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セカンドシーズン ─好きな人を、真っ直ぐに。─ 〜第二章〜高2編〜  作者: 波方 真季


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第88話 大人への道、別々の道


数々のピンチに見舞われた体育祭は——


輝かしい熱気と興奮に満ち溢れ、無事に滞りなく進行表通りに執り行われた。


その影にあったのは、朔也が動かした最初の一歩と、

それに応えるように重なっていった生徒会役員たちの団結だった。

綱渡りのように重なり合ったその瞬間の連続が、

やがて大きな流れとなって——


大きな混乱を残すことなく、静かに、無事に終わりを迎えた。





そして、翌日から。


俊輔は、何事もなかったかのように振る舞った。

あの日、陽向の耳元で落とした言葉。


“明日には、全部忘れて欲しい”


その宣言通りに。

まるであの時間だけを切り取って、どこかへ封じ込めてしまったかのように。

彼は再び、“藤崎俊輔”としての姿を取り戻していた。


柔らかく整った笑顔。

迷いのない言葉。

周囲を自然と惹きつける、あのキラキラ輝く眩しい空気。


生徒会業務も。

受験勉強も。

何一つ取りこぼさず、淡々と、そして誠実にこなしていた。




────────。


 


そして、十月中旬。

体育祭を終えて最初の、生徒会役員会議。

扉を開けた瞬間だった。


「ちょっと!なにこれ!!」


視界に飛び込んできたのは、生徒会室の壁に、これでもかと主張する一枚の張り紙。


 


【星野陽向を信用するな!星野陽向に気をつけろ!】


 


「聖陵国際生徒会の、スローガンですよ。」


眼鏡を押し上げながら、瀬戸晴翔がさらりと言い放つ。

その声音には、一切の迷いも悪びれもなかった。


「どゆこと!?」


陽向の声が飛んだ後、橘梨愛の冷静な言葉が落ちた。


「斬新だけど……めちゃめちゃ重要なことだわ。」


「確かに。今年度からの新役員にとっても、来年度入ってくる新役員にとっても、学んでいくべき志だな。」


水野彗が淡々と頷くと、広報の二年生、横溝琉嘉が妙に納得した顔で腕を組む。


「いや本当ですよ。今回の星野の話聞いて、まじ怖ってなりましたよ。」


そして——


「み、みんなで陽向ちゃんを支えてサポートしていこって意味の言葉ですよね!素敵じゃないですか…!」


唯一、救いのように差し込まれる相田桜子のフォロー。


その全部を受けて——


「だからってこんなイジメみたいなスローガンあるかーーー!!!!」


陽向、爆発。

その声が室内に響いた瞬間。


「あなたが昨年度も、今年度も、やらかし続けてきた数々の失態をカバーするのに!どれだけ我々3年生が苦労してきたと思ってるんですかっ!!」


間髪入れずに、瀬戸晴翔の説教が飛んできた。


「僕らはいつまでも居ないんですよっ!!この教訓を後輩に植え付けなかったら、我々3年が卒業したあと、あなたが生徒会長を務める聖陵国際の生徒会がどうなると思ってるんですかっ!!」


矢継ぎ早に叩きつけられる言葉。


一瞬の沈黙。


そこへ、俊輔はぽつりとひと言。


「晴翔は、本当に陽向の事が心配なんだね」


「私が心配してるのは生徒会だーーー!!!!」


晴翔の怒号が響き渡った。


「別に……来年私は……生徒会長なんて……」


もごもごと、小さく反論する陽向の声は、あまりにも弱い。


来年度。

生徒会長になる意思も、生徒会役員を継続する意思も、正直陽向本人には微塵もない。


「あなたは!先日の生徒会長との昼休みの件といい!」


ビシッ——


瀬戸晴翔の指先が、ビシッと陽向を射抜く。


「規律と秩序へ弊害をもたらす、最・重・要・警戒危険人物ですっ!!」


フンッ!と音を立てるように席へ戻る晴翔。


あの日以来。

瀬戸晴翔の陽向への当たりは、露骨なほどに厳しくなっていた。


陽向は、じろりと隣を睨む。


「もう!俊ちゃんのせいだからねっ!」


「陽向、その時のことは“明日には全部忘れる”約束だったでしょ」


あくまで、いつも通りの穏やかな声。


「だったらそれ、はるるにも言ってよ!!」


「晴翔にはそんな約束言わなかったからなぁ」


「ざっけんな!!」


そのやり取りに、誰かが小さく笑う。


騒がしくて。

くだらなくて。

いつも通りで。


何事もない日常。

何も変わっていないように見える、この時間。


けれど。

お互いに、内側だけは少し変わって。


完璧主義だった俊輔が“完璧じゃない自分”を許し、危うかった陽向が“支えられている自分”を自覚して。


弱い自分。

足りない自分。

出来ない自分。


 


それも全部、含めて——


自分なのだと。


 


少しだけ。

ほんの少しだけ。


 


二人は一歩、大人に近づいていた。


 


何もなかったような顔で。

でも確かに、何かを越えたあとで。




────────。




週末。


夕方が近づく、曖昧な時間帯。

カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に斜めの影を落としていた。

外は静かで、どこか世界から切り離されたみたいな空気。


黒川家のリビングに、乾いた声が落ちる。


「……おい。てめー、なんだよこれ」


低く、抑えた声。

その手には、一枚の紙。

光沢のある厚紙に印字された、やけに華やかな文字。


──焼き肉食べ放題ペアお食事券。


「こ…この前言ってたお礼だよ!ぜひ誰か誘って行ってきて!」


陽向は、少しだけ声を弾ませる。

けれどその明るさは、どこか不自然で。


「は?ふざけてんの?」


短く落ちた声に、空気がわずかに張る。

朔也は、動かない。

ただその場で、陽向を見ている。

逃げ場のない視線。


「ふざけてないよっ!」


陽向は、慌てたように言葉を重ねた。

早口になる。


「私なんかと行くよりさ、誰か…今いい感じの子とかさ、朔也が狙ってる女の子とか、その方が朔也にとっては嬉しいんじゃないかなーって思って!」


焦れば焦るほど、息継ぎも曖昧なままどんどん言葉が溢れていく。


「文化祭の時も非リアで寂しがってたじゃん?朔也は女の子好きなんだから、その方が朔也の為になるんじゃないかなって思って!私なりの感謝の気持ち!ねっ!ふー!私、気遣い上手!」


最後は、半ば無理やりテンションで押し切る。



──(だったらなんで、黒川朔也と約束したの?)



俊輔の、あの低い問い。

それを脳裏に貼り付けながら、陽向はニコッとわざとらしく笑った。


けれど。

朔也には、それが全てお見通しだった。

 

「……お前は……何も……わかってねーな……」


静かに落ちたその一言で、空気が変わる。

さっきまでの軽さが、すっと消える。


朔也は、ゆっくりと一歩踏み出した。


二人の距離が縮まる。


陽向が言った“朔也が狙ってる女の子”。


そんなもの。




──今、目の前にいんだよ。


 


「てめーはな──」




ぐっと距離を詰める。




「俺の肉を全て完璧に良い感じの焼き加減で焼き、料理もドリンクも絶妙なタイミングで注文し、皿に全部適量で取り分けて、召使いみてーに全身全霊で俺に焼き肉食べ放をプレゼンするところまでが謝礼のセットなんだよ!!」


一気に畳みかける。


理不尽。

自分勝手。

でも、その奥にあるものは──



“藤崎俊輔の嫉妬の影に、黙って引いてたまるかよ”



ガシッ


陽向の首根っこを掴む。


「行くぞ。今から」


「はっ!?今!?」


思考が追いつかない。

心臓が一瞬遅れる。


「どーせ暇だろ。俺はこの先忙しいんだよ」


掴んだ手は離さない。


「えぇー!ちょ、まじかーーーー!!!」


抗議の声。

でも、引きずられる身体は抵抗していない。


玄関の扉が開く。

外の光が、流れ込む。


引きずられるように外へ出た瞬間、風が頬を撫でた。


──なんで。


胸の奥が、少しだけざわつく。


“誰かと行けばいいのに”


そう思って渡したはずなのに。


「さっさとしろ!5分で着替えて化粧しろ!」


星野家の玄関を開き、ポイッと家の中に放り込まれる。

その距離は近くて、でも、どうしようもなく曖昧で。

陽向は、小さく息を吐いて。


「無理だよ!爆速でも最低30分!」


わざと軽く言い返しながら、自室へ向かう階段を駆け上がった。


週末の街に、二人分の足音が並んでいく。




────────。




煙が、ゆっくりと天井へ昇っていく。

換気扇が回る低い音と、鉄板の上で弾ける脂の音。

ジュウ、と。

赤くなった網の上で、肉が縮む。


「おい。焦げんぞ。」


「えっ!ちょっ…」


陽向は慌ててトングを伸ばす。

掴んだ瞬間、熱が指先に伝わる。


ジューッ……


陽向が肉を引き上げるなり、朔也はすぐさま別の肉を網に乗せた。


「ちょっと!今サラダ取り分けてんだから新しい肉置かないでよ!面倒見れないよ!」


皿の上でレタスが滑る。

手元も、会話も、どこか忙しない。


「俺はいきなりカルビじゃなくて最初はタンが食いたいの。今焼いた肉はお前が全部食え」


「はぁ?そんなの先に来たのからどんどん焼いていかないと、次の料理がテーブルに乗り切らないでしょ!」


「口答えすんな。黙って俺の命令に従え。」


「うざ。だる。」


「あ?なに?」


「独り言ですー!」


火花みたいなやり取り。

でもその全部が、どこか心地いいテンポで転がっていく。


網の上で肉が踊る。

皿が行き来する。

注文した品が次々と運ばれてきて、テーブルはすぐに満たされていく。


その騒がしさの中で——


ふと。


「はぁ…」


陽向の吐いた息だけが、少し違う温度を持っていた。

視線が、揺れる炎に落ちる。


(だったら、なんで黒川朔也と約束したの?)


じゅ、と脂が落ちる音と一緒に、あの声が、胸の奥で小さく再生される。


「この焼き肉の事…誰にも言わないでね。」


ぽつりと、こぼす。

朔也が、焼きかけの肉を裏返しながら、ちらりと視線を寄越す。


「は?誰にもって?」


「生徒会のさこちゃんとか…歩くスピーカーの咲とか!蒼太にも!」


「別に言わねーけど、なんで?」


トングが、カチン、と軽く鳴る。

陽向は、少しだけ視線を逸らした。


「嫉妬して、俊ちゃんがまた闇堕ちするよ」


その言葉は軽く言ったつもりだったのに、自分の中で、ほんの少しだけ重く沈む。


「なんだよ闇堕ちって」


「それは……」


言いかけた、その瞬間。


(誰にも……指一本触れさせない。)


あの日の、迫る距離。

触れられた指。

逃げられなかった視線。


 

(この唇も……)


 

一瞬で、身体の奥に蘇る熱。


「…闇堕ちした俊ちゃんも……」


思考が、ポーッ…と高揚しながら、あの瞬間へと持っていかれる。


「バリかっこいいんだよなぁ〜」


「死ね。」


にへらっ、とだらしなく表情を緩ませて陽向から飛んだハートマークを叩き落とすかのような、朔也の冷たいひと言が落ちた。


「つーか人の事情も考えず、いきなり当日その場で強制とか、人権無視にも程がある!」


陽向は、わざと大袈裟に言い返す。

その勢いで、さっきの思考を消そうとするみたいに。


「仕方ねーだろ。俺来週から週末全部無理だから。今日しか行けない。」


「は?なんで?」


「教習所」


「教習所ーーー!?」


思わず声が跳ねる。

店内のざわめきに一瞬だけ混ざって、また消える。


「免許取るの!?なんで!?まだ高2じゃん!!」


「高2だからだろ。高3になってからなんて受験で忙しくて教習所通ってる暇ねーだろ」


淡々とした声。

でもその言葉には、ちゃんと“先”を見ている重さがあった。


「それにしたって…そんな無理に急いで免許取る必要ある?」


「俺は誕生日早いし、車の免許取ったら原付買って、4月で18になったらフーデリバイトに変えよっかなって。その方が今のコンビニより割いいし、シフトも無くて適当に自分のタイミングで稼げるし。受験生なんだから、スキマ時間で働くのが効率良いだろ」


焼けた肉を皿に置く手が、止まらない。


計算してる。

ちゃんと、先を見てる。


「めっちゃ……先の事考えて計画してんね……」


ぽつりと、こぼれる。


網の上の煙の向こうで、朔也の横顔が少しだけぼやける。


受験。

将来。

選択。


言葉だけは、すぐそこにあるのに。

自分の未来は、まだどこか輪郭が曖昧で。

将来何をしたいのか、どんな仕事に就きたいか、全然見えないというのに。


朔也はきちんと前倒しで、将来へ向けての準備を一歩一歩着実に進めている。


保育園。

小学校。

中学校。

高校。


これまで当たり前のように一緒だった。


——なのに。


(ここから先は……お互い別々の道か……)


その事実が、胸の奥で静かに形を持つ。

不安も。

寂しさも。


(…私………朔也なしで…やっていけんのかな……)


「はっ!!」


思考がある事実に繋がり、陽向は顔を上げた。


「朔也がコンビニ辞めたら、私のシフト管理誰がすんの!?」


「知らねーよ!!」


即答。

間髪入れないツッコミ。


「えー私も18になったらフーデリやりたいなぁ…チャリでも出来るよね?」


「チャリでも出来るけど…お前誕生日遅いからだいぶ先じゃね?」


「でもフーデリは…夜とかちょっと怖いかも。暗い夜道とか…人気のないマンションとかエレベーターとか」


陽向の言葉に、朔也は思考を巡らせる。


確かに考えてみると。

不特定多数の知らない人の家に、夜に若い女が1人で何度もピンポンしに行くというのは紛れもなく事実。

その中には、一人暮らしの男も当然多いだろう。


その上、こいつの危機管理能力は皆無だ。


「まぁ、確かに。若い女の子にはちょっとリスクが…」


朔也が一瞬、陽向を心配する空気が差し込む。


「絶対オバケ出るもん」


「出るかーーー!!!」 


バンッ、と机を叩くような勢いのツッコミ。

なんという警戒心のカケラもないやつなんだろう。


その瞬間、さっきまで胸に沈んでいた重さが、少しだけ軽くなる。

笑い声が、混ざる。

煙の向こうで、視線が交わる。


近いようで、遠い距離。


でも確かに、同じ時間を共有している温度だけは、そこにあった。


焼けた肉の匂いと、笑い声と、言葉にならない感情が。


ゆっくりと、夜へ向かって溶けていく。



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