ファイルNo.2 真夏の夜の夢 22
そうですねと言うぐらい、訳ない筈なのに、巴の口は貝のように閉じたままだった。
輪の中に混ざれない。
どうしてだろう。ネットならできるのに。
巴は、ソファーから立ち上がると、ランドセルを背負い直した。
「用は済んだんで帰ります」
膨れっ面をしていた愛美は、その言葉で気を変えたようだ。
怒っていたことも忘れて、にっこりと微笑みながら、巴に手を振った。
「明日、来てね」
綾瀬も、もう自分の席に収まって、煙草を口に銜えていた。
「遅くなるのを、親が許してくれるかどうか」
巴は、どうしてか分からないがそんなことを言っていた。
両親が帰ってくるのは、早くとも十一時頃だ。家に帰ってこない可能性だって高い。巴が外泊していても、気付かないだろう。
巴も夜は遅いので、親が帰ってくる時分も起きているが、親がわざわざ子供部屋に巴の様子を見に上がってくることはついぞない。
愛美は勿論その辺の事情は知らないので、自分の失言を撤回するべく言った。
「あっ、そうだよね。ごめん。でも、もし来られたら来てね。紫苑さんが、久しぶりに腕を振るってくれるって言ってるし。じゃあ、気を付けて帰ってね」
愛美は、落胆を隠すように明るい声を出した。
巴ができるのは、人の期待を裏切ることだけだ。だから、人とはあまり関わりを持たないようにしている。
人を傷付けたくないから? いや、自分が傷付きたくないのかもしれない。
「お前は、帰らないのか?」
綾瀬の入れたちゃちゃに、今度は愛美も反応した。
「何よ。それ。言われなくても帰るわよ」
巴は、愛美の声を締め出すように後ろ手に扉を閉めた。
全ての扉が、巴の背後で閉まっていく。
溜め息を吐きかけた巴は、俯きそうになる頭を立て直した。
金茶の豊かな毛並みを持つしなやかな獣が、足取りも軽快に廊下を歩いてくる。沈んでいた巴の顔が、明るくなった。
クラディスは巴の機嫌をとるように、パタパタとしっぽを振って、巴の身体に頭をすりつけた。
頭から耳の下、顎を手の平でさすってやる。
巴は一度も動物を飼ったことはないが、犬の扱い方はクラディスから学んだ。
クラディスの口元が濡れている。キッチンで水を飲んできたのだろう。
「お前だけは、僕のことを分かってくれるよね」
巴はしゃがんで、クラディスの顔を両手で挟み込んで目を合わせた。
微笑んでいるかのような優しい黒目がちの瞳に、巴の顔が映り込んでいる。飼い主と巴にだけ忠実な犬。




