第十一章 「わたしとあの人たち」
「あの人がミレナ先生なのか?」
デュラハンは、書割の世界から戻ってきたばかりの焦点の合わない視線でキリアを見て、尋ねてきた。
「うん。わたしの大事な先生だよ……」
「そうか。キリアの『大事』という言葉の意味がよくわかった」
「ありがとう。デュラハン」
キリアは、ミレナ先生のことをわかってもらえて、とてもうれしかった。そして、デュラハンとの対話がさらに安全な場所となったことを感じていた。これなら、きっと話すことができる。
デュラハンが改まって、話を始める。
「さっきのミレナ先生との別れのエピソードを体験して、確認したいことがあるんだ」
キリアは覚悟した。デュラハンの目を見つめて、一つうなずく。
「なに、かな……」
「キリアは、親との関係があまり良くなかったのか? ミレナ先生が別れのときに語っていたのは、キリアと親の間のことを話していたのではないか? それに、この対話の中で、キリアの言葉で表現される家族のことは、あまり良いニュアンスで話されていないのが気になっていたんだ」
キリアは、「親」という言葉を聞いた瞬間、冷たい鉄の棒で背中を撫でられるような寒気で、身がすくむ。
「うん……」
キリアは、消え入るような声で肯定した。
「わたしは、あの人たちのことを『家族』と思えないんだ……」
言ってしまった。もう元には戻せない。
デュラハンは……、驚いている? どこか感情を抑えている感じがする。
キリアは、慌てるように続きを語る。
「『あの人たち』っていうのは、わたしの両親と二人の兄、そして家で雇っていた使用人のことなの。……、変だろう? 『あの人たち』なんて。でも、わたしにとってはそれが普通なんだ」
デュラハンは、まっすぐにキリアを見る。
「大丈夫。キリアのこと、疑ってないよ」
キリアは、デュラハンの視線に勇気をもらう。つぐみかけた口が開いた。
「ミレナ先生は出会ったときから、わたしとあの人たちのことをわかっていたみたい。先生はあの人たちと会っていないと思う。たぶん、今みたいに、わたしの話し方とかでわかったんだと思う」
「だから、別れのときに、キリアにあのようなメッセージを送ったのだな」
「うん。たぶん、そう」
いつの間にか、うなだれていた。スポットライトで照らされた床が、真っ白でまぶしかった。
「キリア」
デュラハンがキリアに優しく語り掛ける。
「おまえと、あの人たちとの関係がどんなものだったのか、聴かせてくれないか?」
キリアは、デュラハンが「あの人たち」と表現したことがうれしかった。その気持ちを後押しにして、あの人たちとのことを話そうとした。
しかし、言葉が出てこない。
思い出そうとすると、頭の奥で蛇が這うような気色の悪い感じがする。
その感じが後を引いて、言葉がまとまらない。
胸に鈍い疼痛を感じる。すごく気持ち悪い……。
長い沈黙となっていた。
デュラハンは、キリアを急かすようなことはしなかった。ただ一言だけ「話しても、はなさなくても問題ない。あたしは、キリアといっしょにいるから」と言い、うつむいて待っていてくれた。
キリアは決心する。
「……話すよ」
「ありがとう。どんな言葉でも、ちゃんと受け止めるよ。おまえの辛さをあたしに預けて」
デュラハンは姿勢を正して、キリアに向き合う。
「うん」
キリアの瞳に涙がにじむ。胸のうずきや頭の重さが軽くなった。これなら話せそうだ。
「あの人たちのことを『家族』と思えない……。そう思い始めたのは、きっとあのときだ」
キリアの脳裏に、フラッシュバックが、ちかちかとまたたく。
目の前にある書割も、そのフラッシュバックに連動して、場面が瞬間的に切り替わる。
次兄の訴え、無関心な両親。
長兄の怒り、兄たちの口論。
次兄を侮蔑する父親、嘲り笑う長兄。
父親に殴りかかる次兄、母親の悲鳴。
次兄を罵る父親、次兄を取り押さえ、殴り続ける長兄。
次兄がぼろぼろになっていく。
父親は胸をなでおろし、長兄は大声であざ笑い、母親は顔を背け、使用人は何事もない顔で、目の前の「日常」を観ている。
ああ……、この光景が、わたしが観た最後の「家族」だった……。
続けて、書割が一枚の集合写真を映す。
その写真には、わたしを含めて、五人が写っている。今見ても、たいしたつながりを感じられない。
「それは、わたしが六歳の頃に撮った最後の家族写真だ。わたしは一番左に写っている」
紙に付いたシミを説明するような恥ずかしさで、自分以外の人物を紹介していく。
「中央右に不遜な態度でいすに座っているのが、父親だ。名前は、ガント。確か六十歳ぐらいで、国会議員だった。感情を切り離した効率的で無慈悲な決断ができる政治家だった。強い権力で人を従わせ、しかも、他人に意思があると思っていない、最低な老人だ」
隣の人物に目を移す。
「中央左で必死に余所行きの顔を作っている女性が、母親だ。名前はエリー。歳は、四十代前半だった。中央省庁の官僚で、エリートと呼ばれるような人だった。他人に対して、自分と同じように有能で、理想を持っていることを強要し、そうでない人は怜悧に切り捨てる悪魔だ」
キリアは、自分がこれほど、たんたんと話すことができていることに安心していた。
「中央の二人の肩に手をのせているのが、長兄のイアム。十六歳の高校生。ガントに議員になることを命じられていた。すべてにおいて中の上という成績で、秀でたものを持っていない。自分の価値観さえもガントとエリーにゆだねていて、それが当然だと思い込んでいる変人だ」
もっと吐き気をもよおすかと思っていた。
「一番右でふくれた顔で立っているのが、次兄のロル。十二歳。中学生。言葉は粗野で乱暴。この頃から両親に反抗を始め、非行に走り、警察のお世話になっていた。遠目から見ると、とても怖かった。しかし、それは強がりに過ぎなかったんだと思う。とても臆病な人だった」
少し強くなれたのかもしれない。
「この写真を撮ったのが、家の維持を任された使用人のキイラ。二十五歳。家の中の全ての家事を担当していた。要人警護の訓練も受けていて、有事のときは、母とわたしを優先的に守るように契約されていた。仕事に忠実で、言われたことはきっちり守る堅物だった」
キリアが、ふうと息をつく。そして、再び語り始める。
「この写真を撮った五年後、わたしの中で、「家族」が終わった」
書割からあふれ出す光が再び強くなり、キリアとデュラハンを吸い込んでいった……。
*
珍しく両親が家で夕食を食べることになった。
いつもと少し違う一日の終わり。
使用人が用意した夕食を、わたしと両親、長兄がそろって食べ終わる。
その後のお茶の時間だった……。
ダイニングの次兄のロルがやってきた。
このとき、ロルがダイニングに顔を出すことが、ほとんどなかったため、珍しいことがあるんだな、と思っていた。
ロルは思い詰めた表情でダイニングにいる家族を見回す。そして、改めて決断したかのように力を込めて全員に向かって、「話がある」と切り出した。しかし、家族の信用を失くしていたロルの言葉は、誰の心にも受け止められずに、ダイニングの壁に染みていく。
そんなことは承知の上だったロルは、父、ガントと、長兄、イアムの目の前に座る。
ガントは、ロルを無視するように、自分の視界から外す。イアムは、ロルに刺すような視線を送っている。
そんな二人に構わず、ロルは話し始めた。
「自分は警察で働こうと思う。これまで世話になったおやじに恩を返したいんだ。あの人のように厳しく、優しく誰かを守れるようになりたい。だから、俺はこの家を出ていく! あんたが用意した俺のキャリアは、いらない。」
ロルは一度に言い終え、それぞれの家族の反応を見る。
ガントと母、エリーは本当に興味がない様子でロルの言葉を聞き流しているようだった。
イアムは、歯を食いしばり、込み上げる怒りを抑えながら、ロルを力強くにらんでいた。
使用人のキイラは、何食わぬ顔で夕食の片づけを続けていた。
ダイニングの中では、ロルの言葉などなかったように、皿やグラス、フォークにナイフのこすれる音が続いている。
キリアは、ロルの突然の告白に驚き、戸惑っていた。
家を出ていくなんて、そんなことをしてもいいの?
そもそも、ガントとエリーに、あんなふうに自己主張してもいいの?
なんで、みんな何も言わないの?
キリアは、今何が起こっているのか把握できていなかった。事態はさらに進んでいく。
イアムの抑えていた怒りが爆発していた。
「ロルぅ! お前は、最後まで、好き勝手なんだなぁ! そんな生き方が、許されると思ってんのか! この家の人間として生まれた責任を全うしろよ!」
ロルが反論する。
「『この家の人間として生まれた責任』って何だよ? どんな責任だよ? 何すりゃいいんだよ!」
「父さんと母さんに追いついて、志を継ぐことだよ! お前は、なんでこんなことがわかってないんだ」
「なんだよ、それ! 兄貴の方がおかしいんだよ。変なんだよ。気持ちわりぃんだよ!」
「やめろ」
ガントが、ロルとイアムの口論を止める。
二人の兄は黙り、ガントの方を見る。イアムは申し訳ないように萎縮していた。ロルは、ガントに挑むように目を据える。
ガントは、ロルの方を少しも見ずに、一つ質問をする。
「ロル、なぜ、わざわざ私たちに報告に来たのだ?」
ロルは、ガントの言葉をいぶかしく思いながら、答える。
「それは……、ここまで育ててもらった恩があるからだ」
ガントは初めてロルの方を見る。じっと見つめる。
「本当にそんなことを思っているのか?」
「ああ、そうだよ」
ガントは、ロルのことを、言葉のわからない汚い生き物を見るようなさげすむ表情となる。
「野蛮なけだものでも、一人前のような礼を口にすることができるんだなぁ! そんなこと考えなくていい! お前は生まれも育ちも生き方もけだものと同じだ」
キリアは、ガントが誰に向かって、何を言っているのか、理解できなかった。それぐらい場違いな言葉だと思った。
ガントが、その場違いな言葉を続ける。
「私とだけは血がつながっているが……、母親の血が劣っているんだろう。ふぅん、よく見ると、母親によく似ているよ、お前は」
ロルの顔が青ざめていく。それに構わず、ガントが言葉の暴力をふるい続ける。
「お前は、私の言うことを全く聞かなかった。逆に、お前の言うことも全くわからなかった。十八年回続けたが、こんなに言うことの聞かない人間は初めてだよ。野良犬の方がよっぽどまし、なんじゃないか?」
ロルの顔が真っ青になっていた。それに、涙目になって、がくがくふるえていた。怒っているのか、悲しいのか。テーブルの反対側にいるキリアには判断がつかなかった。
キリアは、ロルと本当の意味で兄弟ではないこと初めて知った。それは、イアムもそうだったらしい。ようやく理解できたというようなすっきりした表情をしていた。やがて、イアムは静かに笑い始める。
「なぁんだ、そうか。そういうことだったんだ。僕とお前は、流れている血が違うのか。お前の方が不完全だったんだ。良かったぁ。安心したよ。お前が、弟ではなかった、こ、と、に!」
イアムがロルに詰め寄り、罵声を浴びせる。真っ青だったロルの顔は、今や真っ赤になっていた。ガントから目を離さず、わなわなと体を震わせて、こぶしを握り締めている。
ぎぃっ、がたん!
ロルが、跳ねるように、いすから立ち上がる。その拍子にいすが派手な音を立てて床に倒れた。あまりに大きな音だったので、キリアやエリー、キイラがロルの方を見る。
ロルは近くにいたイアムを突き飛ばす。そして、こみ上げる怒りを確認するようにテーブルの反対側にいるガントの方に向かって一歩ずつ、近づいていく。
そして、ガントを見下ろす場所に立った途端、ロルは彼の顔面を思いっきり殴った。殴られた勢いそのままにガントはいすから床に落ちる。ロルは逃すまいと、彼に覆いかぶさる。
キリアは、その瞬間にロルの顔を見た。怒っている顔と悲しんでいる顔が半分すつ混ざった複雑な表情だった。それはとても苦しそうだった。
ロルがガントに馬乗りになって顔面を殴り続ける。
エリーが悲鳴を上げる。キイラが、エリーをかばう。
キリアは、今目の前で起こっている事態についていけなかった。怖いと思うことができず、いすに座ったまま、ただただ茫然とロルがふるう暴力を見続けていた。
ガントが、顔面をかばいながら、ロルを罵る。人を深く傷つける言葉が、あまりにも弱弱しく発せられる。ロルが言葉にならない叫びを発しながら殴っているため、ガントの言葉はほとんど聞こえない。
ここは一体どこなんだろう。
キリアは自分いる場所がさっきまでとは違う場所なんじゃないかと感じていた。日常から非日常へ突き落され、くらくらする。
イアムがロルの後ろに立っていた。
手には、ロルが倒したいすの足を握っている。
遠心力を使って、ガントに馬乗りになっているロルの背中を、いすの背で強打した。
ロルは苦悶の声上げて、床にうずくまる。
この隙にガントは床を這って、エリーとキイラの傍に逃げていた。エリーは、一瞬だけ嫌悪の表情を見せるが、次の瞬間には夫を心配する妻の顔になっていた。
今度はイアムが、床にうずくまったロルに馬乗りになり、ロルの顔面を殴る。何か大事な仕事に集中するかのように、静かな情熱を持って、懸命に殴る。ロルの抵抗する声が聞こえていたが、やがて聞こえなくなる。
代わりに、人が殴られる、水浸しの布袋を壁にぶつけるような不快な音と、ガントがイアムをあおる下卑た声が部屋中に響いていた。
エリーは、見たくもない格闘技の試合に来てしまったように無責任に顔を背け、使用人は、この異常事態が始まってから、お面が張り付いたように、ずっと変わらない表情で状況を見守っていた。
キリアは、目の前で大変なことが起こっていると、ようやく理解し始めた。
ロルが部屋に入ったときに口に運ぼうとしていたティーカップは、皿の上に落としていた。カップは割れて、テーブルクロスに琥珀色の染みを作っていた。
気づくと、目から涙が出ていた。
――逸らせなかった目を閉じる代わりに、涙で視界をにじませていた?
気づくと、耳鳴りがしていた。
――これ以上、何も聞けないようにした?
気づくと、手をぎゅっと握りしめていた。
――嫌な感情が湧き出すのをがまんしていた?
頭がぐらぐらする。意識がはっきりしない。
――こんな体験、見なかったこと、聞かなかったこと、感じなかったことにしたい?
うん。したい……。
頭が重い。ふっ、と意識が途切れる。
キリアは、頭を支えることができず、いすに座ったまま、頭をテーブルにぶつける。
テーブルの上の食器が、がしゃんっと音を立てるのを聞いた。
頭をぶつけた痛み。
陶器の破片が刺さる痛み。
テーブルクロスに染みたお茶の温かさ。
それ以降のことは、もう覚えていなかった。
書割の光が引いていく。キリアとデュラハンは、書割の世界から戻ってきた。
十二歳のキリアと同じように、今のキリアも泣いていた。
「今見た、家族の団らんからかけ離れた光景が、わたしの『家族』の最後だった……」
「あたしは、家族がどんなものかを本当には理解していない。でも、知識としては持っている。それと比較すると、あまりにも違いすぎだ」
キリアは、再び頬に一筋の涙をこぼす。デュラハンが続けて質問する。
「その涙は、どんな涙なんだ?」
「どんな涙……」
「悲しみの涙なのか? 例えば、ロルが家族全員からはじき出されようとしている様子に対する悲しみなのか?」
キリアは、落ち着いて応えることができていた。
「ロルに対する悲しみではないと思う」
「そうか……」
キリアは、どんな……とつぶやきながら考える。すると、ある考えに至り、はっとする。その考えは、とても悲しかった。
「もしかしたら、失望の涙かもしれない。これまで一緒に暮らしていた家族の本当の姿を知ってしまった。わたしの家族はこんなに違う方向を向いていた。家族って、ドラマで見るような、漫画や本で読むような温かいものだと思っていた。でも、本当は違った。本当は冷たくて、孤独だったんだ」
「自分の家族も温かいものだと思ったのに……、裏切られてしまった」
「そうだね……。あのときから、ドラマ、漫画、本に出てくる家族の描写に感情移入できなかったんだ。それに、友達の家族が幸せそうに笑いあう様子を見ても同じようにまっすぐ受け取ることができなかった。どうせ、違うんでしょって思っている」
デュラハンは、言葉を挟まず、大きくゆったりとキリアの言葉を聴いている。
キリアは、話しているうちに感情が高ぶってきた。
「しょうがないよね? だって、わたしには、最初から家族なんて存在していなかったから! そして、これからも得ることはできない! だって! だって……、家族なんて存在を信じることができなくなってしまったんだから……」
キリアは、泣いているのか怒っているのか、自分でも判断がつかなかった。
こんな感情は初めてだった。どうやって心に納めればいいのか、わからなかった。
キリアが戸惑い、苦しんでいると、デュラハンが声をかけてくれた。
「苦しい……ね」
「うん……」
「もう少し話してみないか? そうしたら、自然に整理できているかもしれない。または、忘れることができているかもしれない。苦しみが小さくなっているかもしれない。このまま何もせずに苦しみ続けるよりはましかもしれないよ」
「そうだね。話してみるよ」
キリアは、先ほど鑑賞していた書割のエピソードの続きを語り始める。
「わたしが次に気づいたときは、翌朝で、自分のベッドの上だった。起こしに来たキイラから昨日の顛末を聞いた。ロルは身体中ぼろぼろだったが命に別状はなく、キイラが応急処置をして、未使用の物置に閉じ込めたらしかった」
キリアは苦々しい思いを感じながら続ける。
「ガントとエリー、そしてイアムはいつものように自分の仕事や大学に行ったと聞かされた。あんなことがあった次の日なのに、どうしてそんなことができるのかという気持ちがあった。しかし、昨日見た光景を恐るおそる思い出すと納得することができていた……。そして、納得できたわたしは変わってしまったのかもしれないと思っていた。わたしは家の中の光景を冷めた目で見ている。赤の他人として、あの人たちと関わる感覚だった」
「キリアの中で、家族に対して違和感を覚え始めた、ということだろうか」
「うん。その違和感は、傷の治りきらないロルが家の窓を破って出奔したとき、よりはっきりと自覚した」
「何があったんだ?」
キリアは話を次へ進める。
「あの人たちはロルの捜索をしなかった。イアムが『ようやく出ていったか』と私の前で隠しもせずに言ったのを聞いた」
キリアは当時を思い出して寒気を感じた。
「イアムとは、歳が離れていて、生活のリズムが合わなかったから、会話することはほとんどないんだけど、あいさつや受け答えは問題なくできていたんだ。でも、ロルが出ていったあとのイアムの言葉を聞いたときから、イアムと話すのが怖くなってしまった」
「怖くなった……」
「そう、イアムが目の前にいると、背筋が寒くなって、腕ががくがくとふるえていた。このふるえを見られたら、イアムの機嫌を損なうのではないか。期限を損ねたら、ロルのように殴られるのではないか。今、イアムは笑顔だけど、そのお面が剥がれ落ちるんじゃないか。ロルを懸命に殴っていたときの表情に変わるんじゃないか。そう思うと、あいさつや返事をするのもとても怖かった」
なぜか、耳からイアムがロルを殴っていたときの音が聞こえてくる。
ぐちゃっ、ぐちゃっ。粘るようなくぐもった音。
キリアはその音を意識しないように、自分の話に集中する。
「それに、ロルからの手紙も、わたしの家族に対する違和感を加速させた」
「手紙。ロルからキリア宛に届いたのか?」
「ロルの出奔から数か月経後、わたしに直接手紙が届いた。学校のかばんの中にいつの間にか入っていたの。手紙には、異母兄弟であることを黙っていたこと、あんな暴力的な場面を見せてしまったことを謝罪すると書かれていた。そして、最後に、『キリアもそこで違和感を覚えないか? 何かおかしいと思ったら、いつでも逃げなさい』と記されていた……」
「ロルは、キリアが家族に違和感を覚えていることがわかっていた」
「わたしの家族に対する違和感があの人たちにばれているかもしれない。そう思うとパニックになっていた。ばれるのも時間の問題。ばれたら、この手紙の相手のように排除される。わたしは、この『呪いの言葉』をびりびりと細切れに破いて、学校のトイレに流してしまった」
渦巻きながら流れていく細かい紙片。何度も何度もすべてが吸い込まれていくまで水洗のボタンを押していた。
「そのときから、あの人たちにわたしの『違和感』がばれないようにすることに必死になっていた。表情、態度、言葉。すべてに気を張って、あの人たちと接する。生き残るためにはしょうがなかった。そして、違和感を隠そうとすればするほど、違和感は大きくなっていった……」
デュラハンは、キリアが固めた決意の言葉に応える。
「一日ずっと気を張るなんて……。 大丈夫だったのか?」
「ああ。そういう力配分は上手くできたよ。一つ目は、あの人たちと会話しないことにした。長く話せば話すほど、ぼろが出るから……。最低限のあいさつやうなずき、応答だけで済ませるようにした」
キリアは、自嘲の笑いをもらして、デュラハンに告白する。
「でも、そうしているうちに、あの人たちに対して、本当に話せなくなった。そして、自分から何かを話すこと、長く会話することにも違和感を覚えるようになった」
「そんなことに……」
「生き残る力の代償ということなんだろうね」
デュラハンが悲痛な表情をしている。わたしは、何でもないこととして話しているけど、これはそんなに悲しいことだったのか……。
話したくない気持ちや話せなくなった状態がばれないように装うことに必死だった。
張り付けた微笑。
いいえ、と言わないこと。
怖くないふりをすること。
今思うと窮屈だった……。しかし、そうしないと生きていけないと、本当に思っていた。
緊張を解けば、すきを突かれて、体と心を傷つけられると思っていた。
デュラハンが尋ねる。
「一つ目と言っていたが、他にもキリアの生き残る力はあったのか?」
「あの人たちと話す時間をなるべく少なくするために、いろんな習い事や勉強に集中していた。その時間は話さなくて済むし、言いつけ通りにしていれば怒られる理由も殴られる理由もない。絶好の居場所だった」
「ミレナ先生だけではなかったんだな」
「そう。学校の勉強、マナー、料理、水泳、陸上、テニス、ゴルフ、音楽。たくさんの経験をした。わたしは器用だったみたいで、やればやるほどいろんなことができるようになった。これは良い面だったな」
「悪い面もあったのか?」
デュラハンが当然のことのように訊いてくる。
キリアはにがにがしく思いながら、応える。
「うん。それは、その習い事や勉強でよい成績を得ることができたときに苦しい思いをすることだ。がんばってよい成績をえたとき、家の中の息苦しさを忘れるほどうれしかった。でも、他の考えが合わさったとき、うれしさよりもつらさの方が目立ってしまった」
「つらくなる……。なぜ、つらくなるんだ?」
「ほめてもらいたくなるから」
そう言って、キリアは目を伏せる。恥ずかしかった。紛らわすように先を話す。
「すべての習い事や勉強は両親の言いつけで行っていた。だから、言いつけ通りにちゃんとやったことや良い成績を収めたことをほめてもらうのは当然だと思っていたが、ほめられたことは一度もなかった」
キリアは言いながら、ふつふつと怒りがわいてくるのを感じていた。
「逆に、成績が悪くて怒られたこともなかった。成績が悪かったときは、キイラからその習い事や勉強の復習が課され、良い成績を収めるまで開放されなかった」
「どうして、そんなことに……」
「当時はわからなかった。ほめられも怒られもしない代わりに、次の課題だけはしっかりと欠かさずに伝えられていた。この状況に納得できない理不尽さと、あの人たちに、わたしの違和感がばれてしまったのかもしれないという恐怖を感じていた。」
キリアはため息をつく。
「そんな状態がずっと続いていたから、だんだん習い事や勉強でよい成績を得たとしても、『ただ目の前を通り過ぎるもの』くらいにしか思わないことにした。やりがいやおもしろさを感じることがなくなった。ただ、あの人たちから逃げるための時間を提供してもらえるならそれで良かった」
デュラハンがキリアの話を自分の言葉で表現した。
「まるで、あの人たちがキリアのことを、何の感情もなく、きれいに磨いているようだ……」
デュラハンの言葉が、キリアの中のいくつかの思い出をつなげていく。
「その言葉、正しいかもしれない……」
「なに?」
「わたしは、卒業したらすぐにお嫁に行くことになっていたの……。相手は自分の家よりも高貴な家の御曹司。政略結婚ね」
キリアは気力の抜けたような顔をする。
「わたしは、相手の家への贈り物。良い状態で受け取ってもらうために、有無を言わさず磨かれていた……。贈り物をほめたり、怒ったりする人はいないから」
そうか……、あれもこういう意味だったんだ、とつぶやいて語りを続ける。
書割が変化を始める。絵の中には、応接間のような場所に座る四人の男女。ガントとエリーが奥に、手前側にはジュリアとキリアが浮かび上がってきた。
「ジュリアにアイドルとしてスカウトされたあと、アイドルになることの許しをもらうためにジュリアといっしょにガントとエリーのもとに相談に行ったの」
あのときは、本当に憂鬱だった。きっと許可されることはない。なぜなら結婚が控えているからだ。キリアは当時を思い出しながら語る。
「ジュリアには、わたしの結婚のことをすべて話していたわ。それでも、ジュリアは『私に任せておいて』と言ってくれた。とてもうれしかったわ……」
デュラハンが心配そうに尋ねる。
「あの人たちと話せない状態だったのに、大丈夫だったのか?」
「うん……。ジュリアとともに、ガントとエリーの前に座ったとき、とても緊張した。わたしはちゃんと自分の気持ちを話せるのかな? 話せなかったら、きっとジュリアが何を言ってもどうにもならないかもしれない。そうなったら……」
キリアは、めまいがした。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「大丈夫。そうなったら……、わたしもロルみたいにしないといけないのかなって思ってた。それを考え始めたら、めまいがして、頭が痛くなって、口がからからになって、何もしゃべれない状態になったわ」
「それで……、どうなったんだ?」
「ガントとエリーに対して、ジュリアがすべてを話してくれた。スカウトの経緯や、アイドルになったあとの生活、、そして、わたしの思いまでも。わたしはうなずいたり、はいと答えたりしていただけだった。すごく情けなかった」
キリアは、がたがたの鎧をぎゅっと握りしめながら、でも、と続ける。
「あの人たちは、アイドルになることを許可した。許可だけでなく、すごいぞと称賛された。ほめられたんだよ。あの人たちにほめられたのは、それが初めてだった。そのとき、わたしはとても満たされていた」
キリアは、ぼろぼろの服を撫でながら、悲しそうに笑う。
「そのときは満たされていた。しかし、今考えると、ガントとエリーがほめたのは、ジュリアというステータスのある人物に見込まれたことや、わたしがアイドルとして全世界で有名になれば、自分の仕事に有益となることに対してで、何より、『アイドル』という申し分のない『習い事』を始めて、後に控える名士との結婚に箔がつくと算段したためだったんだよ」
わたしがアイドルとなることを祝福したわけではなかった……。
話し終えたキリアはうなだれてしまった。
ああ、やはりわたしには、家族はがいない……。
キリアは家族に対してすでに絶望していたが、いまここで当時の状況を話したことで再び家族に対して失望した。
何も言葉が出てこない。
もう話すことはなくなった。
キリアにとっては、当然の沈黙が訪れる。
キリアは話し終えた感想をデュラハンに伝える。
「久しぶりにあの人たちのことを思い出した。長い間忘れていて、なくなったと思っていた。でも、なくなっていなくて、昔と変わらず、わたしに強く影響してくる。もうなくしたいのに……。どうすればいいのかなぁ」
デュラハンはキリアのことをまっすぐ見て、向かい合いながらいっしょに、どうすればいいのかじっくり考えていた。
そして、デュラハンが思い切るようにキリアに尋ねる。
「さっきもキリアに伝えているけど、ミレナ先生のことを話すときと、あの人たちのことを話すときでは、表情も、声のトーンも、体の動きも全く違っていたんだ」
「そうなんだね。自分じゃわからないけど……」
「一つ確認したい。ミレナ先生といっしょにいたとき、あの人たちのことを考えていたのか? あの人たちの影響があったのか? なかったんじゃないか?」
キリアはデュラハンの言葉に驚き、やがて納得したようにうなずく。
「ああ、確かになくなっていたと思う」
デュラハンが再び問う。
「では、なぜミレナ先生といっしょだと、あの人たちの影響はなくなっていたんだ? ミレナ先生には何があるんだ?」
そうだ。確かにミレナ先生といっしょだったとき、あの人たちの影響を感じることがなかった。ミレナ先生と別れてから、だんだんとその影響が戻ってきた。だからこそ、わたしはジュリアに対して、あの人たちと同じような失望をして、イドラの大釜に行き、デュラハンに負けて、今ここにいる。ミレナ先生と過ごした時間に、いったい何があるのだろうか?
キリアは、黙り込み、一人で深く思考を始める。
そのとき、デュラハンが呼びかける。
「思ったことを口にしてみたらどうだ?ここには、あたしとキリアしかいないんだ。あたしはキリアの言葉を間違いだって批判しない。それに、あたしがキリアの言葉に反応できるかもしれない」
キリアはデュラハンの言葉にうなずく。そして、心に浮かんだ考えを口にする。
「あの人たちとは、話せなかった。しかし、ミレナ先生とはたくさん会話した」
「ミレナ先生と、どんな会話をした?」
突然、書割が淡く光り始める。光の中に現れた絵には、中学生のわたしが真剣な表情で身振り手振りを交えて一生懸命語っていた。そして隣にはミレナ先生がいた。満面の笑みでわたしの話を聴いているようだった。
「あいさつや日常会話以外なら、歌やピアノ、ダンスの表現方法について話をした。ミレナ先生が自分の意見を言うときは、熱意がこもって上気した表情で、洪水のように言葉があふれ、もう止まらないのかもと思うほどしゃべるんだ。でも、わたしが意見を話すときは、先ほどとは正反対で、言い終わるまで静かに、わたしの目を見て、一言も逃さないように、じっと待っていてくれた」
キリアは自分が笑顔になっていることに気づく。やはり、あの人たちの話とミレナ先生の話には違いがあることを実感した。
「最初は、話すときと聴くときのギャップに、ちょっと変な人なのかなと驚いていたんだけど、ミレナ先生が音楽やダンスで自分を表現することがとても好きなこと、わたしの意見だけでなく、わたし自身も大切に思ってくれていることがすぐに分かってうれしかったな。だんだんわたしも積極的に自分の意見をミレナ先生に伝えることができるようになったよ」
キリアはもっとミレナ先生とのエピソードを話したくなっていた。
「少し幼稚だけど、改めて考えると、答えを出すのがとても難しい質問を、ミレナ先生が問いかけ、わたしが自分の考えを言葉で表現する、という遊びもおもしろかった」
まだ、ある。
「学校で体験した嫌なことについて、ミレナ先生に話すこともあった。ミレナ先生は、わたしの話を一通り聴いたあと、わたしが思いもつかない考え方でアドバイスをくれた。ミレナ先生はコミュニケーションのことを専門的に学んでいて、当時の私にとっては、ミレナ先生が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。しかし、わたしのことを思って、まじめに応えてくれていることはしっかり伝わってきた。わたしは、嫌なことを話した後なのに、ミレナ先生からは、いつも温かいものをもらっていたわ」
キリアは、一息に言い終える。息を整えている間に、デュラハンがキリアの話を要約した。
「ミレナ先生は、キリアの表現する力を育んでいたようだね。音楽やダンスの表現を他者とともに磨くこと、特別でないものに対する自分の考え方を整理して伝えること、キリアがまだ触れていない考え方を教えること。どれもが、これからキリアが何かを表現するときに困らないようなトレーニングみたいだ」
キリアは、確かにそうだとうなずく。
デュラハンは、続けて尋ねる。
「キリアはあの人たちと話したくなかったし、話せなかった。しかし、ミレナ先生とは話すことができた。ただ話すだけではなくて、自分自身のことを深く張り下げるようなことまで話せていた。なぜ、こんなことができていたんだ? あの人たちとミレナ先生。何が違うんだ?」
何が違うって言われても……。
「ミレナ先生は、ちゃんと聴いてくれたから、話せた。でも、あの人たちは全く聴いてくれないから話せなかった。ただ、それだけ……」
キリアは、今の自分の言葉を聞いて、静かに驚いた。手がかりをつかんでいた。
ミレナ先生は、わたしの目の前に立っていてくれた。わたしの目を見てくれた。わたしに触れてくれた。わたしを抱きしめてくれた。
だから、わたしは話すことができた。
あの人たちは遠いところにいた。わたしも遠ざけていた。わたしを見てくれなかった、わたしに触れてくれなかった。
だから、わたしは話すことができなかった。
キリアは大変なことに気づいてしまったショックで涙ぐみ、声がふるえていた。
「ミレナ先生は、わたしを、わたしだと認めてくれていたんだ。だから、わたしは、わたしであることに不安にならずに話すことができていた。でも……、あの人たちといっしょにいたときは、両親の思い通りに強制される子ども、兄たちへの恐怖にふるえる妹、伏し目がちで口答えせず迷惑をかけない、いい子……。わたしは、わたしではなかった。わたしも、わたしではなかった」
キリアは両手を握り締める。全身に力が入り、背筋が伸びる。顔をデュラハンの方にまっすぐ向けて、目を見開いた。
「そんなわたしを、ミレナ先生は見て、触れて、聴いて、わたしがいることを認めてくれた。だから、わたしは安心して、わたしであることを表現することができていたんだ」
体の奥から力が湧いてくるようだった。
その証拠に、体の内がぽかぽかと温かくなっていた。
「ああ、そうか! そうだったんだ」
体から湧き上がる熱い高揚のまま、自然に言葉が出ていた。なぜか、雲一つなく晴れわたった空が見えた。
必要なものは、「わたし」と、他人との関わり方。
「わたし」が「わたし」であることに制限はない。そして、他人が自分の思い通りになることはない。
それを知った上で、「わたし」自身や、向き合う他人と葛藤し、それを乗り越えて、いっしょに未来を臨めばいい。
ミレナ先生の言っていたことが、ようやくわかった……。
そのとき、キリアの体中から光があふれ出した。朝焼け色のアイドル・アドミレーションの光だった。光はキリアの全身を包み込み、座っていたキリアが宙に浮かせる。
光の中で、キリアがまとっていたひび割れだらけの鎧がじわじわ溶けながら消えていく。同時に、鎧の下に着ていたぼろぼろの服もかさかさと風化していくようになくなっていった。
一糸もまとわぬ姿になった後、全身を包み込んでいた光は、キリアの体の表面に凝縮し、真っ白なロングスカートのワンピースとなっていた。
ふわりふわりと自在にゆれ動く、軽くて動きやすかった。着心地が良くて快適だった。
キリアの体に光が集束する。ゆっくりといすに着地した。
ふと視線を移すと、デュラハンは呆然と自分のことを見ていた。
デュラハンは、恐るおそる尋ねた。動揺しているのがよくわかった。
「『そうか』って……、何がわかったんだ? そして、何が起こったんだ?」
自分も、この変化には驚き、戸惑っていたが、ひびだらけの鎧とぼろぼろの服から解放されたキリアは、デュラハンに向かって毅然として話し始めた。
「何が起こったのか、わたしにもわからない。けど、自分のことがわかってきた」
「自分のこと?」
「わたしは、ミレナ先生と同じようにあの人たちやジュリアに、わたしらしさを認めてもらいたかったんだ。でも、自分の上司であるジュリアのことを信じられず、認めてもらうことに飢えるようになり、あの人たちに対して思っていた失望感や絶望感をジュリアに対しても思うようになってしまった。そして、その気持ちに囚われたまま、デュラハンに敗北した。ジュリアに認めてもらえないことで、わたしのわたしらしさを信じられなくなった心を、デュラハンに見透かされて、聖杯浸食されてしまった。その後、デュラハンとともに活動してきたが、未だに自信のない状態が続いている……」
デュラハンは、顔をしかめながらキリアの言葉を聴き、するどい視線でキリアを見つめている。その表情のまま、キリアの言葉をさえぎって、質問した。
「キリアは、これまでの自分の状況がわかったのだな。それはよくわかったけど……、それがどうしたの? だから、何なの?」
キリアは続きを答える。
「だから、わたしは、この今の気持ちのまま、ミレナ先生が教えてくれたように、いろんなことをやり直したいと思う」
「やり直す?」
「うん。もっと自分を大切にしたい。自分の好きなものを、堂々と他人に対して好きだと言えるようになりたい。他人の評価を一つの意見だと思えるようになりたい。他人に対して、ミレナ先生と同じように接することができるようになりたい」
キリアは、自分の胸に手を当てる。
「今まで、アイドルになる前は、あの人たちに。アイドルになってからはジュリアに認めてもらいたい一心でがんばっていた。それは、他人ばかり気にして自分がなかったし、自分の行き先を他人の顔色で決めていたことと同じ」
傷つき凍えた自分の心を、癒し温めるように包み込む。
「他人がどう思うかなんて自分では操作できないのに、勝手に期待して、勝手に失望して、疲れていたわ」
キリアは、ふふっと笑い、楽しそうな笑顔で語る。
「そうだ。これからやりたいことを決めたい! 今まで自分が何をしたいか、なんて考えてなかった。マリアに憧れたときを思い出して、確認したい」
デュラハンは、しっかりとキリアの話を聴いているようだった。
しかし、表情は眉をしかめたままで、瞳には恐れのような感情が混ざっているようだった。
デュラハンの様子にひるまず、キリアは続けた。
「わたしは、今まで自分を誰かに承認して欲しかった。そうでないと生きる資格がないと思っていた。誰かの承認を得るために失敗することを恐れていた。でも、今はそうは思っていない。どんなふうに生きてもいい、チャレンジしてもいい、失敗してもいい、完璧じゃなくていい。そう思えるようになれたの。わたしがわたし自身であることを、誰かに預けてはいけないのね」
キリアは一つため息をつく。自分のわかったことを一通り語り終えていた。
すっきりした表情で、目の前に座るデュラハンを見つめ、「ありがとう、いっしょに話すことができてよかった」と感謝の気持ちを示す。
ほんの数秒の間を空けて、「ああ」と、デュラハンが返事をする。
話が途切れる。険悪な雰囲気だった。
キリアがデュラハンの態度の変わりように戸惑う。どうすればよいか迷っているうちに、デュラハンがようやく口を開いた。
「あたしにとっての自分は、あたしの邪魔をする他人をすべて倒したあとに残るもの。他のイドラや白のアイドルに、自分の居場所が奪われる恐怖に克つために、マリアの愛情を一心に受けたい欲求を充たすために、何よりも強くなって、自分を残すんだ」
デュラハンは、いらいらがよくわかる暗く冷たい表情と強い口調で、キリアに伝えた。
「この対話は、あたしがキリアのことを知るための時間だ。キリアはわかったことがあったようだが、あたしにはキリアのことがわからなくなった。もっと、もっと話さないとこの対話に意味がなくなってしまう!」
キリアは混乱していた。
デュラハン……。
わたしのとりとめのない話を、あんなに寄り添って聴いていてくれたのに。
いつの間にか遠くに感じるようになった。
この対話が安心できる場ではなくなってきた……。




