39.数えられる
【前回までのあらすじ】
生霊、生身に戻れなかったのではなく、戻らなかったのだと悟った。
そして、自分の世界に閉じこもった。
タバコ臭い。
においの元、仏間へ移ると、庭に面したガラス戸の縁に、男が座っている。
黒の地に赤の×――魔都の国旗がプリントされたTシャツを着た、痩せぎすのおっさん。
魔都の創始者だ。
「おかえり。」
実家のように居座っているから、おれはげんなりする。
「まだいたの?」
「そんなに経った?」
「出てってくれ。」
「さっき来たばっかりだってのに、失礼な奴だな。たばこ一本も吸ってない。」
「嘘だ。前におまえと話したときは夕暮れだった。いまは、」
外を見る。
灰色の空に、彩度を失った世界。
細い雨が音もなく降っている。
いまがいつかはわからない。
掛け時計を見上げると、長針も短針も秒針もない。
カレンダーの文字はすべて滲んでいて読めない。
……いまは、いつだろう?
…………“いま”って、なんだろう?
「すこし話に付き合えよ。たばこ一本終わるまで、いいだろう?」
つい返答を考えてしまうのは、おれが無暗に優しいせいだ。
こんな優しさがいったい何の役に立つ?
本心は、おれはひとりになりたいのに。
「さっさと成仏してくれよ。」
やつは鼻で笑ってニタニタしている。
どうやら不法侵入の幽霊には、まだ悪辣が足りないらしい。
うーんとうーんと……、なにか効果バツグンな悪口は……
「地獄に落ちろ悪霊!」
「は? これ全部おまえの妄想だから。幽霊なんかいるわけねぇだろ。」
それ言ったら元も子もないだろ。
たじろぐおれを、創始者は肩を揺らして笑った。
痙攣のような引き笑いだ。
なにが本当で、なにが嘘だかわからない。
そうだ、こいつのことを信用しないってついさっきおれは決めていたんだった。警戒しなくちゃ。
「刺さんねぇな、そんなセリフは耳に胼胝でさ。」
創始者は薄ら笑いだけを残して、視線を遠くへやった。
「あの世から呼ばれる声がね、聞こえることがある。」
ふと、天を仰ぐ。
「敵も味方も、何人が俺のために死んだか、数えきれん。そういういろんな奴のいろんな声が、地獄からも天国からも極楽浄土からも、ありとあらゆる冥界から、聞こえてくる。『かっちゃん』とか『クソッタレ』とか『ご主人様』とか『親の仇』とか『先生』とか『人でなし』とか『ボス』とか『テロリスト』とか『革命家』とか『きみ』とか『あなた』とか『おとうさん』とか……、」
のんびりと言って、タバコを一息吹かした。
「いろんな奴がはいろんな意味を俺に押しつけてきたけど、期待もなにもかも、裏切ってばっかりだった。俺は遊んでいただけ。立国も政治も育児も死にかけたけど楽しかったわ。迷惑だったろうけど、楽しいんだから余儀はなしってな。」
遠くを見る彼の瞳は、穏やかだ。
「いつでもそう。いつでも、面白いヤツも面白いコトもなくならん。――今もよ。」
こっちを向いて、にかっと笑う。
「あの世に未練はない。」
足の先までしっかりとある幽霊は、余裕綽々と言い切った。
そうして、顕微鏡を覗き込むようにおれを視る。
「おまえはどうする?」
すぐには返答できない。
「死んでもいいぜ。」
彼があっさりと言った言葉が、耳にこだまして時間が間延びした。
だがぼんやりとはしていられない。
創始者は待たず、すぐに次の言葉を言うからだ。
「自由だ。おれは止めない。」
創始者はのっそりと立ち上がる。
「もしおまえが死んじまっても、安心しろ、この国は決しておまえの死を忘れない。――そういう仕組みにしておいた。」
これまでにない優しい声色で、彼は言った。
「この国ではな、国民全員に意味を与えている。“金を回す歯車”って意味で生者はもちろんだし、死者でもそう、別の意味がある。死者は死者として生きつづけるんだ。ここは無限の墓場。あらゆる死が、その理由とともに数えられて、ケーススタディとして、それからの生活の礎になる。」
政治家らしく身振り手振りを交えて語る。
「おまえのような可哀想な子供の、残念な死は、この国の失敗のひとつに数えられて、忘れられることはない。」
“1”を表して突き出された人差し指を、おれはぼうっと見つめる。
……『可哀想』? ……『残念』? ……『失敗』?
………………おれが?
……おれが?
“1”?
【次回予告】
両者、自分語り。




