水女 4/5
「男は女のこと、花だとか、果実だとか、そう思ってるのよ。人間ではなくて植物なの。あたし言われたことがあるは。吐息は鈴蘭、臥して百日紅、誘う手つきは曼殊沙華。ってね。そうして実が熟したら歯を立て噛り付いてすっかり食べ尽くしてしまう。」
「親父?」
ためらいがちに問うた実幸の言葉に、母は失笑した。
「別の人。ずいぶん前に逝ってしまった男。」
死にまつわる告白に、何と言っていいのか若い彼はまだ知らない。
「あんたの父親はあたしが知っている男のなかで一番ひどい。あれは外面だけはよかったけど、男も女も誰も、本当には人間扱いできない人。人間関係はいつも情熱的に始まって、だから冷えたらお終いになる。悲しい男よね、きっと人間扱いされずに育ったから、他人にもそれができないのよ。」
母は冗談のように話しはじめて、語尾には同情が混じった。
「あたしがあの男を愛したのは、一緒に破滅したかったからかもしれない。」
頭に空気を入れるようにして後ろ髪をかき上げて、指で束ねたあと、左肩へ流す。
彼女の癖で、自然な動作だ。
「あたし、女になってしまいたいときがある。」
彼女の芳香が髪から漏れて広がって、首筋は露わになった。
黒髪に縁どられた彼女の長く細い首が白く浮かび上がり、実幸の視線を放さなかった。
まさか彼女が意図してやっているとは、若い彼には思う由もない。
「人間でもなく、生き物ですらない“女”に。だけど男が思うような女じゃないのよ。植物じゃない。――女っていうのは水なの。」
実幸は訝る。
「やっぱり病院に行ったほうがいいんじゃない?」
半ば本気で言うが、彼女はまた笑う。
「心療内科ね? 明日は忙しくなりそうだ。だから今夜は、妄言に付き合ってくれるはね。」
「いいよ。……喋っているうちは、生きてるもんな。」
妄言に耳を貸すつもりはないし内容なんかに興味はない。おまえの傍に居たいわけじゃない。ここに居つづけるのは生存確認のためだ――、と、実幸は、言い訳をしたのだった。
彼の恥ずかしがりの優しさを、彼女はもちろん見抜いている。
「いい? 水のようになっている人が、女なの。だからつまり、生まれの性別はちっとも関係ない。女っていうのは、水のような状態のことなの。」
彼女は悪戯な視線を彼に向ける。
「あんた、経験ないの?」
「は?」
「恋人を抱いて、腕のなかで溶かしたことはない?」
彼女の言葉が理解できてしまうことに動揺して、彼はもたつく。
「凍って硬くなる。冷えて爽やかになる。温かく柔らかくなる。熱く煮えたぎる。――それが女よ。」
夢を追うために彼と別れたかつての恋人が、実幸のまぶたの裏に浮かんだ。
「自分の男と決めた相手のために、体が水に変わるならそれが女。」
彼女はやおら姿勢を変えて、くびれがぐにゃりと撓る。
そのために胸と尻の丸みと、腰の細さが明らかになる。
なるほど“サルスベリ”だ。
しなやかな幹に、細かなひだが波打つ花が咲く。
彼女のことだ。
彼女を愛した男の言葉だ。
実幸は彼女から視線を引きはがしてうつむく。
「それじゃ困るんだよ。」
呟く。
「女なんてやめてくれ。人間じゃなくてもいい。せめて母親でいてくれ。」
飢餓を訴えるように唸った。




