第五話 準備
年が明けて、三学期が始まった。
冬休みが終わったばかりだというのに、教室の空気はもう来年の受験一色だった。
黒板の端には「私立入試まであと○日」と書かれていて、休み時間になるたび誰かがため息をつく。
春樹は窓際の席で頬杖をつきながら、ぼんやり外を眺めていた。
いつも部活で走っているグラウンドが目に入る。
サッカー部の練習は相変わらずある。
しかし、勉学優先のこの学校の部活動はとても緩かった。
時間も短く、きっちり終わる。休日も昼過ぎには終わることが多い。
いってみれば、授業が一限追加されただけみたいなものだった。
そのおかげで、塾も講習会も普通に行けていた。
放課後。
部活帰りのまま塾へ向かう途中、駅前の自販機の前で春樹は携帯を開いた。
新着メール 二件。
差出人:橘真尋
差出人:西野美咲
自然と口元が少しだけ緩む。
『今日の数学やばかった』
真尋から。
数分後に届いていた美咲のメールには、
『部活寒そう。風邪引いてない?』
と書かれていた。
真尋は、思ったことをそのまま送ってくる。
美咲は、相手のことを気にして送ってくる。
同じメールでも、少しずつ違っていた。
◇
いつものようにコンビニに寄り、メールを確認する。
横ではさっき買ったばかりの菓子パンを食べながら、祐介がにやにやしていた。
「春樹さぁどっちかちゃんとしろよ 」
「なんだよどっちかって」
「真尋ちゃんか美咲ちゃん」
名前が出て反射的に携帯を閉じる。
「行けってなんだよ」
「え~?俺に言わせんの?」
意味がわからない。
そう返そうとして、春樹は少しだけ言葉に詰まった。
真尋といるのは楽しい。
美咲とメールしてる時間も嫌いじゃない。
でも、それを“好き”って言われると、急に全部が違う意味を持ち始める気がした。
「別に二人とも…そんなんじゃねぇよ」
「はいはい」
祐介は笑いながら、携帯を開く。
「お前も青春しろよ藤沢くん」
「うっざ」
「俺はもうバレンタインが楽しみだぜ」
「そうですか」
そう言いながら、春樹もまた携帯を開く。
少し迷ってから、真尋へ返信を打つ。
『数学は元からやばくなかったか?』
送信。
すぐに返事が来る。
『うるさい!』そのあとに怒った顔の絵文字。
春樹は思わず笑った。
それを見て祐介はまたニヤついていた。
◇
夜。
風呂上がり、部屋のベッドに寝転びながら春樹はテレビを観ていた。
クラスで話題になってるバラエティ番組。
話題に残されないように、毎週なんとなくつけている。
けれど、今日はいつも以上に内容がほとんど頭に入ってこない。
多分さっきの祐介のせいだ。
携帯が震える。すぐに手が伸びた。
『春樹くん、もう志望校決めた?』
美咲からだった。
『この前会った時に言ってたところだよ。祐介と一緒。美咲も決まった?』
『うん。お互い頑張ろうね』
短い文章。
でも、美咲のメールは不思議と落ち着いた。
しばらくして、また携帯が震える。
今度は真尋。
一枚の画像がついていた。
どこかの遊園地のパンフレット。
『これ美咲にも送ったんだけど、受験終わったらみんなで遊びたい!』
そのあとに、遊園地の話や映画の話が続く。
真尋は、いつも“みんな”を真ん中に置いて話す。
それが真尋らしかった。
春樹が返信を考えていると、また別の着信。
『今、真尋からメール来た?』
美咲だった。
春樹は、この前の慌ててる彼女の姿を思い出して少し笑った。
『来たよ、みんなで遊園地行きたいらしい』
『だよね。真尋っぽいね』
携帯の画面を見ながら、春樹はなんとなく思う。
実際に会っている時間は少ない。
それでも、みんな繋がっている感じは確かにあった。
◇
二月。
期末テストが近づくにつれて、メールの頻度は少しだけ減っていった。
代わりに、一通一通が長くなる。
『勉強しても全然頭入らない~!範囲広すぎ!そっちはどう?』
『寒いよ眠いよ~!親からのプレッシャーすごいよ~!』
『部活もちょっとしんどくなってきた。正直逃げたい』
真尋の弱音。
『春樹くん、ちゃんと寝れてる?』
『こっちは今日でテスト終わったよ。春樹くん、無理しすぎないでね』
美咲の優しい言葉。
春樹自身も余裕があるわけじゃなかった。
けれど、携帯を開けば二人からメールが届いてる。
塾に行くと、いつもの祐介の惚気話が待っている。
その”いつもの感じ”が、少しだけ心を落ち着けてくれる。
◇
三月。
期末テストを乗り越え、三年生を送って、ようやく春講習の日。
駅前の広場には、先に真尋と美咲が来ていた。
「二人ともおそーい!」
そう言いながら、真尋は笑っている。
テストから解放されたからなのか、冬の頃より少しだけ表情が柔らかかった。
少し遅れて、美咲も笑う。
「ごめんね、ちょっと早すぎた?」
「いや、全然」
春の風が吹く。
冬の時より、空気が軽かった。
「前もメールしたけどさ、受験終わったらさ」
歩きながら真尋が言う。
「ちゃんと遊ぼうよ。みんなで」
「…そうだね」
美咲が笑う。
「祐介は彼女優先しそうだけど」
「する!」
後ろにいた祐介が即答した。続けて彼女の話をする。
向こうは高校生になってもっと美人になったとか、そんなくだらない話。
三人が笑う。
その時間が、春樹は好きだった。
そこに祐介自身も笑って騒がしくなる感じも。
全部まとめて、好きだった。
でも、楽しい時間はすぐに終わる。
あっという間に最終日。帰りの時間。
先に美咲たち側の電車がホームへ入ってくる。
「あ、来た」
「じゃあまたメールするね」
美咲が小さく手を振る。
「おう」
真尋も笑いながら手を振った。
「春樹、ちゃんと返信しなよー」
「わかってるって」
「ほんとかな~?」
電車のドアが閉まる。
走り出した車両の窓越しに、真尋がまだ何か喋っていた。
その横で、美咲が笑っている。
春樹は、電車が見えなくなるまでその姿を見送っていた。
「まーたなんもしなかったな」
祐介の言葉で我に返る。
「なんもってなんだよ」
笑っている祐介を小突いた時、自分の顔が火照っているのを感じた。




