〇×クイズの場合(四)
薫がソファーを飛び降りた。その後は洗面所へ向け、全速力で走り出す。三歳ともなれば勝手知ったる自分の家である。
が、歩き始めたばかりの椛はそうも行かない。そもそもソファーの背もたれに掴まって、立っていたのがやっとである。手を離して座面に倒れ込むと、足からゆっくりと床へ。その頃既に薫の姿は無いが、ニャーニャー言いながら『自称全速力』で洗面所へと向かう。
当然『洗面所』と言いつつ、何故『手を洗うのか』の疑問を挟む余裕は無く、逆に『お手洗い』が『手を洗う場所に非ず』なんて疑義も浮かばない。だから今だ『ニャー』しか言えない訳だが、家族にはそれで十分意味が通じるのだから、本人も当然『人間のつもり』ではいるだろう。ふらふらな二足歩行で明人の足元を通過した。
「いってらっしゃーい」「ニャー」
子供は可愛い。純真無垢で。明人はそう思って頷き掛け、止める。
可愛いのは認めるが、純真無垢なのは用法用量が違った。
今の返事を聞いても判ったではないか。こやつ、単におやつがシュークリームと聞いたからに他ならない。言わば下心有り。故に父親への答えではなく、手を洗いに行った薫を呼ぶ『ニャー』だ。このままだと『自分が最後になってしまう』との危機感があるのだろう。
当然『早い者勝ち』なので明人は席に着く。手はさっき洗った。グズグズしている奴らを待つ言われ何て、何処にも無いのだから。
「お父さんも一緒に手を洗う!」「えぇえぇ」「何で『えぇ』なの。良いから見て来て」「はーい」「ぐっちゃぐちゃにしないでね」
早速立ち上がった明人から返事が無い。美雪は『言葉の選択を誤ったか』と思うが気にしない。『言いたいこと』は伝わったはず。
ほら見ろ。早速薫の声が聞こえて来たではないか。
「椛もやりたいのー?」「ニャー」「ちょっと待ってねぇ」
姉妹が仲良しなのは良いことだ。しかし、教わる方も未熟なら、教える方も未熟。石鹸の使い方一つ取って見ても、用法用量をわきまえているとは思えない。単に『泡立つのを面白がっているだけ』と、見る向きもある。口に入れるのは、もうやらないだろうけど。
しかし、薫自身が台の上に乗って手を洗っている以上、椛をどうにか出来る訳もない。扉の向こうにあるお風呂場とは違うのだ。
「ハイハイ。お父さんと一緒にねー」「ニャー」「嫌なのぉ?」
猫撫で声に非ず。今のは『邪魔すんな』だな。つまり『手を洗うなら私の後にしろ』と、強くアピールしてのこと。食い物のことになれば、例え一歳児であっても順番を譲る気は更々ない。
椛の目。グッと強く明人を睨んだ今の目は『敵認定』である。
残しておいた『最後の一口』を、いつもパクンと食べてしまう輩だからだ。『片付かない』が何だ。『もう要らないのね』が何だ。こちとら一歳児。好きなときに、好きなだけ食べる。そんな自由と権利を有しているのだ。人なら先ずは言葉の意味から説明せよ!
「高い高いぃ」「ニャー」「はい石鹸」「ニャー」『ゴトン』
突然持ち上げられて視界が広がる。そこで伸ばした手に突然重い物が載せられた訳だが、当然の様に滑り落ちる。
あぁ、結構使い込んだ石鹸だから、大分小さくなっているのだが、椛の手にはまだ大きかったか。明人は椛を片手で抱え石鹸を拾う。
「はい。ゴシゴシぃ」「ニャー」『ゴトン』「ありゃ。どうした」
今のは明らかに『コレじゃない』のアピール。どうやら石鹸はお気に召さないらしい。そして、一歳児ながら指さしたのは、生意気にも液体石鹸の方ではないか。明人が使ったことの無い奴。




