育成期間0年9ヵ月2週間(後編)
仄暗い森深くに響き渡る音。
それは人の言語で語り叫び、周囲に拡散していく。
お前は・・・!知ってて教えなかったのか!?
昂ぶった感情は、唯一人に向けられる。
感情は声だけでなく行動にも現れ、少女の胸ぐらを掴み問い質す。
『い、いやあ・・・・はは。だってお兄さん聞いて、くれなかったし・・・。』
表情を引き攣らせながら視線を逸らす蒼髪の少女。
そんな彼女を見て、俺の心中に後悔の念が湧く。
クエストの全容を聞いていたならば、
柱に噛り付いてでも部屋を動かなかっただろう。
・・・・危険種が関わっているとなれば尚更だ。
危険種。
上級以上の魔物において、突出した力を持つ個体に付けられる最凶の二つ名。
その名に誇張は無く、危険種が一度暴力を振るえば、
都市の1つや2つは、容易く焦土と化す。
世に生まれ出た形ある災厄。それが危険種。
俺が戦闘に関して素人だろうと関係ない。断言できるぞ。
今この場に、危険種と対峙できる者はいないと。
『ちょっとマニカルさん!落ち着いてくださいって!』
レザー防具の男が宥めに入る。
傍から見れば、小さな少女へ詰め寄る光景は好印象など与えない。
人として当然の行動だ。
あんたらも馬鹿じゃないのか!?こんな危険なクエストを受けるなんて!
どうかしてるぞ!!
苛立ちが言葉に表れる。
さっきまであったはずの余裕は心の隅にも無い。
今は只々、怒りと恐怖の虜だった。
すぐさま、コッコへ能力「探索」の発動中止を命じる。
今は発動し続けていたツケが回って来ないことを祈るしかない。
『お、お兄さん?まさか、帰る・・・・・なんて言いませんよ、ね?』
・・・・驚いたな。
普段は空気の読めないティだが、こういうものには敏感らしい。
俺は、一言も帰るなどと言っていないはずなんだがな。
だがまあ、ティの言う通り。
帰るに決まってるだろ。危険と知って、こんな場所いつまでも居られるか!!
そうだ。俺は帰る。何が何でも。
身勝手と思われたって構わないさ。
危険種に遭遇すれば、待っているのは死だけ。
俺は死にたくない。
『マニカルさんダメだ!今あんたに帰られたらクエストが・・・。』
知ったことか!!!
レザー防具の男の言葉を遮り、
腹の底から吐き出された一喝は、場に一時の沈黙を呼んだ。
耳へ届くのは、木々の騒めきのみ。
パーティーメンバーの困惑した顔が脳裏に映り込む。
『・・・坊主、何も戦おうってわけじゃねえんだ。俺らだって危険種相手に
大立ち回りをやるつもりなんてねえよ。』
『そ、そうですよ!私達だって死にたいわけじゃないですし!
ただチラッと、どんな魔物か確認するだけですって。
それに、ほら!もし戦闘になった時の下準備だってちゃんとしてるんですよ!』
俺を諭そうとする初老の男の言葉を皮切りに、ティも会話に加わり
腰のポーチからアイテムを取り出す。
彼女の手に握り締められていたのは呪語を彫り込まれた人形。
魔物からの逃走に用いられるマジックアイテム「囮傀儡」だった。
理屈は、人形に付与された幻術系の魔術が一定時間の間、
魔物に幻覚を見せるというもの。
確かに逃げるためのアイテムとしては、有用だ。
普通の魔物なら効果覿面だろう。
・・・・しかし、危険種相手にそれがどれだけ有効であろうか。
初老の男は言った。
魔物は、複数の冒険者を殺害した事で危険種として認定されたと。
だが、そんなことで魔物が危険種に認定されるはずがない。
書物にはこうある。
危険種が危険種たる基準は、その魔物が及ぼした実害の規模による、と。
つまりは人間の生活圏内で暴れたという事実こそ重要なのだ。
例え、命知らずの冒険者が幾何狩られたところで、
それが人間の生活圏外での出来事ならば、危険種に成り得ない。
「実」はあろうと、「名」が無ければそれは一魔物である。
・・・・なのに、此度の危険種はその基準を。
「名」を無視した形で認定されている。
例外扱いは、相応の理由あってのことだろう。
それが何にせよ、俺は途轍もなく怖い。
怖いんだよ。
次はちゃんとした従魔士を雇うんだな。
いいか・・・もう一度だけ言うぞ。俺は帰る。
そして、あんた達も戻るべきだ。・・・死ぬぞ。
その言葉に、メンバーは明らかな落胆の色を見せる。
期待した言葉が口から出てくるわけがないのは分かるだろ。
くそ、さっきから緊張で喉が渇く。
湧水の筒を取り出し、大量の水を喉へ流し込む。
感情的に騒いだせいで、体はすっかり火照っていた。
喉を通り流れ落ちる水は、内から冷やすのには丁度いい。
・・・・丁度いい?
何か、変だぞ。違和感を感じる。
ここへ来た時とは、決定的な何かが違う。
それが何か見当を付けようにも、頭に血が上っているせいで思考が鈍ってる。
警鐘が頭の中で響き渡っているというのに、何て間が悪いんだ。
『お兄さん考え直してください!いざと――—――—』
・・・ティの訴えは最後まで俺の耳に届くことは無かった。
いや、届いてはいたが掻き消されたが正解か。
突如、辺りを駆け抜けた轟音。
不意を衝くその音は、俺達全員の心臓を飛び上がらせた。
木々に留まった鳥達は一斉に翼を広げ、空へと飛び立っていく。
その姿は、生い茂る枝葉に遮られ確認することは叶わないが、
音から察するにかなりの数が空へ舞ったようだ。
『な、何だ今の音!?』
レザー防具の男が驚きの言葉を口にする。
ティも驚いてはいるようだが、口からは何も零れない。
いきなりの出来事に目を丸くし、文字通り言葉を失っていた。
そんな2人とは裏腹に、初老の男とマントの男は共に表情が険しくなる。
あの「声」が何なのか分かっているのだろう。
俺と同じように。
『こいつは・・・・まさか。』
『考えることなんざねえだろ。あんな大声、この辺じゃあの熊しか出せねえよ。』
俺も同意見だ。
あの咆哮の主が何かについて、彼と意見の相違は無い。
・・・・最悪だ。
状況の呑み込めていない2人へ、初老の男が簡潔に伝える。
その間にも、鼓膜を震わせる轟音は幾度となく鳴り響く。
最初に比べ音は大きい。どんどん近づいている証拠だ。
『今逃げりゃ、後ろからど突かれる!ここで奴を追い払うぞッ!!』
初老の男は武装を構え、メンバーへ叫ぶ。
マントの男は矢筒から数本の矢を引き抜き、鏃に黄色い液体を塗り付ける。
ティとレザー防具の男は小瓶を取り出し、それぞれが中身を嚥下した。
普通の戦闘とは違う。強敵に対する備えを自身へ施していく冒険者達。
そんな彼らの後ろで、俺は進退を決めかねていた。
状況は俺に、彼らと共に戦うことを強要している。
・・・しかしそれは、正解か?
今迫っている脅威は、間違いなくブラストベアー。
魔獣ではなく、魔物としてこの世で暴力の限りを尽くす獣。
その力は魔獣、魔物を問わず他を圧倒する。
朗報といえば、こいつが中級の魔物だということくらいか。
仮に亜種だったとしても上級に手は掛からない。
つまり、ブラストベアーが危険種という線は無しだ。
だからと言って、油断のできる相手でもない。
下級の魔物を相手にするのとはわけが違うのだ。
初老の男は勝算有りと踏んでいるみたいだが・・・・。
『ビビるなよひよっ子!奴の攻撃は全部大振りだ。
よく見りゃ躱せるぞ!』
『と言われても、実際のところ上手くいきますかねぇ・・・・。』
『出来なきゃ、手足もがれちゃうよ?』
『ふふ、そりゃ勘弁です。』
・・・冒険者は逞しいな。
冗談交じりに会話するだけの余裕があるなんて。
こっちは今にも逃げ出したい衝動に駆られているというのに・・・。
さっきから汗が流れっぱなしだよ。
・・・・・・・・・。
まただ。何か違和感を感じる。
今は目の前の厄介ごとに集中しないといけないというのに、
どうしても雑念が振り払えない。
一体、俺は何を気にしている?
『そろそろ来るぞ・・・・構えろ!』
マントの男からの一声。もう魔物は目と鼻の先まで近づいていた。
こちらへ一目散に駆けてくるのが俺でも分かる距離だ。
各々の得物を握る指に力が籠る。
あと数秒で、始まる死闘に彼らは怖気ることなく向き合っている。
そんな彼らの後ろで、オドオドしながら斧を構える俺は酷く不格好だ。
観客がいたのなら、きっと笑い者であろう。
この場面においては魔獣コッコの方がすっと勇敢だった。
その呆けた顔からは信じられないが、ずっと肝が据わっているらしい。
こんなところで魔獣の新たな一面を知ることになろうとは思ってもみなかった。
『みんな、来たぞ・・・!?!?』
ついに茂みの向こうから、魔物は姿を現した。
鼓膜を破らんが程の咆哮を上げ、
飛び出してきたのは予想通りブラストベアー。
そして、マントの男がその姿を最初に確認したのだろう。
いの一番にその姿を目にしたのだろう。
だからこその言葉の詰まり。思考の混濁。
この状況を想定できる人間が居ようか。
マントの男に続き、次々と思考が止まるパーティーメンバー。
戦闘において、考える事を放棄するなど自殺行為に等しいはず。
しかし、止まってしまう。
目の前の光景にはそれだけの力があった。
俺達の前に現れたブラストベアー。
それは、常軌を逸脱した姿をしていたのだ。
全身は焼け爛れ、強靭であるはずの前足は片方が欠損。
もう片方は折れ曲がり、白く光るものが上腕から飛び出している。
双眸は破裂でもしたかのように原型を留めておらず、
左目だったものは辛うじて神経によって体との繋がりを維持していた。
これだけでも異常なのに、そんなものが軽傷に思える傷をブラストベアーは負っている。
右肩から袈裟懸けに体が切り開かれ、
切り口からは赤に鮮やかな臓腑が零れ出しているのだ。
それも一部ではなく、全部。
ブラストベアーは自らの臓物をぶら下げ、ここまで駆け抜けて・・・・。
・・・・・在り得ない。
これで、動けることが。生きていることが。
いくらタフな魔物であろうと。
いや、生き物であるならば、あの傷でなぜ死なない!?
もし、あれが死体であれば納得もいく。
世の中には死体を宛も、
生きているかのように操るスキルやアイテムが存在するからだ。
しかし、体に収まっているべき最も重要であろう器官。
体中へ血を運ぶための臓器。
それが絶え間なく鼓動を刻む姿は、ブラストベアーが息絶えていない事の示している。
『な、な・・・何なんですか、あれは。』
漸く口を開いたのは蒼髪の少女。
その言葉に続くもの。返すものはいない。
俺を含め、今だ全員が状況の整理ができないでいる。
その整理も追いつかないだろう。
刻一刻と事態は急変している。
ブラストベアーが再び動き出した。
何が、あの瀕死の獣を突き動かしているのか。
折れて使い物にならないであろう、
残された腕をお構いなしに地面へと叩き付け走り出す。
こちらのことなど眼中にない。
一目散に先を急ごうとしている。
多分、見えていないからというわけではない。
その瞳に俺達が映り込もうと、あの獣が取る行動は変わらないだろう。
一挙一動のたび、体中から大量の血が流れ落ちる。
どう足掻いても待っているのは死だ。
それも目前まで迫った、そう遠くない未来での話。
にも拘らず、ブラストベアーは何から・・・・。
『・・・・行っちまったな。』
誰が呟いたのか。
脅威が過ぎ去ったことへの素直な感想を述べる。
緊張の糸が切れ、その場に座り込む面々。
激しい運動をしたわけでもないが、皆肩で息をしている。
勿論、俺も例外ではない。
しかし・・・さっき飲んだばかりだというのに、また喉が渇いてきた。
再度、湧水の筒を取り出し喉を潤そうとする。
・・・・・・そこでやっと気付いた。違和感の正体に。
最早、手遅れであったが。
俺が手にした筒が熱を持っている。ついさっき使った時よりも確実に。
それが決め手だった。
さっきから額を流れ落ちる汗。
これは緊張からくるものではなく、周囲の気温のせいだ。
・・・おかしいだろ。だってここは食石虫を捕まえた場所からそう離れてはいない。
この森は「寒く」なければいけないはずなんだ。
・・・・・・・・・・・!!!
それに気付いた瞬間、辺りは炎に包まれた。




