第27話 血の契約、砂の底
風が、止まった。
第四層の奥、熱の吹き上がる裂け目を抜けた途端、空気が重く変わる。
砂の匂いに、鉄と焦げた油の臭気が混ざっていた。
「……ここが、五層」
ヴェラが呟く。
壁は赤く染み、ところどころが脈動している。まるで洞窟そのものが生き物のように、ゆっくりと呼吸をしていた。
「風向きが逆流してる。熱も……上に押し上げられてるな」
ジャレドが盾の縁を軽く叩き、低く言う。
「中が狂ってる。普通の層じゃねぇ」
セリナの顔が強張る。
「魔素の流れが乱れてます……血脈が“逆流”してる」
足元の砂が一瞬、ざわりと波立った。
その瞬間、全員が動きを止める。
暗がりの奥で、誰かがいた。
サラリ、と乾いた砂を踏み締める音。
人間の、それも金属の装備をまとった足音。
ヴェラが矢をつがえ、微かに眉を寄せた。
「……見覚えがある。闘技場の観覧席で見た顔」
黒い影が、ゆっくりと歩み出る。
炎の明滅に照らされ、長身の男の輪郭が浮かび上がった。
黒髪を無造作に束ね、顔の左半分には焼け爛れた痕。
片目の灰色は冷え切っていて、獣のような光を帯びている。
首には金色の首輪──ゴールドランク。
「バルド派の猟犬……ザイロス」
ジャレドの声が低く沈む。
その名が、層の熱気を一段冷たくした。
ザイロスの両脇に、二つの影。
一人は肩幅の広い男。鉄片を打ち付けた革鎧に、刃の鈍った大鉈をぶら下げている。目は血走り、腕は太い。
もう一人は細身の青年。灰緑の外套を羽織り、杖の先に埋め込まれた魔石が薄く脈動していた。
どちらも銅色の首輪──ブロンズランク。
「……目的は別だったが、治癒士がいるとはな」
ザイロスが口角を上げる。
「運がいい。──治癒士はここで消す。」
灰眼がセリナを射抜く。
「ここで引く気はねぇ」
ジャレドが前に出た。盾が低く唸り、砂を押しのける。
ヴェラが短く息を吐く。「三対三。ちょうどいいわね」
「いや」ザイロスが笑った。
「数なんざ関係ねぇ」
砂が爆ぜた。
まず動いたのは大鉈の男。砂煙を割って突進し、盾へと叩きつける。
鉄と鉄がぶつかる轟音。火花が散り、砂が弾ける。
ジャレドが踏み込み、盾の角で相手の懐を押し上げた。
筋力では勝っていた。だがブロンズも退かない。鉈を横薙ぎに振り、砂煙を散らす。
ヴェラはすぐに距離を取り、灰緑の青年へ。
矢を放つ。火花のような音。
魔石が光り、杖が短く唸る。
次の瞬間、小さな火弾が生まれた。
それは炎というより、圧縮された熱の塊。
矢と衝突して、熱がはじける。
「魔法持ちのブロンズ……厄介ね」
ヴェラが舌打ちする。
青年は不敵に笑った。
「...ククク」
その間にも、ザイロスは動かない。
静かに、まるで“狩りの順番”を待っているように。
灰眼がわずかに揺れ、次の瞬間──掠めるように姿が消えた。
「ドーレイ! 右だ!」
ジャレドの叫び。
黒い閃光が走る。
砂をえぐり、ザイロスの剣が閃いた。
標的はセリナ。
思考より早く、体が動く。
俺はセリナを突き飛ばし、肩口から斜めに斬られた。
焼けるような痛み。
血が砂に落ち、瞬時に蒸発する。
「ドーレイ!!」
セリナの悲鳴。
だが俺は倒れなかった。
息も乱さず、血の滴る肩を押さえたまま立つ。
ザイロスの表情がわずかに動く。
笑みではない、興味の色。
「……あれを喰らって、その程度か。おもしれぇ」
剣を払う音と同時に、空気が震えた。
砂の奥から、低い唸り。
風が止まり、壁が脈動する。
ザイロスが振り返る。
「……チッ。続きは“上”でやる」
合図ひとつで、ブロンズの二人が動いた。
鉈の男が盾を蹴り、後退。
魔石の青年が砂煙を巻き上げ、熱光を走らせる。
三人の影が同時に霧のように消えた。
残されたのは、熱と血と、沈黙。
次の瞬間、足元の砂がうねった。
「……何か来る」
ヴェラの声が掠れる。
砂が膨らみ、崩れ、奥の壁が唸る。
砂の底から、鈍い咆哮。
熱を孕んだ息が層全体を震わせた。
セリナが後ずさる。「この魔素の流れ……生き物です!」
俺は血の滲む肩を押さえながら、ナイフを構える。
黒鉄の刃が赤を帯び、砂に反射した。
ジャレドが盾を上げる。
「来るぞ──構えろ!」
砂嵐の奥から、巨大な影が這い出してきた。
砂の呼吸が、狂い始めた⸻




