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春恋サルベージ  作者: 九条タクト


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17/17

最終話 サルベージ

  ノートパソコンの画面に、古い写真が表示されていた。

 春樹と、真尋と、美咲。

 十四歳の夏。

 講習会の最終日に撮った写真だった。

 画質は荒い。

 今のスマートフォンで撮る写真とは比べものにならないくらい、全体がぼんやりしている。

 それでも、三人とも笑っていた。

 画面の中の自分は、少しぎこちなく立っている。

 その隣で、真尋が明るく笑っている。

 美咲は、二人の間で柔らかく微笑んでいた。

 こんな写真が残っていたことすら、忘れていた。

 春樹はしばらく、画面を見つめたまま動けなかった。

 ガラケーから抜いたSDカードを、持ってきていたノートパソコンに差しただけだった。

 ただ、昔の写真が少し出てくるかもしれない。

 それくらいのつもりだった。

 なのに、気づけば春樹は、二十年近く前の春に戻っていた。

      ◇

 あのあと、真尋とは会わなかった。

 高校二年の五月。

 サッカー部の新人戦の会場で、フェンス越しに話したのが最後だった。

『じゃあ、またね』

 真尋は笑っていた。

 その笑顔に、春樹は確かに安心していた。

『おう。またそのうちな』

 そう返した。

 あの時は、本当にそう思っていた。

 また、そのうち会える。

 また、そのうち電話する。

 また、そのうちメールすればいい。

 けれど、その“そのうち”は来なかった。

 連絡は、少しずつ減っていった。

 最初は、三日空いた。

 次は、一週間空いた。

 部活が忙しいんだろう。

 テスト前だしな。

 こっちも新聞部で遅いし。

 そんな理由はいくらでもあった。

 春樹は、何度か携帯を開いた。

 真尋の名前を見つけて、メールを作りかけたこともある。

 けれど、何を書けばいいのかわからなかった。

 今さら急に送ったら変かもしれない。

 向こうも忙しいだろう。

 また時間ができたらでいい。

 そう思って、閉じた。

 何度も。

 何度も。

 そのうち、真尋からのメールも来なくなった。

 別れよう、と言われたわけではない。

 別れよう、と言ったわけでもない。

 喧嘩をしたわけじゃない。

 誰かを嫌いになったわけでもない。

 ただ、次の約束をしなかった。

 ただ、連絡をしなかった。

 それだけで、あの恋は終わってしまった。

      ◇

 春樹は椅子にもたれ、天井を見上げた。

「あー……」

 声にならない声が、部屋に落ちる。

 今なら、わかる。

 多分、真尋は待ってくれていた。

 あの子は、待ってくれる子だった。

 寂しくても、強く責めたりしなかった。

 会いたいと言う時も、冗談みたいに笑っていた。

 寂しいと言う代わりに、走って会いに来るような子だった。

 それを春樹は、どこかで当たり前みたいに受け取っていた。

 待ってくれること。

 笑って流してくれること。

 こっちが何も言わなくても、ちゃんと好きでいてくれること。

 真尋がそうしてくれたから成り立っていただけなのに、春樹はそれを恋愛の形だと思っていたのかもしれない。

 「そのうち」

 「また今度」

 「落ち着いたら」

 「いつか」

 気づけば、そんな言葉ばかり使うようになっていた。

 そのあとに付き合った人たちのことを思い出す。

 大学の頃。

 社会人になってから。

 何度か、恋人と呼べる人はいた。

 けれど長く続かなかった。

 相手が悪かったわけではない。

 多分、春樹が同じことをしていた。

 連絡をあとに回して。

 会う約束を先延ばしにして。

 大事な話を、落ち着いたらで済ませて。

 相手が離れていく頃になって、ようやく気づく。

 けれど、その時にはもう遅い。

 そのうち、恋愛は無理にしなくてもいいものになった。

 仕事がある。

 生活がある。

 今は今で、別に困っていない。

 家庭だとか、結婚だとか。

 そういうことは、そのうち考えればいい。

 そうやって、気づけば今になっていた。

「……ひどいな」

 春樹は小さく呟いた。

 真尋にだけじゃない。

 多分、今まで付き合った人たちにも。

 ずっと同じことをしてきた。

 悪気がなかったから、余計にたちが悪い。

 春樹はノートパソコンの画面を見る。

 十四歳の自分は、何も知らない顔で笑っていた。

      ◇

 しばらくして、春樹は椅子から立ち上がった。

 ふと、思い出したことがあった。

 真尋にもらったCD。

 まだ、どこかにあったはずだ。

 CDは大学へ進学する時、ほとんどは置いていった。

 社会人になってからも、実家の自分の部屋をきちんと整理したことはない。

 母親が片付けた箱の中をさらにあさると、古いCDケースが何枚か入っていた。

 背表紙は色褪せていて、どれも少し懐かしい。

 当時好きだったバンド。

 友達に借りて、そのまま返しそびれたようなアルバム。

 姉の影響で聴いていたアイドルのベスト盤。

 その中に、見覚えのある一枚があった。

「あ……これだ」

 ジャケットには、ヘッドホンをつけた白い猫のようなキャラクターが描かれていた。

 背景は銀色で、ところどころにピンクのインクが飛び散っている。

 アルバムタイトルは英字で崩した字体になっていて、ぱっと見ただけでは読みにくい。

 母が「変なCD」と言ったのも、少しだけわかる気がした。

 春樹はケースを手に取り、そっと開く。

 中には、歌詞カードと当時の帯が入っていた。

 クリスマスの日を思い出す。

 イルミネーションの見える広場のベンチ。

 寒そうに手をこすりながら、真尋がこのCDを差し出した。

『なんか春樹、こういうの好きそうだなーって思って』

 そう言って、照れくさそうに笑っていた。

『あと普通に、今いちばん好きなアルバムだから聴いてほしかった』

 あの時は、その言葉がただ嬉しかった。

 真尋が好きなものを、自分にも聴いてほしいと言ってくれた。

 それだけで、胸の奥が温かくなった。

 春樹は歌詞カードを開き、曲名を目で追う。

 聞き覚えのあるタイトルが並んでいる。

 CMで流れていた曲。

 ドラマか映画の主題歌だった曲。

 教室でクラスメイトが歌っていた曲。

 

 そして、あるタイトルで視線が止まる。

『春恋サルベージ』

 春樹は、しばらくその文字を見つめていた。

 

 こんなタイトルだったのか。

 何度も聴いた曲だった。

 真尋が歌っていた曲だった。

 美咲の携帯からも流れていた曲だった。

 あの頃の春に、ずっと近くにあった曲だった。

 けれど、今初めて意味がわかったような気がした。

 春に沈んだ恋を、拾い上げる。

 忘れたわけじゃない。

 捨てたわけでもない。

 ただ、深いところへ沈んでしまった気持ちを、もう一度引き上げる。

 そんな言葉が、歌詞カードの中に並んでいた。

 春樹は歌詞を目で追いながら、昔の自分を思い出す。

 真尋からのメールを待っていたこと。

 電話の着信音に胸が跳ねたこと。

 会える日が近づくたびに、何度も携帯を開いたこと。

 手をつなぐだけで、どうしようもなく嬉しかったこと。

 あの恋は、もう戻らない。

 真尋に連絡することもできない。

 仮に連絡先を知っていたとしても、多分しない。

 あの頃に恋をしていたのは、あの頃の真尋で。

 あの頃の春樹だった。

 劇的な再会なんてない。

 相手が自分を思い出すことも多分ない。

 どこかで偶然会えたとしても、言えることは一つくらいだ。

 あの時は、ごめん。

 それだけだと思う。

 それでもあの時、確かに自分は恋をしていた。

 誰かを好きになることに、ちゃんと夢中だった。

 あの感情まで、なかったことにしなくていい。

 沈んだままにしなくていい。

 春樹は歌詞カードを閉じた。

      ◇

 机の上には、古いガラケーが置かれている。

 銀色の折りたたみ式。

 そこには、真尋とおそろいだったストラップがまだついていた。

 あのあと、機種変更はした。

 けれど、ストラップを新しい携帯へ付け替えた記憶はない。

 そのうち付け替えよう。

 多分、そう思った。

 そして、そのまま忘れた。

 春樹はストラップを指先でつまむ。

 小さなキャラクターは、色が少し褪せていた。

 あの時、真尋は新しい携帯に同じストラップをつけていた。

 それを見て、春樹は「いいな」と言った。

 春樹も早く機種変しなよー。

 そのうちな。

 そんな会話をした。

 真尋は笑っていた。

 でも、一拍置いてから笑っていた。

 その一拍の意味を、今さら考えてしまう。


 春樹はストラップから手を離した。

 そして、今使っているスマートフォンを手に取る。

 三日前に届いたメッセージが残っていた。

『また予定合う日教えてくださいね!』

 仕事で知り合った年下の女性からだった。

 打ち上げの帰りに、何度かやり取りをした。

 感じのいい子だった。

 話していると、妙に落ち着いた。

 少しだけ、また会ってみたいと思っていた。

 けれど返事はしていなかった。

 実家に帰る準備があったから。

 妹の結婚式があるから。

 落ち着いてからでいいと思っていた。

 そのうちでいいと思っていた。

 春樹は苦笑する。

「……ほんと、変わんねぇな」

 誰に言うでもなく、そう呟いた。

 それから、メッセージ欄を開く。

 少し考えて、文字を打つ。

『返事遅れてすみません。

 地元から戻ったら、ぜひ食事行きましょう。

 来週、空いている日ありますか?』

 打ち終えて、画面を見つめた。

 たったそれだけの文面なのに、指が止まりそうになる。

 またあとでいい。

 もう少し落ち着いてからでいい。

 そんな言葉が、どこかから浮かび上がってくる。

 でも、春樹は送信ボタンを押した。

 画面に、送信済みの文字が表示される。

 その瞬間、胸の奥で何かが少しだけ動いた気がした。


 夜風がカーテンを揺らしている。

 机の上には、古いガラケーと、真尋にもらったCD。

 高校二年の春に沈んだ恋は、もう戻らない。

 でもあの頃の自分が知っていた、誰かを好きになる気持ちなら。

 まだ、引き上げられる気がした。


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