第19話
地響きと共に、輸送機『バロー』が駐屯基地のハンガーに着陸した。
重厚なハッチが開くと、生暖かい夜風と共に、整備員たちの怒号と機械の駆動音が流れ込んできた。
俺は『ナイトハウンド』の拘束ロックを解除し、ゆっくりと機体を立ち上がらせた。
HUDの端で、活動限界を示すタイマーが赤く点滅している。
エネルギー残量、十数パーセント。
並んで降り立ったハルの『タイラント』が、ガクッと膝をついた。
『も、もうダメですぅ……。二度とあんなところ行きたくないですぅ……』
通信機から、緊張の糸が切れたハルの泣き言が聞こえる。
プシューッという排気音と共にコクピットが開き、中からふらふらとハルが這い出してきた。
彼は地面に降りるなり、へたり込んで空を仰いだ。
『……悪くない腕だったわよ。カバー、助かったわ』
レベッカが愛銃を整備ラックに戻しながら、ボソリと呟いた。
彼女なりの賛辞なのだろう。
ハルは「えへへ……」と力なく笑っている。
俺も義体のジェネレーターと、神経接続の同期率を下げた。
どっと疲れが押し寄せてくる。
だが、それは不快なものではなく、全力を出し切った後の心地よい虚脱感だった。
「よう、生きて帰ったな」
タラップの下で、ギデオンが待っていた。
彼は泥だらけになった俺たちの機体を見上げ、満足げに頷いたが、その表情はどこか厳粛だった。
「船長。……これから宴会か?」
俺が軽口を叩くと、ギデオンは首を横に振った。
「いいや。今日は『追悼会』だ」
彼は懐から、先ほど回収したドッグタグの束を取り出し、チャリと鳴らした。
「運悪くババを引いちまった連中が、地獄への道中で迷わないように景気よく騒ぐのさ。……アマミヤの支給する酒は安酒だが、量はたっぷりとある。お前らも付き合え」
追悼会。
それが、この過酷な惑星で生きる彼らの流儀なのだろう。
死を悼みつつも、生き残った者たちは生の喜びを噛み締める。
行きたい気持ちは山々だった。
このむさ苦しい連中とグラスを交わし、今日の出来事を語り合いたい。
だが、視界の隅にある時計表示は、現実世界での朝が近いことを告げている。
「残念だが、パスだ。……俺には帰らなきゃならない場所がある」
「ああ、そうか。その物言い。お前、渡り人なのか」
ギデオンはどこか納得したように頷くと、俺の肩をバンと叩いた。
「渡り人ってなんだ?」
思わず聞き返す。
「意識だけの来訪者。別の世界に本体があるんだったか何だったか。まあ、向こう側の身体に、美味いもんでも食わせてやんな」
「詳しくはアマミヤの嬢ちゃんに聞いてみな」
ひらひらと手を振るとギデオンたちは、居住区画にある酒場の方へと消えていった。
「ああ」
俺はその背中を見送り、一人、整備デッキへと向かった。
***
整備デッキは、静謐な空気に包まれていた。
溶接のスパークが散る奥の区画とは対照的に、ナイトハウンドの整備スペースだけは、スポットライトに照らされて教会のような静けさだ。
「お疲れ様でした、アキトさん」
声の方を向くと、ユイが立っていた。
泥と油にまみれた基地の中で、彼女の清潔な制服姿だけが、咲き誇る白百合のように浮いて見える。
「待っていたのか?」
「はい。義体のメンテナンスチェックもありますから」
彼女は微笑みながら、手に持っていたスポーツドリンクのラッピングがされたカートリッジを差し出した。
「どうぞ。エネルギー補給を」
「気が利くな」
俺は礼を言って受け取り、一気にポートに差し込んだ。
冷たい液体が喉を通り抜け、乾いた身体に染み渡っていく感覚。
今回のカートリッジは甘さと、微かな柑橘系の酸味がした。
「……味覚まで再現完璧かよ」
俺は空になったカートリッジを見つめ、苦笑した。
味、喉越し、冷たさ。
どれをとっても、現実のそれと区別がつかない。
整備ドロイドたちが、高圧洗浄機でナイトハウンドの泥を洗い落とし始めた。
黒い水が流れ落ち、その下から、無数の傷がついた装甲が現れる。
まるで現実の自分自身の身体を洗われているような、奇妙な感覚。
「ユイ、一つ聞いてもいいか」
「はい、なんでしょう?」
「このゲーム……いや、この世界は、リアルすぎる。命の重みも、痛みも、そして死の臭いもだ」
俺は、先ほどの惨劇を思い返していた。
あれは、娯楽として消費するには重すぎる体験だった。
「これを作った作者は、一体何を考えているんだ? ただのゲームじゃない。……俺は今日、一度も『遊んでいる』という感覚にならなかった」
ユイは少しだけ目を伏せた。
その表情には、AIとは思えない憂いと、そして深い慈愛が浮かんでいた。
「やはりあなたは……渡り人なのですね」
「渡り人……? ギデオンも言っていたけど、なんなんだ?」
「はい。あちらの世界から、電子の海を渡って私たちの世界に干渉する、異邦の魂」
ユイは傷ついたナイトハウンドの装甲に、愛おしそうに手を触れた。
まるで、遠い旅路を経て帰還した旅人を労るように。
「私たちにとって、この世界は紛れもない現実です。痛みも、死も、そこにあります。……ですが、貴方たち『渡り人』にとって、ここは仮初めの夢かもしれません」
彼女の声は透き通るように澄んでいたが、そこには確固たる意志があった。
「神は、その境界を限りなく薄くしたかったのかもしれません。夢と現が混ざり合い、魂が本当に『ここに在る』と感じられるように」
彼女は俺の方へ向き直り、改まった表情で問いかけた。
「確認させてください、アキトさん。貴方は、ただの遊戯としてここに来ていますか? それとも――」
彼女は言葉を切った。
続きを言わずとも、その瞳が語っていた。
『共に生きる仲間として、ここに来てくれますか』と。
俺は自分の、いやナイトハウンドの手を見つめた。
現実の無力な手ではない。
運命をねじ伏せられる、力強い鋼鉄の手。
今日の戦い。
ハルの涙、レベッカの援護、ギデオンの背中。
それらを「ゲームのデータ」と切り捨てることは、今の俺にはできなかった。
「……遊びじゃない」
俺は答えた。
自分でも驚くほど、自然な言葉だった。
「俺は、この世界で生きたいと思った。この鋼鉄の身体で、お前たちと共に」
思わず格好をつけたセリフが口から出た自分自身に驚いた。
ユイの表情が、花が咲くように明るくなった。
彼女は胸の前で手を組み、深くお辞儀をした。
「ようこそ、ギャラクティック・フロンティアへ。……改めまして、歓迎します。一人の『渡り人』として」
それは、システムのアナウンスではない。
この世界の住人からの、正式な受け入れの言葉だった。
「また明日も、来てくれますか?」
ユイが上目遣いに尋ねてきた。
「ログインしますか?」ではない。
「来てくれますか?」という響き。
ここに居たい。
ずっと、この世界に浸っていたい。
そんな誘惑が脳裏をよぎる。
だが、俺は「渡り人」だ。
帰るべき肉体が、あちら側で待っている。
「ああ。必ず来る。……ここは、俺の新しい居場所だからな」
ちょっとキザな言い回しだっただろうか。
俺は頷き、システムメニューを開いた。
空中に浮かぶ半透明のウィンドウ。
その一番下にある『LOGOUT』のボタンが、赤く点滅している。
それを押すことへの、奇妙な躊躇い。
だが、これは別れではない。
俺は小さく息を吐き、意を決してボタンに指を伸ばした。
『ログアウト・シークエンス、開始』
『神経接続、解除まで……3、2、1……』
視界が徐々に暗転していく。
世界が粒子となって分解され、遠ざかっていく。
意識が途切れる寸前、最後にユイの声が響いた。
「おやすみなさい、アキトさん。……境界の向こう側でも、どうかご無事で」
その言葉は、まるで戦場へ送り出す祈りのようだった。
現実という名の、もう一つのフィールドへ向かう俺への。
プツン。
世界が消えた。
次の瞬間、俺を襲ったのは強烈な落下感だった。
無重力の浮遊感から、急激に重力の鎖で縛り付けられる感覚。
鋼鉄の強靭な四肢から、生身のひ弱で小さな肉体へと、魂が無理やり押し込められる窮屈さ。
息苦しい。 暑い。 重い。
ジジジジジジジ……。
鼓膜をヤスリで削るような、耳障りなノイズがフェードインしてくる。
機械の駆動音ではない。
生物の放つ、圧倒的な夏の生命力の音。
セミの鳴き声だ。




