譚ノ五
あと少し、もう少し……あとちょっとで満たされる
たくさん、たくさん入れたから、これで最後にしよう
早く……早く、この匣を……空っぽの匣を一杯にしたい
次で満たされるだろうと思えば、心が躍る
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「というわけで、かんぱーい!」
「……乾杯」
まだ飲むのか、と志郎は目の前で大ジョッキに入ったビールを煽る紫月を見る。
美味しいと顔を綻ばせて彼女は次々鉄板の上に肉や野菜を並べていく。
煉も来るのかと思いきや、彼はどうやら来ないらしい。またもや二人きりである。
肉が焼けるまで志郎はチラリと外を見やる。
彼女が誘った焼肉店は奇しくも志郎が晴明に引き取られる前に過ごしていた施設からそう遠く離れていない場所であった。
場所なんて酒を飲むことを考えればわざわざ電車を使って離れた店に来る必要はないのではないかと志郎は思うのだが、紫月には考えでもあるのかこの店を選んだのである。
「うん、お肉焼けてるよ。近所にも確かに美味しい店はあるんだけどね、ここは飲み物の種類も多いしお肉も珍しく猪肉や鹿肉、熊肉、馬肉、鯨肉も扱っていてね。色んなものを食べてみたいという今日の気分にぴったりだから選んだんだ」
「駅からちょい遠いのが難点やけどな」
彼女の勧める通り、どの肉も柔らかく美味しかった。
「なぁ。“鬼”ってどこにいるとか分からんの?」
「分かるわけがないじゃないか。妖怪レーダー的なものがあるわけじゃないし。そりゃあすぐに分かればボクが“鬼”を食べて終わり。殺人事件なんて起こらないかもしれないけれど、無理だね。ほら、野菜も食べなよ」
次から次へと焼いては肉、野菜、とバランスよく志郎の皿へと放り込む。
「なぁ……俺、どないすればええの? まだ何も聞いてへんし」
「前にも言ったかもしれないけれど、それはボクじゃなくて晴明に聞きなよ」
「そう言われてもな。最初会った時に、何もないって言うてたけど、それってどういう意味なん?」
あれから考えてみたがどういう意味なのか分からないままだった。せっかくの機会。志郎は紫月に問う。
すると彼女は言葉通りの意味さ、と返事をする。
分からないから聞いているというのに。
「さっきキミはボクにどうすればいいのか聞いたね。中身が詰まっているのならば分かることだよ。晴明に聞く手立てを考えるなり、今自分に出来ることを考えて行動をするものさ。中身のない“人”は周りを見ながら何をすればいいのか分からず立ちすくみ、誰かがどうにかしてくれる、と考えることを放棄する。答えだけを待つという意味のないことをするのさ」
今のキミがその状態だと紫月は言う。
ただ、と彼女は言葉を続けた。
「喜ばしいことにキミにはこれから晴明が師となる。他の“人”とは少し違う人生を経験することが出来る。“人”の縁ほど不思議で奇跡的なものはないよ。さぁ、食べたまえ。晴明に押し付けられたとはいえ、ボクとキミには縁が出来た。だからキミに言葉を贈ろう。今、何もない分これから自分の匣に経験や知識を思う存分詰めていけばいい……とね」
言葉のひとひらが、志郎の心を満たした。
両親から受けた辛い言葉の数々。施設でも友達はいなくて。妹分とずっといた。施設の先生と話をすることも少なくて。何故、自分がこんな目に遭わなければならないのかと思っていた。
泣くのが嫌で、白いご飯と肉を一緒に掻き込む。
妹分も、一緒に引き取ってもらえたらどんなに良かっただろう。レイキ会の“人ならざるモノ”達がどんなモノがいるのかは知らないけれど、少なくとも自分を引き取ってくれた晴明、預けられた先で出会った紫月、煉は志郎を傷付けない。
「……俺、やっていけるやろか」
「さて。これから先やっていけるか、やっていけないかは、キミ次第さ」
朝はあれだけ気持ちが悪かったのに、不思議と次から次へと肉やご飯、野菜が胃の中へ消えて行く。
たっぷりと食べ、最後にシメの冷麺をすすり、店を出た。
夜風は随分と涼しく、しかし今の志郎の心にはちょうど良い温度であった。
駅までは少々距離があり、田舎の方なので街頭も車も、人通りも少なめだ。
前を歩く紫月は特に酒に酔った風もなくしっかりとした足取りをしている。
これでふらふらと千鳥足だったら志郎が肩を貸さなければいけなかった所である。
街灯下に行けば、彼女の姿は浮かび上がるようであった。
長い黒髪を一つに纏め、今の時代に珍しい和装姿。その色合いは黒と紅。花模様はパターンがあるが、蝶模様だけは必ずどこかに入っている。
預けられて何日か経っているが彼女がその二つの色合い以外の着物と羽織を着ている姿は見ていないから、恐らく彼女の中でトレードマークとなっているのだろう。
「洋服、着ぃひんの?」
「持ってないわけじゃないけどね。こっちの方が着慣れてるんだ。長い間、着物を着てきたからね。あ、でもヒートテックだけは手放せないな。冬には必須になる。そう思うと喜ばしい進化だよね」
「何でそこだけやねん。ていうか着物、目立つやん」
「目立たせてるんだよ。分かりやすいだろう?」
それはそうかもしれない、と返事をしようとした瞬間、紫月が振り返った。
街灯の下の彼女は今まで見たことがない表情だった。
いつもの飄々とした表情がなく、怖いくらいに真面目な表情だ。
彼女の目を見て志郎はゾッとした。
背中に寒気が走り、息を飲んだ。
紫月から目が離せない。
「どない、したん……?」
そう聞くのがやっとだった。
「出ておいで? “虚鬼”」
何か……ドス黒い何かが、近付いてくる。
直観的に志郎は、感じた。




