↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/3

初めてのリハーサル

幕は、もう上がっていた。


そう思った直後、俺は少しだけ後悔した。


舞台なら、幕が上がる前に準備ができる。


台本がある。 役がある。 相手の台詞も、自分の出番も、最後にどこへ向かうのかも分かっている。


けれど、今の俺には何もない。


目の前にいるのは、六人のトップアイドル。


サキ、ユイ、リン、ミサ、アヤメ、メイ。


テレビや雑誌の中では完璧なグループに見えていた彼女たちは、実際に向き合うと、驚くほどばらばらだった。


それぞれが違う方向を向いている。


ただ、同じ場所に立つことに慣れているだけだ。


「それで?」


ユイがタオルで首元の汗を拭きながら、こちらを見る。


さっきまで佐藤さんに取材時間の話をしていたはずなのに、興味が戻ってきたらしい。


「新しいマネージャーさんは、今日は何するわけ?」


「まずは現場を見させていただきます」


俺はそう答えた。


「皆さんの動き方も、スタッフさんとのやり取りも、まだ何も分からないので」


「ふーん。見学ってこと?」


「はい。邪魔にならないようにします」


「邪魔になったら?」


「その時は言ってください」


ユイは少しだけ笑った。


楽しそうというより、試すような笑い方だった。


「言ったら退くんだ?」


「邪魔なら退きます」


「じゃあ、最初から退いてれば?」


「ユイ」


サキが静かに名前を呼んだ。


それだけで、ユイは肩をすくめる。


「はいはい。怖い怖い」


ユイの口調は軽い調子だった。


その横で、ミサがおずおずと口を開く。


「あの…… 隼人さん」


「はい」


「レッスンとか現場とか、最初は見るだけになると思いますけど…… あまり気負わないでくださいね」


「ミサ」


ユイが少しだけ面倒そうに名前を呼んだ。


「甘いって」


「でも……」


ミサは言いかけて、少しだけ目を伏せた。


この人は、本当に人を責めるのが苦手なのだろう。


それは優しさにも見える。


同時に、傷にも見える。


「ミサは優しいなあ」


アヤメが明るく言って、ミサの肩にぽんと手を置いた。


「新人マネージャーさん、よかったですね。ミサが最初に優しくしてくれて」


「アヤメ……」


「大丈夫大丈夫。ミサの優しさはフレプリの共有財産だから」


「何それ」


ミサが困ったように笑う。


そのやり取りを見て、佐藤さんが少し安心したような顔をした。


そう思った瞬間、アヤメと目が合った。


アヤメは笑っていた。


「マネージャーさん、見すぎですよ」


「すみません」


「いいですよ。見るのがお仕事ですもんね」


明るい声。


冗談っぽい言い方。


でも、そこにほんの少しだけ針があった。


「アヤメさん、怖いこと言わないの」


佐藤さんが苦笑しながら言う。


「怖くないですよー。ね、ミサ」


「う、うん」


ミサは曖昧に笑った。


その後ろで、リンは一言も話さなかった。


壁際に置かれたペットボトルを手に取り、水を飲んでいる。


こちらに興味がないわけではなさそうだった。


むしろ、ずっと見ている。


けれど、話しかけてはこない。


何かを判断するには、まだ情報が足りない。


そう言われているような視線だった。


静かだ。


静かすぎて、逆に気になる。


「はいはい、挨拶はこのくらいで」


佐藤さんが手を軽く叩いた。


その声は柔らかいのに、全員の意識が自然とそちらへ向く。


「このあとリハ再開します。佐々木マネージャーは後ろで見学。 みんな、いつも通りでお願いします」


*


リハーサルが再開した。


スタジオに音楽が流れ始める。


それまで雑に話していた六人の空気が、一瞬で変わった。


ユイは中央に立った瞬間、さっきまでの気だるさを消した。


すごい。


まずそう思った。


視線の置き方、首の角度、指先の余らせ方。


大きく動いているわけではないのに、自然と目が行く。


センターに立つ人間には、こういう力がある。


努力だけで作れるものではない。


それは、俺が一番欲しかったものでもあった。


サキは全体を見ていた。


自分の動きをこなしながら、ユイとの距離、ミサの立ち位置、メイのタイミングまで気にしている。


リーダー。


まさにその役割だった。


ミサは丁寧だった。


一つ一つの動きに無駄が少なく、歌に入る前の呼吸も綺麗だ。


けれど、少しでも遅れた瞬間、顔に出る。


しまった、という顔。


誰かに迷惑をかけたという顔。


アヤメは明るかった。


動きの途中でメイと目を合わせ、軽く笑わせる。 ミサが少し遅れた時も、自然に近づいてフォローする。


場を軽くする力がある。


メイは可愛かった。


振りの中でカメラを意識するような角度を自然に作る。 表情の切り替えも早い。


最年少の妹キャラ。


そう聞けば納得できる。


だが、ふとした瞬間の目は、年齢よりずっと冷静だった。


そしてリン。


彼女の動きは、静かだった。


派手ではない。


必要以上に前に出ない。


けれど、シルエットが崩れない。


どこを切り取っても綺麗だ。


写真や映像に強い、という資料の言葉を思い出す。


ただ、綺麗すぎる。


感情が見えにくい。


そこが魅力にもなるし、弱点にもなるのだろう。


「ストップ」


振付師の先生の一声で、音楽が止まった。


六人が一斉に息を吐く。


「二番サビ前、ミサ遅れてる。あとメイ、そこ可愛く見せる場所じゃない。 移動優先」


「はーい」


メイが気だるそうに返事をした。


怒られているのに、怒られている感じを出さない。


「すみません」


ミサがすぐに頭を下げる。


「私、もう一回確認します」


「ミサだけじゃない。全体の距離もずれてる」


振付師の先生がそう言うより先に、ミサはまた頭を下げた。


「すみません」


「だからミサだけじゃないって」


ユイが少し苛立ったように言う。


「謝るなら直して」


「ユイ」


サキが止める。


「今の言い方はきつい」


「事実でしょ」


「言い方の話をしてるの」


「はいはい」


空気が重くなる。


ミサはさらに小さくなり、アヤメがすぐにその隣へ寄った。


「大丈夫大丈夫。ミサだけじゃないって先生も言ってたし」


「でも、私が遅れたから」


「遅れたなら直せばいいじゃん。謝罪会見じゃないんだから」


アヤメは笑って言った。


その一言で、少しだけ空気が軽くなる。


佐藤さんも安心したように息を吐いた。


けれど、俺はミサの表情を見ていた。


笑おうとしている。


けれど、笑い切れていない。


アヤメの明るさに救われているようにも見えるし、その明るさに追いつこうとして苦しくなっているようにも見える。


「佐々木マネージャー」


急に振付師の先生に呼ばれて、俺は顔を上げた。


「どう見えます?」


「え?」


「今のところ。外から見て」


六人の視線が、またこちらに集まった。


いきなり試されている。


振付師の先生に悪気はないのだろう。


でも、この場で何を言うかはかなり重要だった。


ミサを責めれば、ミサはさらに沈む。


ユイを責めれば、初日から正面衝突になる。


全体論でぼかせば、たぶん誰にも届かない。


俺は少しだけ考えてから、口を開いた。


「ミサさんが遅れた、というより」


ミサの肩が小さく揺れた。


「その前の移動で、ユイさんとリンさんの間が少し詰まって見えました」


ユイの眉が動く。


リンは何も言わず、こちらを見る。


「そのせいで、ミサさんが入るスペースが一瞬狭くなったように見えます。だからミサさんだけの問題というより、二番サビ前の全体の距離を一回合わせた方がいいと思いました」


言い終わると、スタジオが少し静かになった。


振付師の先生が、床の位置を確認する。


「…… ああ、確かに。 ユイ、リン、そこ半歩広く取って」


「私?」


ユイが少し不満そうに言う。


「ユイだけじゃない。リンも」


リンは何も言わず、足元の位置をずらした。


反論しない。


ただ、言われた通りに修正する。


その表情は読めなかった。


「ミサ、入り直して」


「はい」


ミサは小さくうなずいた。


アヤメがこちらを見て、にっと笑う。


「へえ。マネージャーさん、ちゃんと見てるんだ」


「見学なので」


「見学でそこ見る人、あんまりいないですよ」


「人の位置が少しずれるだけで、全体の見え方が変わるので」


「見方がスタッフさんっぽくないですね」


アヤメは楽しそうに言った。


「マネージャーさん、ほんとは何者ですか?」


「ただの新人マネージャーです」


「ふうん」


納得していないような声だった。


俺は曖昧に笑うしかなかった。


ユイは不満そうにしていたが、何も言わなかった。


ただ一言だけ、


「なおっちより細かいじゃん」


とつぶやいた。


「私も見てますよ」


佐藤さんが少しだけ口を尖らせる。


また軽い笑いが起きる。


さっきより、少しだけ空気が戻った。


俺は胸の奥で息を吐いた。


今のは、たまたまだ。


これまで身についた感覚が、たまたま現場に合っただけ。


でも、星野社長が俺に求めているものの一部が、ほんの少しだけ分かった気がした。


誰か一人を責めずに、場を戻す。


相手が受け取りやすい形に言葉を変える。


それは確かに、俺がずっとやってきたことだった。


*


リハーサルはその後も続いた。


俺は基本的に壁際で見ていた。


佐藤さんはその間も忙しい。


スタッフから確認の電話を受け、移動時間を調整し、メンバーに水を渡し、メイが差し入れの箱へ近づくとすぐに「本番後です」と止める。


動きに無駄がない。


「メイちゃん、それは本番後」


「まだ何も言ってないのに」


「目が言ってました」


「なおさん、怖ーい」


「怖くないです。優しいです」


「自分で言う?」


「言います」


メイは笑って引き下がった。


リンは最後まで、ほとんど話さなかった。


ただ、鏡の中の自分を確認する回数が多い。


自分の動きがどう見えているか。


隣と並んだ時にどう映るか。


誰よりも静かなのに、誰よりも視線を気にしているように見えた。


サキは何度も全体をまとめた。


ユイが余計な一言を言えば止める。 メイがふざければ注意する。 ミサが謝りすぎればフォローする。


完璧なリーダー。


でも、完璧でいようとする人間ほど、崩れる時は一気に崩れる。


そんなことを思ってしまう自分が、少し嫌だった。


俺はまだ、何も知らない。


知った気になるのが一番危ない。


そう自分に言い聞かせる。


「はい、今日はここまで」


振付師の先生の声で、リハーサルが終わった。


六人がそれぞれ息を吐く。


ユイはすぐにスマホを手に取る。


サキはスタッフに軽く頭を下げる。


ミサは床に落ちていたタオルを拾い、アヤメがそれを横から奪うように取って笑う。


「ミサ、そういうのはスタッフさんがやるから」


「でも、落ちてたから」


「はいはい。いい子いい子」


「子ども扱いしないで」


「してないしてない」


そのやり取りを、佐藤さんは微笑ましそうに見ていた。


俺は何も言わなかった。


メイは鏡の前で前髪を直している。


リンは誰とも話さず、静かにタオルで汗を押さえていた。


六人が同じ空間にいる。


それだけで画になる。


けれど、同じ絵の中にいるだけで、同じ方向を見ているわけではない。


「佐々木さん」


サキが近づいてきた。


「今日はありがとうございました」


「いえ。こちらこそ、急に入ってすみません」


「仕事なので」


その言い方は丁寧だった。


丁寧すぎた。


「さっきの指摘、助かりました。ミサだけのミスみたいになると、本人が気にしてしまうので」


「見えたことを言っただけです」


「そうですか」


サキは少しだけ俺を見て 丁寧に頭を下げて、離れていった。


さすがリーダーだ。


礼儀正しく、隙がない。


「あの、隼人さん」


今度はミサが近づいてきた。


「さっき、ありがとうございました」


「さっき?」


「私だけのせいじゃないって、言ってくれたので」


「あれは本当にそう見えただけです」


「それでも」


ミサは少しだけ笑った。


「ありがとうございます」


その笑顔は、控えめだった。


けれど、さっきより少しだけ楽そうに見えた。


「ミサー、行くよー」


アヤメが入口の方から呼ぶ。


「うん」


ミサはもう一度俺に頭を下げて、アヤメの方へ向かった。


アヤメはミサの隣に並ぶと、こちらへ顔だけ向けた。


「マネージャーさん」


「はい」


「ミサに優しくしてくれるのは嬉しいですけど」


アヤメは笑っていた。


「優しい顔だけで近づくと、たぶんミサ、余計に謝りますよ」


それだけ言って、アヤメはミサと一緒に出ていった。


今の言葉は、忠告だったのか。


牽制だったのか。


それとも、ただの冗談だったのか。


まだ分からない。


メイは最後にこちらへ近づいてきた。


「佐々木マネージャーって、前は何してた人なんですか?」


「いろいろです」


「いろいろって、便利な言葉ですね」


「小さい現場の手伝いとかです」


「ふーん。なんか誤魔化した」


そう言って、メイも出ていく。


リンは最後まで何も言わなかった。


荷物をまとめ、鏡の前で一度だけ髪を整え、無言でスタジオを出ていく。


その時、すれ違いざまに一瞬だけこちらを見た。


声はない。


けれど、その視線だけで十分だった。


まだ認めていない。


まだ拒んでもいない。


ただ、見ている。


そういう目だった。


最後に残ったのはユイだった。


スマホを見ながら、のんびりと出口へ向かう。


俺の横を通り過ぎる直前、ユイは足を止めた。


「ねえ」


「はい」


「あんた、さっき何でミサのこと庇ったの?」


「庇ったつもりはありません」


「じゃあ何?」


「見えたことを言っただけです」


「ふーん」


ユイはスマホから目を離さずに言う。


「そういうの、便利だよね」


「便利?」


「誰の味方でもない顔できるじゃん」


返事に迷った。


ユイはスマホをポケットにしまい、ようやくこちらを見る。


「でも、思ってたより逃げなさそう」


「逃げる理由はまだないですから」


そう返すと、ユイは一瞬だけ黙ったあと、鼻で笑った。


「そのうちできるよ」


言い方は軽い。


でも、妙に重かった。


それだけ言って、ユイもスタジオを出ていく。


扉が閉まる。


急に、スタジオが広く感じた。


残ったのは、俺と佐藤さんだけだった。


「…… どうでした?」


佐藤さんが聞いてくる。


俺はしばらく閉まった扉を見たあと、正直に答えた。


「全員、想像より面倒そうです」


すると佐藤さんは、珍しく少しだけ吹き出した。


「ですよね」


「でも」


俺は、さっきまで六人がいた場所を見る。


「全員、ちゃんと理由がありそうです」


ただ性格が悪いとか、わがままだとか、そういう単純な話ではない。


それぞれが、それぞれの形で何かを守ろうとしている。


あるいは、何かにしがみついている。


そんな感じがした。


「…… やっぱり、向いてるのかもしれませんね」


佐藤さんがぽつりと言う。


「何がですか」


「この仕事」


それには、まだ頷けなかった。


向いているかどうかなんて分からない。


ただ一つだけ分かったことがある。


フレプリは、テレビの中の綺麗なグループではない。


けれど、壊れているだけのグループでもない。


誰もが何かを演じている。


誰もが何かを隠している。


そして、誰もがその役を降りられなくなっている。


俺は今日、その舞台袖に立っただけだ。


まだ舞台の上には上がっていない。


「佐藤さん」


「はい」


「明日から、何をすればいいですか」


佐藤さんは少しだけ考えてから、いつもの柔らかい声で答えた。


「まずは、現場に慣れてください」


「それだけですか」


「それだけです」


佐藤さんは微笑んだ。


「ただし、ちゃんと見てください。見てるふりじゃなくて」


アヤメと同じようなことを言われた。


俺は苦笑する。


「分かりました」


佐藤さんはタブレットを確認する。


「明日は雑誌の撮影です。移動もありますし、今日より現場っぽい現場になります」


「メンバー全員ですか?」


「全員ではありますけど、動きはばらけます。たぶん、最初に自然に話せるのはメイちゃんかもしれません」


「メイさんですか」


「お願いします」


佐藤さんは、軽く頭を下げた。


俺はもう一度、誰もいなくなったスタジオを見る。


汗の匂い。


床に残った足跡。


鏡に映る、自分の姿。


役者崩れの、新人マネージャー。


どう見ても場違いだった。


それでも、逃げる理由はまだない。


ユイにそう返した言葉が、自分の中に残っていた。


そのうちできるよ。


彼女はそう言った。


なら、その理由ができる前に、俺は彼女たちを知る必要がある。


舞台の上で生き残れなかった俺が、今度は舞台の外で、誰かの役を演じる。


それが救いになるのか、ただの嘘になるのか。


まだ、何も分からない。


ただ、初日のリハーサルは終わった。


そして俺はようやく理解した。


この仕事は、思っていたよりずっと難しい。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。