37.後悔する
【前回までのあらすじ】
生霊、雪女に連れられて自分の生身がある病室に行く。
そこで生霊は、雪女が義母だと思い出した。
「憶えてないのも当然よ。これは、あたしにかかった呪いなの。」
悲しげに、不安げに彼女は言う。
「雪女の伝説は憶えてる?」
「……憶えてる。」
正確には、いま、思い出したんだ。
おれに教えてくれたのが、この人だったって。
「母さんの母さんの話でしょ?」
母さんは「そう。」と嬉しそうに破顔微笑した。
「雪女が存在するなんて、本当は知られちゃいけないことだったのよ。なのにお母さんはお父さんを生かしてしまったし、誰にも話さないって約束は破られてしまった。」
彼女の瞳の焦点は過去に合っている。
「あたしが兄弟姉妹のうちで一番、お母さんの血を濃く継いだの。寿命だって人よりずーっと長い。末の妹を看取ったあと、あたし、お母さんと再会した。そのときにお母さんが、あたしに術をかけたの。どんなに親しくしていても、あたしから離れてしまった人は、あたしのことをすっかり忘れてしまう、っていう術。」
ふと視線がおれに戻ってくる。
「そうしたら、そもそも『誰にも話さない』なんてできなくなるでしょ? 裏切られなくて済むようにね。」
エモいところ悪いんだけど、
「でも魔都なら、妖怪とか普通にいるのに。隠さなくても。」
「立国前のことだから。」
……ン? っていうことは、すくなくとも100歳以上?
まじか。
まーじか!
「マトコウ、年齢制限とかないの? てかなんで学校なの? ガチの10代のとき高校行かなかったの? ってゆうか母親がセーラー服ってだいぶイタいんですけど。2年に息子がいるとか周りに言ってねーだろーな?」
母さんはちょっと怒る。
「……みんなが心配だったから、…とくにあんたは頑張りすぎることろがあるからね、あたし、会いに行かなくちゃって。」
「なんで学校なんだよ、普通に家に来いよ。」
口調に怒りを隠せない。
「高校に行くのが一番都合よかったのよ。脱法?っていうの?」
なに法の盲点ついてんだよ……?
「離婚のあと牡丹を幼稚園から連れ出して、いっしょに遊園地に行ったことがあったでしょ。尚が警察に連絡しちゃって。実幸は知らないと思うけど、あのあと裁判になって、許可なく会っちゃダメになったの。」
親父もやることが徹底的だな。
「接近禁止命令?だって。」
セッ……、いや言ってる場合じゃねー。
「なにおれに接近してんだよ。」
「みんな風邪ひいてたんだって夕濵さんから聞いて、あんたにみんなの様子を訊こうと思って。狐の嫁入りの日、待ち伏せしてたのよ。」
“待ち伏せ”ってとこだけは正解かよ。嬉しくねーよ。
「あんた来たと思ったらあたしのこと忘れてたからなんだか悔しくってどうしてやろうかって……もちろんあたしに原因があるんだからしょうがないんだけどさ、……それで…そしたら、あんたガンになってるもんだから、だからあたし、やらなくちゃと思って。」
おれはすこし考えたあと、おもむろに、迷いながらも口を開く。
「キ……、いちおう確認だけど、キ……、口と口は、くっついてないよな?」
「あんたバッカ、なーに言ってんだか。」
ニヤついているのが心底ムカつくが、いま重要なのはそこじゃない。
おれは語気を強める。
「くっついてないよな?」
「くっついてませんー。」
「たーよかったぁ! ……いや良くはない、良いわけない、総合的には最悪。なに自分で治そうとしてんだよ。病院に連れて行けよ。医学にも詳しくないのになんでなんだよ。」
口調に怒りを隠すつもりはない。
「できると、……思って。」
「勘弁しろよ、なにおれでチャレンジしてんだよ、はーあ!」
しゅんとしたって許さない。
「むかしッからそうだよな。回送電車に飛び乗ったり、下の子の入学式動画撮ってきてって頼んだのに録画ボタン押してなかったりさぁ! ちゃんと確認してっていっつも言ってるよね! うっかりもいい加減にしろよ!」
「……ごめん。」
正論を振りかざしたせいで、以降気まずく、場が静まる。
背後の近未来ハイテク装置にそっともたれた。
「いま、いつ?」
おれとしては1週間くらいの体感だが、母さんの制服は冬服だから、たぶん季節が違う。
「1月。」
1月?
……半年!?
おれは半年間も、こんな状態で……。
「……美典、受験は? 高校どこ行くか決めた?」
「受かったよ。バレーで推薦。」
「そっかッ。」
よかった。
おれがこんなだから、長女に負担かかってるのかと思ったけど。
「みんな大丈夫なの? 風邪とか。予防接種とか、誰がいつどれとか、わかってる?」
「大丈夫。あたし、いま帰ってるのよ。夕濵さんもよく来てくれるし、……それにちょくちょく尚も。」
「夫婦喧嘩とかしてないだろうな。」
「してない。頑張ってる。」
「……そっか。」
「あんた、人のことより自分を心配しな。」
母さんが近づいてくる。
後ろのハイテク装置を指す。
「この機械でね、手足とか、ときどき運動させてるの。重力がどうとかで起きる可能性が上がるし、リハビリ期間も短くて済むんだって。それにお見舞いはベッドにいるときだけだから、裸は家族とお医者さんと看護師さんにしか見られてない。だから、安心して学校に行っていいのよ。」
母さんの手がおれの腕をそっと捕らえる。
「あたしたち喧嘩はしてないし、だれも体は悪くない。元気にしてる。もうあんたにばっかり無理はさせないから。だから、安心して家に帰っておいで。」
おれは母さんを見下げる。
身長を追い抜かしたのは、いつだっただろう。
(この人を好きとか…ありえない。……クッソ恥ずかしい。)
笑っても怒ってもしゅんとしても、もし好きな子だったらカワイイとか思うんだろうけど、この人にはちゃんとムカついてるからもう大丈夫。おれの反応は正常。
おれはきっと母親の記憶をなくして、心に情だけが残ってしまって、それを別の気持ちと勘違いしていたんだろう。
恋じゃない。
……でも、恋しい…では、あったのかも…。
目元を片手で覆って、頭が重くて項垂れる。
……おれは、母さんを殺そうとしたんだな。
助けようとしてくれてたのに。
下の子たちから、母親を奪うとことだった。
家族を殺そうとしてしまった。
それだけじゃない。
みなぎってくる力を喜んでいた。欲望の発露を楽しんでいた。
人を傷つけるつもりだったのに。
嬉しかった。
「ごめん…………………………………………ちょっと1人にさせて。」
おれは、みんなのいる世界から消えた。
【次回予告】
主人公、だいぶ落ち込む。




