第三話 受信中
講習会が終わったその日の夜。
風呂上がりの春樹は、自室のベッドに寝転がりながら携帯を眺めていた。
窓の外では、まだ蝉が鳴いている。
昼間よりは少しだけ涼しくなっていたが、夏の空気は夜になっても部屋に残っていた。
会って話したのはたった数日。
それなのに、数時間前まで当たり前みたいに聞こえていた真尋の笑い声や、美咲の柔らかい返事が、急に遠くなった気がする。
その時だった。
握っていた携帯が短く震える。
春樹は反射的に体を起こし、画面を見る。
新着メール 一件。
差出人:橘真尋
それだけで、少しだけ心臓が跳ねた。
『今日はおつかれー!
なんか帰りちょっと寂しかったね笑』
春樹は小さく息を漏らす。
続きには、
『美咲も楽しかったって言ってたよー』
と書かれていた。
そのあとに、『冬もよろしく!』とも。
いかにも真尋らしい文章だった。
春樹は少し悩みながら返信を打つ。
『おつかれ。
俺もなんか変な感じするわ』
そこまで打って、一度手を止める。
変な感じってなんだ。
少しだけ迷ってから、そのまま送信した。
すぐに返事が来る。
『でしょ? 変な感じ!
もう夏終わった感ある笑』
本当に、まだ八月も始まったばかりなのに。
春樹は思わず笑ってしまった。
◇
講習会が終わってしばらく経ってからも、やり取りは続いた。
送り主は大半が真尋からだった。
『部活だるいー。
今日で先輩たち引退でちょっと寂しい』
『今日めっちゃ暑くない?
雨のあと嫌になっちゃうよね』
『テストどうだった?美咲が学年一位だよ!すごい!
私も順位少しだけ上がった』
『席替えで窓側ゲットした。ラッキー!』
そんな他愛ない内容ばかり。
気づけば、真尋とのメールの方が長く続くことが増えていた。
どうでもいい内容なのに、なぜか話は途切れなかった。
一方、美咲からのメールは真尋ほど多くなかった。
『春樹くん、今日試合どうだった?』
『おすすめしてくれた漫画、おもしろかったよ!』
『この前言ってた映画面白かった?』
短くて、少し丁寧な文章。
けれど美咲は、春樹が前に話したことを不思議なくらい覚えていた。
学校が違うから、昼休みに顔を合わせることもなければ、帰り道が重なることもない。
だからこそ、夜に届くメールが少しだけ特別だった。
帰宅したら携帯を開く。
夕飯を食べたら携帯を開く。
風呂上がりに携帯を開く。
そのたび新着メールを確認する。
自然と指が動き、返信する。
そんなことがいつの間にか当たり前になっていた。
たまに祐介やクラスメイトからもメールが届く。
そういう時、自分が少しだけ別の相手を期待していたことに気づいて、春樹はなんとなく照れくさくなった。
電話の方は、お金もかかるし家族の目もあるのでほとんどしなかった。
◇
気づけば、蝉の声は少しずつ減っていて、部活帰りの空も夏の頃より早く暗くなってきた。
そんなある日、祐介から短いメールが届いた。
『彼女できたぞ!年上!』
意味がわからず、『は?』と返す。
翌日の塾帰り。
「お前昨日のマジなの?」
「マジ」
祐介は得意げに笑った。
「先輩卒業するじゃん? だからダメ元で告ったらOKでさ」
差し出した携帯の画面には、彼女と思わしき女の子が笑っている。
「美人じゃん。すごくね?」
「だろ?」
当たり前みたいに言われて、春樹は苦笑する。
「春樹は?」
「なにが」
「いや、美咲ちゃんとか真尋ちゃんとか」
「ねーよ」
「ふーん」
ニヤニヤしながら見てくる祐介を、春樹は軽く小突いた。
真尋からメールが来る。
返す。
少しして、美咲からメールが来る。
また返す。
それだけだった。
◇
十一月の終わり頃だった。
初めて真尋から電話がかかってきた。
「もしもし?」
『あ、春樹? 聞こえる?』
「聞こえるけど。どうしたの急に?」
『いや、メール打つのめんどくさくなってさ』
電話越しに笑う声が聞こえる。
夏の時のままだ。
『確認したくてさ。冬期講習来る?』
「行くって。俺も祐介も」
『ならよかった~』
少しだけ間が空く。
向こう側の生活音が、遠くに聞こえた。
『美咲も楽しみにしてるよ』
「そうなの?」
『春樹は?』
「まぁ、普通に楽しみだけど」
ちょっと照れくさそうにそう答えると、向こうで真尋が笑った。
『あっ、やばい母さん来た!』
電話の向こうで、真尋が少し慌てた声を出す。
『また携帯ー?って顔してるわ。じゃあ来月ね!』
メールばかりだったせいか、電話越しの声は少しだけ新鮮だった。
通話が切れたあともしばらく、春樹は携帯を耳に当てたまま動けなかった。
◇
気づけば秋は終わり、あっという間に冬休みになった。
冬講習の前日。
珍しく、美咲からメールが届いた。
『明日、久しぶりだね』
それだけの短い文章。
少し迷ってから、『だね。遅れないようになー』と返す。
数分後。
『気をつけます!春樹くんこそ』
そのあとに、小さな笑顔の絵文字がついていた。
夏の時の、美咲の笑顔が浮かぶ。
明日、また会える。
そう思うと、しんどいはずの講習会が待ち遠しかった。




