シシル:期待の新弟子
今回からはシシル視点です。
視点キャラが変わっても地の分の口調はほとんど変わりません。予めご了承ください。
引っ越し作業はスムーズに終わった。
引っ越し業者が使っていたのは補助魔法の基礎である筋力増強と、それよりは少しだけランクの高い重量操作。仕事柄使う機会も多いのだろう。私の目から見ても、詠唱から発動までのスムーズな流れは十分に評価できた。
お陰で、当初はまだ作業中だろうと予想していた時間に落ち着いてお茶を飲んでいられる。
ずずっ……と緑茶を啜る。日本に来たばかりの頃にはクセのある味だと感じた緑色のお茶も、今では普通に美味しいと思えるようになった。
耳を澄ますと桜ちゃんの部屋からガタゴトと物を動かしている音が聞こえる。
増設したネットワークがちゃんと機能するか早めに確認しておくように言ったから、早速パソコンを設置しているのだろう。
――あの娘には期待できそう。さすがは第四世代ね。
これからの事を考えると、思わず笑みが零れてしまう。
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スキルを軸にして世代を分けると、現在は四つの分類になる。
昔からスキルを守り伝えて来た第一世代と、大戦によってスキルの存在を知った第二世代、大戦後に生まれた第三世代。さらに第三世代の中でもある程度以上のスキル修得者を親に持つと第四世代に区分される。
第二世代は全体的にスキルと相性が悪い。
生まれてからずっと「魔術は迷信」と教えられて育った彼らはスキルに対して否定的だった。第二世代にとっては戦前の魔族も魔術も存在しない世界こそ正常で、現在の世界が間違っていることになる。スキルが世界の危機を救ったのは確かだとしても、その危機が去ったのならスキルもまた裏の世界に戻って欲しい。それでこそ本当の平和は訪れると主張していた。
ただし『チューニビョー』と呼ばれた一部の人々は柔軟に現実を受け入れ、積極的にスキル修得に取り組んだ。これは第一世代が驚くほどの熱意と勤勉さだったらしく、熱意が過ぎて必要も無いのに術名や技名を叫ぶ光景が良く見られたそうだ。
第三世代は生まれた時から世界にスキルが存在している。
あって当たり前なのだから抵抗も何も無く、適性判断を兼ねた初歩的なスキルを義務教育の一環として受けている。
そして第四世代は子供の頃から親にスキルを習っているため、同年代の中では抜きん出ている。
ちなみに第一世代の家に生まれた子供も区分として第四世代になる。なのでいずれは第三世代と第四世代だけになる。
桜ちゃんの両親は第三世代で、学校の授業で適性があると判って私の弟子になった。全ての技を伝えるには至らなかったけれど、かなり良い線いっていた。そんな二人に幼いころから鍛えられた桜ちゃんは第四世代。
桜ちゃんがどれくらい鍛えられているかは、姿勢やちょっとした動作から見て取れる。剣術だけでなく礼儀もきちんと躾けられていて、天音流剣術を名乗ったあの二人は、親として指導者として十分に役目を果たしている。
素地は申し分ない。私が残る技を教えれば、桜ちゃんの剣術は完成する。
これからの日々に思いを馳せていたら、桜ちゃんの部屋からの物音が途絶えていた。パソコンの設置が終わったようだ。
問題無く接続できたのか確認に行ってみよう。
一応ノックする。
襖だからポスポスと軽い音になってしまうのは仕方ない。要は中に聞こえれば良いのだ。
少し待ってみても何の反応も無い。
「桜ちゃん? 様子を見に来たのだけど」
声を掛けてみても返事が無い。
あの娘がこちらの呼びかけを無視するとは思えない。何も言わずに出て行くことも無いだろうし、出て行こうとすれば私は絶対に気付く。
中に居るのは確実なのだけど、さてどうしたものだろう。
相手は年頃の女の子。返事が無いくらいでいきなり部屋に踏み込むのは躊躇われる。同じ家に住むからこそ、お互いのプライバシーは尊重しないといけない。
なので襖は開けずに気配だけを探ってみよう。
気功スキル『止水』を発動する。
鋭敏になった感覚で襖越しに気配を探ると、微かに桜ちゃんの気配が感じられた。
……でもこれは、微か過ぎるような?
桜ちゃんは生気と精気に溢れた娘だ。直接相対すれば止水なんか使わなくても強烈な存在感を感じるほどだ。まあ、そういう存在感を自然に静められるようになって一人前ではあるのだけど。
とにかく、それほど判りやすいはずの気配が、今は酷く弱まっている。まるで今にも死んでしまいそうなほどの弱々しい気配……って、それはまずい!
「桜ちゃん! いったいどうしたの!?」
部屋にいていきなり死にかけてるとか意味が判らないけれど、こうなってはプライバシーとも言っていられない。襖を開けて中を見ると、桜ちゃんはぐったりとベッドに身を横たえていた。大きな声での呼びかけにすらピクリとも反応を見せない。
最初に気配を探って、少なくとも生きているという確信がなかったならば、もう死んでいるんじゃないかと思える姿だった。
「しっかりして!」
呼びかけを続けながら左胸に手を置いて心臓の鼓動を、口元に顔を寄せて呼吸を、それぞれ確かめた。
鼓動も呼吸も正常だった。
正常過ぎると言うべきかも知れない。
気配がこれほど弱まっているのだから、これは明らかに異常事態のはずなのに、ゆっくりした鼓動と規則正しい呼吸。体に異常があるならどちらも乱れているはずなのに。
今の桜ちゃんに似た状態は見た記憶がある。
抵抗できなければ興奮状態からでも瞬時に安らかな眠りに誘われる睡眠系統の魔術だ。不眠治療用の医療魔術として普及しているけれど、本来は立派な状態異常系の魔術。効果が地味だと侮ってはいけない。普通の『睡眠』ならちょっとした刺激で目を覚ますとは言え、戦場でいきなり眠ってしまったら間違いなく致命的な事態になる。最初に受ける刺激は間違いなく敵からの攻撃になるからだ。
大きな声を聞いたり体に触れたりしても起きないとなると上位の『昏睡』が近いかも。
「とは言え、誰かに魔術を掛けられたなんてあるはずもないし。いったいどうして……あら? これは……」
ここでようやく桜ちゃんが被っている物に気が付いた。
形は格闘技の練習に使う頭部保護のヘッドギアに似ている。あれをもう少しスマートにして素材を変えた感じだろうか。首に近い部分からケーブルが伸びていて、机の上のパソコンに繋がっている。パソコンのモニターは点灯していて、自然と視線が引き寄せられた。
画面の上部に『注意!』と毒々しいまでの赤文字で大きく表示され、その下に説明文が並んでいた。
要約すると、このパソコンに接続しているユーザーはVRコンテンツ『決闘者の闘技場』にログイン中なので、不用意にパソコンの電源を落としたり、ヘッドギアを外したりしないようにして下さいといった内容だ。
「ちゃんと繋がったか確かめているのか」
別にトラブルとかでは無いようなので一安心。
慌てて損したとも思うけど、安心の方が大きい。
ヴァーチャルリアリティーという単語は少し前に話題になっていたから知っている。聞きかじり程度の知識でも、プレイ中は脳から出る運動命令を機械が受信し、現実の体からの感覚はシャットアウトされる、程度は判る。
「それで触っても反応なかったのね」
と言うか、心臓の鼓動を確かめようと胸に置いた手がまだそのままだった。
その手を押し返してくる確かな弾力。
こ、これは……大きい……!
さっきはそれどころでは無かったけれど、こうして落ち着いてみるとその大きさが意識される。両手で片方ずつ包むように……できなかった。掌に余る。どうにか納めようとして手を動かせば、結果的にこれから自分の弟子になるであろう娘の胸を揉んでいる自分がいた。
これはいけない。
相手の意識が無い間に体に悪戯をするなんて、絶対にしてはいけない事だ。
かなり良い心地なのでもう少し揉んでいたいと思わないでもないけれど、そんな未練はきっぱりと断ち切って手を離す。
そしてその手を自分の胸に当ててみた。
少しだけ、心にダメージを受けた。
……ような気がした。
私は長い時を生きるエルダーだ。胸の大きさで一喜一憂する年齢など何百年も前に卒業した。こんな若い娘と自分を比べてダメージを受けるなんてことあるはずが無い。なのでこの件は忘れる事にしよう。
それにしても、本当に大きい。
いや、胸の話ではなくて背が。
胸の大きさが人の価値に直結しないのに対して、背の大きさは剣術家の強さに直結する。体が大きければ筋肉量も多く、リーチが長くなる。スタミナも増すから良い事尽くめだ。
桜ちゃんがこれまで天音流として学び、これから私が教える剣術は気功による身体能力の向上を主眼にしている。体格による有利不利を覆せる剣術なのは間違いないけれど、だからこそ同じ程度に使えるなら体格の差がものを言うようになる。
向上率が同じなら、素の能力が高い程上昇幅が大きくなるからだ。
体の大きさなんて生まれ持ったもので、後から鍛えてどうなるでもない。
その点桜ちゃんは並の男性以上に背が高い。これは大きな武器になる。
このまま見ているのも悪い気がする。
桜ちゃんがゲームから戻ってきたらまた来ることにして部屋を後にした。
(仮)一話目で桜がCODをプレイしている最中の、現実世界での出来事でした。
そして今回も説明が多めです。




