↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『興国の悪女 ~性転換転生したら黒田官兵衛の異母姉だったので、弟の尻を叩いて天下を目指させます~』  作者: カワカン
弱い黒田

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

58/67

第7話 勝った戦、失ったもの

高岡。

夜が明けが近づくころ、遠くから兵の声が聞こえてきた。


「戻ってきた!」


松は救護所から外へ出る。

高岡の道を、兵たちが戻ってくる。

先頭には官兵衛と休夢。

その後ろには、傷を負った兵たちがいた。

肩を支えられて歩く者。

腕を布で押さえている者。

足を引きずる者。

松はすぐに女中たちへ声をかける。


「負傷した者から救護所へ」

「はい!」


準備していた人員が動き出す。

松は一人ひとりの様子を見ながら、手当ての順番を決めていく。


「こちらの方を先に」

「はい」

「この方は横にしてください」

「承知しました」


救護所が動き始める。

その様子を確認してから、松はようやく官兵衛たちへ目を向けた。


「官兵衛」

「姉上」

「休夢殿も」

「うむ」


二人とも無事だった。

それを確認した松は、ほんの少しだけ息を吐いた。

だが、二人の顔を見れば分かる。


**勝って帰ってきた顔ではない。**


松は静かに尋ねた。


「……戦は?」


休夢が答える。


「勝った」


松の目がわずかに動く。


「そうですか」


しかし、その言葉だけでは終わらない。

松は官兵衛を見る。

官兵衛は何も言わない。

その顔には、勝った者の表情がなかった。


松は続けた。


「……室津は?」


休夢の表情が曇る。


「……間に合わなかった」


松は黙った。


昨日の朝。

自分が送り出したおたつ。

その日のうちに、政秀が室津へ向かい――。

官兵衛たちは追った。

それでも、間に合わなかった。

松は視線を落とす。


「……おたつちゃんは?」


誰もすぐには答えなかった。


その沈黙だけで、松には十分だった。


松はしばらく、誰もいない救護所の一角を見つめていた。

やがて、静かに息を吐く。


「……分かりました」


松はそれ以上、おたつのことを尋ねなかった。

今は、目の前に負傷した兵がいる。


「こちらの方、傷を見せてください」

「はい」


松は女中へ指示を出す。


「この方には先に湯を。布は新しいものを使ってください」

「承知しました」

「食事も用意して。動けるようになった者には、温かいものを食べさせてください」


救護所の中を人が行き交う。

松は淡々と仕事を続けていた。

その様子を見ていた休夢が、ぽつりと口を開く。


「……松」

「はい」

「少し休んでもよいぞ」

「まだです」


松は負傷兵の腕に巻かれた布を見る。


「この方たちを落ち着かせるまでは」


休夢はそれ以上言わなかった。

やがて、ある程度の処置が終わる。

松はようやく官兵衛と休夢のところへ戻った。


「それで……」


二人を見る。


「詳しい話を聞かせてください」


休夢が頷いた。


「うむ」


官兵衛は黙っている。

休夢が話し始める。


「政秀方は南へ進んだ。わしらも追った」

「はい」

「室津へ着いたときには――」


休夢が言葉を止める。

松は黙って待つ。


「……すでに、城は襲撃されたあとだった」


松は目を伏せる。

官兵衛が初めて口を開いた。


「俺たちは、遅かった」


その声は低かった。


「政秀は室津を襲ったあと、兵を引いた」

「そして、その退路を追った」


官兵衛は拳を握る。


「追いついて、戦った」


「そこで勝った」


松は官兵衛を見る。


「……だから、勝ったのですね」

「ああ」


だが官兵衛の顔には、勝利の喜びなど欠片もなかった。

松には分かっていた。


官兵衛が勝ったのは――


**戦そのものだけだ。**


守るべき場所を守れなかった。

そして、その場所には――。


「……おたつちゃんがいた」


松が呟く。

官兵衛は答えない。

救護所の外では、兵たちの声が聞こえている。


「勝ったぞ」

「飯がうまい!」

「酒はまだか!」


兵たちは、生きて帰ってきたことを喜んでいる。

松はその声を聞いて、静かに立ち上がった。


「……宴をしましょう」


官兵衛が顔を上げる。


「宴を?」

「はい」


松は兵たちのほうを見る。


「勝ったのですから」


その言葉に、休夢が小さく頷いた。


「そうじゃな」


そして松は、女中たちへ声をかける。


「飯と汁を。酒も出してください」

「はい」

「今日は兵たちに、しっかり食べてもらいましょう」


松は笑顔を作った。

その笑顔は、先ほどまでのものとは少し違っていた。


**悲しみを抱えたまま、それでも兵を労うための笑顔だった。**



宴の支度が整うころには、高岡の空気も少しずつ変わっていた。

大きな鍋から汁の香りが漂う。

飯が配られ、酒が次々と運ばれていく。


「ほら、食え」


休夢が兵の一人へ盃を渡す。


「今日はよくやった」

「ありがとうございます!」


兵は嬉しそうに頭を下げる。

別のところでは、


「酒、もう一杯もらえるか!」


と声が上がる。


「まだあるぞ!」


笑い声が起こる。

戦から戻ったばかりの兵たちにとっては、こうして温かい飯を食べ、酒を飲めること自体が何よりの慰めだった。

松も兵たちの間を歩いていた。


「足の傷はどうですか?」

「もう大丈夫でございます!」

「無理はしないでくださいね」

「はい!」


松は笑って頷く。

休夢も兵たちと盃を交わしている。


「今日は飲め。明日のことは明日考えればよい」

「ありがとうございます!」


宴は少しずつ賑やかになっていった。


けれど――。

官兵衛だけは、そこに馴染めていなかった。

盃を手にしている。

だが、ほとんど口をつけていない。


兵が、


「官兵衛様もどうぞ!」


と酒を差し出しても、


「……ああ」


それだけ。

兵が離れていく。

官兵衛は盃を見つめたまま、黙っていた。

松は少し離れたところから、その様子を見ていた。

休夢も気づいている。

だが、何も言わない。

今は兵たちを慰撫することのほうが大切だった。


松はしばらく考えた。

そして、官兵衛のところへ歩いていく。


「官兵衛」

「……姉上」

「ちょっと来て」

「ここを離れていいんですか?」

「いいから」


松は官兵衛を宴の席から連れ出した。

人の少ない廊下を歩く。

そして、空いている部屋へ入る。

松が戸を閉める。

外の宴の声が、少し遠くなった。

官兵衛は部屋の隅に座った。


「……姉上」


松は何も言わない。

官兵衛はしばらく黙っていた。

やがて、ぽつりと口を開いた。


「おたつは……」


松が官兵衛を見る。


「着いた時には、もう……」


声が震える。


「私の腕の中で……」


官兵衛は俯いた。


「冷たくなっていきました」


松は黙って聞いていた。


「……そう」


松はそれだけを返した。

官兵衛は俯いたままだった。


「間に合わなかった」

「……」

「城へ入ったときには、もう……」


言葉が続かない。

松は官兵衛を見つめていた。

今朝まで、あの子はここにいた。

笑っていた。

これから浦上へ嫁ぐのだと、送り出した。


それなのに。

松はゆっくりと手を伸ばした。

官兵衛の肩へ触れようとして――


その手を止める。

そして次の瞬間。


**パシッ!**


乾いた音が部屋に響いた。

官兵衛が顔を上げる。

頬を押さえることもしない。

ただ、松を見つめた。

松は静かに言った。


「……あんたが弱いからよ」

「……私が?」

「そう」


松の声には、慰める響きがなかった。


「黒田が小さいからよ」


官兵衛の目が揺れる。


「……黒田が、弱い」

「ええ」


松は頷いた。


「だから、おたつちゃんを守れなかった」


官兵衛は何も言えない。


「悔しいでしょう?」


しばらくして、官兵衛が小さく答える。


「……悔しい」

「なら」


松は官兵衛の目を見る。


「強くなりなさい」

「……」

「次は間に合うように」


それだけ言うと、松は立ち上がった。

戸へ向かう。

官兵衛がその背中を見る。


「姉上……」


松は振り返らなかった。


「宴はまだ終わっていません」

「兵たちには、勝った夜を過ごさせてあげなさい」


そう言って、松は部屋を出ていった。



戸を閉めると、再び宴の喧騒が耳に戻ってきた。

兵たちは酒を飲み、飯を食べている。

松は何事もなかったかのように、その中へ戻っていく。

しばらくして、養父が松の隣へ座った。


「……松」

「はい?」


休夢は宴の様子を眺めながら、苦笑した。


「家臣たちは、気が気でなかったぞ」

「何がです?」

「お前が若を慰めるのかと、ひやひやしておった」


松は黙って盃を口にする。


「……そうですか」

「だが」


休夢は松を見る。


「そうではなかったようだな」

「ええ」


少し間が空く。


休夢は小さく息を吐いた。


「しかし……少し厳しすぎんか?」


松は宴の向こうを見る。

兵たちは笑っている。

今日、生きて帰ってこられたことを喜んでいる。


「官兵衛は才ある男よ」


休夢は黙って聞いている。


「だから、あれでいいのです」

「……」

「悲しむなとは言っていません」


松は盃を置く。


「でも、悲しんでいるだけでは、次も間に合わない」


休夢はしばらく松を見つめた。

そして、ぽつりと言う。


「……お前は、生まれる性を間違えたな」


松は一瞬だけ養父を見る。

それから、ふっと笑った。


「……そうかもね」

「でも――」


松は宴の向こうへ目を向ける。

そこには、まだ若い兵たちが酒を酌み交わしている。

そして、そのさらに向こう。

戸一枚隔てた部屋には、まだ官兵衛がいる。

松は静かに言った。


「私には、運があるわ」


職隆が眉を上げる。


「運?」

「ええ」


松は盃を手に取る。


「**才能のある弟がいるのだから**」


休夢は何も言わなかった。

ただ、松の横顔を見つめていた。

宴の笑い声が響く。


勝った夜だった。


けれど――。


松も、官兵衛も、休夢も。

その勝利の裏に失ったものがあることを知っている。

そして松だけは、もう次を見ていた。


**次は、間に合わせる。**


そのために――。


自分には、官兵衛がいる。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。