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第1話 役者をやめる日

初投稿です。優しく見守ってください。

俺は、一枚の紙を見つめていた。

退団届。

その三文字の下に、自分の名前がある。

佐々木隼人。

何度見ても、ひどく他人事みたいだった。


劇団に入ったのは大学二年の頃だった。


大学の演劇サークルでは物足りなくなって、外部の小劇団に飛び込んだ。授業が終われば稽古場に向かい、レポートの締切に追われながら台本を読み、深夜のファミレスで劇団仲間と芝居の話をした。

卒業してからも、就職はしなかった。

バイトをしながら舞台に立った。再現ドラマの端役もやった。深夜ドラマに一瞬だけ映ったこともある。名前のある役をもらったことも、ないわけじゃない。


それでも、二十六歳になった。

役者としては、若いと言われる年齢かもしれない。

けれど、何者にもなれないまま二十六歳になると、自分の未来が急に現実の重さを持ち始める。


俺には華がない。


それが、この世界で戦えなかった理由だった。

今の芸能界は厳しい。

俳優でも声優でも、ビジュアルが求められる。歌やダンス、SNSでの発信力まで必要になることもある。演技だけを見てもらう前に、まず選ばれるための武器がいる。

俺には、それがなかった。

舞台に立てば、それなりにやれる。

相手の呼吸を読んで、間を合わせることもできる。誰かが台詞を飛ばせば拾えるし、場面の空気が傾けば戻せる。

でも、それだけだった。

便利。

助かる。

安心する。

そう言われるたびに、役者として褒められているはずなのに、胸の奥が少しずつ冷えていった。

俺は一度でいいから、言われたかった。

君を使いたい。

君じゃなきゃ駄目だ。

君を、見つけた。

そんな言葉を。


「この公演が終わるまでにオファーが来なければ、僕、役者への道を諦めます」


数日前、俺は監督にそう伝えた。

劇団の演出家である黒川さんは、俺の前でしばらく黙っていた。

くたびれた黒いシャツ。白髪交じりの髪。いつも通り煙草をくわえようとして、稽古場の禁煙表示を見て舌打ちする。

その仕草まで、いつも通りだった。


「……分かった」


黒川さんは、それ以上何も言わなかった。

俺のことをよく見てくれていた人だからこそ、この決断に思うところはあったはずだ。

それでも余計なことは言わず、ただ受け止めてくれた。

たぶん、それが一番きつかった。

引き止めてほしかったわけじゃない。

でも、止められなかったという事実が、俺の限界を証明している気がした。

*


「――事件の発見者?」


通し稽古の最中、俺は椅子に座ったまま、弱々しく視線を落としていた。


「すみません……その時間は、“私”の時間ではなくて……」


今回、俺がもらったスズキという役は難役だった。

舞台の軸となる殺人事件の第一発見者。だが多重人格者で、自分自身のアリバイすら説明できず、捜査をさらにややこしくしていく存在でもある。

難しい役だ。

けれど、俺の演技力を一番見せられる役でもあった。

黒川さんなりの、最後の温情だったのだと思う。


「んー? 事件の発見者?」


さっきまでの弱々しい男とは別人のように、俺は顔を上げた。


「それ、“僕”だよ。でも僕は本当に発見して連絡しただけ。前後の時間は僕じゃなかったからね」


今度の人格は、少し幼さの残る少年。

声の高さ、視線の置き方、背中の丸め方、指先の動き。

人格が切り替わったことを、台詞だけではなく身体で見せる。

主演の刑事役が、一瞬だけ次の台詞を詰まらせた。

俺はすぐに目線を外し、椅子の背にもたれながら笑った。


「刑事さん、怖い顔しないでよ。僕、怒られるの嫌いなんだ」


その一言で、相手が戻ってくる。

客席があるわけではない。これは稽古だ。

けれど、舞台は止めない。

止めたら、壊れる。

俺はずっと、そういう芝居をしてきた。

自分が輝くためではなく、場を壊さないための芝居。

その時だった。

稽古場の入口が開いた。


「やあ、お邪魔するよ」


落ち着いた声が響く。

演技を続けながら、視界の端にスーツ姿の男が映った。

星野秀一。

芸能事務所ライトパレードの社長だ。

ライトパレードという名前を、芸能に少しでも興味がある人間なら知らないはずがない。

テレビドラマの主演を張る若手俳優も、映画賞を取った女優も、朝の情報番組でナレーションをしている声優も、ファッション誌の表紙を飾るモデルも、その事務所には所属している。

俳優、声優、歌手、モデル、アイドル、芸能界のいくつもの場所に根を張っている、大手中の大手だった。

その中でも今、もっとも派手に売れている存在がいる。

六人組アイドルグループ、flesh princess。

通称、フレプリ。

テレビをつければ誰かしらが映っている。音楽番組、バラエティ、雑誌、広告。若者向けの番組だけではなく、企業CMやドラマのゲスト出演までこなす、ライトパレードの看板商品の一つ。

そんな事務所の社長が、どうしてうちみたいな劇団の稽古場に来るのか。

最初に星野さんを見かけた時、俺はただの見間違いだと思った。

だが、劇団の人間にとっては珍しいことではなかった。

ライトパレードは、自社の若手タレントを深夜ドラマや配信ドラマに出すことがある。主演やメインキャストには所属の若手俳優、時にはアイドルや声優も起用する。

だが、そういう現場ほど脇を固める人間が必要になる。

安くて、うまくて、現場を壊さない役者。

華やかな芸能事務所の仕事に見えて、そこで必要とされるのは、案外そういう地味な人間だった。

黒川さんと星野さんは旧知の仲らしい。

若い頃に同じ制作会社の現場で働いていたとか、一緒に自主映画を撮ったとか、酒の席で殴り合ったとか、話すたびに内容が変わるので本当のところは知らない。

ただ一つ確かなのは、星野さんが時々この劇団に来るということだった。

大手芸能事務所の社長が、小さな稽古場の端で舞台を見ている。

不思議な光景だ。

でも、俺には関係ない。

そう思っていた。


「また来たのか、星野」


黒川さんが椅子に座ったまま言った。


「暇じゃねえだろ。大手事務所の社長様が、こんなところに何の用だ」


「暇ではないから来ている」


星野さんは淡々と答えた。


「うちの若手を出す深夜ドラマがある。主演は決まっているが、脇が弱い。芝居のできる人間を何人か見ておきたかった」


「つまり、安く使える劇団員探しか」


「君は昔から言い方が悪い」


「事実だろ」


「半分はな」


星野さんは、稽古場の中央に視線を向けた。


「もう半分は、若いタレントが本当に伸びるかどうかを見るためだ。下手な相手とだけ組ませても成長しない。逆に、うまい相手に潰されることもある」


「だから、潰さずに支えられる役者を探してるってか」


「そういうことだ」


「だったら、あんたのとこの若手俳優に演技の稽古でもつけりゃいい」


「つけている。それでも、本番でしか育たない部分がある」


「芸能界の社長ってのも面倒だな」


「舞台の演出家ほどではない」


二人の会話は、やけに慣れていた。

俺はその声を聞きながら、稽古を続ける。


「――刑事さん、“俺”見たよ。犯人の顔」


今度は別の人格。

さっきまでの少年ではなく、少し荒っぽい青年の声に変える。

椅子から立ち上がり、刑事役の相手を睨む。

相手の視線が少し揺れた。

俺は一歩だけ間を詰める。

詰めすぎない。

相手が逃げずに台詞を返せる距離を残す。

その呼吸を読んでから、次の台詞を吐いた。


「でもさ、あんたに言ったら、俺も疑われるんだろ?」


稽古場の空気が少し締まる。

黒川さんの視線が動いた。

その隣で、星野さんもこちらを見ていた。

見ている。

俺ではなく、主演を見ているのだろう。

そう思った。

今回の主演は、うちの若手の中でも特に華がある。まだ粗いが、目を引く。事務所が欲しがるなら、きっとああいう役者だ。

俺みたいな便利屋ではない。

やがて俺の出番が終わり、稽古場の端へ戻る。

監督の方へ視線を向けると、星野さんが小さく何かを呟いた。


「……面白い。彼なら」


黒川さんが、星野さんの視線を追う。

「彼? おー、さすがあんただな。今回が初主演でな。まだまだ演技は未熟だが、なんといっても華がある。あいつはうちの未来を担う器だ。だからこそ、安売りは――」


「違う」


星野さんは、黒川さんの言葉を遮った。


「そいつじゃない」


その視線が、こちらへ向く。


「その隣のやつだ」


一瞬、稽古場の音が遠くなった気がした。

黒川さんが、俺を見た。


「あー、隼人か」


その声には、少しだけ複雑な色があった。


「演技力はある。素直だし、役者としての熱意もある。何とかしてやりたいとは思ってる」


「華がない?」


「本人の前で言うなよ」


「今さらだろう」


星野さんは、俺から目を逸らさなかった。


「何度か見ている」


「隼人をか?」


「ああ。主演ではない。客の記憶にも残りにくい。だが、舞台の空気が傾いた時、必ず彼が直している」


心臓が、遅れて跳ねた。

そこを見られていたのは、初めてだった。

主役を食う芝居ではない。

自分の見せ場を作る芝居でもない。

誰かを壊さないための芝居。

それは俺にとって、諦めにも近い技術だった。

けれど星野さんは、それを見ていた。


「彼で決まりだ」


「隼人を使ってくれるのか?」


黒川さんの声が、わずかに明るくなる。


「そりゃいい。こいつ、この舞台中に声が掛からなきゃ役者辞める気でいたんだ」


「そうか」


「どういう役だ? 深夜ドラマか? 配信か?」


「詳しくは、本人に話す」


星野さんはそう言うと、すぐに稽古場を出ていった。

俺はその背中を見送ることしかできなかった。

*

二日後。


「隼人」


稽古が終わった後、黒川さんに呼ばれた。

渡されたのは、一枚の紙だった。

そこにはライトパレード本社の住所と、訪問時間が書かれている。


「お前にオファーがあった」


「本当ですか」


声が裏返りそうになった。


「詳しいことは事務所で伝えるらしい。そこそこ大きな話みてぇだぞ」


最後の最後に、一発逆転のチャンスが来た。

退団届を出す前に。

役者を諦める前に。

俺を見つけた人がいた。

そう思ってしまった。


「行ってきます」


「浮かれすぎんなよ」


黒川さんは少しだけ笑った。


「お前が欲しかった形かどうかは知らねえが、お前の芝居を必要としてるやつがいるなら、ちゃんと話を聞いてこい」


「はい」


俺はすぐに荷物をまとめ、ライトパレードへ向かった。

*

ライトパレード本社のロビーは、俺が知っている劇場とは何もかも違っていた。

床は光っているし、受付の人は姿勢まで綺麗で、壁には所属タレントのポスターが並んでいる。

映画で主演を張る俳優。

毎週テレビで見る女優。

人気声優。

アーティスト。

モデル。

そして、その中央にflesh princessの巨大なポスターがあった。

六人が並んで笑っている。

サキ。ユイ。リン。ミサ。アヤメ。メイ。

テレビの中で何度も見た、完璧なアイドルグループ。

フレプリがライトパレードの所属であることは知っていた。

だが、こうして俳優や声優、モデルたちのポスターと同じ空間に並んでいるのを見ると、改めて思う。

芸能界全体に力を持っている場所だ。

もしここに俳優として所属できたら。

そんな考えが頭をよぎり、すぐに消す。

期待しすぎるな。

何度もそう自分に言い聞かせた。


「佐々木隼人様ですね?」


受付前で待っていると、一人の女性がこちらへ歩いてきた。

薄いベージュのカーディガンに、首から下げたスタッフパス。髪は肩にかかるくらいで、ゆるく巻かれている。

年齢は俺より少し下に見えた。

柔らかい雰囲気で、いかにも強く人を押すタイプには見えない。


「はい。佐々木です」


「こんにちは。私、佐藤奈緒です。今日は社長がお待ちなので、ご案内しますね」


ふわっとした声だった。

けれど、手元のタブレットを操作する動きは速い。


「このあと社長との面談が三十分、その後に私から簡単な現場説明をする予定です。もし時間が押したら、説明は明日に回します。あ、飲み物はお水で大丈夫ですか?」


「大丈夫です」


「緊張してます?」


「……少し」


「ですよね。社長、怖い人ではないんですけど、目が笑ってない時がありますから」


佐藤さんは悪びれずに笑った。

エレベーターに乗ると、佐藤さんは俺に軽く頭を下げた。


「急なお呼び立てになってしまって、すみません」


「いえ、こちらこそ。声をかけていただけただけでありがたいです」


「そう言っていただけると助かります」


佐藤さんは一拍置いてから、少しだけ表情をやわらげた。


「でも、たぶん佐々木さんが想像している話とは、少し違うと思います」


「……違う?」


「はい。詳しくは社長から」


そこで言葉を切るあたり、仕事の線引きはしているらしい。

*

社長室の扉は、他の部屋よりも少し重そうに見えた。

佐藤さんがノックする。


「失礼します。社長、佐々木さんをお連れしました」


「入ってくれ」


低く、落ち着いた声が返ってくる。

俺は一度息を整え、佐藤さんの後に続いて部屋へ入った。


「佐々木隼人です。本日はよろしくお願いいたします」


「佐々木君、よろしく」


星野さんは机の向こうに座っていた。

稽古場で見た時と同じ、穏やかな表情。

けれど、やはり目だけは冷静だった。


「時間もない。早速本題に入らせてもらう」


「はい」


「君はflesh princessを知っているかな」


まさか、本当にフレプリの案件だったとは。

胸が強く鳴った。


「もちろん知っています」


「そうか。なら話が早い」


星野さんは机の上に一枚の資料を置いた。

そこには、flesh princessのロゴと、六人のプロフィールが並んでいた。


「明日から君には、flesh princessの現場に入ってもらう」


「ありがとうございます。どんな役でも全力で――」


「役ではない」


星野さんが、静かに遮った。

俺は言葉を止めた。


「君には、flesh princessのマネージャーをお願いしたい」


「……マネージャー役、ですか?」


「違う」


星野さんの声は変わらない。


「正真正銘のマネージャーだ。表向きは現場マネージャー補佐。だが、実際には彼女たちの問題を解決するために入ってもらう」


「……はい?」


頭が追いつかなかった。

ドラマではない。

舞台でもない。

役ではない。

マネージャー。

トップアイドルグループの。


「すみません。僕は、役者としての仕事だと聞いていたんですが」


「役者としての仕事だよ」


星野さんは、当然のように言った。


「彼女たちの前で、彼女たちが必要とする人間を演じてもらう」


その言葉だけ、妙に耳に残った。


「なぜ、僕なんですか」


「君が、自分を輝かせるより、相手を成立させる芝居に長けているからだ」


星野さんは俺を見る。


「主演が台詞を飛ばした時、君は助けた。だが、助けたことを客に悟らせなかった。相手の失敗を、相手の見せ場に変えた」


「それは舞台の話です」


「同じだよ」


「同じではありません」


思わず強く返してしまった。


「僕はアイドルの管理なんてしたことがありません。芸能事務所の仕事も分かりません。マネージャー経験もない。それに、僕はもう役者を辞めるつもりで――」


「だから呼んだ」


星野さんは淡々と言った。


「普通の管理者なら、すでにいる」


星野さんの視線が、佐藤さんへ向く。どうやら佐藤さんはフレプリのマネージャーのようだ。


「佐藤は優秀だ。スケジュール管理、スタッフ対応、現場調整、メンバーの体調把握。実務面で大きな問題はない」


佐藤さんは、少しだけ困ったように笑った。

けれど、星野さんの次の言葉で空気が戻る。


「だが、彼女は近すぎる」


佐藤さんの笑顔が、わずかに止まった。


「メンバーとの距離が近い。よく見ているし、信頼もされている。だからこそ、嫌われる線を引けない」


佐藤さんは何も否定しなかった。

その沈黙が、何よりの答えだった。


「flesh princessは、世間からは完璧なグループに見えている」


星野さんは資料をめくる。


「個性が強く、パフォーマンス力があり、六人それぞれの役割も分かりやすい。ファンにとっては、誰を見ても入口になる」


それは俺の知っているフレプリそのものだった。

テレビの中の彼女たちは、いつも華やかだった。

明るくて、強くて、楽しそうで。

仲が良いグループに、見えていた。


「だが、彼女たちは最初から仲良しグループとして集められたわけではない」


「……違うんですか?」


「違う。出自も、年齢も、背負わされた役割も違う。互いに支え合う部分はあるが、同じだけ比べ合い、牽制し合い、傷つけ合ってもいる」


星野さんの声は淡々としていた。


「それでも売れた。いや、むしろその違いが売れた」


「違いが?」


「そうだ。優等生のサキと自由なユイ。クールなリンと感情を歌に乗せる上手なミサ。明るく場を回すアヤメと、守りたくなるメイ。欠けている部分が違うからこそ、六人並んだ時に物語が生まれた」


資料の中の六人は笑っている。

けれど、その笑顔が急に別のものに見えた。


「実際、ミサのスキャンダルが出た時、事務所はそれを“六人の絆”で乗り越えた物語として見せた」


「本当は、違ったんですか」


「完全な嘘ではない。彼女たちなりにミサを支えた部分もある。ただし、それは美談だけではなかった」


星野さんは、そこで少しだけ間を置いた。


「つまり、世間が信じている“仲間を見捨てないフレプリ”は、彼女たちの本質というより、商品価値なんだ」


「商品価値……」


「そうだ。そして一度それで売れてしまった以上、彼女たちはもう仲が悪い顔をできない。距離があるとも言えない。不満があっても、嫉妬があっても、疑いがあっても、六人は絆のあるグループとして笑わなければならない」


星野さんは資料を閉じた。


「仲が良いから崩れないんじゃない。仲が良いと思われているから、崩れることを許されない」


その言葉が、妙に重く響いた。


「今の彼女たちは、その限界に近づいている」


「それを、僕に演技でどうにかしろと?」


「ああ」


あまりにも簡単に言うので、笑いそうになった。


「演技で、人の問題が解決できるんですか」


「少なくとも君は、舞台で何度も人を救ってきた」


「舞台と現実は違います」


「違う。だからこそ、今回は君に台本のない役に挑んでもらいたい。」


星野さんの目が、まっすぐ俺を射抜く。


「相手が欲しがっている言葉を、自分で探せ。相手が求める距離を、自分で測れ。君はそれができる」


言い返せなかった。

できるかもしれない、と思ってしまったからだ。

それが怖かった。


「君には、メンバーごとに必要な存在を演じてもらう」


「……便利屋ですね」


自分でも驚くほど、刺のある声が出た。

星野さんは表情を変えなかった。


「そうだ」


否定しなかった。


「ただし、報酬は用意する」


星野さんは、ゆっくりと言った。


「全て解決できたら、君をライトパレードに俳優として所属させる」


息が止まった。


「所属だけじゃない。事務所の力を使って、君を全力でマネジメントする。映像作品、宣伝、キャスティング、プロモーション。使えるものは全て使う」


胸が強く打たれた。

ライトパレードに俳優として所属する。

それは、俺がずっと欲しかった未来だった。

自分には届かないと思っていた場所だった。


「……本気で言ってるんですか」


「私は、できない約束はしない」


「失敗したら?」


「契約は終了。君は予定通り、役者をやめればいい」


失うものはない。

そう言われているのだと思った。

でも、それは違う。

俺にはまだ、失うものがある。

役者への未練。

諦めると決めたはずなのに、星野さんの言葉一つで息を吹き返してしまう、みっともないほどしつこい未練。

俺は資料の中の六人を見た。

サキ・ユイ・リン・ミサ・アヤメ・メイ

完璧な笑顔。

その裏に何があるのか、俺にはまだ分からない。


「一つだけ、聞かせてください」


「何だ」


「僕は、彼女たちの何を演じればいいんですか」


星野さんは、初めて少しだけ笑った。


「それを見つけるのが、最初の仕事だ」


沈黙が落ちる。

社長室の空気は静かだった。

佐藤さんも、何も言わずに俺を見ていた。

ゆるい雰囲気の人だと思った。

けれど、その目には不安と期待が混ざっていた。

この人は、フレプリを本気で心配している。

それだけは分かった。

俺はゆっくり息を吐いた。

役者をやめると決めた。

もう終わりにするつもりだった。

でも、まだ終われないと言われた。

しかも、舞台の上ではない場所で。

カメラの前でもない場所で。

現実の人間相手に、演じろと言われている。


「……やります」


自分でも驚くほど、はっきりとした声が出た。


「本気で、やらせてください」


星野さんは満足そうに頷いた。


「その返事が聞けてよかった」


そう言って席を立つ。


「私はこの後も会議がある。詳しいことは佐藤から聞いてくれ」


「はい」


星野さんは最後に、俺の方を見て少しだけ笑った。


「よろしく頼むよ、佐々木マネージャー」


その言葉で、ようやく実感が追いついてきた。

俺は役者をやめるはずだった。

退団届を出して、舞台から降りるはずだった。

それなのに。

トップアイドルグループ、flesh princessのマネージャーになることが決まった。

役者をやめる前にに与えられた、最後の役。

その役名は、マネージャーだった。


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