ケンカをした場合(二)
二、三回目を擦り、叫び声を上げて存在をアピールした椛である。
若干一歳と数カ月。見た物全てが珍しく、そして守られるべく存在であることを自認する乙女、には早い、只の赤ん坊である。たどたどしい歩みで自陣を出発し、何か面白いことはないかと見回せば。
何だ。人が寝ている隙に、面白そうなことをしているではないか。
「ニャーッ」「あー椛ダメッ。あっち行ってっ!」「ニャーッ」
薫にどやされてあえなく撤収。な、訳はない。薫に手を出そうが足を出そうが、自分には強力な味方が居るからだ。ちょっとアピールすれば、直ぐに許可が下りる。ほれ、許可出せ許可。
『ジュウゥ。ガコンガコンッ』「ヒッ! アチッ!」「ニャー」
母親は立ち入り禁止領域で悪戦苦闘中のようだ。椛は念の為にもう一度呼び掛けるが、反省光線が放たれる様子はない。それされあれば再び薫の所へ行き、好き放題出来るって訳。ムムム。使えん。
「ニャーッ!」『ペチペチ』「動くから止めといてぇ」『ペチペチ』
こうなりゃ仕方ない。椛も手の方が痛いので余り叩きたくはないが、偶にシュークリームを買って来る奴を起こさねばならぬとは。
しかし、明人の腹に寄り掛かっている薫にすれば、椛の行動は許されざる行為に他ならない。それは椛と違い、偶にシュークリームを買ってくれるから、ではなく、不意に起きてお腹が『ボンッ』と膨れたら、ソファーから弾き飛ばされてしまうから。となれば当然、赤いピースが埋まりつつある千葉県だって、崩壊の危機に晒される。
「ニャーッ」『ペチペチ。ペチンッ!』「にゃぁ?」「あっ起きた」
怒りの全力張り手が効いたのか、明人が片目を開けた。
何か胸から首筋に掛けて赤子の手みたいなのが当たっていたが、『叩くならお腹か背中にしろ』と、常々言っている夢を見ていた。
暴力反対を訴える明人は、当家の女子三人に口を酸っぱくして訴えていたこと。それは『叩いて良いのはお父さんだけ』である。
言うことを聞くかは別として、特に椛はだが、薫には『ぶっちゃダメ』と目を剥いて言い聞かせて来た。その代わり、全力でぶつならお父さんの『お尻』を。ビンタするなら『お腹』、グーで殴りつけるなら『肩』『背中』『腰』の三か所に許可を出して来た。
見れば椛が不満そうにしつつも薫には手を出さず、こちらにペチペチしているではないか。うむ。教育の成果であろうか。良し良し。
「どうした椛ぃ」「ちょっと動かないでぇ」「にゃぁ」
三者三様。ソファーを中心とした狭い世界で思惑が動き出す。
千葉県を崩壊の危機から守りたい者。椛を捕まえて、髭でジョリジョリしてあげようとする者。そして我に全権を与えよと迫る者。
「ほらぁ。ジョリジョリ好きだろぉ」「ニャー」「ちょっとっ!」『ガシャンッ!』「ほらぁ。薫ぇ。気を付けなさぁい」『ガコンガコン。ジューッ』「私じゃないぃいっ!」「ニャー」「Zzz……」
椛が緊急避難したお陰で千葉県が崩壊し、美雪から形だけの注意。そしてソファーの背もたれの陰に隠れ、美雪から死角になっていた明人は、素早く寝たフリをする。一人怒られたと思う薫は、約束通り明人の腹をペチンとやるが、それで怒りが収まる訳も無し。
大体椛にしたって、緊急非難した先で千葉県を構築中だなんて聞いて無いし、だったら最初から『黙って壊させろ』と思っている。
「ニャーッ」「止めてってばぁ」『ペチン』「ニャーッ」『ペチン』「お母さん、椛がぶったー」「痛くないでしょ」「痛くなかったら良いの?」『ペチン』「……。ニャァアァアァッ!」「ニャニャ?」




