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『興国の悪女 ~性転換転生したら黒田官兵衛の異母姉だったので、弟の尻を叩いて行く』  作者: カワカン
新天地

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第十八話

播磨。

長い旅を終え、松たちはようやく黒田の屋敷へ戻ってきた。

京へ向かったときとは違う。

今度は、逃げるためではない。

帰るためだった。

松は子を抱いたまま、官兵衛の後ろを歩いている。


やがて、職隆のいる部屋へ通された。

職隆は、すでに座して待っていた。

襖が開く。

官兵衛が入り、その後ろから松が姿を見せる。

職隆の視線が、まず官兵衛へ向く。


そして、松へ。

最後に、その腕に抱かれている子へと移った。

松は職隆の前まで進む。

そして静かに膝をついた。

抱いていた子を少し抱き直し、深く頭を下げる。


「……父上」


職隆は何も言わない。

松はそのまま頭を下げている。

やがて、震える声で続ける。


「長らく、ご心配をおかけいたしました」


職隆は松を見つめた。

その顔には、怒りとも安堵ともつかぬ表情が浮かんでいる。

そして視線が、もう一度松の腕の中へ向く。


「その子が……」


松は顔を上げる。


「はい」


少しだけ子を抱きしめる。


「この子も、一緒に連れて参りました」


部屋に、短い沈黙が落ちた。

職隆は子を見つめたまま、静かに口を開く。


「……そうか」


そして松へ視線を戻す。

ここから、職隆による問いが始まる。




職隆は、しばらく松の腕の中にいる子を見ていた。

やがて、松へ視線を戻す。


「……その子は、本当に官兵衛の子なのか?」


松は一瞬だけ目を伏せる。

だが、すぐに顔を上げた。


「はい」


迷いのない返事だった。

職隆は松の隣にいる官兵衛を見る。

官兵衛も静かに頭を下げる。


「間違いございません。私の子にございます」


職隆は二人を交互に見る。

そして、もう一度松へ尋ねる。


「それは、間違いないのだな?」

「はい」


松は子を抱く腕に、少しだけ力を込めた。


「この子は、官兵衛の子です」


職隆はそれ以上、このことについては問わなかった。

だが、次の疑問がある。

職隆の表情が少し厳しくなる。


「では……なぜ、弥八郎と出ていった?」


松の肩がわずかに揺れた。

この問いだけは、避けられない。

松はしばらく黙ったあと、


「……私が、勝手についてきてもらったのです」


と答えた。

職隆が眉を寄せる。


「弥八郎が、お前を連れ出したのではないのか?」

「違います」

「では、お前が?」

「……はい」


官兵衛も黙って聞いている。

職隆は松を見つめたまま、さらに尋ねた。


「弥八郎は、今どうしている?」


松は少しだけ表情を緩める。


「一度、祖国へ戻りました」

「そして?」

「妻を連れて、戻ってきてくれました」


職隆は黙った。

松は続ける。


「そのあとは、私の護衛をまとめてくれていました」


職隆はしばらく考える。

そして、ぽつりと呟いた。


「……そうか」


少し間を置いて、


「駆け落ちではなかったのだな」


松は静かに首を横に振った。


「はい」


職隆は目を閉じ、短く息を吐いた。

これで、松が弥八郎と駆け落ちしたという疑いは消えた。





職隆は、しばらく黙っていた。

松が弥八郎と駆け落ちしたわけではない。

それが分かったところで、松が勝手に出奔したことまで消えるわけではない。

職隆はゆっくりと口を開いた。


「……では、沙汰を言い渡す」


松は姿勢を正す。

官兵衛も隣で頭を下げた。


「まず、お前は今回のことで迷惑をかけた者たちへ、謝罪して回れ」


松は静かに頭を下げる。


「はい」

「小寺の殿をはじめ、関わった者たちへ、己の口で詫びよ」

「承知いたしました」


職隆は続ける。


「それが終わったのち――謹慎せよ」


松は一瞬、顔を上げた。

だが、すぐに頭を下げる。


「……はい」


それだけだった。

逃げたことへの罰。

勝手に姿を消したことで、周囲に迷惑をかけたことへの罰。

松も、それは受け入れるつもりだった。

職隆も、それ以上は責めなかった。

そして、一通りの沙汰を告げ終えたところで、松が顔を上げる。


「……父上」

「何だ」


松は腕の中の子を見る。

そして、少し躊躇ってから尋ねた。


「この子は……どうなります?」


職隆の目が、再び子へ向いた。

しばらく黙ったあと、静かに答える。


「それについては、まだ一つ問題がある」


松は息を呑んだ。

職隆は松を見る。


「小寺の殿が、お前の謝罪を受け入れてくださるかどうかだ」

「……はい」

「そこが済まねば、すべてを決めることはできぬ」


そして、少し間を置いてから続ける。


「だが、黒田としての扱いは、決めておく」


松は職隆の言葉を待った。





職隆は、松をまっすぐ見た。


「お前を、官兵衛の室に入れ」


松が目を見開く。


「……私を?」

「ああ」


職隆は淡々と続ける。


「そして、その子も官兵衛の子として認める」


松は腕の中の子を見た。

それまで張り詰めていた表情が、ほんの少し緩む。


「……本当に?」

「ああ」


松の目に、涙が浮かぶ。


だが、職隆はそこで言葉を止めなかった。


「ただし――」


松が顔を上げる。


「すでに官兵衛は、櫛橋伊定殿の娘、光を嫁に取っておる」


官兵衛は黙って聞いている。


「そして、男児ももうけておる」


松の表情がわずかに曇る。

職隆は静かに続ける。


「ゆえに、この子を嫡子として扱うことはできぬ」


部屋に沈黙が落ちる。

松は腕の中の子を見つめる。

やがて、子の小さな手をそっと握った。

そして職隆へ向き直る。


「……それで、よろしゅうございます」


職隆が目を細める。


「本当に、それでよいのだな?」


松は頷いた。


「はい」


そして深く頭を下げる。


「ありがたき幸せにございます」


官兵衛も静かに頭を下げる。

松は、職隆の言葉を受け入れた。

嫡子にはできない。

それでも、官兵衛の子として認めてもらえる。

それだけで十分だった。


だが、職隆は、まだ松を見つめている。

松が不思議そうに尋ねる。


「……父上?」


職隆は、すぐには答えなかった。


やがて、重い口を開く。


「松」

「はい」

「お前は、わしに問わぬのか?」


松は首を傾げる。


「何を……でしょうか?」


職隆は一度、目を伏せた。


そして、静かに告げる。


「なぜ、わしがお前を許すのか」


松の表情が止まる。

確かに、それは、松自身も不思議に思っていた。

勝手に出奔した。

官兵衛との間に子までできた。

周囲にも迷惑をかけた。


それなのに、職隆は松と子を黒田家へ戻すと言っている。

松は小さく尋ねた。


「……なぜ、私をお許しになるのですか?」


職隆はしばらく黙っていた。

そして、松をまっすぐ見た。


「……松」

「お前は、わしの種ではない」


松の目が見開かれる。

官兵衛も、思わず父を見る。

職隆は続けた。


「それを、わしは今まで伏せ続けた」

「……」

「お前に何も知らせぬまま、黒田の娘として育てた」


職隆の声は、いつものような強いものではなかった。


「それは、わしの罪だ」


松は言葉を失う。

職隆は目を逸らさない。


「そのわしが、お前だけを責めることなどできようか」


松の目に、涙が浮かんだ。

何か言おうとする。

だが、声にならない。

職隆はそんな松を見て、少しだけ表情を和らげた。


「……だから、許すというよりも」


一度、言葉を切る。


「わしも、お前に詫びねばならぬのだ」


松は唇を噛んだ。


そして、腕の中の子を抱きしめる。


「……父上」


職隆は何も答えなかった。

ただ、静かに松を見つめていた。




松は、しばらく何も言えなかった。

ただ、腕の中の子を抱きしめている。

やがて、頬を伝う涙を拭い、小さく頭を下げた。


「……私のほうこそ、申し訳ございませんでした」


職隆は黙っている。

松はもう一度、深く頭を下げる。


「父上に、こんな心配をおかけして……」


職隆は、そんな松を見つめていた。

そして、少し言いにくそうに口を開く。


「……松」

「はい」

「よく戻ってきた」


松の顔が上がる。

職隆は、それ以上は言わない。

松の目から、また涙がこぼれた。


「はい……」


そして、静かに笑う。


「ただいま」


職隆は小さく頷いた。

その横で、官兵衛が松を見る。

しばらく何も言わなかったが、やがて口を開く。


「松」

「はい?」

「……おかえり」


松は官兵衛を見る。

そして、少しだけ涙を拭って、


「……ただいま」


と答えた。

腕の中では、子供が小さく身じろぎする。

松はその子を抱き直す。


黒田の屋敷。

そこは、松が一度は自分から離れた場所だった。


けれど今、松は子とともに、再びその家へ帰ってきた。

そして誰にも聞こえないほど小さな声で、


「……五年ぶりに帰ってきたんだ」


と呟いた。


第一部 ー 完 ー

第一部簡 完結です。 


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