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第28話 砂竜の咆哮

 砂が、逆さに降った。

 五層の奥で壁がめくれ、滝みたいに砂が天から落ちる。熱を孕んだ風が一気に押し寄せ、視界が白くかき消された。


 轟音。地面が鳴る。

 砂嵐の幕を裂いて、巨大な(ふん)が現れた。岩盤を噛み砕いたみたいに歯は欠け、鱗は砂岩の板を幾重にも貼り合わせたように硬い。頸の両脇には、呼吸のたびに開閉する熱の孔が並ぶ。

 砂竜亜種――サンドリザード。


「……砂竜……!? この層で?」

 ヴェラが息を呑んだ。


「何が起こってやがんだ」

 ジャレドが低く吐き、盾を上げる。


 巨体が身をくねらせる。砂が吸い込まれ、次の瞬間、顔の奥から砂嵐が吐き出された。

 砂は刃になって飛び、肌を削る。熱が皮膚を焦がし、喉が砂で詰まるような圧。


「セリナ、影! 俺の後ろ!」

 ジャレドが踏み込み、丸盾を正面に突き出す。盾面に薄い光がまだらに灯る。オーラの皮膜。だが制御は粗い。


「《テンペランス》《ガードブレス》!」

 セリナの囁きが背を撫で、熱が一枚ひく。肺の痛みが和らいだ。


 砂竜の尾が地を薙いだ。岩柱みたいな重量が走る。

「受ける!」

 ジャレドが盾で角度を殺し、肩でしならせる。衝撃。盾の縁にヒビが走り、亀裂が一気に中心へ――砕けた。


「ジャレド!」

「まだ立つ!」


 盾の破片が砂に飲まれ、ジャレドは壊れた取っ手ごと腕に巻き付いた革を引き千切って捨てる。剣を逆手に持ち直し、一歩、さらに前へ。砂の牙を肩で受け流す形で動線を作る。


「二拍、鳴らす!」

 ヴェラが矢を二本、連続で放った。一本は右目の縁をかすめ、もう一本は頸の熱孔の“蓋”を撃ち抜く。孔が閉まらず、砂竜の呼吸が一瞬、乱れた。熱の流れが外へ洩れる。


「今だ、面を押す!」

 ジャレドが吠え、剣の腹で口吻の端を打って向きを固定する。


 俺は半歩、砂の陰を盗む。喉の奥へ通じる暗い裂け目が脈動するのが見えた。あそこだ。あの奥にある“熱の袋”――砂と熱を噛み潰す器官。そこを潰せば、巨体は自重に負ける。


 踏み込み。砂が逃げる前に、足裏で“面”を固める。

 黒鉄のナイフが掌で軽く鳴る。

 刃が熱を吸って、微かに赤く。


 その瞬間、胸の底で“何か”がうねった。

 肩口の傷から流れ出た血が、ナイフの柄を伝って滲む。

 赤が、黒に呑まれていく。


 刃が脈動した。

 金属なのに、まるで息を吸うみたいに。


 ジャレドの声が飛ぶ。

「今だ、不死身! 通せ!」


 その声が、刃の奥の“それ”を呼んだ。

 血が爆ぜるように広がり、ナイフ全体が赤黒く光を帯びる。

 金属が焦げ、空気が震える。


 アルマ・ドローリス。

 血を喰らう刃。


 目の前の熱が、すべて吸い込まれていく。

俺の手の中で、刃は“生きた鉄”へと変わった。

柄の中を脈が走るたび、傷口の血が逆流する。


「行くぞ!」

 ジャレドの吠え声。


 俺は足を踏み切り、口腔の継ぎ目へと一閃を放った。

 刃が走る瞬間、赤黒い光が弧を描き、空間ごと切り裂く。

 熱の袋が破れ、砂竜の咆哮が遅れて爆ぜた。


 砂嵐が止まり、熱風が外へ押し流される。

 ヴェラの矢が眼窩を貫き、ジャレドが剣で首の根を断つ。


 巨体が、ゆっくりと崩れ落ちた。

 地面が鳴り、砂丘が沈む。尾が最後に一度だけ暴れ、静寂が落ちた。


 砂の上に、俺は膝をついた。

 ナイフの光がゆっくりと消えていく。

 だが、その奥で“声”がした。


 ――まだ足りない。

 ――もっと喰わせろ。


 脳裏に、ざらついた音が響いた。

 刃が小さく鳴り、掌の皮膚を焦がすように熱を残す。


「ドーレイさん!」

 セリナの声。

 彼女の治癒光が肩を包む。冷たさが血の熱を鎮め、現実へ引き戻す。


 ヴェラが矢束を数えながら、砂竜の頭部に近づいた。

 鱗の間から、黒い砂と赤い粒子が混ざって流れ出している。

「……本当に、この層で出たのね」


 ジャレドは息を吐き、砕けた盾の残骸を見下ろした。

「守りが壊れてる。層の“順序”も、常識も」


 セリナが砂に掌を当てる。

 砂の粒が、皮膚の下で微かに脈打っているのを感じているのだろう。

「……砂が、息をしてる。逆流は、止まってません」


 そのとき、ヴェラが崩れた壁際で何かに目を留めた。

「……これ、見て」

 砂の中から、半ば埋もれた金属片が覗いていた。

 拾い上げると、それは小さな徽章だった。

 “銀の鷹”の紋章──ゼルハラ登録の冒険者ギルド印。

 腐食した鎖の先には、焦げた革の残骸。砂の奥には人骨の欠片が混じっている。


「……依頼の行方不明者、か」

 ジャレドの声が低く落ちた。

 ヴェラが静かに頷く。「少なくとも、ここまでは来てた」


 セリナはそっと祈るように目を閉じた。

「……この人たちも、“呼吸”に呑まれたんですね」


 俺は徽章を布で包み、腰袋にしまった。

「地上に持って帰る。せめて、報告ぐらいはしてやらねぇとな」


 俺は立ち上がり、砂竜の死骸を見下ろした。

 すでにその目は光を失い、静かに砂へと還り始めていた。


「……終わった、のか」

 呟いた声が、熱に溶けて消える。


 しばらく誰も動かなかった。

 燃えた砂の匂いと、血の味。

 静まり返った五層に、もう敵の気配はない。


 ジャレドが低く言う。

「……戻るぞ。ここで寝たら骨まで乾く」


 誰も異を唱えなかった。


 帰り道の風は、来たときよりも冷たかった。

 砂の呼吸が、ゆっくりと静まっていく。


 地上へ――。


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