第190話 次なる季、陽の向かふは朔月也【最終回】
陽向の背中が、人の波の向こうへ消えていく。
同級生たちの輪の中へ駆けていったその背中は、ほんの少し前まで泣いていたとは思えないほど、眩しかった。
「さて、と……」
雫は、小さく呟いた。
そして。
顔を上げる。
卒業生たちが集まっている人だかりへ、ぐるっと視線を巡らせた。
誰かが友達の肩を抱き。
誰かが泣きながら笑っている。
そんな、卒業式の日にしかない賑やかな光景。
その中へ、雫は目を凝らした。
「うーん……」
キョロキョロ。
「どこにいるかなぁ〜……」
どうやら、誰かを探しているらしい。
さっきまで陽向のことで胸がいっぱいだったはずなのに。
その表情には、ほんの少しだけ別の色が混じっていた。
やがて。
「あっ……」
視界の端に、見覚えのある姿を捉える。
「いた!」
ぱっと表情が明るくなった。
人混みの中。
友達同士ではしゃぎながら、何やらくだらないことで盛り上がっている男子たち。
その中心にいる、一人の少年。
見慣れた後ろ姿。
雫は、一瞬だけ立ち止まった。
胸の奥が。
ほんの少しだけ、跳ねる。
けれど。
今度は、さっきまでとは違う鼓動だった。
雫は小さく息を吸う。
そして。
軽やかな足取りで、その背中へ近づいていった。
「鷹井先輩っ!」
呼ばれた声に、綾真が振り返る。
その顔を見た瞬間。
「おぉ、小野さん!」
いつものように、明るい声が返ってきた。
本当に、何でもないことなのに。
雫は、なぜか少しだけ嬉しかった。
ついさっきまで。
自分の世界は、朔也と陽向のことだけで埋め尽くされていた。
好きな人。
失った恋。
大切な人との別れ。
そのことで、頭の中はいっぱいだった。
それなのに。
今、こうして綾真の顔を見た瞬間。
胸の奥に、ほんの小さな風が吹いたような気がした。
雫は、その感覚に気づいてしまった自分に少し戸惑う。
けれど、それを振り払おうとはしなかった。
むしろほんの少しだけ、その感覚を確かめてみたかった。
雫は制服の裾を整えると、背筋を伸ばした。
そして。
卒業生である綾真へ、丁寧に頭を下げる。
「この度は…ご卒業、誠におめでとうございます」
あまりにも改まった挨拶だったのか。
「どもども。ご丁寧にありがとうございます」
つられるように、綾真も姿勢を正して深々と頭を下げた。
「…………」
「…………」
二人とも顔を上げる。
目が合う。
そして。
雫の脳裏に、あの日の言葉が蘇った。
(ゴールを外したシュートを……誰にも拾ってもらえないボールなんて、存在しないよ。)
あの日。
自分がどうしようもなく落ち込んでいた時。
自分の恋がうまくいかなくて。
朔也の恋心が、自分には向いていないことを知ってしまって。
それでも、どうしても諦められなくて。
許せなくて。
そんな自分が嫌になって、消えてしまいたかった。
そんな雫へ。
綾真は、何でもないことのように言った。
あまりにも自然で。
あまりにも優しくて。
だからこそ、その言葉は。
ずっと雫の心のどこかに残っていた。
まるで。
誰にも拾われず、裏庭の片隅に転がっていたあの日のボールを何気なく拾い上げてもらったような。
そんな感覚だった。
あの日から、雫の中で少しずつ。
綾真という存在が、心の中に残り始めていた。
もちろん。
最初は、ただの「優しい先輩」だった。
陽向のことを真っ直ぐに想っている先輩。
バスケ部の先輩。
ちょっとお調子者で。
くだらないことを言って。
いつも笑っている人。
それだけだった。
少なくとも。
少し前までは。
雫は、自分の胸の奥をそっと覗き込む。
そこにある感情を。
自分でも、まだ上手く名前をつけられない。
朔也以外の男子に。
こんなふうに胸が揺れることなんて、今まで一度もなかった。
そんなことが、自分にもあるなんて。
考えたことすらなかった。
だから、雫自身が自分で一番驚いていた。
綾真が笑う。
それだけで、雫の胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。
何気ない言葉を思い出す。
それだけで、もう一度聞いてみたいと思ってしまう。
優しさ。
温かさ。
何でもないような言葉。
その一つひとつが。
傷ついた心にできた小さな隙間へ、静かに入り込んできていた。
これはまだ。
「恋」なんて呼べるものじゃない。
そんな簡単な言葉で決めつけてしまうには。
まだ、あまりにも小さな感情だった。
朔也への恋も、陽向への想いも、終わらせたばかりなのだから。
今すぐ誰かを好きになるなんて、そんな都合のいい話じゃない。
だから。
雫は、その気持ちを急いで名前にしようとは思わなかった。
ただ、知りたい。
そう思った。
この人は、どんな人なんだろう。
普段は何を考えているんだろう。
どんな場所で笑って、どんな時に傷ついて。
どんな未来を夢見ているんだろう。
もっと。
もっと、あなたのことを知りたい。
「鷹井先輩……」
雫は、綾真を見上げる。
その瞳には。
ほんの少しだけ、新しい光が宿っていた。
私も、前に進むんだ!
「私と、インスタ繋いで下さい!」
「「「はっ!?」」」
その瞬間。
周囲にいた男子たちが、一斉に声を上げた。
「おいおいおい!」
「マジ!?」
「雫たん、なんで綾真!?」
「こいつ、エロいからやめた方がいいよ?」
「インスタなんか繋いだら、妄想のネタにされるよ?」
「綾真じゃなくて、俺とインスタ繋ご!」
「俺の方が絶対まともだから!」
一瞬で、その場が騒然となった。
「最低過ぎるだろお前ら!!!!」
綾真が慌てて振り返る。
その後も間髪入れず、テンポよく飛び交う言葉。
雫は。
「…………ぷっ」
とうとう耐えきれなくなって。
「あははははっ!」
声を上げて笑った。
さっきまで胸の奥にあった痛みも。
涙も。
寂しさも。
その瞬間だけは、全部どこかへ飛んでいった。
綾真がそんな雫を見て、少し照れたように笑う。
雫は笑いながら、涙の跡がまだ残る頬を押さえた。
「鷹井先輩って、ほんとツボなんですけど!」
「俺じゃなくてこいつらだよ!」
また笑う。
春の風が吹いた。
まだ花開いていない桜の枝が、さらさらと揺れる。
卒業の日。
一つの恋が終わった。
大好きだった人と。
大切な先輩と。
これからは、それぞれ違う道を歩いていく。
寂しい。
悲しい。
まだ、胸は痛い。
それでも。
終わった場所には。
必ず、新しい始まりがある。
それが恋なのか。
友情なのか。
それとも、ただの新しい出会いなのか。
今の雫には、まだ分からない。
ただ。
今日という日に。
ほんの小さな一歩を踏み出したことだけは、確かだった。
雫は、笑いながらスマホを取り出す。
「じゃあ……インスタお願いします!」
「もちろん」
綾真もスマホを取り出した。
二人の画面が、並ぶ。
その光景を。
春の陽射しが、静かに照らしていた。
雫は、まだ知らない。
この日。
自分が踏み出したほんの小さな一歩が。
これから始まる、新しい季節の最初の一歩になることを。
───────。
一方、陽向は。
「朔也!」
人混みの中へ、陽向は声を投げた。
その声に気づいたの朔也が振り返る。
目が合った。
ほんの一瞬。
二人の間に、言葉にならないものが走った。
けれど陽向は、それを無視するように顎をしゃくる。
「ツラ、貸せ。」
ぶっきらぼうな声だった。
朔也が、わずかに眉を上げる。
「…ヤンキーかよ」
朔也は小さく息を吐くと、その後を追うため一歩踏み出す。
その瞬間。
膝の裏を、後ろから誰かに軽く小突かれた。
「真剣、鞘から抜いてけよ」
蒼太だった。
真っ直ぐな視線で朔也を見ていた。
朔也は、強い瞳を宿して笑う。
「わかってるよ」
短く返して。
そして陽向の背中を追った。
二人が向かったのは、正門の近くだった。
卒業生たちの集まるアプローチ広場から、少しだけ離れた場所。
正門脇に立つ桜の木の下。
陽向は足を止めた。
そして、振り返る。
朔也も立ち止まる。
少し離れた場所では、卒業生たちが笑っている。
今日が最後の日だからこそ、誰もが笑っていた。
なのに、この場所だけは不思議なくらい静かだった。
陽向は、朔也を見つめる。
その顔を見るだけで、胸の奥がざわついた。
そして陽向は、ゆっくりと口を開いた。
「しぃちゃんと……別れたんだね」
その言葉を聞いた瞬間。
朔也の表情が、ほんのわずかに強張った。
けれど、すぐに視線を逸らす。
「………聞いたんだ?」
「なんで言っちゃったの?」
問いかける陽向の声が、微かに震えた。
「お前に”あの子と付き合ってる状態でそんな事言うな”って…言われたから。」
あまりにもあっさりとした返答だった。
悪びれる様子もなく、まるで当たり前のような言い草。
開き直るような朔也の態度。
その瞬間。
「……は?」
陽向の腹の底で、何かが切れた。
「あんたのした事は最低だよ…!裏切りだし、しぃちゃんは何も悪くないのに…」
声が少しずつ大きくなる。
「ずっと朔也のこと大好きだったじゃん…!朔也だって…しぃちゃんのこと、あんなに大事にしてたじゃん…!」
陽向の喉が詰まる。
それでも止められなかった。
「あんないい子を…私への当てつけみたいに利用したの?」
「…………。」
朔也は何も言わない。
ただ、黙って陽向を見ている。
「朔也の行動には理解が出来ないし…しいちゃんを、そんなふうに傷つけた事…まじで絶対許せない!」
陽向の瞳に、じんわりと涙が滲む。
一度、息を吸う。
震える胸を押さえるように。
そして。
「……………あんたなんて…大っ嫌い…!」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥がズキリと痛んだ。
まるで、自分自身を傷つけたみたいだった。
でも、一度こぼれた言葉はもう止まらなかった。
「口は悪いし、態度も偉そうだし!すぐに浮気するし、女たらしで、自分勝手で…デリカシーのかけらもないし!」
まるで自分自身へ言い聞かせるように、陽向は吐き出した。
こんなに最低な男なのに。
全然タイプじゃないのに。
私が好きなのは。
俊ちゃんのように優しくて真面目で誠実で、おとぎ話の王子様みたいな人なのに。
それなのに。
自分でも嫌になるほど、朔也に惹かれてしまう自分がわからなかった。
「俺だって…!」
朔也も、思わずカッとなって口を開いた。
「お前みたいに、可愛げもねーし色気のカケラもない…ズボラでだらしなくて、ドジで間抜けですぐにキレるし暴力的な女なんて…」
本当は、こんな事が言いたいんじゃない。
「大嫌いだよ…っ…!」
吐き出した声は、怒鳴り声にはならなかった。
むしろ泣き出しそうなほど、苦しそうだった。
お互いに大嫌いと叫びながら、泣きそうになっている二人。
自分のタイプでも理想でもないのに、感情を抑えきれずに惹かれ合ってしまう幼馴染の二人。
もう、最後なのに。
これを逃したら終わりなのに。
頭では、わかっているのに。
いつまでも、長年染みついた癖のように。
本音を隠して、なかなか素直になれないままの二人。
「…朔也って………っ…ほんと….最低な…奴………」
腹が立つ。
悔しい。
許せない。
雫を泣かせたことが。
雫を傷つけたことが。
そして何よりそんなことをしてしまった朔也のことを、それでも嫌いになれない自分自身が。
どうしようもなく腹立たしかった。
「だけど……っ」
雫は。
あんな顔で。
あんな声で。
そして最後には、自分を抱きしめて。
「幸せになってほしい」とまで言った。
雫の一年間を。
雫の恋を。
雫の優しさを。
「でも………っ……」
何度嫌いになろうとしても。
何度腹を立てても。
何度傷つけられても。
心のどこかに残っている。
くだらないことで笑った時間。
子供の頃から当たり前のように隣にいた日々。
自分が泣いている時、何も言わずに傍にいてくれたこと。
そして。
誰よりも近くにいたからこそ知っている。
どんな時でも。
何でもないように装いながら、いつも私のことを守ってくれた。
そんな朔也の、誰よりも不器用な優しさ。
そんなところが、堪らないほど愛しくて。
絶対に失いたくない、どうしようもなく大好きな人。
その時、先ほどの雫の声が脳裏に聞こえた。
“素直になれる、おまじないです”
あれは。
雫が最後にくれた、小さな勇気。
一年間、ずっと雫の背中を押し続けてきた陽向。
けれど、最後の最後に。
今度は雫が、陽向の背中を押してくれた。
「………………遠くに…行かないでほしい…っ」
声になった瞬間。
堰き止めていたものが、一気に崩れた。
大粒の涙が、陽向の瞳からぽろぽろと零れ落ちる。
頬を伝う涙を、陽向は何度も手の甲で拭う。
けれど、拭っても拭っても。
次から次へと溢れてくる。
「…!」
朔也の瞳が大きく揺れた。
目の前の陽向は、子供のように泣きじゃくっている。
まるで、今まで言えなかった本音が。
今まで我慢してきた寂しさが。
今まで見ないふりをしてきた想いが。
全部、涙になって流れ出してしまったかのようだった。
「…ぐす…ぅ…っ…ふ………」
声が震える。
もう、止められなかった。
「…ずっと……側に…っ…いて…ほしい……」
その瞬間。
朔也の胸が、強く締め付けられた。
苦しい。
息ができないほど。
ずっと。
ずっと、この言葉が欲しかった。
強がらない。
意地を張らない。
子供のように泣いて。
肩を震わせ、涙を止めることもできず。
それでも必死に、自分のことを必要としてくれている。
そんな陽向が、目の前にいる。
朔也は、ゆっくりと息を吐いた。
そして一歩、陽向へ近づいた。
陽向が、涙に濡れた顔を上げる。
二人の距離が縮まった。
それは、これまで何度も縮めようとして、何度もすれ違ってきた二人の距離を埋めるには、十分すぎるほどの一歩だった。
泣き崩れる陽向を、朔也は真っ直ぐに見つめる。
「…………… 週末は、実家に帰るよ。」
静かな声だった。
けれど、その言葉には迷いがなかった。
「ひなが俺に会いたい時には、平日だろうと夜中だろうと、いつでもどこへでも会いに行く。」
陽向の涙で濡れた瞳が、ゆっくりと朔也を見上げた。
朔也は、そんな陽向の顔を見つめた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。
いつもの強気な面影なんて、どこにもない。
───めちゃくちゃ可愛い。
そんなことを思ってしまう自分に、朔也は小さく笑った。
そして、いつもの悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「その呪いみたいな藤崎先輩への執念から、俺がお前を解放してやるよ」
その瞬間。
陽向の瞳から、涙がピタッと止まった。
相変わらず素直じゃない。
こっちが下手に出たら、調子に乗って上から目線。
そんな朔也に、陽向はほんの少し呆れたように。
「………素直に好きって言えないの?」
しかしその直後、間髪入れずに。
「好きだ。」
一瞬の迷いもなく。
曇りない真っ直ぐな瞳が、陽向を貫いた。
「……〜〜〜〜っっっ!!!」
あまりにも突然で。
あまりにも真っ直ぐな「好き」に。
陽向の顔が、一瞬で真っ赤になった。
陽向を見つめる朔也の瞳には。
昔のような意地も。
照れ隠しも。
苛立ちも。
強がりもなかった。
ただ、真剣そのもの。
この一言に。
ここに辿り着くまでに。
この二人は。
一体どれだけの道のりを越えてきたのだろう。
子供の頃から、ずっと隣にいたのに。
どれだけの時間が必要だったのだろう。
何度も傷つけ合って。
それでも、離れることができなくて。
「幼馴染」という言葉の陰に隠れて。
本当の気持ちから、二人とも目を逸らしていた。
好きな人を、真っ直ぐに「好き」だと思う事。
それだけのために。
二人にとってはあまりにも高いハードルを越えて。
何度も、果てしなく遠回りをしてきた。
陽向の胸の奥に。
今までの時間が、一気に押し寄せる。
幼い頃の記憶。
笑い声。
喧嘩。
涙。
何でもない帰り道。
隣にいた温度。
言葉にならない。
胸がうるさい。
心臓が、今にも飛び出しそうだった。
けれど。
その熱に浮かされるより先に。
ふと、一つの言葉が脳裏を掠めた。
あの日。
朔也と大喧嘩した夜。
(お前って本当執念深い女だな…いい加減に忘れて次行けば?)
陽向は、ゆっくりと目を伏せた。
朔也の言葉は、嬉しい。
本当は嬉しくて仕方がない。
ずっと欲しかった言葉だった。
それでも、今の自分には。
まだ、できないことがある。
「………俊ちゃんを……好きなままでもいいの?」
声は、ひどく小さかった。
それは朔也への問いかけであると同時に、自分自身への問いかけでもあった。
初恋は大切だった。
彼の事が、大好きだった。
あの人と過ごした時間も。
あの人へ向けた想いも。
簡単に消せるものではない。
それを、今すぐ捨てることなんてできない。
綺麗さっぱり忘れる事が朔也の望みなら。
私は今すぐ、朔也の望みを叶えてあげる事は出来ない。
朔也は、少しだけ目を細めた。
そして、静かに笑う。
「お前のそーゆうバカ一途なところとか…」
陽向が、顔を上げる。
「自分の気持ちに誠実なところが…俺は好きだから」
その言葉に。
「…!」
陽向の瞳が揺れた。
朔也は、ずっと見ていた。
陽向が、どれだけ藤崎俊輔を想い続けてきたのか。
神様のような存在に、どれだけ届かないと思っていても。
地獄のような失恋に、どれだけ傷ついても。
それでもずっと一途に好きだと、言い続けてきたことを。
そんな、陽向の真っ直ぐなところが好きだった。
笑顔が好きだった。
色気なんてなくても。
髪がぐちゃぐちゃでも。
制服の着方が雑でも。
くだらないことで腹を抱えて笑っている姿を見るだけで。
どうしようもなく、胸が熱くなった。
ずっと隣にいたから。
誰よりも知っている。
誰よりも強くて。
誰よりも優しくて。
自分よりも他人を大切にして。
泣き虫なのに、誰かが泣いていると真っ先に駆け寄る。
不器用で。
無鉄砲で。
どうしようもなく馬鹿で。
それでも、誰よりも眩しい。
それが、愛しくて堪らない、世界一大好きな人。
朔也は、陽向を見つめながら。
静かに、けれど確かな声で続けた。
「お互い大学卒業したら、一緒に暮らそう。」
陽向が目を丸くする。
朔也は、少しも冗談めかすことなく言った。
「これから先も一生ひなの側に、ずっといる。」
その言葉が、陽向の胸にゆっくりと染み込んでいく。
今日まで”卒業したら離れてしまう”と思っていた。
もう会えなくなる。
もう隣にはいられない。
そう思って、怖くて、寂しくて。
だから、遠くへ行かないでと願った。
けれど朔也は。
その先の未来を、当たり前のように口にしている。
大学を卒業して。
その先も。
そのまた先も。
ずっと。
そして朔也は。
自信ありげに、強く笑った。
「俺と一緒にいれば、藤崎先輩なんてすぐに忘れさせてやるよ」
そんな朔也の顔が。
どうしようもなく憎たらしくて。
どうしようもなく頼もしくて。
どうしようもなく───好きだった。
春の風が吹いた。
桜の細い枝がさらさらと揺れる。
まだ咲いていない蕾が、二人の頭上で小さく震えていた。
まだ満開には程遠い。
枝先には、今にも開きそうな蕾がいくつも膨らんでいる。
一年前。
満開の桜が散ったあと、長い季節を越えて。
また、春が来た。
そして。
あの日、散ってしまった桜が。
今度は、新しい花を咲かせようとしている。
陽向は、ゆっくりと。
口元を釣り上げた。
「………へぇー」
その顔に、もう涙はなかった。
陽向は腕を組む。
いつもの、少し偉そうな。
星野陽向らしい顔。
新しい季節が訪れる。
次の恋が、今始まる。
「そこまで言うなら…やってみて貰おうじゃないの」
こうして初恋を乗り越えた陽向は、二回目の。
好きな人とのセカンドシーズンがスタートした。
セカンドシーズン─好きな人を、真っ直ぐに。─
【完】
あとがきにて、制作秘話公開中!
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