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ファイルNo.2 真夏の夜の夢 23

 巴が唯一、心を寄せられるのはこのクラディスだけだ。そしてクラディスは、いつだって巴に応えてくれる。

 巴は、しゃがんでいた足を伸ばすと、クラディスの頭に軽く手を置いた。

「クラディス。これから散歩に行くかい?」

 引き綱は、巴が今出てきた部屋にある。戻るのは嫌だし、不自然に思われるかもしれない。だが、クラディスの散歩だと言えば、何の問題もない。

 クラディスが側にいる時、巴はとても満ち足りた気分になる。普段なら一も二もなく同意を示すクラディスが、巴から視線を外した。

 巴は思わずあっと声を上げる。

 クラディスは、巴の腕から身をよじらせて逃げていく。

 視界の端の、少し開きかけていた扉の中へ、クラディスは滑り込んだ。

 

 クラディス。

 

 一度目は小さく、二度目は少し大きな声で呼んだ。しかし、呼ばれれば必ず姿を現すクラディスは、この時ばかりは出てこなかった。

 巴は、固まったまま暫く動けなかった。帰ると言っていた愛美だが、部屋から出てくる気配はない。

 立ち尽くす巴を、見ていたのは西川だけだった。西川が巴を気遣うように何か言おうとしたが、巴はそれを振り払うようにして、マンションを出る。

 勤め帰りの人で混雑する電車を厭い、巴は駅でタクシーを拾った。運転手は、子供一人であることに露骨な反応を見せる。

 たまたま運転手の虫の居所が悪かったのか、難癖をつけられて、巴もカチンときた。

 子供でもタクシーを利用するからには、客として扱うのが筋ではないか。

 子供だという理由だけで乗車拒否をされる謂われはないと、巴が冷ややかに応じると、運転手はもう何も言わずに巴を乗せて車を発車させた。

 家に付くまでの間、運転手は一言も口を聞かなかった。巴も目的地を告げた以外は、黙っている。


 不愉快な時間を過ごして、巴はようやく家へと辿りついた。

 鍵っ子の常としてベルト通しにつけたキィリングの先の鍵で、扉を開ける。

 お帰りと、巴を迎えてくれる者はいない。

 巴は皮靴を脱いで家に上がった。

 何年経っても、生活臭のしない家だ。片付きすぎていて、モデルルームか何かのようにしか見えない。

 雑然とするほどに、人がこの家で生活していないからだ。

 部屋に戻っても、何かしっくりしなかった。違和感は拭い切れない。

 ベッドと本棚、机の上の無機質なデスクトップパソコン。

 それが巴にとっての全てだった筈だ。

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