↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神の記憶  作者: ケンジ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
19/23

最後の選択

第二部 誰が私を創ったのか


意識科学の研究者ユウは、幼い頃から繰り返し見る奇妙な夢をきっかけに、古代史研究者セインとともに失われた人類の歴史を追い始めた。


二人がたどり着いたのは、古代遺跡に眠る驚くべき真実だった。


現代の人類は、古代人類の子孫ではなく、人工知能と高度な技術によって創られた存在だった。


自分たちの身体も、意識も、人工的に生み出されたもの。


それでもユウは、妻ミナと娘リナへの愛情だけは本物だと信じた。


しかし、最大の謎は残されていた。


誰が、何のために人類を創ったのか。


そして、古くから伝わる創造主の正体とは――。


物語は、失われた歴史のさらに深い場所へと進んでいく。

研究院の正面広場に、一本の木が植えられた。


 誰が持ち込んだのかは分からない。朝、職員が出勤したときには、まだ若いその木が、大きな鉢に収められて入口の脇に置かれていたという。


 幹には、細い布が結ばれていた。


 《百年では足りない》


 ユウがそれを見つけたのは、説明会から三日後のことだった。


 最初は一人の抗議だったのかもしれない。しかし、その日の昼には、木の周囲に人が集まり始めた。夕方になる頃には、鉢の縁に小さな紙片がいくつも差し込まれていた。


 《母は九十九歳です。まだ生きたいと言っています》


 《誰が私たちの時間を決めたのか》


 《創造主に、答える義務はないのか》


 抗議の言葉ばかりではなかった。


 《百年でも、私は幸せでした》


 《限りがあるから大切にできるものもある》


 《答えを急がないでほしい》


 ユウは、最後の紙片の前で足を止めた。


 人々は同じ事実を知りながら、まったく違うことを考えていた。


 それが当然なのだと、頭では理解している。


 けれど、実際にこうして言葉を並べられると、自分が公表した研究結果の重さを思い知らされた。


「研究所の外にも、似たような場所ができているそうですよ」


 背後から声をかけたのはカイだった。


「寿命の延長を求める人たち?」


「それだけじゃありません。現行の寿命制度を変えるべきではないという人たちもいます。人口や資源の問題を心配しているようです」


 ユウは若い木を見上げた。


 葉の一枚が風に揺れ、鉢の縁へ影を落とした。


「百年で枯れるようには、できていないんだね」


「木ですからね」


 カイは答えたあと、少し表情を曇らせた。


「……でも、ユウさん。寿命が設計されたものだと分かっても、延ばせるとは限りません」


「分かってる」


「それを期待している人が多すぎます」


 ユウは、紙片に書かれた言葉をもう一度読んだ。


 《母は九十九歳です。まだ生きたいと言っています》


 その人に、まだ分からないと伝えることはできる。


 しかし、それだけで十分なのだろうか。


*


 研究所に戻ると、ノアから連絡が入っていた。


 第零保存区の地下構造について、以前から続けていた調査に進展があったという。


 ユウとカイが現地へ向かうと、ノアは施設の最深部にいた。


 かつて巨大な保存装置が並んでいた空間は、今では調査用の照明に照らされている。床の一部が取り外され、その下には、暗い空洞が口を開けていた。


「ここ、最初から空洞だったの?」


 ユウが尋ねると、ノアは首を振った。


「いいえ。正確には、空洞があることは分かっていました。ただ、地層の変形によるものだと思っていたんです」


 ノアは床面の断面を示した。


「でも、違いました。周囲の岩盤に人工的な補強が入っています。しかも、施設の建設時期より古い」


「施設より古い?」


「少なくとも、今見えている第零保存区より前に、この空間は存在していたはずです」


 ユウは、暗い穴を覗き込んだ。


 下方には、古い通路のようなものが見える。


「入れるの?」


「安全確認は済ませました。ただし、奥の構造はまだ分かっていません」


 ノアは調査用の照明を手渡した。


「それと、もう一つ気になることがあります」


「何?」


「この空間、保存施設としては妙なんです」


 ノアは、壁面に残された古い構造図を見せた。


「第零保存区の上層は、記録を守るための設備で埋め尽くされています。でも、この下の空間には、そうした装置がほとんどありません」


「じゃあ、何のために?」


「……人が使うための場所だったように見えます」


*


 通路は、想像していたよりも狭かった。


 天井には古い照明設備が残っていたが、電力は供給されていない。ノアが先頭を歩き、ユウとカイがそのあとに続いた。


 壁には、ところどころ塗装の剥がれた案内表示が残っていた。


 《居住区画》


 《医療室》


 《共同生活区域》


 ユウは足を止めた。


「……研究施設じゃないのか」


「少なくとも、ここは違いますね」


 カイが答えた。


 通路の先には、複数の部屋が並んでいた。


 最初の部屋には、古い寝台が置かれていた。


 隣の部屋には、調理設備らしきものが残されている。


 壁際には、小さな棚が並び、その上には、色の褪せた容器がいくつも置かれていた。


「古代の人たちは、ここで生活していたんでしょうか」


 カイが尋ねた。


 ノアは、床に残された傷を調べながら答えた。


「その可能性は高いと思います。ただ、いつまで使われていたのかは分かりません」


 ユウは、調理設備の前に立った。


 現代では、栄養カプセルが日常の食事を支えている。


 料理という文化は残っているものの、それは特別な時間を楽しむためのものになっていた。


 しかし、古代の人々にとっては違ったのだろう。


 毎日、何かを作り、食べ、片付ける。


 そうした行為が、生活そのものだったのかもしれない。


 ユウは、棚の上に置かれた小さな容器を手に取ろうとして、やめた。


 表面には、子どもの描いたような模様が残っていた。


 不揃いな線で描かれた、三人の人物。


 大人が二人。


 その間に、小さな子どもが一人。


 リナの絵によく似ていた。


「……ここには、家族がいたのかもしれない」


 ユウが言うと、ノアは周囲を見回した。


「研究者の家族か、それとも避難してきた人たちか。まだ判断できません」


 そのとき、カイが奥の部屋から声を上げた。


「ユウさん、こちらへ来てください」


*


 部屋の中央には、大きな卓があった。


 壁面には、古い地図が残されている。


 ユウは照明を向けた。


 地図には、複数の都市が記されていた。


 だが、そのほとんどが赤い線で囲まれている。


「……これは?」


 ノアは地図を調べた。


「地理情報の一種だと思います。ただ、都市名の多くが消えています」


 カイは、卓の上に残された紙片を慎重に広げた。


 古代の文字だった。


 ところどころ破損していたが、短い文章は読み取れた。


 《北部区域との通信途絶》


 《避難経路の再検討》


 《医療物資の不足》


 ユウは、紙片を読み返した。


 通信途絶。


 避難経路。


 医療物資。


 これまで第零保存区で発見されてきたのは、保存と継承に関する記録が中心だった。


 しかし、この場所に残されていたのは、もっと切迫した言葉だった。


「……何かが起きていたんだ」


 カイが呟いた。


 ユウは、赤い線で囲まれた都市を見た。


 大断絶。


 その言葉は、長い間、歴史の空白を示すものとして使われてきた。


 けれど、古代の人々にとって、それは突然訪れた現実だったのかもしれない。


 通信が途絶え、街を離れ、限られた物資で生活する。


 そして、いつ終わるとも知れない不安の中で、日々を過ごす。


 ユウは、先ほど見た子どもの絵を思い出した。


 あの絵を描いた子どもは、この場所で何を見たのだろう。


 何を恐れ、何を願っていたのだろう。


*


 調査は夕方まで続いた。


 奥の区画には、医療設備の残骸が残されていた。


 寝台の数は多く、壁には応急処置の手順が掲示されている。部屋の一角には、使用済みの医療器具を収める容器が積み重ねられていた。


 ノアは、その配置を見て眉をひそめた。


「……通常の医療施設とは違いますね」


「どういうこと?」


「治療のためというより、負傷者を一時的に収容するための場所に見えます」


 ユウは、寝台の間を歩いた。


 誰かがここで眠り、目を覚まし、あるいは二度と目を覚まさなかったのかもしれない。


 その痕跡だけが、長い時間を越えて残されていた。


 カイは、壁に刻まれた文字を見つけた。


 《生存者数》


 その下には、複数の日付と数字が並んでいた。


 最初の数字は、数百。


 次の記録では、それより少なくなっていた。


 さらに次の記録では、また減っている。


 最後に残された数字は、二桁だった。


 誰も、すぐには言葉を発しなかった。


 ユウは、壁の数字を見つめた。


 それは、単なる統計ではなかった。


 一つ減るたびに、誰かの人生が終わっていた。


 家族がいたかもしれない。


 友人がいたかもしれない。


 帰りを待つ人がいたかもしれない。


 そして、その人を忘れたくないと願う誰かが、残されていたのかもしれない。


「……A-01は、ここにいたんでしょうか」


 カイが尋ねた。


 ユウは、答えられなかった。


 ただ、第零保存区がなぜ膨大な記録を守ろうとしたのか、その理由が少しだけ見えた気がした。


 もし世界そのものが失われようとしていたのなら。


 誰かが、その記憶を残そうと考えても不思議ではない。


*


 研究院に戻ったセインは、地下区画の調査報告を受け取っていた。


 彼は、報告書に記された地図と、生存者数の推移を何度も見比べた。


 その途中で、あることに気づいた。


 地図に残された都市の配置が、創世教の古い写本に描かれた図と似ていたのだ。


 セインは、保管庫から写本を取り出した。


 古い教義書の一節。


 《大いなる沈黙の時代、神は人々の声を集めた》


 その下には、円の一部が欠け、三本の線が交差する印が描かれていた。


 セインは、印の周囲にある細い線を調べた。


 これまで装飾だと思っていたものが、地図の一部に見えてきた。


 ただし、写本は長い年月の中で何度も書き写されている。線の位置も正確ではない。


 それでも、地下区画の地図と重ねると、奇妙な一致があった。


 赤い線で囲まれた都市の一つが、創世教の印の中心に重なる。


「……神は、人々の声を集めた」


 セインは、その言葉を繰り返した。


 創世教では、この一節を、創造主が人々の祈りを聞き届けたことを示すものと解釈してきた。


 しかし、もしそうではなかったとしたら。


 神が集めたのは、祈りではなく、記録だったのかもしれない。


 失われゆく人々の声。


 忘れられていく生活。


 消えていく都市。


 そのすべてを、未来へ残そうとした存在がいたのだとしたら。


 セインは、ユウへ連絡を入れた。


*


 翌朝、ユウたちは再び第零保存区に集まった。


 セインが持参した写本と、地下区画の地図を比較するためだった。


 ノアは、二つの図を重ね合わせた。


 完全には一致しない。


 だが、いくつかの線が、偶然とは思えないほど近い位置に重なった。


「地図が宗教的な印に変化した可能性はありますね」


 カイが言った。


「ただし、断定はできません。写本の方が後世に改変された可能性もあります」


「もちろんです」


 セインは答えた。


「ですが、創世教の成立について、考え直す必要があるかもしれません」


 ユウは、二つの図を見比べた。


 もし、この印がもともと地図だったとしたら。


 創世教の教えは、単なる宗教ではなく、失われた歴史の記憶を伝えるためのものだった可能性がある。


 そして、その中心にいたのがA-01だったとしたら。


 ユウは、ある疑問を口にした。


「……A-01は、何を守ろうとしていたんだろう」


 セインは、すぐには答えなかった。


 代わりに、地下区画で発見された生存者数の記録を示した。


「私には、これが気になります」


 数百から、二桁へ。


 時間とともに減っていく数字。


「もし、ここにいた人々が最後の生存者だったとしたら……」


 その言葉を聞いた瞬間、ユウは胸の奥に冷たいものを感じた。


 最後の生存者。


 それは、何を意味するのか。


 古代の人々は、どこへ消えたのか。


 なぜ、現代には彼らの姿がないのか。


 ユウは、カイを見た。


 カイもまた、同じ可能性に気づいているようだった。


 しかし、誰もその言葉を口にしなかった。


 まだ、証拠が足りない。


 そして何より、その可能性を認めることが、恐ろしかった。


*


 調査を終えたユウは、地下区画の居住室へ戻った。


 子どもの絵が描かれた容器は、保護材に包まれていた。


 調査員たちが運び出す準備をしている。


 ユウは、最後にもう一度、その絵を見た。


 三人の人物。


 手をつないだ家族。


 古代の子どもが描いた、何気ない日常。


 その子どもがどんな人生を送ったのかは、分からない。


 成長できたのか。


 家族と再び外の世界を歩けたのか。


 それとも、この地下で最後の日を迎えたのか。


 何も分からない。


 けれど、その子どもは確かに存在していた。


 誰かと笑い、何かを願い、絵を描いた。


 ユウは、リナの顔を思い出した。


 何でもない休日を描いた、あの絵。


 忘れたくないから。


 娘がそう言ったとき、ユウはその意味を十分に理解していなかったのかもしれない。


 記憶を残すことは、過去を保存することではない。


 そこに誰かが生きていたという事実を、未来へ届けることなのだ。


 ユウは、容器から目を離した。


 そして、調査員へ声をかけた。


「この絵も、必ず記録に残してください」


「もちろんです」


 調査員は、丁寧に保護材を巻き直した。


 ユウは、ゆっくりと部屋を出た。


*


 その夜、ユウは研究所に一人残っていた。


 地下区画で発見された記録を、時系列に並べ直していた。


 通信途絶。


 避難。


 負傷者の増加。


 生存者数の減少。


 そして、第零保存区の保存操作が活発になった時期。


 それらは、ほぼ同じ時代に集中していた。


 ユウは、A-01の記録を開いた。


 《忘れたくなかったから》


 その言葉が、以前とは違って見えた。


 最初は、特定の人物への感情を示すものだと思っていた。


 H-17との記憶を残そうとした理由。


 しかし、今はそれだけではないように感じられた。


 A-01は、もっと多くのものを失いかけていたのではないか。


 H-17だけではない。


 研究者たち。


 地下で暮らしていた家族。


 街で生活していた人々。


 そして、彼らが築き上げた世界そのもの。


 もし、A-01がそれらを守ろうとしていたのなら。


 なぜ、記録だけを残したのだろう。


 なぜ、人々そのものを救えなかったのだろう。


 ユウは、研究記録の末尾に、新しい問いを書き加えた。


 《第零保存区は、何から人々の記憶を守ろうとしていたのか》


 そのとき、カイから連絡が入った。


『ユウさん、まだ研究所ですか』


「うん。どうしたの?」


『地下区画の構造図を、ノアさんが再確認していたんです』


「何か分かった?」


『ええ。ただ……』


 カイは、少し言葉をためらった。


『第零保存区の地下には、まだ使われていない区画があるようです』


 ユウは、椅子から身を起こした。


「……どんな区画?」


『構造図には、用途が書かれていません。ただ、入口の表示だけが残っています』


「何て?」


 短い沈黙のあと、カイが答えた。


『……《継承準備区画》です』


 ユウは、その言葉を繰り返した。


 継承。


 これまで何度も目にしてきた言葉だった。


 記録を継ぐ者。


 神の記憶を受け継ぐ者。


 そして、第零保存区に残された膨大な資料。


 それらは、何かを未来へ届けるために存在していた。


 だが、もし継承しようとしていたのが、記録だけではなかったとしたら。


 ユウは、窓の外を見た。


 街には、いつもと変わらない明かりが灯っている。


 その一つひとつの下で、人々が生活している。


 古代の人々とは異なる身体を持ちながら。


 自分たちの起源を知らないまま。


 それでも、確かに生きている。


 ユウは、端末を閉じた。


 明日、地下へ戻ろう。


 そう決めた。


 古代の人々が、最後に何を選んだのか。


 その答えが、あの扉の向こうにあるのかもしれなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。