第53話 闘神
朝から、ゼルハラは熱に包まれていた。
街路の屋台は早々に店を畳み、通りには闘技場へ向かう人の波。
砂の上を歩くたび、ざらりとした音が陽炎に混ざった。
今日の闘技は一つ――
《不死身のドーレイ vs 闘神グラン・ゼヴァルド》。
闘神が久々に表舞台へ出るとあって、観客の熱は異常だった。
「今回は派手に血が見られるぞ」「不死身の首、飛ぶんじゃねぇか」
そんな声があちこちで飛び交い、アレナ・マグナの外壁まで人で埋まっていた。
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控室には、外の熱気とは対照的な静けさが満ちていた。
石壁の中はひんやりと湿り、風一つ入らない。
ドーレイはベンチに腰を下ろし、剣の鍔に指をかける。
赤黒のオーラが一瞬だけ脈打ち、すぐに収まった。
セリナがすぐそばに立ち、静かに問いかける。
「……闘神、ですよね。相手は」
「ああ」
「やっぱり、怖くはないんですか?」
「怖いさ。だから剣を持つ」
ヴェラは壁にもたれ、短く息を吐いた。
「街中祭り騒ぎよ。闘神と不死身が殺りあうってね。」
ドーレイは軽く笑った。
「なら、期待に応えるしかねぇな」
扉の外で兵士の声が響く。
「――出場の準備を。」
ドーレイは立ち上がり、剣を背に掛けた。
「行くぞ。」
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砂の光が一気に視界を焼いた。
巨大な闘技場の中央に、風が渦を巻く。
観客席のざわめきが波のように押し寄せた。
観客席中央にある壇上では、司祭たちが魔符を起動させ、詠唱を始める。
砂の上に紋章が浮かび、幾何学模様が光を帯びる。
やがて、その光が観客席を包むように弧を描いた。
透明な膜が張られ、結界が完成する。
「結界完了!」
司祭の声と同時に、観客の歓声が爆ぜた。
東の扉が開く。
赤黒の光を纏いながら、不死身が歩み出る。
砂を踏みしめるたび、足跡の縁が微かに燻る。
反対の扉から、静かな影が現れた。
長い銀髪を後ろで束ね、黒の軽鎧に身を包む男。
頬に一本の古傷。
手にする双刃剣が、陽を受けて白紫に光る。
闘神――グラン・ゼヴァルド。
歓声が一瞬、音を失った。
白と紫の光が砂上を撫でるように走り、空気を震わせる。
ドーレイが剣を構えた瞬間、砂が風に舞った。
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観客席。
最上段では、ガルマがグラスを傾けていた。
琥珀の液体が陽に透ける。
「……さて、不死身。どこまで届く?」
離れた席では、黒衣の男――異端審問官カインが静かに見下ろしていた。
白手袋の指先が椅子の肘掛けを叩く。
「喰うか喰われるか……見届けさせてもらいましょう。」
中段にはエルガの姿。
腕を組み、無言で闘技を見つめている。
彼の視線の先で、二つのオーラがぶつかり合った。
ドーレイの赤黒。
グランの白紫。
音ではない“圧”が響き、結界がわずかに震える。
砂が浮き、空気が歪んだ。
エルガが小さく呟いた。
「……さすがだ。だが、闘神は七星に手が届くと言われた男だ。
あれを超えるには――」
その言葉を遮るように、砂が爆ぜた。
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剣と剣が交わるたび、空気が唸った。
グランの双刃が滑るように弧を描き、ドーレイの斬撃を受け流す。
反動で返すように刃が翻り、肩口を狙う。
ドーレイは咄嗟に下がり、赤黒の軌跡で受け止める。
衝撃が走り、足元の砂が波打つように散った。
「っ……!」
腕に痺れが走る。
白紫の光は静かでありながら、重さが異常だった。
グランが一歩踏み込む。
「……その程度のものか。」
低く、淡々とした声。
ドーレイは息を吐き、砂を蹴った。
刃が再び交差し、砂煙が渦を巻く。
赤黒と白紫。
動と静。
だが、押し返されるのはドーレイだった。
質量が違う。力そのものの深さが違う。
観客席のガルマが、グラスを口に運んだ。
「内に棲んでる化け物を出さねぇ限り、そいつにゃ勝てねぇぞ、不死身。」
その瞬間、グランの刃が閃いた。
ドーレイの肩口に斜めの傷。鮮血が弾け、砂を染める。
歓声が上がり、結界が光を揺らした。
片膝をつく。
視界の端で砂が滲んだ。
それでも、ドーレイはゆっくりと立ち上がった。
「……やっぱ、この状態で勝てるほど、甘くねぇか。」
息を吸う。
空気が熱を帯び、赤黒の光が再び灯る。
剣の刃が震え、オーラが形を変える。
「喰らえよ。俺の血を。」
――アルマ・ドローリスが静かに応えた。
砂が跳ね上がり、風が逆巻く。
観客の視界が白と黒に染まった。
赤黒の奔流がドーレイを包み込み、静光とぶつかる。
結界が悲鳴を上げ、光が砕け散る寸前で止まった。
その瞬間、アレナ・マグナは息を呑んだ。
誰一人、声を出せなかった。
白と紫の光が後退し、赤黒の影が前に出る。
風が止まり、砂が静止した。
そして――
不死身の影が、ゆっくりと剣を構え直した。
闘神が初めて、口角をわずかに上げた。
「……なるほど。」
――砂の呼吸が、再び動き出した。




