3-4 笛吹の少女
「し、失礼します……」
里長の部屋で待っていると、そうかからずに一人の少女が訪問してきた。
身の丈は心音と同じくらいであるが、自信なさげに縮こまっている様子がそれ以上に小柄な印象を与える。
「入っておいで。この人らはお客さんだ、挨拶をなさい」
アーシャに促され、肩口で切りそろえられた黒髪を揺らしお辞儀をすると少女は自己紹介を始めた。
「ベ、ベジェビにようこそ、冒険者? のみなさん……。わ、わたしはティス、です。次の誕生日で、十歳になる、です。里長の昆孫、です」
弱々しい声で紡がれた挨拶。
次の誕生日で十歳になるということは、地球の感覚だと今十一歳ということだろう、と心音は計算すると、なるほど内向的な小学生はこのような感じかもしれないと納得した。
心音は笑顔で彼女に近づくと、膝を折って目線を下げ、見上げるようにして優しく語りかけた。
「初めまして、ティスちゃん。ぼくは、冒険者の心音です。ティスちゃんに、音楽を教えることに、なりました」
「わ、あの、よろしくお願いします、です! わたし、まだあまり上手に演奏できなくて……」
申し訳なさそうに小さな体を更に縮こまらせる。
ぎゅっと胸に引き寄せられた木箱には、きっと楽器が入っているのであろう。
「楽器の練習や指導は、ティスの部屋を使ってくれて構わぬし、晴れている時は外で吹いても誰も文句は言わないよ。ティスや、予備の楽器があったね? それを楽器の先生に貸してやりなさい」
アーシャの指示にティスが慌てて返事をするのを鼓膜で捉え、心音は思考を巡らせる。
(笛かぁ、きちんと鳴らせるかな。運指も確認しないと)
音楽自体の経験は長いが、笛の演奏は門外漢であり、更には里の伝統音楽がどのようなものなのかもまだ把握していない。
少しの不安を抱えながらも、まぁ何とかなるでしょ! の精神で、むしろ新しい音楽に触れることのわくわくが膨らんでいくのを心音は感じていた。
「それじゃあ早速、音を聴かせてください! ティスちゃんのお部屋に、案内してくれますか?」
「は、はい! 着いてきて、です」
やや気持ちが高ぶった様子の心音を連れ、ティスと二人部屋の出口へと向かい――
「ちょっとコト、今日はもう遅いわよ。明日からになさい。それに、疲れも溜まってるんじゃないの?」
――アーニエに呼び止められた。心音はハッとした表情で手元の懐中時計を見る。
音を出すのには遅い時間であるだけでなく、言われてみれば疲労で身体が悲鳴を上げているのを感じる。
「ごめんなさい、ティスちゃん。明日からにしましょうっ」
「あ、はい。明日、楽器の用意をして待ってる、です」
「用意、お願いします! ところで、使う笛は、どんな笛、なんですか?」
そのままの流れで、会話を交わしながら心音とティスは部屋を離れていく。
「えっと、俺たちのこと忘れてるよね、コト」
「しゃあねぇな、明日からはオレらだけで周辺の魔物討伐に行くか」
音楽のこととなると周りが見えなくなるのは、なにも今に始まったことではない。そんな心音のことが少し可笑しくて笑いを零すと、残された四人は退室し、割り当てられた部屋に向かった。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ベジェビに着いてから早六日。
心音がティスの音楽指導に付きっきりの間、シェルツ、ヴェレス、アーニエ、エラーニュの四人はベジェビ周辺の魔物退治に勤しんでいた。
魔物の数はかなり多く、よくベジェビが無事であったものだと不思議に思ったくらいであった。
それでも到着翌日からの五日間も掃討に当たれば、ゲヴァイドたち六人パーティの力が加わったこともあり、周辺地域の危険性はかなりの低水準に落ち着いた。
昼食時。二つのパーティが平時の通り、顔を合わせて談笑している中、ゲヴァイドが煎茶をひと飲みして切り出した。
「あんた等のおかげで、今年は少し楽ができたよ。午前中の様子を見たところ周辺の様子は落ち着いている故、我らは一度シェンケンに帰還しようと思う」
今朝からの調査で、たしかに魔物との遭遇回数が格段に落ちていることをシェルツたちも実感していたため、異を唱えるものはいなかった。
「こちらこそ、ゲヴァイドさんたちがいてよかったです。本腰を入れてベジェビ周辺の魔物討伐を実施したのは初めてでしたが、俺たちだけだったら苦労しそうでした」
「巡り合わせが良かったな。しかしまぁ、これでも今年は魔物の数がやや少なかったのだ。今までの活動が功を奏しているのか……」
そこまで言い少し考え込んだ後、まぁそういう年もあるか、とゲヴァイドはひとつ頷いた。
「収穫祭の二日前には、我らもまた戻ってこよう。あんた等はまだ滞在するのか?」
「俺たちもそろそろ、と言いたいところですが、コトが笛の指導を任されている以上、少なくとも収穫祭までは滞在することになりそうです」
まだアーシャ婆からの回答も貰っていないしなぁと、シェルツは困り顔で笑みを浮かべた。
「うむ、そうであるか。であれば、収穫祭の時に、また相見えよう」
言い切りるとゲヴァイドは立ち上がり、荷物をまとめ始めた。
コトン、と木製食器を置く音が響くと、エラーニュがのんびりとした口調で呟く。
「コトさんの方は、順調でしょうか」
最近は、朝と晩くらいしかまともに顔を合わせていない。
心音の手腕次第でアーシャからの回答の是非が決まるわけであるが、こればかりは心音を信じるしかないだろう。
耳をすませば聞こえてくる笛の音色を捉え、最も音楽とは縁遠そうな男が反応した。
「お、また上手くなったんじゃねぇか?」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「まずは①から②まで、装飾(音符)抜きでやってみましょう!」
暖かな日差しが降り注ぐ裏庭で、二つの笛の音が飛び交う。
小柄な少女二人が肩を寄せ合い、それに倣うように、流れる二つのフレーズも寄り添い一つの旋律となる。
心音が効率化のために作った譜面――五線譜ではなく流れを示しただけのものであるが――に記された練習番号②までの演奏が終わり、笛を下ろしながらティスが弾けたように声を上げる。
「い、今の、上手くいったと思う、です!」
その様子に心音は笑顔を向けると、同調したように声を跳ねさせる。
「ティスちゃん、どんどん上手くなってますっ! この調子で、里一番の笛吹になっちゃいましょう!」
二人しかいない裏庭が、やけに賑やかに感じる。
「もう一回、もう一回お願いします!」とねだるティスを見ながら、心音は手元の笛に思いを巡らす。
(ぼくにも吹けて、よかったなぁ。発音の原理は、フルートとほとんど同じなのかな)
木の管に穴を開けた簡素な楽器。
今では金属製が主流である西洋楽器のフルートも、昔はこのような簡素な見た目の木製楽器だったと言う。
現代でも使われる楽器で近い見た目を探すとすれば、篠笛が挙げられるであろうか。
音色も、祭囃子でよく聞く笛の音に近い。
ベジェビで一晩を越した後、心音はティスの元を訪れ予備の楽器を受け取った。
フルートの音を出したことがあったとはいえ、音の出し方や指使いを確認し、試行錯誤すること一時間、ほとんどモノにしてしまった辺りに心音の音楽センスが光っていた。
その後ティスの現状を確認しつつ、曲の流れを聴くために一通り演奏してもらったが、流れとしては問題なく通せていた。ただ問題点を挙げるとすれば……
(音程感がバラバラだったり、テンポ感が曖昧、強弱は平坦で、無理やり入れた装飾音は間違ってしまったように聞こえちゃう……でも、それもだんだんと改善できてます!)
子供のまねっ子レベルだった演奏も、少しずつ安定感が増してきた。
この調子で〝音楽を表現する以前の問題〟が解決出来たら、あとはそれに〝想い〟を乗せて音楽にしていける。
(気になるのは、この里の音楽のセオリーなんだけれど、それに関しては参考演奏がティスちゃんの音以外にないからなぁ……)
文化によって、装飾音符のクセや、ヴィブラートのかけ方、テンポの揺らし方など、その文化の音楽たらしめる要素というのが存在する。
まだ幼いティスはそこまで再現できておらず、その辺のことは心音の感覚に頼るしかなかった。
「コトおねえちゃん、どうしたの、です?」
「はっ、ごめんごめん、もう一回やろっか!」
考え込んでも仕方が無い。
今はまず、今できることを。気を取り直して笛に向き合うことにしよう、と心音は手元の楽器を持ち直した。
お読みいただきありがとうございます♪
ストックが出来次第、週二更新に戻したい気持ちはあるのですが、本業が多忙故、なかなか叶わずにいます。
週一は死守したいと思うので、どうかよろしくお願いします!




