仮想世界でマックスなコーヒー
最近ではすっかり私達の溜まり場になっている例の自販機前のベンチは、仮想世界でもしっかりと再現されていた。
「あ、マックスなコーヒーもある!」
自販機までが無駄にリアルだった。仮想世界にお財布は持って入れないし、自販機を作り込んでも使えない……と思ったら、購入ボタンが全部点灯している。ネットカフェとかにある無料自販機みたいに全ての商品が購入可能状態になっていた。
「これって、使えるのかな」
沙織がボタンを一つ押すと、作動音がして缶コーヒーが出てきた。
「おー、出てくるねー」
成美が押したのはもちろんマックスなコーヒーの購入ボタンだ。
出てきた缶は私も知っているマックスなコーヒーの缶その物だ。
私も適当に一本買ってみる。手に伝わってくる冷えた缶の感触まで本物そっくりだった。
飲めるか? と思いつつタブを引いて口を付けてみると、なんとちゃんと味が分かる。データとして収集された味覚信号を直接脳に送っているのだろうけど、すごい再現性だ。
本家のVRMMORPGではゲーム中で食事をしたり回復薬を飲んだりと、何かを口にするのは当たり前に行われている。その影響がこんな細かいところにもあった。
同じように吃驚している沙織と顔を見合わせて「これは凄いね」と頷きあっている脇で、成美が盛大にコーヒーを吹き出していた。
「なにこれー。こんなのマックスじゃないよー」
「え、私のは普通にコーヒーの味するけど」
「こっちも普段飲んでるのと変わらないわね」
「えー、なんでー? ちょっと桜取り変えて」
成美はマックスなコーヒーと私の持っていた缶を取り変えて、恐る恐る口を付けて奇妙な顔になった。
「ほんとだ。これは普通の味だ。桜、そっちの味みてみてよ」
「自分で吹いといて気楽に言わないでよ。変な味するんでしょ?」
「いや、変って言うか何て言うか……普通って言うか……」
だんだん自信の無さそうな口調になっていく。
いったいどうしたのだろう。成美を困惑させているマックスなコーヒーに少しだけ興味を引かれて、私も飲んでみた。
普通のコーヒーの味がした。
うん、マックスなコーヒーのあの味用に口を準備していたら、これは驚く。
普通の味が驚愕の対象になってしまう辺りが、マックスなコーヒーの異常さを端的に表しているような気もする。
試しに飲んでみた沙織も「普通だから変って言うのも変だけど、これが普通のコーヒー味ってやっぱり変ね」と首を捻っている。
成美は「マックスなコーヒーだけ再現されてないなんてメーカーにクレームだー!」と怒っている。
「「あ、もしかして」」
タイミングを計ってもいないのに私と沙織できれいにハモってしまった。
この場所で沙織とハモると、何か思い出してはいけないこと思い出しそうな気分になるのは何故だろうか。
「あれ、桜も何か思いついた?」
「うん、多分そうじゃないかなって」
「ふうん、お先にどうぞ」
沙織に譲られて、思いついた事を言ってみる。
CODもそうだけど、VR系のコンテンツはリアルを売りにしながらも、敢えて再現をしない情報がある。
それは痛覚に代表される「負の感覚」だ。
対人対戦のCODもVRMMORPGの本家も、どちらも戦闘の要素を含んでいて、そこには当然プレイヤーが負傷したり死亡する場面もある。そこで負傷に伴う痛みや死に際する苦しみまでをリアルに再現してしまったら、プレイヤーにとっては大きすぎるストレスだ。現実の肉体に影響は無いと分かっていても、痛み苦しみが大きければゲームを楽しむどころではなくなってしまう。
この問題を解決するためにシステム的に痛みなどを感じないようにされている。
以前沙織はマックスなコーヒーの味を称して「味覚を利用した暴力」と言っていた。
だとすれば、この味を知った運営側の対応としては……。
その辺りの事を話すと、沙織は「なるほど」と頷いていたが、成美は恨めしそうな目で私を見ていた。
「つまり桜はこう言いたいわけね。マックスなコーヒーはシステム上制限がかかるような味だって」
「ち、違うわよ成美。私がそう思っているんじゃなくて、運営がそう判断したんじゃないかって話よ」
「うん、それもあるかも知れない」
うんうんと頷く沙織。
「私はもうちょっと単純に考えてた。これって誰かが実際に味わって、その時の脳波とかを記録して味覚のデータ作ってるわけでしょ? まともに飲める人がいなかったらどうなるのかなってね」
……沙織の意見も十分にあり得る。単純なだけに真相に近いのではないだろうか。
と、思いはしたが、私がこれに同意してしまうと成美がかなり可哀そうな立場になってしまいそうなのでノーコメントにしておいた。
コーヒー話ばかりしていても埒が明かない。憤慨している成美を宥めて本題に移ることにした。
三人並んでベンチに座り、改めて海魔迎撃戦の資料を開く。
「ふーん、良いんじゃない? がっつり遊ぶとなると体力勝負になりそうだけど、交通費と宿泊費が浮くのは助かる」
沙織も乗り気になったので、三人揃って参加申請のメールを送っておいた。
手元にウィンドウを開いて操作できるので、仮想世界ではメールを送るのも簡単だった。
ウィンドウを開いたついでに、ヘルプに追加された「宇美月学園の歩き方」を起動してみる。
表示されたのは学園全体のマップだ。所々にアイコンが重なっていて、触れると詳細説明枠がポップアップする仕組みだった。
「競技場は本当に闘技場になってる。形も似てるから違和感無いわね」
昔ここが大学だった頃に造られた陸上競技場。スタンド席も備えた本格的な競技場は、CODの闘技場に類似している。仮想世界で闘技場を嵌めこむなら、確かにうってつけだろう。
「こうして見ると……この学園って本当に広いよね。行ったことの無い場所の方が多いわ」
地図を眺めながらしみじみ思う。
Sコース選択で移動する範囲をなぞってみても、学園全体の三分の一にも満たない。
そんな行ったことのない場所に気になる施設があった。
『射爆場』
「な、なによ射爆場って?」
「んー? ああ、そこって確か昔は弓道場とかがあった所ね」
地図を覗き込んだ沙織が教えてくれる。
Sコース一択の私や成美と違って、沙織はMコースも一部選択していて行動範囲が広い。
「へえ、そんな所もあるんだ」
射爆場のアイコンに触れて詳細を見てみる。
大雑把に言うと射撃訓練場の魔術版のようだ。
弓道場だった所を流用しているそうだから、射場から的場に向けて魔術を撃つ形式なのだろう。
魔術レベルを上げるにはとにかく魔術を使わなくてはいけないけど、そこらで攻撃魔術を撃つわけにもいかない。
そのための専用施設らしい。
「こっちは図書館棟だよねー。なんか『賢者の塔』とかなってるけど」
「これはあれかな。メーカーの人がマップデータ造る時に頑張っちゃったとか」
「有り得るわね。それを受け入れちゃう学園側……というかあの学園長がおかしいんじゃないかとも思うけど」
怪しいローブ姿の学園長の株は、私の中では大暴落中だ。
「ところで桜に聞きたいことがあったんだ」
一通りマップを眺めた後、沙織が言ってきた。
「最近CODの掲示板とかで噂になってるんだけど……物凄く強いレベル1の剣術使いって心当たりある?」
ぎくり。
「あー、その噂私も聞いてる。この間会った時に聞こうと思ってたの忘れてた」
「なんでも総合レベル7の魔術タイプがレベル1の剣士タイプに負けたって話で、そのレベル1が直前にレベル8の剣士タイプにも勝ってるらしいのよね」
再びぎくり。
「で、名前は分からないんだけど、そのレベル8の剣士タイプって特長からするとどうも桜みたいなのよね」
「ち、ちなみに、どんな特徴なの?」
「黒い衣装で刀装備、侍っぽい感じのアバターで、でかい。でも胸は小さい。女みたいだったけど男だと言われても頷ける雰囲気」
「……沙織、前半はともかく、後半のそれを聞いて私を思い出すってどういう事なのかな?」
後半だけなら沙織自身も該当しちゃうというのは自覚しているのだろうか。
それにしても師匠の件が噂になっているとは知らなかった。
「不本意ながら、それ私だわ」
誤魔化すのは無理そうだし、誤魔化さなければならない理由もない。
ここは素直に認めておく。
「やっぱりね。じゃあそのレベル1の人は桜の知り合いなの?」
「知り合いと言うか、私の剣術の師匠」
「桜の師匠って言うと散弾銃の人だね!」
成美には委員長との試合の前に師匠について軽く話してあった。確か委員長対策として師匠が例に出した散弾銃の話だったけれど、「散弾銃の人」って言っちゃうとかなり危ない人に聞こえる。
「師匠にVRの説明をするために一緒にログインしたんだけど、そこで稽古をって事になっっちゃって……」
「説明するためって事はその日が初めてだったんでしょ? スキルはどうなってたの」
「基本の剣術レベル1だけ。もちろん技も何も登録してなかった」
「……あなたはスキル使ってたのよね? 確認したいんだけど、負けたのってガチで?」
「誓ってガチよ。私は気功スキルのステータスアップも攻撃予測も使ってたわ」
「……」
沙織が考え込んでいる。
当然かもしれない。もしも私が師匠の弟子で無く、同じような話を他人事として聞いたのなら、まずは疑ってかかるだろうし。
「もう一つ確認したいんだけど、あなたの師匠って人間?」
「その疑問はもっともだと思うけどね」
これまでは私も師匠の事を「普通じゃない」程度には思っていたけど、あの一件以来は父の「人間じゃない」に近付きつつある。素の身体能力しか持たないアバターであの強さは本気で人間離れしている。
「さすがは散弾銃の人だね!」
成美の中では師匠はすっかり「散弾銃の人」で落ち着いてしまったようだった。




