ようこそ、宇美月学園へ
始業時間の一時間前。
普通に登校する生徒はまだほとんどいない、けれど朝練がある連中の姿はちらほら見かける。
そんな時間帯に私は私立宇美月学園の門を潜った。
大学の敷地を転用しているだけあって、一般的な高校のような画一的な建物配置ではない。
自転車通学者用の駐輪場が門の外にあるのもその一端だろう。
大学であればバイク通学者もいるだろうから、駐輪場を門内に作るとバイクでの学内乗り入れを許可しなくてはならない。
転入初日ということで、これから担任教師と会うことになっていた。
事前の手続きでも訪れているので職員棟の場所は知っている。
入口脇の案内板を見る。
職員棟にはいわゆる職員室の他に、教師個人の部屋が用意されている。研究室とか準備室とか、そういったものだ。これも元大学の建物だからだろう。
以前通っていた高校では「国語科準備室」のように同じ教科を担当する教師が共同で使う部屋があっただけだった。
向かうのは担任教師の準備室だ。
案内板で名前を探す。後城惣一というのが私の担任教師の名だ。
部屋の位置を確認して進む。
ちなみに靴を履き替える必要はない。これも大学と同じく外履きと内履きの区別がないので、靴はそのままだ。面倒が無くて良い。
ドアにかかっているネームプレートを確認して、ノック。
待つほどもなくドアが開いた。
出てきたのは二十代後半くらいの男性教師で、偶然別人がこの部屋を訪れていたのでなければ、担任の後城惣一に間違いないだろう。
「天音桜だな? 俺が担任の後城だ」
声は上から降って来た。
後城は大きかったのだ。
二メートル近い長身を鍛え上げた筋肉で覆っている。筋肉を付けるために鍛えたのではなく、鍛えたら筋肉がついたという感じで、ボリュームはあってもバランスがとれているので不自然な印象は受けない。
「はい、天音桜です。本日よりよろしくお願いいたします」
「礼儀正しいな。いまどきの学生にしては珍しい」
後城の視線が私の頭の先から足の先までを通り過ぎる。
「姿勢も良いな。なにか武道でもやっているのか?」
「家が剣術道場でしたので、私も小さいころから」
「なるほど。礼もしっかりしているわけだ。おっと話は職員室でするぞ。ついてきてくれ」
後城に着いて歩きながら、私はこの先生もなにか武道をやっているなと感じていた。
筋肉など見た目の話ではない。
歩いている時の重心や体幹を観察すると、ある程度相手の力量を図ることができるのだが、私の目から見る限り後城は相当の腕前のようだった。
職員室はとても広かった。
近隣数県最大規模の学園だし、授業が選択制で多彩なコースも用意しているとなれば、必然的に教師の数も多くなる。
そして人も多かった。朝の早い時間でも既に何人もの教師が出勤しているし、朝練関係なのか生徒も結構な数が出入りしている。
最初に準備室を指定していたのはこのためだろう。この広さ、この人数の中から初対面の相手を探すのは面倒だ。実際の話は職員室でするにしても、待ち合わせは準備室の方が簡単だと考えたのだろう。
後城の机は適度に物が散らばっていた。見ようによっては乱雑に見えるが、使っている本人には何処に何が分かっている使いやすい状態に違いない。
隣の空いていた椅子を持ってきて私に勧めて、後城は自分の椅子にどかりと座る。
一言「失礼します」と言って腰かけた。
「さて必要な手続き、制服と教科書の配布は既に済んでいる。選択授業の履修申請もOKだな」
卓上のPC画面を見ながら後城が確認する。
画面にはプライバシーフィルターが貼ってあるので私からは見えないが、生徒個人毎の管理画面を開いているのだろう。
「選択はSコースと……ほう、これは見事に学科を削ったな」
履修申請欄を見たらしい後城が愉快そうに笑った。
私は本当に最低限の学科しか選択していない。
「お恥ずかしい限りです」
「いやいや、褒めてるんだぞ。見栄を張って余分に何個か取る奴の方が多いからな。せっかくの選択式なんだ、無駄だと思うなら切れる部分は切った方が良い。高卒資格をとるならこれで十分だ」
高卒資格はいろいろな場面で要求される。例えば剣術の指導員資格をとるにも必要だ。
資格が無くても個人的に道場を開くことはできるが、公的にはモグリ扱いされてしまう。
「よし手続き上の不備は無いな。それで天音、CODのアカウントは持っているんだな?」
「しーおーでぃーですか?」
なにか聞いたことの無い単語が出てきて、おうむ返しに尋ねてしまった。
「うん? まだあまり一般的じゃないのか? 決闘者の闘技場の略称だよ。メーカーは公式の略称を定めてないが、ユーザーレベルで募集して決まったらしい。コロッセオ・オブ・デュエリストでCODだ。英語教師なんかからすればもっと別の単語も出てくるんだろうが、まあ言いやすければ良いだろうってことだな」
「それは知りませんでした。なるほどCODですか。それなら大丈夫です」
公式ホームページしか見ていなかったので略称ができているとは知らなかった。
プレイヤーの中で知らない私の方が少数派なのだろうか。
確かに会話の中でいちいち『決闘者の闘技場』というのは煩雑だ。
私も略称を使うことにしよう。
「よし、ならメモリーカードを出してくれ。学内サーバーのアクセスキーをコピーする」
持参したメモりーカードを後城に渡す。
sakuraの全てのデータが入ったメモリーカードだけに、教師とはいえ他人の手に渡すのはちょっと抵抗があった。なにしろ身体走査データがまるごと収まっているのだから、現実の肉体的なプライバシー情報が山盛りで入っていることになる。
その辺りは後城も承知しているようで、「不審な操作をしたと疑われそうな動作」をしないように注意していた。キーボードやマウスには最低限しか触れず、操作していない時には完全に手を離している。
「学校案内で読んだと思うが、宇美月学園では学校行事と実習授業の一部を仮想空間で行っている。学内サーバーへのログインは今コピーしているアクセスキーが無いとできないからな。失くさないように注意してくれよ」
「はい」
私は頷く。
私が転入先として宇美月学園を選んだ理由の三番目が、行事・実習の仮想空間への移行を積極的に行っているという点だった。
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ゲームコンテンツが有名なので誤解されがちだが、VR技術は娯楽以外の分野でも大いに役立っている。広範な意味での職業訓練だ。
訓練時の危険の排除と、コストダウン。
VR技術で作られた仮想空間はその二つを同時に実現する。
最もわかりやすい例としては軍事演習があげられる。
訓練とはいえ実弾を使用すれば事故での負傷や死亡はあり得るし、弾薬や燃料も金を食う。
かと言って演習をしなければ有事に対応できないし、空砲ばかりでは演習にならない。
仮想空間ならば「限りなく現実に近い戦闘」を現実の肉体に対する危険なしで行える。
しかも最初に地形や兵器のデータを入力する技術的な費用さえ支払ってしまえば、弾薬も燃料も使いたい放題に使える。
軍事演習は極端な例としても、「本番の危険を減らすために訓練をしたいが、訓練そのものも危険」、「費用がかかるので頻繁には訓練できない」といった職業はいくつもある。
VRコンテンツを製作しているメーカーは、そういった需要に応じて、持ち込みデータを仮想空間内の地形やオブジェクトに変換するサービスも行っていた。
宇美月学園でも一部の行事・実習を仮想空間で行っており、そこで使われている基本となるコンテンツがCODであり、そのリアルモードだった。
現実に近いリアルさが売りのVRコンテンツの中で、身体走査データをもとにしてアバターを作るCODリアルモードは、リアルさにおいては他を一歩リードしているのだった。
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「コピー完了、と。これで最初のメニュー画面に宇美月サーバーへの接続が追加される。学外からの接続もできるから自習や自主練に使ってる奴もいる」
そこで後城がにやりと笑った。
「授業時間以外は普通にCODもプレイできるぞ。まあ対戦相手は学内の奴に限定されるがな」
私がCODのヘビーユーザーだというのは見透かされているらしい。
「最後にアバターの確認をさせてもらう。管理画面を開いてくれ」
PCの画面を私に向け、マウスとキーボードを移動させて後城が言う。
「ちょっと前にモザイクが入らないぎりぎりの着衣データを作った馬鹿がいてな。それはすご……ひどいもんだった。ここは学校だ。たとえ倫理コードに引っかからなくても許可できない場合がある」
もしかするとアバターの着衣データに関する校則でもあるのだろうか。
私自身はそんな破廉恥な着衣データは使っていないし、後城の、というか学校側の言い分は十分理にかなっている。
私はパスワードを打ち込んでsakuraの管理画面を表示させた。
「どうぞ」
画面を後城に向け直す。
「時代劇みたいなアバターだな。まあこれなら問題はない。ん? サラシ?」
後城の視線が画面から離れて、現実の私の胸元に向く。
サラシを巻いて抑えているので、あまり盛り上がっていないが、そうと知った上で見れば、小さいのではなく抑えているのだと判る盛り上がり方だ。
「防御効果は微々たるものだろうが……」
嫌な予感がしてきた。
そんな私の見る前で、はたと気づいたように後城は言った。
「そうか、揺れるからか」
ああ、やっぱりだ。
天を仰いで嘆息する。
ゴホンゴホンと後城が咳払いした。
セクハラ認定されても文句の言えない失言だったと気づいたようだ。
「すまんすまん。アバターに問題はない。そのまま使ってくれていいぞ」
返却されたメモリーカードをしまう。
少し時間が余っていたので、後城と雑談した。
やはり後城は武道の心得があり、打撃主体の徒手格闘術が専門だ。
CODでは「鋼」というアバターネームで活動しているということで、機会があれば対戦する約束もした。
話をしていて私は後城という教師に好印象を持った。
私とも自然体で接していて、教師であるという立場を偉ぶろうとしない。
逆に女子学生受けを狙うような言動もない。
「さて、そろそろだな」
時計を見て後城が立ちあがった。
雑談しているうちに時間は過ぎ、もうすぐ始業時間だった。
再び後城の後ろを歩いて教室に向かう。
教室棟二階の端から二番目、2-Bが私の通うクラスだった。
教室の扉に手を掛けた後城が、ふと私に向き直った。
「今さらかも知れんが言っておこう」
後城はいたずらっぽい笑みを浮かべて言った。
「ようこそ、宇美月学園へ」
略称を決めてなかったのですが、今回からCODという表記にさせていただきます。




