3-5 伝える心、歌心
収穫祭まであと三日。
音楽を追求していると時を忘れてしまうもので、流水の如く日々は去っていった。
いつものように、笛を持つ少女二人の姿は裏庭に置かれていた。
昨晩の雨の足跡が、木々に繁る葉の上で光っている。
笛は呼吸によって発音する楽器である。
急に楽器を吹くことで呼吸を司る筋肉がびっくりしないように、と心音の指導の下始めていた呼吸や柔軟などの準備体操を終えると、この場における先生が元気よく発声する。
「もう少しで本番ですっ。今日からは、仕上げの調整に、入りましょう!」
「仕上げ、ですか。でもわたし、まだ歴代の笛吹みたいにうまく吹けてない、です」
心音とは対象的に、ティスはしぼむような声でつぶやいた。
その様子に柔らかく笑みを浮かべると、心音は元気づけるようにティスの手を握る。
「大丈夫! 基本的なことは、しっかり、抑えられてるから。あとは音楽を歌う心があれば、きっとティスちゃんが思い描いてるような演奏になるはず、だよっ!」
「歌う心、ですか」
自信満々に言い放つ心音であるが、それでもティスの不安は拭えないようだ。
心音は楽器を木製のテーブルの上に置くと、手を叩いて本日のメニューを打ち出す。
「最初に、楽器を置いて歌ってみよう! 笛のメロディを、歌で再現するの!」
「え、楽器の練習なのに、楽器を使わないの、です?」
ティスにはその趣旨がピンと来ないようで、不安そうに首を傾げる。
それでも心音は堂々としたもので、自身の打ち出した方針になんの疑いもない様子だ。
「歌えなければ、楽器でも音楽はできないよ。まずは歌で、ティスちゃんがやりたい音楽を表現してみて!」
躊躇いながらも、ティスは心音の置いた笛の隣に自身のそれを並べる。
そうして心音に向き直ると、やや縮こまった姿勢のまま旋律を紡ぎ始めた。
「ら、らーらーらーらー、らーらららー」
「はい、そこまで!」
pp(より、小さな音)かと思うくらいの歌声に、心音は早々にストップをかけた。
「歌うこと、最初は恥ずかしいかもしれないけど、歌で全力で表現出来なきゃ、楽器でやるのはもっと難しいよ!」
ティスに向き合ったまま心音は息を吐ききり、再び大きく呼吸をすると、口を広く開いて声帯を震わせ始める。
「ティーティラリラーラー、ラーリラリラ~♪」
同じ旋律を歌っているはずである。
しかしティスのそれと比べて心音の歌声は装飾音符が散りばめられ、よく張った響く声が裏庭の大気を震わせていた。
「まるで、楽器みたい、です……」
ティスが惚けた調子で呟いた。
元の世界で、声楽家は自分の身体を楽器として扱うとレッスンで教わったことが、心音の中で生きていた。
人の声で表現されたその音楽は、なるほど人の心をダイレクトに伝えているとも感じられる。
「こんな風に、自由に、思いっきり歌ってみて!」
具体的なお手本を示すことで、教わる側はイメージがしやすくなるというものである。
ティスにとって最高のお手本が目の前にある今、それに近づきたいという想いが湧いてくるのも道理であろう。
ティスは心音のように息を吐ききると、たっぷりと呼気を取り入れ口を大きく開いた。
――その声は、美しく鳴く小鳥を連想させた。
先程までの自信なさげな声でも、恥ずかしそうに抑え込まれた声でもない、ティスが表現したいと強く願う音楽が奏でられていた。
一通りのフレーズを歌い終え、心音がピッチの高い拍手で迎える。
「すっごくいい! それを、今度は楽器で表現してみよう!」
楽器で音楽を表現するためには、歌ほど直感性に頼ることは出来ず、技術的問題……指回しや発音など、様々な問題が立ちはだかる。
しかし、それでも――
「今まで、しっかりと楽器の基礎を身につけてこれたんだから、自分を信じて奏でてみよう!」
これまで以上に充実した時間を過ごせそうな予感に期待を感じながら、心音とティスの二人は裏庭を音で満たし始めた。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
秋。
月の満ち欠けが一巡した。春から数え始める十二の月の七番目。
四方を色鮮やかな木々で囲まれたここベジェビの空気は、収穫祭の熱に浮かされて、木々と同じように色めいていた。
心音が今朝目覚めた時には既に里内は賑わい始めており、数多の住民が祭りの準備で奔走しているのが感じられた。
いよいよ、本番である。
自分で演奏するわけでもないのに、そうである以上に緊張感を孕んでいる左胸を握りしめながら、あぁ、ぼくのソロコンクールを見に来てくれた師匠の気持ちはこんなふうだったのかな、と心音は思い出に身を寄せた。
「あ~、やっと収穫祭ね。これが終わったらようやく暇地獄から開放されるわ」
馴染みのメンバーと朝食を摂っていると、アーニエがお行儀悪く伸びをしながら声を絞り出した。
「ティスちゃんがきちんとお役目を果たせたら、ですけどねっ。でも、きっと大丈夫です! お師匠になったぼくが太鼓判を押します!」
三種の山菜で彩られたスープを飲み干した心音が、自信満々に胸を張る。
楽しそうでいいわね、と気だるげに返し、アーニエは続ける。
「ここ六日くらいは魔物ともほとんど遭遇しなくて、やることもないしで里の仕事や祭りの準備を手伝ってたのよ。なんでもう、部外者のあたしたちが……」
「えっと……お疲れ様です」
語尾が落ちぶつぶつと呟く様子に少し同情しつつも、自分だけ好きな音楽に触れられる日々を過ごせていたことに、なんだか心音は申し訳なくなった。
全員の食事が落ち着いたのを見計らい、シェルツがさてと、と立ち上がる。
「いよいよ今夜は収穫祭だ。俺たちはもう一度里の周りを巡回してくるよ。コト、そっちはよろしくね」
あまり心配は無さそうであるが、この日のための掃討である。もう一度見回りをするにこしたことはないだろう。
しかし……
心音は辺りを見回し少し首を傾げる。
「あの、ゲヴァイドさんたちとの合流はまだなんですか?」
確か彼らは収穫祭のためにこの時期に依頼を受けていると言っていた。
それについてはシェルツも疑問に思っていたようで、思案顔になる。
「収穫祭二日前にはまた来ると言ってたはずだけど……少し遅れてるのかな? さすがに今日中には到着すると思うけど」
対照的に気楽そうなアーニエが手をひらひらさせながら言い放つ。
「あのオッサン達も何かしらあるんでしょ。最近の様子じゃあ、あたしらだけでもたぶん余裕よ」
実際に魔物の調査をしていた四人は、たしかに実感としてそれは否定できなかった。
心配のし過ぎも良くないだろう。
食器を片付けると、各々やるべき作業へと向かった。
♪ ♪ ♪
高く透き通ったメロディが裏庭に染み渡っている。
充分に伸ばし切ったロングトーンが終止線を迎え、構えていた笛を下ろしたティスに心音が駆け寄った。
「ティスちゃんっ、すごくいい感じ! もう、どこに出しても恥ずかしくないねっ」
ぴょこぴょこと喜ぶその様子に一瞬破顔しかけるも、その手前で表情を曇らせ、弱々しい声でティスは返す。
「コトおねえちゃんの前でなら、上手に吹けるようになった、です。でも、たくさんの人の前に出ると、震えてしまう、です」
「あ、そっか、緊張しちゃうかぁ……」
演奏家にとって、演奏時の緊張は永遠の課題であり、切っても切り離せないものである。
演奏家は誰しもが緊張すると言ってもいいし、上手いと言われるプレイヤーは緊張を味方につけていたり上手に付き合っていることが多く、上手くいかないプレイヤーは緊張に負けてしまっているとも言える。
心音自身も身に覚えがあり、今でこそ人前での演奏を高揚感に変えて楽しめているが、小さな頃――この場合身の丈の話ではない――は演奏会の前に泣きだしそうになることが常であった。
それでも、今までさまざまな経験を積んできたことで、ここまで至ることができたのだ。
心音は最後の仕上げだとばかりに、よし、と手を叩いた。
「ぼくが今から緊張に打ち勝つ秘訣を教えるから、心配しないで!」
「そんなものがあるの? です」
実際に万能薬のような秘訣があるなら、脈々と続く緊張問題は既に無いはずであるが、大切なのは気持ちであると、心音は一切の疑いもなく話し始める。
「まず、緊張すると呼吸が浅くなっちゃうから、いつもの倍かけて息を吸おう!」
なるほど、とティスは深く息を吸った。
心音が師事していた師匠の受け売りであるが、言われてみれば呼吸が浅くなってる気がする、というのは多くの人が気付かされることであろう。
「あと、気持ちが昂ると口が乾いちゃうんだよね。ソイエの実、おうちにあるよね? あれを本番前に一粒食べるといいかも!」
ソイエの実とは調味用に使われる、レモンのような酸っぱい実である。唾液を出すことで口内の乾燥を防ぐ作戦だ。
「最後に……ティスちゃんは、ぼくの一番弟子だから! だから、大丈夫っ!」
「えっと……だから、ですか?」
飲み込めないようでティスが疑問符を返す。
しかし心音は勢いを失わせない。
「練習したから大丈夫、朝も上手くいったから大丈夫、みたいな経験に基づく自信は、一旦崩れると緊張に飲まれちゃうの。だから、根拠がハッキリしなくても、自信もって言える柱を自分の中に立てて!」
根拠のない自信があるプレイヤーの方が上手くいくケースが多いらしいというのも、演奏者界隈では言われることである。
ティスは胸の内でその言葉を反芻し、口に出す。
「わたしは、コトおねえちゃんの弟子。一番弟子。だから、大丈夫。だから、大丈夫!」
「ふふふ、その勢いだよ!」
「ふふ、えへへ」
なんだか緊張してたことがおかしくなって、二人で笑い合う。
だんだんと夜が楽しみになってきた。
きっと素敵な演奏を聴かせてくれるだろう、と。
ブクマ等々、ありがとうございます!
今回のお話は、音楽家あるあるだったりします。
次回、今エピソードクライマックスです!




