3-6 闇の中、音の波に包まれて
里全体が朱に染まる。
太陽が落ち着いた頃から始まった収穫祭は、既に盛況を呈していた。
シェルツたち四人も、そして心音とティスも祭りの雰囲気を楽しみつつ、我こそはと並ぶ山の幸に舌鼓を打っていた。
祭りの最中は、常にどこかで太鼓の音が鳴っていた。これも何かの儀式の一環なのであろうか。
朱の度合いが闇に取って代わり始めた頃、ティスが食器を置いて心音を見上げる。
「コトおねえちゃん……」
「うん、大丈夫だよ。なんたって、ぼくが大丈夫って言ってるんだもん!」
「……はい、です!」
ティスが見上げた先の自信に満ちた師匠の表情は、不安な心を落ち着かせるには十分なものであった。
里の中央に篝火が灯される。
それはだんだんと大きく広がり、あたり一帯を明るく照らし始めた。
ティスの姿は、既に心音の隣にはない。
中央より東側に建つ社から、まるで巫女装束のような、神聖さを感じる衣を纏った女性が篝火の前に躍りでる。
その背後には、社の前で笛を構えるティスの姿があった。
――――空気という弦が弾ける音がした。
緊張感を持って里を震わせた笛の音が、聴いた者全てを醒ますように澄み渡る。
静かに、そして確実に響き渡った単音が、次第に数を増やし、リズム感を伴って加速していった。
上がり、下り、跳ねて、落ちる。
軽やかな旋律が、くるりくるりと回る。
堂々と笛を構える少女からは、天上の存在へ捧げるに相応しい音楽が奏でられていた。
「ティスちゃん、すごいよ、今までで一番……」
本番のステージには何かが降ってくる。
心音は故郷でそういう話を何度も耳にしたが、今のティスは、そう、まるで音楽の天使が乗り移ったかのような、聴くものを虜にする音を奏でていた。
研ぎ澄まされた音楽が、篝火の前で祈り踊る女性をトランス状態に導く。
篝火を中心とした周囲は、いつの間にか里の住民達で囲まれており、彼らは一斉に祈り、廻っている。
一つの生き物であると錯覚するような一体感が高まり、そしてmolto ritardando、儀式の終わりを予感させる。
一際広く響く音でのロングトーン。
それがcrescendo、大きな残響を残して宙へ消えた。
里長が篝火で照らされた社の前に歩み出る。
何やら呟き社に祈りを捧げると、振り向いてゆっくりと口を開いた。
「此度の収穫祭も、山の天使様に届き申した。わら等は大自然と共にある。常に、感謝を忘れてはならぬ――――」
里長が民たちに教養を与えるように言葉を連ねる。
心音たち里の外の人間から見ても、その内容は高い道徳性で構築されており、思わず頷いてしまうものであった。
「――――。では、これにて今年の収穫祭はお開きとする――――!?」
突然であった。
辺り一帯が一気に闇に包まれた後、遅れて篝火が消えたことに気がついた。
「な、何が起こ……うわぁ‼」
男性の悲鳴が聞こえそちらに目をやると、闇にうっすらと、赤い点が幾つも怪しく浮かび上がっていた。
「ま、魔物だぁ‼」
各所から上がる焦燥の声や悲鳴で、場が騒然となる。
周囲を見渡すと、四方を完全に包囲されているようであった。
「ひぃ、結界を越えて!? いつの間に!?」
気づけば何かが月明りを隠し、視界はほとんど頼りにならない。
――このままでは多くの被害が出る。
心音が最悪の事態を想像し蒼白となっている中、柏手のようにぴしゃりとした声が波紋のように広がった。
「皆の者、取り乱すでない! 冷静に対処せよ。集え、わらの元へ! 耳を使いなされ!」
一瞬でざわめきが収まり、里長であるアーシャの声の周りに民が集まり固まる。
しかし、少し遅れてやや遠くから女性の悲鳴が小さく聞こえた。
暗闇に慣れず、躓いて転んだようだ。
焦った女性は、光魔法を簡易詠唱し、光球を生み出し――
「――いかん! 光を収めよ!」
アーシャが慌てて叫ぶが、すでに遅し、小さな光球が辺りをじわりと照らし出した。
瞬間、獰猛な呻きと共に狼型の魔物が三頭、女性に強襲した。
「きゃぁぁぁ⁉」
「――疾っ!」
魔物の牙が女性に届く前に、瞬時に間合いを詰めたシェルツが風魔法を一閃、三頭まとめて吹き飛ばした。
そのまま勢いを殺さずに女性を抱きかかえ、皆がまとまる中央部へ帰還した。
「光を見せてはいけない。集中的に狙われてしまうからの」
――とは言え、どうしたものか。
既にアーシャとエラーニュの二人がかりで防壁を展開しているが、まさか朝までこのままというわけにもいかないだろうし、そもそもそれまで展開し続けることはヒト族の魔力量的に無理がある。
突然の事態への打開策を練る。しかし、思考する時間すら儘ならず、防壁を衝撃が襲った。
「なんだ⁉ 魔法か⁉」
至近距離に魔物が迫っていないことを気配で感じ、ヴェレスが声を上げる。
その正体までは掴めないが、何かしらの遠距離魔法で攻撃を加えられているらしいことは分かった。
「これは……篝火を消したのもこいつの仕業だねぇ。頭が回るのが紛れておるな」
アーシャが静かに思考を流す。
いよいよ猶予がなくなってきた。何かしらの行動を起こさなければ、突破されるのも時間の問題である。
「どうするよ⁉ オレが突撃してめちゃくちゃに暴れまわってくるか⁉」
「あたしの魔法で一帯を殲滅する⁉ こうなったら家とか畑の心配してる場合じゃないでしょ!」
ヴェレスとアーニエが焦燥交じりに武器を構える。
しかし、どちらも確実性がなく、また危険な行為であることは言っている本人も理解できていた。
それでも、だまって事態が悪化するのを見てはいられないのが冒険者だ。
「コトおねえちゃん、怖いよ……」
「ティスちゃん。大丈夫だよ、ぼくたちが、なんとかするから」
心音の袖をひっぱり、ティスが震えた声で縋る。
どんな表情かは闇に飲まれて確認できない。
聴覚のみで感じることのできたその弟子の不安を、師匠として、冒険者として解決してあげたいと、心音の心に使命感が沸き上がってきた。
ぼくに何ができるかな。
聴覚には、動揺する里の民の声、アーシャがぶつぶつと思考する声、ヴェレスとアーニエがああでもないこうでもないと、エラーニュがシェルツに障壁の状況報告をしたり、そして数多の魔物のうめき声に障壁を傷つける衝撃音。
たくさんの音が、音が、音が飛び込み、心音の中で飽和していく。
極度の緊張と焦りにより、神経質になっていくのを心音は感じた。
同時に、入ってくる音の情報が波のように押し寄せる。
虫の音。
咳込む音。
鎧が軋む音。
渦巻く風の音。
民の布擦れの音。
魔物の荒い呼吸音。
木々の葉が揺れる音。
踏みしめた土が沈む音。
ティスの心臓が脈打つ音。
生きるものの骨が擦れる音。
洪水のように溢れるあらゆる音が、嫌になるほど脳内に飛び込んでくる。
でも今は、この音に頼るしかない――
「シェルツさん、ヴェレスさん、アーニエさん、エラーニュさん。ぼくが、魔物の位置をお知らせします! ぼくの耳で、魔物の位置をある程度正確に捉えられそうです。対内念話の精霊線を繋ぐので、それを頼りに動いて欲しいです!」
心音の耳に、困惑を感じさせる呼吸音が聞こえた。
自分でも不思議なことを言っていると思っている。
それでも、昔から心が不安定になると聞こえ過ぎていた過剰な音の波が、この場の打開策になりうると、直観が示していた。
「コト、信じていいんだね?」
いまいち根拠に欠ける、聞いたことのない手法での提案。
不安は拭えないが、一刻を争う今、その提案に頼るべきであるかと思案し、シェルツは確認する。
「ぼく、じっとしたまま、みんなが傷つくのは見たくないです。でも、ぼく一人ではみんなを守れません。シェルツさんたちにまた頼ってしまいますが、その剣を預けてくれないでしょうか?」
少し躊躇う呼気。
そして深い呼吸を一つ、シェルツは小さくもはっきりとした声でパーティメンバーに伝える。
「短期決戦を狙ったほうがいいと思う。〝身体強化〟の出力を目いっぱい上げて、コトの指示に最速で反応するよ」
「あぁ、瞬発力なら任せな。見えなくても武器の感覚なら手足のように分かるぜ」
「コトの示した方向に収束させて魔法を打てばいいのよね?」
「アーシャ婆、守りを頼めますか? わたしも攻撃に回ります」
チャクトの巨木の件もあり、心音に対する一種の信頼というのがパーティ内にあった。
それに加えて、状況に応じた柔軟性というのも、この五人の長所でもあるのだろう。
アーシャは一拍考え込み、すぐに返答を出す。
「伊達に百年以上生きちゃいないよ。防壁の魔法はわらの得意分野さね。存分に暴れてきなされ」
魔物の気配がじりじりと近づいてきた。もう悠長に構えていられない。
心音を防壁内に残し、四人は防壁の外、四方へ一気に散った。
『(では、お願いします! シェルツさん正面に三体、ヴェレスさんそこから右方に二体、アーニエさん十歩先に六体固まってます、エラーニュさん背後の防壁に二体迫ってます!)』
対内念話の利点として、言葉を介さないため瞬時に意思が伝わるということがある。
心音が得た情報を少ない時差で伝えることで、前線の四人はリアルタイムな戦闘が可能になっていた。
どこに潜んでいたのかと疑問に思うほど、多くの魔物に囲まれていた。
しかし、四人が最速の行動で魔物を倒し続けていることで、瞬く間にその数を減らしていった。
心音の指示もかなり的確である。その反面、戦場全体の音に集中し続け、ありとあらゆる音を思考に組み込むということは、尋常ではない体力の消耗を強いていた。
『(……っ。魔物の数も残りわずかです! 眼前の魔物を仕留めたら、これから出す音が聞こえた方角に向かってください。そこにある大きく落ち着いた心臓の音が、きっと親玉ですっ!)』
指示を伝え終わると同時に、心音は手を大きく叩いた。
その音は音響魔法の効果で、目的の場所から響く。
四人がその方角へ急行すると、たしかに存在感を感じる。今まで気づかなかった、異様に薄い存在感。それは決して小さい存在ではなく、気配を消すことに長けていることを匂わせた。
その魔物も近づく四人の気配にすぐ気が付いたのであろう。魔力が一気に膨れ上がったと思うと、後退しながら四人の方角へ魔法を放った。
「痛っ。これは〝砂弾〟か?」
「どうやら土魔法を使う魔物のようですね。それもかなりの精度です」
シェルツとエラーニュの考察も間違いないのではあるが、分かったところで暗闇の中では避けようがない。
思わず足を止めてしまうが、同時に自分の身体を魔力波が過ぎ去るのを感じた。
出所は防壁の方である。この規模の魔法の発現ができる人物は、限られてくる。
「ふむ、どうやら残りの魔物は一体だけのようだね。音の御し手よ、明かりを頼めるかの?」
心音は自分のことだと察し、腰に付けたポーチ内にまとめてある触媒を取り出し、即席で精霊術を完成させる。
そして辺り一帯を照らす月が出現したのを確認し、それを継続させるために心音はコルネットの演奏を始めた。
C.ドビュッシー作曲
【ベルガマスク組曲より「月の光」】
絵画の印象派のようにややぼやけた様な表現で情景を作り出していたことから、印象主義音楽とも呼ばれるドビュッシーの作品。
本来はピアノで幻想的に奏でられるこの曲が、印象派のように輪郭がぼやけたコルネットの音色で奏でられ始める。
命のやり取りをしているこの場に似つかわしくないようにも感じる旋律。
しかしその音色は、防壁内で恐怖に震えていた里の民たちの心を確実に癒していった。
光と音、幻想的な二つの月の光が、里に降り注ぐ。
仮初の月に照らされ、魔物の親玉の姿が浮き上がる――
「な⁉ 軍用魔物ですって⁉」
そこに浮かび上がったのは、額に紅く輝く魔石を埋め込んだ猿型の魔物であった。
ヴェレスと並ぶほどの巨体に、知性を感じさせる相貌。
この魔物の指揮があったからこそ、戦力を隠して潜み、的確に炎を消しての襲撃であったのだろう。
眩しそうに顔を覆う猿も明るさに慣れてきたのか、叫び声を上げると大規模な〝砂弾〟を展開した。
「わたしの後ろに!」
その弾幕をエラーニュの防壁で受け止め、収まった瞬間にシェルツとヴェレスが飛び出し切りかかる。
されど猿の動きは素早いもので、紙一重で躱され続ける。
繰り返される死線。
突き、掠め、撃たれ、避けて。
速度を上げた死闘は思考の限界すら感じさせ、直感を頼りに致命傷を逃れる。
シェルツとヴェレスの視線が一瞬交差し、それを合図にヴェレスが高速の振り下ろしを繰り出した。
猿の後頭部の毛を掠めたそれは命中こそしなかったが、大地に叩きつけられたハルバードの衝撃は大地を唸らせ、ギリギリで避けた猿は重心を見失う。
その隙を逃さず、背後に回っていたシェルツが猿の足元に薙ぎ払いを繰り出す。
崩れた姿勢でそれを視認した猿は、辛うじて大地を掴んでいた片足で高く跳躍した。
それと同時にアーニエの短い発声を捉え、前衛二人が両端に散った。
「いくわよ! 〝水槍〟」
高速で放たれた水の槍が細かく分散し猿の元に強襲する。
素早く身体を捻り避けようとするが、計算しつくされた弾道を捌ききれず、その右足を槍が貫いた。
「今だ! 〝圧風〟」
シェルツが簡易詠唱で魔法を発現させる。上空から叩きつけられた風で猿の身動きが封じられた。
簡易詠唱のため強度の弱い魔法であるが、隙を作るのに充分であった。
「その強さには敬意を表するぜ。大地に還りな」
おおきく振りかぶって叩きつけられたヴェレスの豪斧で、秋の夜、月に照らされた小さな戦争は幕を閉じた。
ブクマやメッセージ等、ありがとうございます♪
第三楽章も山場を迎えました。
次回、第三楽章の締めです!




