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第十二章 「衝突」

 †

 デュラハンは、訳がわからなかった。

 キリアが突然、変わってしまった。

 姿はもちろんだが、価値観までがらりと変わっていた。

 どうしてこんなことになったの?

 いったい何が起こったの?

 何とかして追いつかないと、キリアが遠くへ行ってしまう。

 あたしの気持ちも知らずに、キリアはどんどん先に行ってしまう。

 止めないと……。でも、キリアのことが理解できないから、止められない。

 ああ、どうしたらいいの!


 こんな状態で話を聴いてはだめだ。キリアのことを誤って理解してしまう。

 デュラハンは、そう自覚していた。

 今のキリアの状況は、さっぱり理解できていないが、ここまでにキリアから語られたことはキリアのことを理解するのに十分な情報だった。

 あともう少しで、自分の心の平穏とキリアとの完全一致を獲得できる。

 キリアの聖杯を、あたしの疑似聖杯が吸収し尽くすことができる。

 デュラハンは、自分のいらいらが悟られないように懸命に表情を整えて、キリアに「これからのことをいっしょに考えていこう」と伝える。

 キリアは、デュラハンの様子を伺いながら、恐るおそる了承した。

 デュラハンは早速、キリアに尋ねる。

「現在、キリアの周辺にミレナ先生やマリアのような憧れの存在、もしくは、キリアが語ったような生き方を実践している人は近くにいるのか?」

 キリアは、少し考えた後、「それはリンかもしれない」と答えた。

「ザ・インダクションで初めてリンと対峙したとき、彼女には、マリアやミレナ先生に似ているところがあると思ったわ。それは、彼女が前を向いて突き進んでいるように見えたから。自分のことを絶対的に肯定して、ゆるぎなく前を向き、迷いなく駆けていく。それを強いられているのではなく、楽しみながらできているところが、マリアやミレナ先生みたいだった」

 キリアは、リンのことをとても楽しそうに語っている。

 あたしは、追いつこうと必死なのに、キリアは別の方向を向いている。

 いらいらが大きくなる。

「あのときの、リンのアンコールバーストが迫りくる光景を見て、わたしも彼女のようになりたい、なってみせると思ったの」

 デュラハンは、キリアの視線を捕まえるように、彼女の目をまっすぐ見ながら尋ねた。

「リンのようになりたいとは、どうなりたいということなんだ?」

「リンのようにとは……」

 キリアは、斜め上を向いて楽しそうに考える。少しの間をおいて、話し始めた。

「自身を持って、前に進みたい。周りを恐れてびくびくせず、さわやかに、これでいいと認めて、よそ見せずに走り抜けたい」

 キリアは顔を赤らめ、微笑んでいる。


 キリアが満面の笑顔で、自分の少し先の未来に思いを馳せている。

 ――彼女の笑顔がうれしい。

 デュラハンは、だんだん表情が豊かになっていくキリアを愛おしく思っていた。

 ――彼女の笑顔が妬ましい

 同時に、自分の心からどんどん離れていくキリアに怒りを覚えていた。


「走り抜けた先で……、キリアにとって、リンはどんな存在になっているんだ?」

 キリアは、こぶしを握り締め、真摯な態度でデュラハンに語る。

「リンは、隣にいたら無視できず、常に背筋を伸ばして向き合うような存在。負けたくないと思うアイドルだ。リンは、憧れの存在ではあるけど、より正確にはライバルという言葉がふさわしいかもしれない。昔のわたしなら、彼女が前を向いて進み続けることに劣等感を覚え、リンに対して、わたしを認めて、と思ってしまいそう……。でも、今なら、他者に縛られずに、前に進み続けることで、自信を持って並び立つことができる」

 キリアは大きくうなずいて、はっきり宣言する。

「早くリンと会って話がしたい。これからライバルとして、いっしょに前に進みたいって言いたい!」

 キリアとリンは出会っていない……?。

 おかしい。

 ザ・インダクションのとき、対峙したリンの言葉がよみがえる。

 ――四年前、そう……、わたしが二つの絶望に直面したとき、あなたに救われたんです。その絶望を二つとも払ってくれました。

 そうだ。

「キリアは、すでにリンと会っているぞ」

 小さい頃にイドラから命を救ってもらったこと、余命宣告による絶望からすくい上げてもらったことで、リンは、キリアに憧れてアイドルになったことを伝える。

 キリアは、驚きで目を丸くし、これ以上ないくらい満ち足りたような表情をデュラハンに見せる。

 どきっとするくらい鮮烈で、ほっとできるくらい和やかになれたが、じくじくと心が痛む。

「何だか不思議な気分だ。自分に憧れてアイドルになったなんて、今まで言われたことがないよ。こんなに不完全なアイドルで、不完全な人間なのに、憧れてもらえるなんて……」


 キリアは遠くを見つめていた。

 切ない表情で、リンを探していた。

 あたしを通り越した先を見ているようだった。

 あたしのことは、もう見ていないのだ……。


 もう、見ていられなかった。

 もう、聴いていられなかった。

 手を伸ばしてもつかめない、止められないもどかしさ。

 手を伸ばすことさえも気おくれする孤独感。

 キリアに裏切られた……。

 いらいらが渦を巻き、怒りが湧き上がる。


 あたしがこう思わなきゃいけないのは、なぜ! どうしてなの!

 デュラハンは湧き上がってきた怒りに火をつけ爆破する。

 突然、勢いよくいすから立ち上がる。

 がたっ! がん! ごろん!

 大きな音を立てて、いすが後方へ転がっていった。


 キリアが、おびえるような顔でデュラハンを見上げる。

 デュラハンは、激しく燃え上がった怒りを、ありのままにキリアにぶつける。

「もういい! キリアのことがよくわかった。キリアの聖杯や体を支配するには十分だ」

 デュラハンの言葉を聞き、キリアは「そうだった。この対話は、それが目的だった」と、寂しそうにうつむく。

「それに、ザ・インダクションのときと同じように、またアイドル・アドミレーションを突然に発現した。さっきまでの鎧と服はどうなったんだ! 今の姿は何なのだ! いったい何が起こっているのかさっぱりわからないよ!」

 キリアのことを責めるように見つめながら、続ける。

「対話が進めば進むほど、おまえの表情やジェスチャー、声の調子が目まぐるしく変わっていく。そして、おまえが語る内容を理解するのが難しくなってきた……。あたしはすごく不安になってきたんだよ。『ああ、そうか!』って叫んでいたけど、何に納得したの?」

 頭を抱えて、目を伏せる。

「まったく理解できない! 知りたい、わかりたいのはあたしの方だよ! もう、キリアといっしょにいると、心がざわざわして落ち着かない! おまえはいったい何者なんだ!」

 キリアはデュラハンに対して、反論する。

「そんなふうに言わないでよ! わたしだって何が起こっているか、わからないの! なぜ、そんなに怒っているの? わたしこそデュラハンのことがわからなくなったわ。あんなに親身になって話を聴いてくれたのに、どうしていきなり変わってしまったの?」

 デュラハンは、自分の心の中がにある感情がよくわからなかった。

 あたしは、キリアのことが好きなんだろうか? 嫌いなんだろうか?

 デュラハンは何も反応ができない。

「それに! 結局、わたしのことをわかっていないじゃないか。わたしの何がわかったというのだ!」

 デュラハンは「そんなことない! わかっているよ!」と声を荒げる。

 自分が、キリアのことをどれだけわかっているか。

 それを示すために、ここまでの対話から理解したキリアの人生、キリアのストーリーを自分の言葉でまとめて、キリアに披露した。


「キリアは家族から虐げられていた。

 親から子へふるわれる暴力の現場を見せつけられ、家族という関係の中に不信、妬み、恨み、蔑み、無関心が隠れていることを知った。

 そして、自分も蔑みや無関心の対象になっていることを知った。どんなにがんばってもフィードバックがないこと、ほめてもらえないこと、評価されないことが、とてもつらかった。

 また、両親が成功するための政略結婚の道具として利用されることを知ったとき、失望と絶望を味わった。

 やがて、キリアは家族と関係することをあきらめた。

 だが、家族の方は引き続き、キリアを無言の圧力で利用し、従わせようとする。キリアはそれにがまんし、息苦しさに耐えて、暴力が自分に向かってこないように生き抜いてきた。


 そんなキリアを癒してくれるミレナ先生が現れた。

 ミレナ先生はキリアのがまんや苦しさをわかってくれた。

 それに、マリアのことを知るきっかけも作ってくれた。キリアは、そのマリアに憧れてアイドルを目指すようになっていた。

 しかし、恩人であるミレナ先生は、家族によって、キリアから引き離されてしまった。


 ミレナ先生と別れたあと、キリアは孤独にサバイバルを続けていたが、ジュリアによってアイドルにスカウトされ、そのサバイバルから解放される。

 アイドル活動にやりがいを感じていたが、家族に対する失望や絶望と同じような感情が湧いてきた。その原因は、キリアをアイドルにスカウトしたジュリアだった

 憧れのマリアのようなアイドルになるきっかけをくれたこと。

 家族から離れる口実を作ってくれたこと。

 キリアはジュリアにとても感謝していた。

 しかし、スカウトのときに感じた大きな期待とは裏腹に、キリアがアイドル活動に慣れたころには、もうキリアに無関心となっていた。ほめられず、評価もされない。怒られることさえなくなっていた。

 キリアは、その心の中で、もっと見て! もっと評価して! もっと称賛して! という嫉妬や不満、焦り、恨みを抱え、それを必死にがまんの力で抑えていた。


 家族といっしょだったときも、憧れのアイドルになってからも、結局は何も変わっていない。

 おまえは、ミレナ先生と同じように、家族やジュリアに評価してもらいたかったんだろう?

 キリアは、誰かに自分を評価してもらいたいんだ。そうしないと生きる資格がないと思っている。評価されないことにずっと飢え、充たされない思いを抱えて、ずっと苦しんでいた。

 キリアは、家族の話をするときや、ジュリアの話をするときは、本当につらそうな表情で、苦しそうに語っていた。

 その苦しみから解放されるには、単純にたくさんの評価をもらえばいいんだよ。

 誰かの評価を得るために、より強くなって、失敗せずに、完璧にやり遂げる。

 そうすることで、もっと自分を磨いて強くなればいい。他者の中に埋もれる前に、他者より強くなって、他者を倒して、自分を残す。

 そして、誰かに評価されて自分の居場所を確保するんだ。

 他者の中で最も重要なライバルは、リンだ。

 アイドルとしてもっと強くなり、リンを打ち倒し、より大きな評価を得ることで、おまえを虐げていた家族やジュリアに復讐する!

 これが、キリアのやりたいことだ……」


 デュラハンによるキリアのストーリーの披露が終わった。

 終わった途端に、キリアが静かに立ち上がる。目線が合う。キリアの瞳から、ものすごい怒りが伝わってくる。

「そんなストーリーは、わたしのストーリーじゃない! わたしは、リンを倒したいわけじゃないし、あの人たちやジュリアに復讐したいわけじゃない!」

「そんなわけがない。家族やジュリアにあれほど虐げられたんだ。復讐したいに決まっている! それに、リンを倒せば、マリアに評価される。そうなれば、ノヴム・オルガヌムでの位階が上がり、好きなように活動することができる。家族やジュリアを自分の前でひざまずかせるチャンスを手に入れることができるんだぞ?」

「だから! わたしはそんなこと考えていない! この対話で、復讐したいなんて一言も言っていない!」

 デュラハンが声を荒げる。「うるさい!」と叫び、キリアをにらむ。

「今はあたしが主体なんだよ! キリアのやりたいのは、誰かを倒し続けること。それを極めて、ライバルを倒し、自分の実力を認めさせることなの! そうとしか考えられないわ」

 キリアは、デュラハンに負けない大きな声と迫力で、さらに食い下がる。

「違う! わたしは……、デュラハンと同じじゃない! デュラハンが語ったわたしのストーリーは、デュラハンのものだ!」

 デュラハンはどきりとする。図星を指され、絶句した。

 確かに、キリアのストーリーを話していたとき、キリアと自分の境界線がわからなくなった。

 あたしは、あたしの思い込みで、キリアのことを操作しようとしているのだろうか?

 キリアは、涙目で訴える。

「デュラハンに話しを聴いてもらって、いろんなことがわかった。あなたが語ったことがすべてじゃない。わたしのことをちゃんと聴いてほしい。」

 キリアは、デュラハンとの対話によってわかったことを整理して、自身のストーリーを、自分の言葉で語り始めた。


「わたしが生まれた家は、少し特殊だった。

 周りにいるあの人たちが怖くて、怯えながら暮らしていた。

 いつ傷つけられるのか、毎日びくびくしながら暮らしていた。

 そんな生活は、自分で自分を無くしていくようだった。

 そうしないと生きていけなかった。

 いつの間にかあの人たちと話すことができなくなっていた……。


 家の中で生き抜くために、わたしはあの人たちから課された習い事や勉強に集中した。

 その結果、あの人たちと話すことができないのに、自分ががんばって良い成績を得たときにほめてもらいたくなってしまった。無くした自分を、誰かの承認で埋めてもらいたいと思ったのかもしれない。

 しかし、家族からの称賛は一度もなかった。

 これは、わたしが両親の人生をよりよくするための道具だったからだ。道具に対して「よくがんばった」とほめる人がいないのは当然だ。

 わたしは、「わたしが私であること」を否定された。

 わたしの心を、自分で充たすことができず、他人で充たすこともできなかった。

 ますます自分が無くなり、わたしは空っぽになった。


 アイドルとなった後、ジュリアに対しても、あの人たちとの間であったことと同じ気持ちを味わった。

 ジュリアは、わたしがアイドルになるために、いろいろなサポートをしてくれた。

 ジュリアにとても感謝していた。

 しかし、ジュリアはわたしのことを見てくれなくなった。

 ジュリアの期待通りに成果を上げても称賛してくれなくなった。

 わたしがアイドルであることは、ジュリアに認めてもらうことが大前提だった。だから、わたしのファンや他のアイドルから称賛されたとしても、まったくうれしくなかった。

 わたしをもっと見て! わたしをもっと認めて! わたしをもっと称賛して!

 焦り、不安、不満、あきらめ……。心の中で膨れ上がる黒く重い気持ちを、がまんの力で抑えて、丸め、それを燃やして輝く力に変えていたんだ。


 わたしの生き方はどこか変なんだ。

 他人との距離感がまったくわかっていない。

 それに、誰かに自分のことを見て、認めてほしいのに、わたし自身がその自分を二の次にしている。そんな人間が見られること、認められることなんて……、ない。

 しかし、わたしは、自分の生き方の中に例外を見つけた。

 それはミレナ先生と過ごした時間だ。

 ミレナ先生は、自分を表現することが好きで、その自分が他者に理解されることにやりがいを感じることができる人だ。

 そして、のびのびと楽しくさわやかに生きることができる人だ。

 ミレナ先生は、わたしを見て、わたしの心に寄り添い、わたしの心とともに感じてくれた。

 わたしのことを、目の前で見て、触れて、聴いて、わたしがいることを見つけて、認めてくれた。だから、わたしは安心して、わたしであることを表現することができたんだ。

 ミレナ先生と過ごした一年間で、わたしはさまざまなことを学んだ。

 自分の感性と価値観を表現すること。

 他人を受け容れること。

 自分のやりたいこと、なりたいことを意識して行動すること。

 空っぽのわたしが、いくら時間をかけても何も出てこなかったのに、ミレナ先生と出会ってからは、歌とダンスが好きになっていた。

 そして、マリアのライブ映像を観てからは、マリアのようなアイドルになることが将来の夢となった。

 それに、ミレナ先生とのお別れのとき、これまでに自分が逆境を生き抜くために身に着けた性格や価値観、知恵は、誇っても良いものだと肯定された。

 あの人たちとの暮らしで身に着けてきたもの。

 ミレナ先生から学んだ表現する力と受け容れる心構え。

 わたしは、すでに持っていたこれらのことを、上手く使いこなせていなかった。

 でも、この対話で、改めてこれらの大切さを理解できた。だから、これからは今までより上手く生きることができる!

 この瞬間、わたしは生まれ変わったんだ!


 わたしは、これからこんなふうに生きていく。

 わたしであることを安心して表現できる場所をつくる。

 ――それは、誰かの近くに寄り添い、相手にとって安心できる場所をつくることから始めていく。やがて、その場所が自分にとっても安心できる場所になるはずだ。

 自分や自分の好きなものを、他人に対して好きだと言えるようになる。

 ――他人の評価や承認を一つの意見だと思うことができるように、もっと自分を大切にしていく。

 自分の未来も好きになる。自分の「やりたい、なりたい」も大切にして、好きになる。

 ――今まで誰かに認められないと生きられないと思っていた。だから失敗することが怖かった。でも、自分が好きって言えたら……、失敗してもいいと思えるようになった。やりたいこと、なりたいことを言ってもいいって思えるようになった。

 願わくは……、

 マリアのように、何かを極めて、欲しい物を全部、手に入れる人になりたい。

 ミレナ先生のように、目の前のものを受け容れて、自ら楽しめる人になりたい。

 リンのように、まっすぐ前を向いて突き進める人になりたい。


 今ここにいるわたしは、わたしの心そのもの。

 その心が、ぼろぼろの服とひび割れた鎧でがんじがらめにされた状態から解放された。これは、心の状態が大きく変化したということだ。

 わたしは、今話した「これからのこと」が実行できる自分に変わった。

 この姿がその証拠だ。


 キリアによるキリアのストーリーの披露が終わった。

 つながりが、ぷつんと切れた。

 近くにいて、自分の問いかけに反応してくれるキリアが、遠く離れていく。

 気持ちの整理がつかない。

 大切なもの、そこにあると期待するものがない。

 そのときの不満と寂しさ、そして、怒りが急に立ち上がる。

 デュラハンは、その怒りを抑えられなかった。

「変わった? いったい何が変わったのだ! あたしから見れば、何も変わっていない! ただ姿が変わっただけだ! 今の対話で、何ができるようになった? 何を覚えた? どれだけ強くなった?」

 キリアはひるまず、反論する。

「今までと違う考え方ができるようになった! わたしは違う生き方が選べることを覚えた! もう前の自分に戻らないことを決意できるくらい強くなった!」

「精神論だ! 変わったこと、変われることの証拠にならないよ! あたしだけじゃなく、みんながそういうよ! 今、ここだけの決意だ。どうせ数か月経ったら、おまえは、家族やジュリアのときと同じように、誰かに認めてもらいたくなるんだ。なんの意味もないよ!」

 デュラハンは言い放った後、うつむく。

 キリアからの反論はもうなかった。デュラハンは、ほっとする。

 よかった。ようやくキリアが止まってくれる……。

 ふと、あたしはキリアに止まってほしかったのか、と気づく。

 離れないで、遠くに行かないで、あたしはそう伝えたかったのだろうか? でも、他の言い方なんて知らない。


 沈黙が続いていた。

 キリアはどうしたのか。様子を確かめるために顔を上げた。

 そこには、涙にぬれる大きな瞳があった。口を真一文字に引き結び、強く真摯なまなざしでデュラハンを見据えていた。

 まるで、切り刻まれる痛みに耐え、剣を握りめて、あきらめずに立ち向かっているような瞳だった。その瞳は、キリアが変わったことを証明しているように見えた。


 デュラハンは、再びうつむく。

 もうキリアを止められない。そう思ったとき、心がすっと冷えていくのを感じた。

 心の温度が伝わるように、体も冷えていくようだった。キリアが止まってくれることを期待してうれしくなった表情も消えていく。

 デュラハンは、うつむいたままつぶやく

「もうキリアは待っていてくれないのか……」

 それならば、あたしは、自分のやり方でキリアを止めることで、キリアを守って自分も守る。

 そうだ。あたしが代わりに、キリアの両親とジュリアとリンを打ち倒してやろう。

 打ち倒した後、キリアの前でひざまずかせてやろう。

 倒すまでの間、キリアには、あたしの中で眠っていてもらおう。


 デュラハンは黙ったまま、キリアを見返す。キリアの強くまぶしいまなざしを正面から受け止める。

 そして、腰にはいた大剣を抜き、大剣をキリアに突きつけた。

 キリアは驚きを隠せない。涙が引いていた。

「いったいどうしたの?」

 デュラハンは、落ち着いた優しい声で、キリアを諭すように話しかける。

「わかった。もう心配しなくてもいい。キリアのやりたいことは、すべてあたしが引き受けるよ。キリアは家族やジュリア、リンから逃げているんだよ。自分の力を高め、立ち向かって、彼女たちを倒さないと、誰も認めてくれないからね」

 キリアは、大剣にひるまず、一歩前に踏み出す。

「違うよ! 何度言えばわかるの。わたしのやりたいことはそんなことじゃない!」

 デュラハンもさらに一歩前に踏み込む。大剣がキリアの顔の目前にまで迫る。目で威圧しながら、「あたしの話を聴いて」とキリアを無理やり黙らせる。

「キリア。あたしがキリアのやりたいことをやり遂げるから、その間は聖杯の中で眠っていてくれないか? キリアが目覚めなければ、あたしはこれまで通りの実力を発揮できるの」

 キリアは、眉をさらにひそめ、鋭い目つきでにらむ。

 デュラハンは言い訳をするように付け加えた。

「決して、キリアが邪魔だからじゃないの! キリアとの対話を大事に思っているからなの。すべてをやり遂げた後、また対話しましょう」

「この対話で、お互いのことがわかって、良い形で聖杯を融合させることができると思っていたのに……、結局、わたしを黙らせることにしたのか!」

「違う! 将来的により良い関係となるための眠りなんだ。キリアが眠っている間に、キリアの環境を劇的に変えておくから」

 キリアは汚らしいものを見たように顔をしかめ、目を背ける。

「もういい! もう帰って!」

 デュラハンは、キリアからのはっきりとした拒絶の意思に、どきりとする。キリアから拒まれたことが恐ろしくて、身がすくんでしまう。声も出せなかった。

「なら、わたしが出ていくわ!」

 キリアの出ていくという叫びにデュラハンが敏感に反応する。

 止める。

 キリアを止める。

 キリアを殺してでも止める。

 デュラハンは、立ち去ろうとするキリアに向かって、大剣を振り下ろしていた。

 キリアは、とっさに自分の長剣を輝化してデュラハンの大剣を受け止める。

 ぎりぎりと互いの剣の刃がかみ合う音。

 二つの刃の向こう側にキリアの悲痛な表情が見えた。

 止めないと……。

 デュラハンは、それ以外考えられなくなっていた。

 大剣をしっかり握り、一振り、二振りとキリアに振り下ろす。

 熱に浮かされたように、待って、行かないで、とつぶやいていた。

 キリアは二年のブランクなど少しも感じさせない動きと、力強い剣さばきで、デュラハンの攻撃を軽々と防ぐ。キリアが軽やかにステップするたびに、ひらひらと白いワンピースのすそが舞う。聖杯の底の暗闇の中でも白く映え、まるで、幽霊と戦っているようで、戦っている実感がつかめない。

 それが、デュラハンをもっと焦らせる。

 自分も鎧を脱いで、身軽になりたい。でも、そんなことできない。

 身軽にならないと、キリアが出て行ってしまうのに……、なぜできないの? いつでも脱げるはずなのに、脱ぐことができない!


 何合もの斬り合いの後、間合いを取る二人。

「なんで、あたしのストーリーじゃいけないの? もっと強くなって、他人を排除すれば、たくさん評価されるよ」

 キリアは剣を構えながら、一歩間合いを詰める。

「心が変わったぐらいじゃ、他人や環境を変えることなんてできないよ」

 キリアが、もう一歩近づく。

「わかってよ! キリアが話した生き方では、どうにもならないの。そのままの自分をさらしたって、何も手に入らないんだ」

 キリアは無表情だった。デュラハンの話を聴いているのか、聴いていないのか、まったくわからなかった。

「あたしにとって、そんな生き方は何の意味もない。あたしは求められたこと、みんなが必要だと思うことをやり遂げて評価される。有無を言わせないぐらい完璧な結果を出して、他人を圧倒するぐらいの存在を示す。そうやって許されることで居場所を守っていくの!」

 あたしの話がキリアに届いていない。でも、キリアが近づいてきてくれる。

 次第に瞳に涙がたまっていく。話を聴いてもらえない寂しさ、近づいてきてくれるうれしさどちらの涙なのだろう?

 キリアが再び対話できるくらいの距離に近づいた。

 デュラハンは、キリアの顔を見て、安心した。

「待って……、行かないで」

 瞬きをして、大粒の涙が瞳から零れ落ちる。

 キリアは、あたしの顔を見て、闘いのときの緊迫した表情が崩れる。何か悲しいことに気づいて苦しそうな表情になった。

 キリアは自分の長剣を投げ捨てる。そして、あたしの顔をしっかりと見て、泣き笑いのような表情で「わかった……」とつぶやく。

 涙を払ったあとの笑顔で、続く言葉を告げた。

「大丈夫。置いていかないよ」

 キリアの言葉を聴いた途端に、涙がとめどなく流れ落ちていった

 隠していた気持ちを知られた恥ずかしさ、わかってもらえた照れくささ、簡単に理解されたことの憎らしさ、複雑な感情が湧き上がり、泣くことしかできなかった。

 デュラハンは子供のようなあどけなさが混ざった言葉でキリアに尋ねる。

「ほんとうに?」

「うん、いっしょに行こう。デュラハンはこれから何がしたいの?」

 デュラハンは、キリアの表情をうかがい、震える両手で自分の大剣をゆっくりと上段に掲げる。そして、一言だけ告げた。

「今度こそ、リンを倒したい」

 キリアは上を向いて目をつむり、しばらくしてから「うん」とうなずく。

「わかった」

 目を開きながら、短く答える。

 緊張した面持ちでデュラハンの方を向き、両腕を広げた。

 デュラハンは目を閉じ、わあぁと叫びながら、キリアに向かって大剣を振り下ろした。

 キリアは糸が切れた操り人形のように両膝をつき、うつぶせに倒れ伏す。

 彼女は、最後の言葉を残す。

「大丈夫。わたしはあなたを置いていかない。あなたにとってのそのときまで、ちゃんと待っている。そのときになったら、いっしょに行こう……」

 キリアの言葉は聖杯の底の方に向かって落ちていく。

 やがて、キリアの意識はなくなっていた。


 デュラハンは、片手で涙をぬぐい、もう片方の手で自分の大剣を鞘に納めた。

 あたしは決めた。覚悟した。もう止まらない、もう戻らない、最後までやり遂げる。

 あたしの生き方を全うする。

 倒れたキリアは、人間の形を崩し、凝縮されたアイドル・アドミレーションのかたまりとなっていた。デュラハンは、そのかたまりに近づき、さっきまでそこにいたキリアに伝えるように、語り掛ける。

「待っていて。必ずリンを倒すから」

 デュラハンは、イドラ・アドミレーションを集中させた右手で、アイドル・アドミレーションのかたまりをつかみ、渾身の力で床にたたきつけた。

 床が割れてできた穴からアイドル・アドミレーションのかたまりが、聖杯の底に落ちていく。

 深くて暗い、真っ黒な空間に一つ寂しく落ちていった。


 びき、びし!

 自分が立っている床に、ひびが放射状に広がっていく。

 床を破ったことで聖杯の中に作られたドームが崩壊を始めていた。

 床一面に放射状に広がるひび。

 立っていられないほど震動している。

 デュラハンは、もう一度面談の場を見る。

 スポットライトに照らされたいす。

 心の中の風景を映していた書割

 ここからキリアがいなくなったことを改めて確認する。

 その感傷を振り切って、回れ右をする。

 そして、ドームの端へ向かって走り出した。

 ドームの崩壊から逃れるため、そして現実空間に早く戻るため、振り向かずに走り抜ける。

 リンを倒せば、キリアとの関係が上手くいくはず。

 リンを倒して、家族に、マリアに、ジュリアに、仲間に、イドラたちに、白のアイドルたちに、あたしを評価させる。

 そして、キリアと再び向き合うのだ。


 デュラハンは、目を覚ました。無事に聖杯の中から戻ることができていた。

 まだ暗闇が濃い。しかし、目の前の空は、紫色と藍色のグラデーションとなっていた。夜明けが近い。

 イドラの大釜の心地よい浮力から起き上がり、イドラの大釜の底に足を付ける。そこは、胸のあたりまでの深さだった。一帯をぐるりと見回して、陸を見つける。泳いで浅瀬まで行き、その後は、ざば、ざばと歩いて湖畔に上がった。

 静かだった。

 あたしの髪や服から液体のイドラ・アドミレーションがぽたぽたと落ちる音がよく聞こえる。

 人影もない、イドラもいない。

 そして……、聖杯の中のキリアもいなかった。

 デュラハンは再び一人になっていた。


 東の空から朝日が顔を出した。

 朝焼けがとてもまぶしかった。

 朝焼けを背にして、デュラハンは、レンヌ・ル・シャトーへ向かって歩き出した。

「今度こそ、必ずリンを倒す」

 デュラハンは、自分の決意をもう一度口にした。

 キリアのためにも、絶対に負けられない。

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