第四話 突然の誘い
岩崎の言うとおり、夏休み初日だった昨日は休日として部活も休みになり、そして今日、朝十時に部室に来ていた。素晴らしいことに出席率は百パーセントだった。みんな暇なのだろうか。それともそんなに学校が好きなのか。ま、俺もここに来ている口なので、あまり他人のことを言えるわけではないのだが。
「昨日は何をしていた?」
口を開いたのは、麻生だ。見る感じ、かなり眠そうである。さしずめ夜通しゲームでもやっていたのだろう。いや、さすがに冗談だが、これくらいやっていそうな男なのだ。子供っぽいというか、いい意味で純粋というか、それが麻生だ。
「宿題を適当にやっていた。あとは、暇していた」
「は?宿題?お前バカじゃないか?」
なぜ宿題をやってバカと言われなければいけないのだろうか。というか、お前にバカと言われること自体納得いかない。
「夏休みの宿題なんていうのは八月の後半からやればいいんだ。それが普通だ。七月中に終わらせたほうがいいなんていうのは、都市伝説だぜ。信じるほうがどうかしている」
俺から言わせてもらえば、それを都市伝説だと言い切るお前のほうがどうかしていると思う。しかし、それが普通と言われると、いささか不愉快だな。宿題にしても課題にしても仕事にしても、早くやるに越したことはない。それなのにバカと言われるとは、この国のほうがバカになってしまっているのではないだろうか。
「そういうお前は何をしていたんだ?」
「朝から朝まで遊んでいた」
「………………」
俺の冗談が、だいたい当たっていた。夏休み初日だからと言ってはしゃぐのは、小学生くらいだと思っていた。俺は世間とずれていると自覚しているが、ここまでずれていると思わなかった。みんな夏休みをそれほど楽しみしているのか。
「だから今すごく眠い。会話の途中で返事が途切れても、死んだわけじゃないから心配しないでくれ」
そんな心配するわけがないだろう。
「案ずるな、ちゃんと起こしてやる」
「いや、起こさなくていいから。そのまま寝かしといてくれ」
それにしても暑いな。当然だが、この部室には冷房器具はない。窓も一つしかないので、全開にしたところで風通しも高が知れている。俺は何でこんなところに来ているんだろうな。我慢大会でも開かれているのだろうか。ま、暑いほうが好きな俺としては、大して苦痛ではないのだが、
「……………」
夏が嫌いだと豪語していたこいつは、現状をどう思っているのだろうか。本当によく来たと思う。というか、よくTCCに馴染んでいるな。全く面識がないところから始まったのだ。加えて、全員年上。俺が強制的に加入させたとはいえ、毎日顔を出していることに驚きだ。
「……何よ、暑苦しいわね」
言っておくが、俺は見ていただけだぞ。暑いのは俺のせいじゃない。暑苦しくていらいらするのは解るが、他人に当たるな。迷惑だ。
「姫は昨日何をしていたんだ?」
「電話」
電話をしていたのか。それは一日中か?答えるのが面倒なのかもしれないが、あからさまに言葉が少なすぎるぞ。
「へえ。姫も電話する相手がいたのか?ちなみに誰?」
麻生はケンカ売っているのだろうか。
「クラスの友達」
「おー、それはよかったな……」
確かに喜ばしいことではあるのかもしれないが、如何せん会話に内容がない。麻生からしたら、ただの眠気覚ましなのかもしれないし、姫からしたらただの気晴らしなのかもしれないが、聞いているこっちはつまらん。
何のためにここにいるのか、本当に解らないな。こんなつまらん会話を聞くために、俺はわざわざ学校に来たのだろうか。これほど時間を無駄にしていることもないだろう。もっと有意義な時間のすごし方が、星の数ほどあるだろう。何で俺はこんな選択肢を選んでしまったのだろうか。その原因について、考えていると、ふと違和感を覚えた。
みなさんもお気づきだろうが、今までの会話は三人だけである。加えて冒頭に出席率は百パーセントだと言ってある。おかしくないだろうか?事実上のTCCのメンバーは四人。会話に参加しているのは三人。誰かしゃべっていないやつがいる。言わずもがな、こいつである。
「岩崎は昨日何していたの?」
「……………………」
「岩崎?」
「え?あ、はい、何でしょうか?」
嫌な予感を覚えたのは俺だけじゃないはず。何だ、こいつ。最近少し様子が変だったが、今日は輪をかけておかしいな。今の今まで一言もしゃべらなかったのだ。こいつが中心で回っていると言っていいTCCにおいて、こいつがここまで口を利かないことがあっただろうか。
「昨日何していた?」
「え?昨日ですか?私は出かけていましたよ!」
なぜ叫んだ?声がいつもよりでかいし、テンションがおかしい。
「先輩、声大きいよ。何かいいことあったの?」
「え?な、何でですか?」
おそらく姫は何気なく聞いただけだろう。しかし、クリーンヒットした様子。どうやら昨日いいことがあったようだ。それは大変喜ばしいことだが、岩崎にとっての『いいこと』が俺にとっていいことであるか、それが重要だ。
「昨日何があったんだ?」
「えっと……」
言いたくないのか、それともどう言えばいいのか悩んでいるのか。とにかく逡巡していた。そこまで考えなくてはいけないことなのか。どう考えても俺にとっていいことであるはずがない。
俺が、言わなくていい、と言おうとしたとき、
「み、みなさん!」
岩崎が机をぶっ叩いて立ち上がった。何事かを思う。俺と姫は普通に驚き、夢の世界に旅立っていた麻生に至っては、イスから転げ落ちていた。しかし、そんなことお構いなしに、岩崎は言葉を紡いだ。
「こ、今週暇な日はありませんか?」
それを聞いて、俺たちは、
「…………」
となる。岩崎が俺たちの予定を聞くこと自体は問題ない。ただ俺たちが疑問に思っていることは、なぜこんなテンションなのか、ということだ。
「いや、平日ならいつでも平気だけど……」
「私も……」
岩崎の迫力に圧されたのか、とりあえず質問に答える麻生と姫。一応俺も答えておくか。
「俺もいつでも平気だ。何かあるのか?」
すると岩崎は、一瞬喜んだような表情をして、すぐさま拳に力を入れた。そして、
「私の中学の友人が、一緒に遊ばないか、と言っているんですが!いかがですか?」
またしても言っている内容と迫力が全く合っていないのだが、一体どうしたというのか。ただの遊びに行こうという誘いだろう?なぜそんなに気合が入っているんだ?
「いや、別にいいけど……」
「本当ですか!」
岩崎も理解できないが、向こうの言動も理解できないな。なぜ俺たちを誘うのだろうか。麻生は何となく感づいていたようだが、俺には全く理解できない。正直面倒な気もするが、今日に限っては断れないような気がする。オーケーを出した瞬間、岩崎はひまわりが咲いたような笑顔を見せたのだ。断った場合、どんなことになってしまうか考えただけで恐ろしい。というか、今の岩崎は、いつもの岩崎とは違いすぎで、俺すらもいつもと違う対応を取ってしまっているような気がする。嫌な流れだな。こうして俺の日常に、だんだんと非日常が入ってくると、気持ちが悪くて仕方がない。ここで断ることはできる。しかし、如何せん相手が積極的だ。その上、岩崎がこんな様子なのである。どう考えても最後まで回避し続けるのは難しいだろう。
「成瀬さんは、いかがですか……?」
ここは覚悟を決めるしかないのだろう。会うこと事態に恐怖しているわけではない。相手のペースに巻き込まれてしまっていることに恐怖しているのだ。だが、俺はいつも後手後手だ。いつものことだと言えば、そうなのだ。
「ああ。いいぞ」
「本当ですか!ありがとうございます」
またしてもひまわりのような笑顔。この笑顔がいつもより怖く見えたのは、気のせいではないだろう。
結局遊びに行くことが決定した。姫は最後まで渋っていたが、なぜだが下手になって一生懸命説得してくる岩崎をかわすことができずに、最終的には同情にも似た形で了承するに至っていた。




