三十三話 臨界
影は幾度となく襲撃してきた。
地中に潜っては下から急襲し不意を突いてくる。
体の表面は硬いわけではないものの、攻撃しても妙に通りが悪く特段効いている様子がない。
るぅの雷撃と連打、あまねの鋭い斬撃。
はるか彼方から射抜くあやねの矢。そのどれもが決定打に欠けていた。
「ぐっ…!」
あまねに覆いかぶさるようにして攻撃する影。その巨体の重量に加えて力も相当だ。
上から押さえつける分には圧倒的に影のほうが優勢。
まず厄介なあまねから潰すつもりらしい。
なんとか薙刀を横に傾けて耐えはするもののどんどん押されて押しつぶされようとしている。
そこへあやねの矢が届くがそんなもの気にするかとばかりに力を加え続けた。
るぅも攻撃に参加する。だが相変わらずの手応えのなさ。押し返すには足りない。
あまねはとうとう力負けして押さえつけられた。
歯を食いしばって耐えるも、骨が軋み、圧に耐えかねて血を吐く。
だが決して消えることのない闘志の宿った目で影を睨みつけていた。
(早くっ!!)
はるか後方で時雨は圧力を、水流操作を全開にしていた。
刀身が熱く煮えたぎり湯気を上げている。
これまでにない出力を使うために操作がぶれてなかなか完成しない。
左目に当たる部分が欠けてしまった狐面の下から黄金の瞳がのぞく。
瞳はずっとまっすぐに戦況をとらえている。
仲間のピンチを目の当たりにして焦る気持ちを必死で抑え続けるしかなかった。
ここで焦って失敗したらそれこそ状況がまずくなる。
大玉の汗を浮かべ、時雨はひたすらに集中する。
非常に高い出力ながら繊細な操作が必要だった。
手ががたがたと震えている。
だがようやく完成した。
やがて刀身はぼやけてやや黄色く変化し、水と周囲の空気の境界が曖昧になる。
少しでも気を抜いたら失敗しそうなくらいだ。
バランスを崩せば破裂してしまう。
でも準備はできた。
そのことを素早くるぅが察知して時雨を回収しに走る。僅かに3秒で結構あった距離を詰めて時雨を持ち上げて、影に急接近する。
「はああああっ!!!」
渾身の一撃。
時雨は刀を伸ばし、できる限りの力で様々なところをめった打ちにした。
足も、胴体も首も、頭のようなところも。
だが持ったのは4秒足らず。
やがて時雨は圧力を制御しきれなくなり次第に刀身はもとに戻った。
時雨はここで力を失い、がっくりと気を失う。
あやねの回復術である程度ましにはなったものの傷は深い。あまり無茶できる状態ではなかった。
だがこの攻撃が戦況を大きく変える。
影は苦しむように身を捩り思わず後退した。
ようやくあまねは拘束から抜け出す。
即座に起き上がって、あまねは目を見張る。
「やりやがった!」
時雨の剣撃が当たったところは激しい酸を浴びてしゅうしゅうと煙を上げている。
多大な圧力と熱を受けて超臨界素流体と化した刀身の水は、酸に対して強いはずの金でさえ溶かしてしまうほどの強烈な酸を宿す。
たとえ相手が未知の物質で構成されていると言えども効かぬはずがなかった。
当然必要な温度も圧力も半端ではなく実現しようとすれば使用者に相当な負荷がかかる。
気を失った時雨をるぅが再び運んで一度退避させる。
強烈な酸のおかげで影の防御力は格段に下がった。
薙刀の通り具合が違う。
あまねの技量と膂力も合わさればまるで紙みたいに容易く切り刻むことができる。
あまねは不敵に笑い、目にも止まらぬ速さで薙刀を振るう。残像でドームができるほどの激しい攻撃を繰り返す。
影の体表はかつてないほど切断されぼろぼろになる。そこへ3連続で矢が襲いかかる。
これまでよりもさらに力を込めた矢が、同じところへ的確に吸い込まれて影の体を完全に貫通する。
矢が反対側に突き抜けた。
影は逃げるように地面に退散しようとするがあまねが渾身の一撃で前足を両方切断してしまう。
「押し切れぇぇぇ!!」
あまねが叫ぶ。
あやねが弦を引き絞り、るぅが駆け寄って連撃を加え、あまねもまたさらに猛攻を加える。
6連続で矢が刺さり、胴体を切り刻み、激しい雷撃が影を焼く。
全員の決死の攻撃で影はとうとう力なく倒れ込んで、すこしじたばたした後はピクリとも動かなくなった。
黒い塊は内部から崩壊しところどころへしゃげながら薄れて消えていく。
あまねはふうっ、と大きな空気の塊を吐いてその場に膝をつく。あやねも遠くでそっと胸を撫で下ろした。
るぅはその場にへたり込む。
時雨は動けないながらもずっと先輩の雄姿を見守っていた。
こうして激戦は幕を閉じた。
――
その後数日に渡って街の復興支援を行った。
複数の人がさらに駆けつけてくれて、けが人の治療、建物の復興、食べ物の供給などを行う。
多少の援助にはなるがその後届くであろう行政の支援にあとは任せることになる。
「時雨。もう戻っても大丈夫だぞ」
あまねさんが声をかけてくれる。
でも自分だけ戻るわけにはと断ろうとするが、あまねは少し困ったような顔をした。
「高屋さんの寿命が縮んじまうよ」
あまねは苦笑して時雨に伝える。
時雨もそのことにはあまねと同じように苦笑いするしかない。
すぐに戻った方がいいと妙に納得した時雨は「じゃあ、ありがたく先に戻らせていただきます」と返す。
「ああ」
あまねは微笑んでうなずく。
ここ数日の間に時雨の傷もかなり治ってきている。
医療班にも少しお世話になったのも大きいだろう。
もう走ったりしても大丈夫だそうだ。
時雨は荷物をまとめた後壊れかかった家へ向かう。
「親方さん」
時雨はそっと戸を開けようとして、少し歪んでしまったために開きにくくなっていることに気が付く。
時雨はふむ、としばし観察して上の方にあるサッシを親指でぐいと押しやる。
すると今度は普通に開いた。
中には別の入り口から中に入っていた親方と女性の姿があった。
「もう大丈夫なんですか?」
親方と目が合って思わず尋ねる。
親方は京人ではないので数日で右腕が完治するなんてことはない。
なかなか動きにくいだろう。
「ああ。別に初めてでもないからな。前はほんとに子供の時やけど。まだまだ達観するわけにはいかんのよ」
親方はにっと笑って見せる。
影が現れた後しばらくの間例の水が湧き出るようになるらしい。
規則性はそこまであるわけではないが間隔が空いても百年程度に一回はあるという。
前回親方が経験したのは40年ほど前の話だろうから、今回か前回のどちらかが外れ値であるのかもしれない。
つまりはこの後桐谷焼を作れるようになるということでもある。
職人としたらむしろ燃えるところなのだろうか。
それにしてもたくましい人々だと時雨は思った。
自分がこの地に住む人間だったとしてこのような強かさを持つことができただろうか。
時雨はそっと目を閉じる。
「親方。僕そろそろ帰ります。」
最後の挨拶をする。
「おう。気ぃつけて帰れよ。」
親方はまっすぐ時雨の方を見て言葉を返す。
――
親方はなんだか嬉しそうに見送ってくれた。
来た道を戻り、電車などを利用しながらやがて小さな山を越えて田園地帯に戻ってくる。
今年の梅雨は例年ほど雨が降らなかったようだ。
ずっとどしゃぶりの日が5日くらい続くとか、一気に集中して大雨が降るとか。そんなことはなかった。
降らないわけではなかったけれども今年はちょいと少なめである。
時雨は向こうの空を見上げてそう考えた。
きっと今年一番くらいだろうか。
少し小さな入道雲がはるか遠くで背を伸ばそうとしている。
既に夏が始まっているのだ。
水面は静止し、風になびく稲の葉に揺らされてのみ波紋が広がる。
水面下では小さな昆虫たちがひしめき合い、黒色の巻貝が藻をはんでいる。
時雨は久々の日差しの下を、軽やかに走っていく。
桐谷から山荘までは大体2時間かからないくらいだ。
時折畑も交じり時雨の横を流れていく。
少しずつ大きくなりだした深い緑色のかんきつの実が日の光を照らしている。
そして山荘のある山を駆けのぼり、祖父の待つ家まで戻ってきた。
「おじいちゃん、ただいま!」
時雨は元気いっぱいに玄関を開けて挨拶する。
おお、おお。と高屋は嬉しそうに駆け寄ってきて抱きしめてくれた。
「よう、帰ってきた!」
そのまま時雨を抱きかかえて高い高いしてくれる。
もう時雨は高い高いされるような年齢ではないだろうけども、初めてしてもらう高い高いはとても新鮮だったし、楽しかった。
「お母さんに、会えたよ。」
それから居間でお互いの話をしばらく続けることになる。
時雨からもこれまでどのように過ごしてきたのかについてたくさん話した。
高屋の方からは時雨の家族や、水の民のことについて話した。
話す内容は尽きずやがては日が暮れていく。
――――
山荘の周りでは鈴虫がりんりんと鳴くようになった。
夏に鳴く種類もいるらしい。
満月の下で高屋はまた夜空を見上げていた。
「お悩みですか?」
藤原が声をかけて横に立つ。
高屋は彼女をちらと見て、ほっと息を吐くように「ああ」と答えた。
「あの子に両親について話したんだ。もしかしたら…時雨は落ち込んでしまうかもしれない」
高屋は思わずうつ向いた。
話さないわけにもいかなかっただろう。
それにいずれはどのみち話すことになるはずだ。
ただそれが時雨を悩ませてしまうのではないか。
まだ早かったんじゃないかと。
ずっと考えていた。
「…」
藤原は高屋の話と悩みをただ真摯に聞いていた。
「…たとえ両親がどうであったとしても、あの子はあの子です。」
藤原は独り言のようにつぶやいた。
高屋はその言葉に少し驚いたようにはっとしてそれもそうだなとうなずいた。
夏の大三角形が桜の幹の間を縫って顔を出している。
夏にもなればもうずっと桜の木は深い緑色の葉を茂らせていた。
小さなお庭に植えられた植物たちはそれぞれに花を咲かせたり、あるいは元気よく枝を伸ばしていたりとまちまちの様子だった。
ーーーーー
それから2週間ほどだった。
高屋に少しだけ指導してもらって水系統の能力の使い方を教えてもらった。
終始高屋は自信なさげだったからおそらく高屋は自信がないのだろう。
それでも時雨には十分な修行になった。
…水の民。
今や二人しか残っていない種族。
大昔に桐谷に存在した泉から生じたとされる。
体のほとんどが水で構成され、能力の系統も水に偏るらしい。
術の使用と霊力の量に長けている。
水中でも呼吸が可能で主に水辺に棲んでいたようだ。
人間と変わらぬ社会性と知識を持ち、京人と比較しても劣らぬ身体能力。
川辺に住む集落と、海に住む集落の両方があったそうだ。
控えめながら人類との交流もあるとされている。
京とのかかわりもそれなりに深く、京周辺の海の統治をおこなっていたらしい。
商業、軍事力、輸送、護衛など様々な役割をそつなくこなす。
ちなみに「村上水軍」という、人間の間でもよく似た役割を持つ集団がいたらしい。
たくさん教えてもらったことをしっかりとメモしておいた。
今後に何か関わってくるかもしれない。
自分の先祖について知っておくのは大切だ。
(かつて晴斗との一件で歴史を学ばないことの悔しさを知ったから。)
愛刀の手入れをしながら時雨はずっと考え込んでいた。
祖父から聞いた両親の話。
まるで自分とはかけ離れているような人だった。
風が吹いて優しく時雨の髪を揺らす。
自邸の二階にある小さな部屋。
自邸の二階はただ一部屋しかない。
遠くの山でトンビが飛んでいるのが見えた。
だんだんと気温は上昇し汗をかくことも増えてきたように思う。
時雨の服装も前よりさらに丈が短くなって薄手になっている。
美空はちょうど今庭で作業をしている頃だ。
帰ってきてから何を経験したのかお互いに共有し合っていた。
美空も美空で大きな任務にあたっていたらしい。
他の同期の人もずんずん成長しているとのこと。時雨も負けてられないなと意気込んでいたところだ。
この間完成させた圧力と水の合わせ技。何度も反復練習をしたが、基本的には失敗するばかりでまと使えるわけではなかった。
失敗すると圧力の向きがおかしくなって破裂する。下手すれば自分がケガするような威力が大きなリスクだ。
水流操作で内側の水を密閉しとても高い圧力をかけていく作業。難しくないはずがない。
でもあの巨影と戦う時に失敗するよりかは随分とマシだろう。
それにこれから少しずつ練習して行けばいい話だ。
久々の休暇だから何かしようとも思ったのだが、あいにく趣味らしいものもないのでずっと鍛錬してばかりだった。
趣味があったほうが豊かになるのだろうかと思ったりはする。時雨は美空みたいに何か一辺倒になれるわけではなかった。
趣味を持っている人はなんだか眩しく見える。
――――
そうして夏の始まりは過ぎていった。
鳴くのが早いセミが静かに鳴いている。
夏本番になるともっとうるさいくらいの声量のセミが鳴き始めるから、あれにくらべればずっと心地よい鳴き声だ。
つぼみをもたげ始めたひまわりを横目に見ながら時雨は奉行所に赴いた。
今回の任務で一緒になったのは、同期の1人の播磨くんだ。
前京の中に現れた怪人を完封したと大きく噂になった期待の新人である。正直なところ時雨からしたら少々部類の違う人だという印象だった。
実際に打ち合わせをしてみて、時雨はなんだか妙だぞと思うようになった。
「俺はそんな凄い人じゃないよ」
俯き、そして自信なさげに播磨は自分のことを言うのだった。
普通期待の新人と呼ばれたり、怪人を完封してしまうくらいだからもっと自信にあふれていてもいいではないか。
播磨の髪は焦げ茶色のマッシュヘア。時雨よりも濃くて青い瞳が印象的だった。
もしかすればこの人はすごくストイックなのかもしれないとも時雨は思った。
才能に恵まれていても胡座をかくようでは京において大成などしないというのは常識だ。
長い寿命に加えそれぞれ独自の力を持つことからも差別化が容易であること、そして努力の重要性が飛躍的に上がることが原因だとされている。
きっと播磨くんはこれから大成するような子なのだろうと時雨は納得した気分になっていた。
それからお互い何ができるのかをあらかた話した。途中言うのを渋っていたが、言いたくないなら無理に言わなくてもいいと時雨が言うと播磨くんは目を見開いていた。
播磨くんはまつ毛が長くて、自然とカールしているらしく目元がすごく綺麗だ。
今回相手にする怪人は等級が4。夏になってから怪人は種類にもよるが元気になったり、逆にしなしなになってしまったりする。
もちろんしなしなになってしまったやつはかなり大人しいので相当危険な怪人でない限りはわざわざ討伐しなくても良い。
カマキリの異獣。
カマキリというと鎌の怪力が特に目立つだろう。
正直捕まってしまうと厳しいものがある。反射神経も凄まじいため速さでは完全に後手に回ることになるだろう。
正面切っての戦いはしたくない。
どうしたものかと時雨は考えあぐねていた。
「時雨。奇襲に気をつけてね」
播磨はそっと本に目を通しながら時雨に注意する。
カマキリの主な戦い方は相手を不意打ちすること。枝に隠れやすい緑色もしくは茶色の身体に細い体。
時雨はここで初めて知ったので、これは播磨にしょっぱなから助けられたなぁと感心してしまう。
感心しているだけじゃだめだと時雨は再度情報を集めるようにする。
それから夕方頃になって討伐に出かけることになった。
影が長くなっている。
オレンジ色の空の向こうで数羽のカラスが飛び交い、鳴き交わしている。
黒い羽が落ちてひらりひらりと舞って家のそばに落ちてくる。
少し早いトケイソウの花の雄しべに引っかかって、そのまま暫くはゆらゆらと風に揺られながらそこに留まっていた。




