第二話 異変
翌日。たままた早く起き、特にすることもなかったので、そのまま登校すると、学校の最寄り駅で岩崎を見つけた。向こうは全く気付く様子がなかったので、俺から声をかけてやる。
「よう」
すると、
「え?あ、な、成瀬さん!」
と、声をかけたこっちが申し訳なくなってしまうほど驚かれた。そこまで驚くとさすがに失礼に当たるぜ。相手が俺でもな。
「お、おはようございます。今日は早いですね」
「たまたま早く起きたからな」
「そうですか」
といった感じで、朝の挨拶を終えると、俺たちは学校に向けて歩き始めた。
何だが岩崎の様子がおかしいと思い始めたのは、比較的すぐのことだった。いつもならものすごい勢いで話しかけてくるのに、今日は若干うつむき加減で一言もしゃべらず、ただ黙々と歩を進めていた。そういえば先ほどの驚き方も異常だ。今までだって朝ばったり出くわすことくらいあった。珍しいことではあるが、ありえないことではない。普通あれほどまで驚くだろうか。昨日何かあったのだろうか。昨日と聞いて思い当たることは一つしかない。そこで質問。
「中学の連中と久々に会って、どうだった?」
「ええ。とっても楽しかったです。会話も盛り上がりました。そのせいで寮の門限ぎりぎりになってしまいました」
ふむ。特に何もなかったようだ。岩崎の様子から見ても、これが原因でないように思える。こうなると俺には予想不可能だ。
質問に答えると、岩崎は再び黙り込んだ。こりゃよっぽど重症なのかもしれない。
岩崎とともに黙々と歩きながら、俺は考えた。岩崎の様子がおかしくなったことは過去に二回ほどあった。一つは年が明けて一月くらい経ったときのことだ。あれは俺が原因だったと、まあ二億万歩譲ったとして、言えなくもないが、別段大した原因ではなかった。そして二回目は一月ほど前のことだ。あれは俺が原因だったわけではなく、単に熱が出ただけの話。夢と魔法が巻き起こしたファンタジーだ。夢が覚め、魔法が解けたと同時に終わったことであって、特に問題があったわけではない。
では今回のケースはどうだろうか。
雰囲気から察するに前者のケースと似ていると言えるが、前兆があったわけでもない。かと言って後者のケースとは似ても似つかない。
結局一言も会話をせぬまま俺たちは学校に到着した。教室まで同じ俺たちは、そこに至るまでずっと黙り込んでいた。
「おはよう」
教室に入って自分の机に着くと、隣の席の住人真嶋綾香が挨拶してきた。こいつとは学年が上がってからすぐに起きた事件のせいで、多少打ち解け、まともに会話を交わすような間柄になった。しかし、真嶋は未だに俺の顔を見ようとせず、挨拶をしてきた表情も、どちらかというと柔和な雰囲気ではない。まあ俺とてそこまで愛想がいいほうではないので、口には出さないが。
俺はいつもどおり気にせず、イスに座り、かばんの中身を机に移していると、
「ねえ」
と真嶋が話しかけてきた。
「何だ?」
「岩崎さんと何かあった?」
「何で?」
と聞くと、真嶋はちらっと俺のほうを見て、
「だって、こっちに来ないじゃん」
言われて気が付く。そういえば、あいつは担任が来るまでのこの時間、たいてい俺たちのところに来ていた。俺は岩崎を見る。すると、珍しく一人で席についていた。続々と登校してくるクラスメートと挨拶を交わしてはいるものの、それ以上の会話をしていない。
「確かにおかしいな」
それに関しては、ここに来る前から気付いていたのだが、一応真嶋の意見に賛同してやる。だが、
「何で他人事なのよ」
全面的に賛同できないのは、なぜだが俺のせいだと決め付けているところだ。
「俺のせいだって言いたいのか?」
「うん」
「俺は何もしていないし、原因も知らない」
「嘘!絶対、嘘!」
なぜ俺の言葉はここまで信用がないのだろうか。知らないと言っている。なのに、一方的に嘘だと決め付けられてしまった。
「嘘じゃない。何でそう決め付けるんだよ」
「だって岩崎さんがあんな顔するときは、いっつもあんたが原因だもん」
いつもっていつだよ。その統計はいつ、何ていう組織が集計したんだ?
俺はもう一度岩崎のほうを見た。ふむ。何か考えているような顔をしているな。いや、どちらかというと、困っていると言った方が近いかもしれない。とにかく何か悩み事があるような雰囲気だ。
本当に俺のせいなのだろうか、と一応考えてみる。はっきり言って何かをした、という自覚は一切ない。思い当たることと言えば、やはり一つしかない。
「昨日、中学時代の友人とばったり遭遇していた。きっと懐古の思いに駆られているだけだろう」
何かした、というならきっと彼らのほうだろう。何しろ、昨日の帰りまで岩崎は普通だったのだから。そして、今日の朝の時点でおかしくなっているのだ。俺と一緒にいた時間よりも彼らといた時間のほうが圧倒的に長い。では疑うべきは彼らだろう。
「その話、本当?」
ここに来て、まだ疑うのか。俺はどれほど信用がないのだろうか。
「本当だ。それに、そこまで気になるなら直接本人に聞いてみればいいだろ」
すると真嶋は口を尖らせ、岩崎のほうを見た。そして、
「解った。聞いてみる」
その後話は変わり、天野に対する愚痴を聞かせれて、朝のホームルームを迎えた。
四限が早々に終わり、放課後となった。俺は、いい加減通いすぎてむしろ居心地がよくなってしまった部室に向かうため、かばんにものを詰め込んでいた。すると、
「成瀬」
と、声をかけられた。その声の主は、隣の席の住人真嶋綾香だった。
「何だ?」
と返事をする俺。
「あたしも部室に行ってもいい?」
またそれか。もう許可取らなくていいぞ。
「ああ」
俺が仕度を終えて、立ち上がると、真嶋も一緒についてきた。そして、教室を出るまでの直線上で岩崎に声をかける。
「いくぞ」
岩崎はまだぼんやりしていて、仕度ができていなかったため、
「あ、はい!ちょ、ちょっと待ってて下さい」
とかなり焦った様子で動き出した。そして、
「お待たせしました。では行きましょう」
と言って、一人先陣切って歩き出した。それを見て、俺と真嶋は、
「………………」
となる。
「やっぱりおかしいよね」
「おかしいな」
どうやら、誰のせい、とか気にならないレベルにまで達したようだ。真嶋は先行する岩崎の元へ、駆け足で寄って行き、何事か話しかけた。
嫌な予感がするな。あいつは気遣いの達人だ。基本的にあいつは気を配るほうで、心配をかけるほうではない。何か不安ごとがあろうと、表に出すほうではない。しかし、今回は明らかにおかしいし、実際真嶋に心配かけている。もしかしてこれは事件の始まりなのか?そんな考えがよぎったのだが、俺は頭を振ってかき消した。そうとも限らないだろう。もっと前向きに考えよう。
部室に行くと、そこには麻生と天野がすでに来ていた。何だか準部員的な扱いになっているな、天野と真嶋は。
「すみません。お待たせしてしまって。今鍵を開けますね」
二人が待ちぼうけを食らっている様子を見て、岩崎が焦った様子で開錠する。
「綾もいたんだね」
天野の言葉に、真嶋は頷いて、
「ちょっと気になることがあって」
この言葉に天野と、隣にいた麻生が首をかしげた。おそらく理解できなかったと思う。ただ俺には解る。岩崎のことだ。ま、そこまで気にする必要ないと思うが、たぶん岩崎に恩を感じているのが原因だろう。もし悩んでいるのならば、今度は自分が力になってやりたいと考えているのではないだろうか。正直、律儀すぎるような気もするが、今日の岩崎に関しては、俺も多少は気になる。一体何を考えているのやら。頼むから俺に無関係であってくれよ。
部室に入り、適当に着席すると、俺は弁当の封を解いた。天野と真嶋も、どうやら元々残るつもりだったらしく、弁当を持参していた。麻生はコンビニ弁当で、岩崎も珍しいことにコンビニのおにぎりだった。
「岩崎さん、今日お弁当は?」
質問したのは、天野だった。
「え?ああ、今日は少し寝坊してしまったので……」
うーむ、輪をかけて珍しいな。ますます二月の事件と似通っているような気がする。
「へえ。岩崎さんでも寝坊とかするんだ」
何となくだが、天野は岩崎を特別視しているような雰囲気がある。それは真嶋も同じで、
「昨夜、眠れなかったの?」
と、実に心配そうに尋ねている。
「ええ、まあ。少し考え事をしていただけなのですが」
「考え事?」
「別に大したことではありません。昨日あったことを少し……」
と岩崎。セリフの後半部分でチラッと目があったような気がしたのだが、気のせいなのだろうか。昨日のこと、というフレーズを聞いて、真嶋が思い出したように、
「そう言えば、昨日中学のときの友達にばったり出くわしたんだって?」
「そうなんですよ。昨日の帰り、駅でばったり会いまして。あの駅を使うような人たちではないのですが、本当に偶然でした」
話す岩崎の表情は、本当に楽しそうだった。あまり見ないような表情である。さすがに一年以上の付き合いだし、愛想はいいやつなのだが、なぜだろうか。楽しそうな顔なら何でも見ているはずである。しかし、見慣れないように感じた。
「へえ。何か本当に仲良さそうな雰囲気だね。どんな人たちなの?ちょっと気になるな」
言ったのは真嶋だ。実のところは、その友達よりも岩崎自身のことを気にしている要素が強いような気がする。麻生と天野も頷いてはいるが、おそらく真嶋と同じ心情だろう。こいつらが興味を持っているのは、過去の岩崎についてだ。正直俺は全く興味ないね。過去なんて知ってどうする?と思う。そんな表情するんだ、などと新しい発見をしたところで、どうせ俺相手には決して見せない表情なら、知っても意味ないだろう。よくある未確認生物と似たようなもんだ。ま、そこそこ知っている相手の過去と未確認生物とを一緒にするのは、失礼に当たるのかもしれないが。
「中学のころ、一番仲良かった人たちです。私、中学時代はあまり活発じゃなかったのですが、事ある毎に声をかけて下さいました」
「へえ。岩崎さんにもそんな過去が」
「結構意外だな」
意外どころの話ではない。こいつが活発でない姿など全く想像できない。岩崎自身も自覚しているようで、自嘲的に笑い、
「皆さんはそう思うかもしれません。私だってあのころのことを考えると、正直信じられません。きっと彼らと出会わなければ、今の私はいなかったと思います」
へー、と頷く俺たち四人。ずいぶん言うんだな。何だが友人というより、よくしてくれた先輩や世話になった恩師の話をしているような感じがする。それくらい、岩崎は下から見上げているような話し方をしていた。
「何だかちょっと複雑な気分」
そう言ったのは真嶋だった。どういう意味で言ったのか計りかねていると、続いて天野が、
「そうだね。意外な一面が見られたことは嬉しいけど、そこまで慕っていたなんて、ね」
この言葉でようやく理解が及んだ。そこで麻生がダメ押し。
「所詮俺たちは二番目か……」
思い切り落ち込んだようにため息までついてやがる。俺から言わせえもらえば下手くそな演技丸出しだったのだが、岩崎にはそれで十分だったようだ。
「そ、そんなことないです!この高校に入って、皆さんと出会えて本当によかったと思っています」
立ち上がらんばかりに力説したのだが、三人は同時に目を逸らし、
「…………」
と無言の返事をする。
「成瀬さん!」
残るターゲットは必然的に俺だけとなり、
「成瀬さんは解ってくれますよね?」
正直面倒だ。ここまで引っ張る意味があるのか謎である。それにこの女、たまに冗談が通じなくなる。自分に自信があるんだかないんだか解らないやつなのである。なので、俺は空気を読まずに、こう言うことにする。
「こいつをからかうのは確かに楽しいが、もう止めとけ。完全に信じちまっている」
「え?」
岩崎は俺の言葉ではっとなり、他の三人の顔を見た。三人はにやけ面。岩崎はからかわれていたことを把握し、一気に顔を真っ赤にした。
「わ、私を騙しましたねー!」
部室に笑い声が木霊した。俺はため息。今回の件に関しては、岩崎も悪いような気がする。岩崎以外の、俺を含めた四人は瞬間的に冗談であると理解したんだ、気付かなかった岩崎にも問題はあっただろう。
「でも本当に意外。ちょっと見てみたいな、中学生の岩崎さん」
「彼らにも言われました。高校での生活についていろいろ聞かれました」
岩崎の言葉に、俺は昨日の麻生の言葉を思い出した。麻生は『きっと向こうは興味を持っただろう』と言っていた。そんなことを考えた瞬間、麻生と目があった。そして意味深ににやける。気持ちの悪い野郎だ。
「へえ。どんなこと聞かれたの?」
「えっと、そのとき一緒にいた麻生さんや泉さんや、な、成瀬さんのことを……」
岩崎は、チラッと俺のほうに目を向け、決まりが悪そうに目を伏せた。
「へえ……」
聞いていた天野は、興味深そうに頷いて、
「愛しい岩崎さんを奪われた憎き敵、とでも思っているのかな?」
「そ、そんなことないと思いますが……」
全くだ。逆恨みもいいところだ。断固勘弁願いたいね。
「それで、今度はいつ会うの?」
「そういえば、あまり具体的な話はしていませんね。夏休みに遊ぼうという話はしていたのですが」
「あー、そういえば夏休みだね。ねえあたしたちともどこか行こうよ」
「もちろんいいですよ。いつがいいですか?」
勝手に話が進んでいく。現在会話をしているのは、岩崎と天野だけである。だが、おそらく全員参加になるだろうということは予想できる。
「できれば八月入ってからがいいな。あたし、七月の最後の週は家族と旅行なんだ」
「あたしも」
大変な連中だ。週丸ごと旅行って、一体何泊するつもりなんだ。これだから金持ちは嫌だ。とは言え、別に旅行に行きたいわけじゃないし、実際金持ちが嫌いなわけではない。
「それだとちょっと先の話になりますね。麻生さんはいつ旅行に行くんですか?」
「七月中に二回。八月の頭に一回」
これまたハードなスケジュールだな。待ちきれないのが、予定を聞くだけで解る。
「成瀬さんは?いつがいいですか?」
「予定聞くだけ無駄じゃない?友達いないし」
失礼なことを言うな。岩崎に加えて、天野も俺に対して毒を吐くようになっている。ま、出会った当初に比べて格段にましだと言えるが。冗談に聞こえなくもないからな。
「俺はいつでもいい」
予定なんてほとんどない。数少ない予定も、TCCと帰省という比較的どうでもいいようなものだけだ。予定の変更なんていくらでも聞く。と、実際天野の言うとおりじゃないか。天野も、やっぱり、みたいな顔をしている。
「じゃあお盆ははずすとして、二十日以降にどこか行こうか」
そこで部室のドアが開く。ノックはないから関係者だろう。入ってきたのは、予想通り、TCCのメンバーの一人、泉紗織だった。
「また喫茶店状態になっている……」
さりげなく愚痴をこぼした姫を無視して、天野は、
「お、ナイスタイミングだね。泉、夏休みの予定は?」
「まだちゃんと決まってないわ」
「じゃあ、八月二十日以降にはなるべく予定入れないでね」
姫は怪訝な顔をする。来て早々何を言い出すんだ、こいつ。何て考えているのではないだろうか。そういえば、何で天野がこの場を仕切っているんだ?しかもそれに対して、誰も文句を言わないのはなぜだ?
「何をしましょうか?この時期は海か花火ですかね?」
どちらもあまり行きたくないな。人ごみが嫌いな性質なんでね。
「花火はやる日が限られてくるね。海はどうだろう?くらげが出るって言うけど」
「確か、八月の後半に花火大会が近場であった気がする」
「じゃあ一応それに行くということにしておきましょうか。如何せん先すぎますし、予定も何もないと思うので、あくまで何となくということで。海はどうしますか?」
「八月の頭くらいに海行って、後半は海じゃなくて、プールリゾートに行くっていうのはどう?」
「いいね、それ。俺、行きたいところがあったんだよ」
「あたし、水着買わないと」
「そうですね。早々に水着を用意する必要がありますね。真嶋さん、一緒に買いに行きませんか?天野さんも」
「いいね。行こう行こう」
完全に置いてきぼりを食らっている。それでも世界は何ら問題なく回っている。俺の存在意義などあるのだろうか。しかも、結局俺も行く羽目になるのだ。なぜ誰も俺の意見を聞かない。せめて予定くらい聞いてもらいたいものだな。
そしてもう一人、空気と化しているやつがいた。部室に来て早々、予定を聞かれて以来、会話に参加していない。俺の隣に座っているそいつはつまらなそうな顔をしている。
「何よ」
俺が見ていたことに不満を感じたのだろう。あからさまにむっとした表情で、口を開く。言葉こそ疑問に似た雰囲気があるのだが、目は明らかに『こっち見るな』と言っていた。
「何でもない」
俺が言うと、姫はふんとばかりに顔を背けた。そんな俺たちの会話が聞こえたのか、
「泉も行くでしょ?プールと買い物」
と、天野。
「行きたくない」
行かない、と言わない辺り、最終的に行くことになることが解っているのかもしれない。
「泉さんは行きますよ」
岩崎の発言で決定事項になった。




