◆ノワイエ救出作戦 ―結―
もう、見ていられなかった。
いつから静けさに染まる広場に響くのは、鎖の人が殴打される音だけ。
助けに来てくれた人が傷付くのを、これ以上見ているだけなんて、わたしには出来なかった。
「よせ、ノワイエ。もうお前が出る幕じゃねぇよ」
「離してブリッツ……!! このままじゃ、あの人が……!!」
いつから仮面を取ったのか。ブリッツがわたしの手を掴む、それが痛いほど強い力だったとしても、わたしは――
「信じなさいノワイエ。彼がこんな所でまけないって」
反対から肩を掴む京平さん……その声に違和感を覚えて振り返る。そこにいたのは、京平さんではなかった。
「一穂お姉さん……? どうして……」
「助けに来たに決まってるでしょ。気ガ付カナカッタ?」
意地悪い笑みに仮面を付ける一穂お姉さんだけど、わたしの意識が向く先は……もうそこにはなかった。
「それじゃあ……」
声が震える。今の今まで誰か判らなかったあの人の正体に、心が震える。
その瞬間。満身創痍だった鎖の人、京平さんの身体に異変が起きた。
◆ ◆
最初にその変化に気が付いたのは、彼と相対していた聖騎士ヴァイスだった。
直感的に肌を走る怖気。若き日に遭遇した邪竜と戦った時と同じ危機感に、自然と身体が後退を選択する。
一拍遅れる形でヴァイスのいた空間を何かが"喰らった"。バクンッ!! 音を立てて現れたそれを、ヴァイスは初め、何か理解出来なかった。
緩慢に蠢くそれは"大蛇"、眼が見当たらないそれは、確かに自身へと向けて大きな口を開く。漆黒の闇への入り口を思わせる程に奥の見えない何か――
「『変異――」
それが、黒鎖の少年の両手から"生えていた"。
あまりに不気味な光景。あまりに規格外な気配。あまりに――
「喰ラウ者』」
「っ、おぉぉぉっ!?」
牙を剥く黒鎖の大蛇にヴァイスは衝動的に叫び、両手に握りしめた剣を振るった。
それは幾度となく繰り返した"斬る"という動作とは程遠い。まるで脅威を退けたいが為に振り回すような児戯にも等しい剣。
剣が空を切るような感触より、五体が無事な感触に安堵してしまう。それ程までにその存在に畏怖を覚えた。
「よもやこれほどとは――」
態勢を立て直したヴァイス。しかし、自身の目の前に広がる光景に声が途切れる。
黒鎖の少年の両手から伸びる大蛇。その数が増えていた。二匹から四匹、そして今もまた増え続けていた。
「質の悪い夢だ。幻ならばどれだけよかったか」
思わず浮かぶ笑みは自虐に寄るものか、しかし同時に思う。
これ程の力を持つ者ならば、合格である。これ程ならば――
「『聖白鎧(ホーリィ=クルス)』ヴァイス、推して参る……!!」
"力比べ"をしたくなる。
立場も建て前も捨てて、ひとりの騎士、ひとりの男として戦いたくなる。王国近衛騎士として、自分がどれほど登りつめたのか。試せる相手が今、生まれたのだ。
「輝け我が鎧!! 『不滅の鎧』!!」
身体から沸き上がる欲求に、白き鎧が応える。邪悪とさえ感じる存在に相応しく、鎧は神々しく輝く。
黒鎖の大蛇が一匹、忌々しげに牙を剥き鎧へと殺到するが――
「破ァッ!!」
裂帛の気勢と共に放たれたのは、ヴァイスの右拳からの正拳。空気さえ打ち抜く拳を前に黒鎖の大蛇が破裂し、その身体を創る鎖の破片が周囲に散らばった。
それが開始の合図となった。ヴァイスへと次々に向かう黒鎖の大蛇達。それは津波の如き勢いで牙を剥く。
黒と白の攻防。大蛇が鎧を削り取り、膝蹴りに砕け散る。依然として血を流す左拳は使い物にならなくなったのか、しかしそれでも大蛇の牙をいなし、その五体で以て大蛇を鎖へと還す。
時には頭突きでさえ武器と成す姿は、聖騎士と呼ぶに遠くなりそうだが、周囲は違った。
「隊長っ!! 負けないでくださいっ!!」
「騎士さま頑張れーーっ!!」
兵士は元より、年端もいかない子供、その姿に感銘を受けた者がヴァイスへと声援を飛ばす。
「負けるなよキョウ……!!」
「キョウ君……!!」
処刑台の傍らで見守る事しか出来ない歯がゆさを覚える者が京平へと声援を送る。
「あぁ、大蛇が負けてしまう……」
「聖女様を御守りする力が……」
その声は微かだった。しかし、確かに存在する声だった。ノワイエの処刑に異を感じる者、正義の剣が折れたのは、それが正しき行いではないからだと感じた者が密かな声援を京平へと送っていた。
「京平さん。ヴァイスさん……」
激化する攻防に、ただひとり。
ノワイエだけが困惑の視線を向ける。自分が死を望むからヴァイスがここにいて、生きようと手を取ったから京平がここにいる。
全ては自分が招いた事だと、しかし本当は自分がどうしたいのか。今になって判らなくなっていた。
このままでは、ふたりのどちらかが……
不安に揺れる視線の先、いよいよ体力に限界が来たのか、鎧の所々を損壊させ、血をにじませるヴァイスの身体がぐらりと傾いた。
黒鎖の大蛇がそれを逃す筈もない。大口を開き、ヴァイスの身体をひと呑みに喰らった。周囲から上がる悲鳴、嘆き――
「ぐ……がぁぁぁっ!!」
しかし、大蛇のなかから響く雄叫びと共に白き鎧が姿を現した。五体満足なのが不思議な程に傷付いた身体が駆け抜ける先には――
「…………」
既に身を守るだけの鎖を無くした京平の姿があった。
肌はどこも血のように赤く染まり腫れ上がり立っているのがやっとといった京平の様子に、ノワイエの脳裏を"それ"が過ぎった。
厨二病アレルギー。
あろう事か彼自身を守る黒鎖ですら、彼を蝕む毒ではないのか。
「キョウッ、来てるぞ!! しっかりしろ!!」
「キョウ君!! 前を見て、顔を上げて!!」
もうその声すら聞こえていないのか。大蛇の一匹も動かせぬままの京平へとヴァイスは拳を振りかざす。
「京平さんっ!!」
その声が誰から出たのか。
だが、それだけの声に応える者がいた。
「なっ……!?」
直後に京平の顔目掛けて放たれたヴァイスの拳が空を打つ。
ヴァイスが決着を告げる拳を外した。否、京平に"避けられた"のだ。
微かな動きで、頭を横へと逸らし頬へ拳を掠めさせながら、京平の目がヴァイスの目を捉える。
――見事。
どこか嬉しげに京平を見るヴァイスの顔面へと、京平のヘッドバット……頭突きが直撃した。
「俺の、勝ちだ……」
「あぁ、確かに……」
格好の付けられない京平の格好の付かない最後の一撃に、ヴァイスの身体は力無く倒れる。
「やりやがった……やったぞ、キョウ!!」
「本当に勝つなんて……」
「隊長、隊長っ!!」
「鎖が勝ったぞ!! 聖女の守り手が勝ったんだ!!」
一時の静寂の後、広場の所々から上がる歓声を聞きながら、京平もまた意識を失った。




