創はいろいろ適当だけど、その分他人にも優しいし。ただ、物事に無頓着なだけかもしれないけどね」

 そんな言葉と共に優花は笑う。その笑顔をたぶん、創以外の人間は知らない。お互いがお互いに持つ、お互いだけの共通認識。それを確認しあえた時、優花はいつもこんな顔をする。普段よりも少しだけ幼く見える、満たされたような笑顔だ。そして創は、その笑顔につられて笑みを返す。そこまでが、ずっと昔から二人の間で続けられてきた、一つの挨拶だった。

「それで?とりあえず聞くだけ聞いておくけど、今日はどうしたの?」

 言いながら、優花は部屋の壁にもたれるようにして、腰を下ろす。慣れた動作で、布団の横に置かれたランプに明かりを灯す。薄暗い部屋に、優花の姿が照らされた。

「朝、ろくに二人で話もできなかったしさ。このまま一人で寝るのも寂しかったから呼んだだけ。迷惑だったか?」

 答えの分かりきった質問。その答えが聞きたかった。

「まさか。どうせそんなところだろうって分かってたし。それに、今日は私もこのまま一人で寝る気分にはなれなったと思うから」

 優花の顔に、少しだけ影が落ちる。優花の様子がおかしいことは、この部屋に入ってきたときから分かっていた。今日の夕方、練習終わりに分かれた時よりも、明らかにその表情には影がある。

「なんだよ、やけに元気ないな。何か心配事でもあるなら最初から話せよ」

「ううん、別に心配事ってほどじゃないの。なんとなくちょっと、気が沈んじゃってね」

 優花はあいまいに言葉を濁そうとしたが、その気が沈む理由なら分かっている。考えるまでもないくらいに、お互いがお互いを知り過ぎていた。だからそれを、はっきりと突きつける。

「どうせ、来月のことを考えてるんだろ?それくらい、さすがに分かるよ」

 その言葉に優花は苦笑いをして答える。

「うん。創はさすがだね。やっぱり隠し事なんてできないか……」

「当たり前だ。何年一緒にいると思ってるんだよ。考えていることくらい、全部わかるさ」

 その言葉に優花はすぐには答えず、少しの間沈黙をする。急かすことはせずに、優花の言葉を待つ。やがて、口を開いた。

「修也君の誕生日まで、今日でちょうどあと一カ月でしょ?だから、どうしても考えちゃうの。この5人でいられるのもあと1ヶ月しかないんだって。ううん、それだけじゃない。修也君が大人になるって言うことは、そのほぼ一年後には私も大人になって、この班にいられなくなっちゃう」

 それが、何よりも怖いの。と、か細い声で続けた。その弱々しい言葉から、痛いほどの不安が伝わってくる。優花の誕生日は修也の誕生日の3日後。つまり、一か月後に修也が誕生日を迎えた、その一年と3日後には優花も大人となり、この班を脱退することになる。ほぼ一年違いの優花には、修也が大人になることがより身近に思えるのだろう。

「そうだな。そりゃあ、大人になるのは怖いよな。俺だってできることならずっと子供のままでいたいし、修也にも優花にも大人になんてなってほしくないさ」

 大人になることを簡単に受け入れられる子供なんて、きっとこの世界のどこにもいはしない。子供である限り、誰もがみな特別な力を使うことができて、大人からは神の使いと崇められる。17歳の誕生日を迎えるその瞬間まで、すべての子供には自由が約束されているのだから。

「私はね、大人になるって本当はそんなに悪いことじゃないんじゃないかって思ってる。でも私、この班は抜けたくない。創とも、離れ離れになりたくない」

 その声はあまりにも弱弱しく、最後の方は聞き取るのも難しいくらいにかぼそかった。そんな不安に震える優花を目の前にして、何もできないでいる自分が悔しくて仕方がなかった。

「大丈夫、大人になったって俺たちは一緒にいられるさ」

「うん、そうだね。そうだといいね」

 口にできる言葉と言えば確証のない慰めだけ。大人になった後のことなんて、何一つ分からない。誰か身近な人が大人になるなんてことは今回の修也が初めてで、大人になると言うことがどういうことなのか、実際は分からないことばかりだ。大人になった人ともう一度会うことができるのかさえ、今はまだ分からない。

 返す言葉も見当たらないでいると、二人の間には沈黙が流れる。何かを口にしなければいけないことは分かっていたが、優花の心に届きそうな言葉なんて何一つ思いつきはしない。それが悔しくて歯噛みする。

 優花がふと思い出したように「そう言えば」と切り出した。

「お昼にすりむいちゃった腕は大丈夫?血も出ててすごく痛そうだったけど」

「ああ。あれぐらいどうってことないさ。放っておけば、明日にでも治るよ」

「そっか、ならよかった。大会が近いからしょうがないけど、みんなにはなるべく無茶なことはしてほしくないから」

「大丈夫、俺は怪我なんてしないさ。俺の適当な性格は知ってるだろ?怪我をするような無茶なんて、俺は絶対にしないよ」

「そうだね、創はいつも適当だもんね。怪我なんてしようがないか」

 その時、ようやく優花は笑顔を見せた。まだ弱々しい表情であることには変わりないが、少しでも気が紛れたのならそれでいい。少しだけ気の紛れた様子の優花に、創はさらなる追い打ちをかけに出る。

「なあ、いったん忘れようぜ。嫌なことは全部忘れるに限るんだ」

 部屋の壁にもたれて座る優花の身体にゆっくりと迫る。この部屋に来る前に入浴をしてきたのだろう。湿気を含んだ髪から、甘い香りが漂った。優花の頬に向かって手を伸ばす。

「もう、また?まあそうなるとは思ってたけどさ」

「嫌か?」

「さあね。嫌がっていると思うならやめておけば?」

 からかうような口調。いたずらっぽく笑うその表情と、至近距離から漏れる吐息がいよいよ自制心を打ち破った。

 頬に当てた手をゆっくりと下へとずらしていき、その身体をなでる。その手に少しだけ力を込めると、優花の身体は隣に敷いた布団の上へと倒れこんだ。

「もう、しょうがないなあ。ちゃんと忘れさせてよね」

「ああ。何も心配なんていらないさ」

 安心させるような声でそっとささやいて、優花の上に覆いかぶさる。たまらなくなって、乱れた前髪の隙間からのぞく額に口づけをする。眼下には、優花がくすぐったそうに目を細めるのが見えた。

「こうしてるとちょっと暑いね」

「なんだ、やめておくか?」

「ふふ、まさか」

 笑う優花の頬に、もう一度口づけをする。一か月先のことなんて、さらにその一年先のことなんて、もうこれ以上悩まなくていいようにと。

 そうして優花のことを慰めるその裏で、創は考える。一か月後のこと、一年先のこと。修也や優花たち、みんなが大人になってしまった後のこと。

 そして、そんな風に大人になることについて考えていると、思考はいつも同じところにたどり着く。

 大人になると言うことはどういうことなのか。どうして自分たちは大人になんてならなければならないのか。いつもそんなことばかりを考える。

 子供から大人へ切り替わる節目となるのは17歳の誕生日。17歳の誕生日を迎える、たったそれだけで、いったい何が変わると言うのだろう。産まれてから16歳までの間は神の使いとして崇められる存在であるはずなのに、17歳になったその瞬間に力を失って、ただの人間である大人へとなり下がる。そして、かつて子供であったはずの大人は子供のことを崇め、頭を下げながら生きていかなればいけない。誰もが当たり前に従っているその世界の仕組が、不思議に思えて仕方がなかった。

 いったい何がおかしいのか、それをはっきりとした言葉にすることはできない。けれど、この世界がおかしいということは、確証を持って言える。

 この世界は歪だ。

「ねえ、なにか難しいこと考えてない?」

「まさか。優花のことしてか見えてないよ」

 小さな嘘に優花はきっと気づいた。くすりと、気遣うような小さな笑い声を漏らす。

「うん、ならいいの」

 優花は本当に目が良い。いつだって、他人のわずかな変化や心の揺れに気が付くことができる。他の同年代の人間と比べても、その能力は明らかに突出している。そんな優花の特性を誇りに思うとともに、その見えすぎる目で自分のことを苦しめることになるのではないかと、不安に思うことも多くあった。

「いいんだよ、優花は何も気にしなくたって」

「ありがとう、創はやっぱり優しいね」

「まさか。俺はいつだって適当なだけだよ」

 誰に対しも優しくて、躊躇することをせずに他人に深入りしていく優花とは違う。いつだって創は、遠くの景色を眺めるようにこの世界を俯瞰していた。懐の中へと入り込める相手は優花の他に誰もいない。

 こんなにも性格の違う二人が今日までうまくやってこられたのは、きっとこんなにも性格が違うからなのだろうと、そんなことを考えた。

 部屋の電気が照らすのは二つの人影と、タンスに机と椅子。二人だけが動いている。揺れる影ときしむ音だけが、二人の存在を確認させる。つまらない毎日の中で、こうして優花と触れ合っている時間だけは、退屈を忘れさせてくれた。

 ほしいものがほしいときに手に入るこの世界で、優花だけが特別だった。


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