私の物語
「ふぅ……」
長く動かしていた腕を休める為、ツクモノは左手に持っていた執筆用の鉛筆を机の上に置いた。この等身大ドールの体はやはり、人間とほぼ同じサイズなので動かしやすい。
書き終えた文章を読み直し、自身の過去がいかに壮大なものであったのかを改めて実感した。
火事で死んでしまった女が妖怪となって、行く先々で沢山のものと出会い、成長していくーー。普通の人間がここまでの経験をするのかと問われれば、誰しもが口を揃えてノーと答えるだろう。それ程までにツクモノの経験は、奇妙とも言えるものだった。
これでようやく、お婆ちゃんの願いを叶えられたかな。別れ際に由美子が言い放った言葉を思い返しながら、ツクモノは右人差し指に結ばれた赤い糸を眺めた。
例の火災では死者が二人、どちらもそこに住む高齢者だった。そしてツクモノが轆轤首達の元へと戻ったすぐ後、残されたガソリンタンクの指紋から三十代無職の男が特定され、その後逮捕された。
加えて彼は調べを受けていく内に、過去にも幾度となく放火を繰り返していた事も自白した。故にさいたま市で起こった他の連続放火事件の犯人としても、彼は罪を問われる事となった。
彼に言い渡された判決は死刑。無論あれだけの事をすれば、当然とも言える判決であろう。
犯行動機に関してもテレビでは色々と紹介されており、高齢者問題や税金などと堅苦しいワードが飛び交っていた。
だがツクモノは、彼がどう言った経緯で犯行に至ったのかはどうでもよかった。故意で放火殺人を犯した者の弁明など、知っても意味が無いと考えていた。
ただそれから三ヶ月後の、事件のほとぼりが冷め始めた頃ぐらいに、ツクモノが助けた本田楓と言う少女の特番が組まれた。それを知ったのはツクモノが、たまたま視聴覚室でテレビを点けていた時の事である。
『不思議!! 少女を救った市松人形の正体とは?』
デカデカとこの文字がテレビに浮かび上がった瞬間、思わず轆轤首と共にお茶を吹き出してしまった。
「まさかこんな特番をやるとはな……。ツクモノ、あの時はほんとよくやったよ」
轆轤首の賞賛は、今でも鮮明に記憶されている。
自分でも役に立つ事が出来て良かったなぁ。雑巾でテーブルを拭きながら、当時のツクモノはそんな事を思った。
「ツクモノォ! そろそろ行く準備しとけよなぁ!」
廊下に響き渡る轆轤首の大きな声で、ツクモノの遠のいていた思考は呼び戻された。どうやら加胡川の車が、無事校門前に到着したらしい。
「はぁい」
適当に返事を返したツクモノは、誰も使わないであろう机の引き出しに、自身の書いた小説の原稿を入れた。
誰か読んでくれればいいのにな。その淡い願望にも蓋をして、心の引き出しにしまっておいた。子供が少ない学校で、そんな望みを持つのは野暮だと感じた。
ツクモノと轆轤首は今、とある小学校に住み着いていた。実はこの地域全体にはあまり子供が住んでいない。それも今彼女達が暮らしているこの小学校が、近々廃校にしようと言う動きがある程だった。
そこで妖怪のリーダー格とも言えるぬらりひょんは、この学校を妖怪と人間との関係を取り戻す糸口として、とあるプロジェクトを試験的に実行しようと考えた。
プロジェクトの名は“新・学校七不思議計画”。文字通り、大昔に流行った学校七不思議を現代に蘇らせようと言う動きである。
このプロジェクトが成功すれば妖怪がより生活に溶け込むだけでなく、廃れゆく地域の活性化も期待出来た。まさに夢のプロジェクトと言っていいだろう。
無論ツクモノも“新・学校七不思議”の賛同者だった。更に今では、その中でも何かの縁か『情報処理室の花子さん』を担当している。
周囲の妖怪からはよく、「トイレの花子さんを担当すれば良かったのに」と言われた。だがツクモノは、断固としてそれを拒否していた。
理由と言うのは至極単純なもので、学校のトイレがお世辞にも綺麗とは言い難い状態だったからだ。故にツクモノはその不衛生なトイレに籠る事を嫌がり、元より得意であったパソコンが弄れる、情報処理室にて自身の持ち場を確立させた。
そして今日、またツクモノは新たな第一歩を踏み出そうとしている。
亡き由美子の願いであった自身の物語の執筆。それを終えた今、ツクモノが次の目的としているものは、過去の自分がやり遂げられなかった兄への慰めであった。
天狐や加胡川などの協力により、光江花子の兄に当たる人物は大方調べがついていた。彼の名は光江知則、現在は都内の消防士になっているらしい。
何故彼が職業に消防士を選んだのかは、大方察しはついていた。おそらく、過去の罪への意識の表れだろう。
今更彼の元へ行ってどうこうなると言う話でもないのは、ツクモノ自身も重々承知の上だった。しかしこれを為さなければ、胸の中で疼く光江花子としての嘆きが晴れることもなかった。
これも一種の人助けだ。自分の事ながら、ツクモノはそう納得していた。
魂の摩耗はあれから実感していない。なのでこの体は魂の定着を避ける為、三日間隔で市松人形の体との行き来に使っていた。過去に天狐から聞いていた事を、ツクモノは現在も心に置いて実行していたのだ。
それをやり始めたのは今から数えて丁度一年程前。
「よくもまぁ続けられるなぁ」憑依を繰り返す度に轆轤首はそう呟いていた。
「そろそろ行かなきゃな」
既に天狐達は到着している。ツクモノは踵を返して、半開きのドアを開けて情報処理室を後にした。
「やあツクモノ、久しぶりだねぇ」
「元気しておったか、ツクモノ」
校門の前に立っていた加胡川と天狐の姿は、これまでと何ら変わらない姿だった。妖怪と言う者には寿命が無い為、彼らからすれば一ヶ月なんてものは大した事のない日数なのだろう。
いずれ私もおんなじ考えを持つのかな。まだ一日一日が長く感じるツクモノには、その事が少し恐ろしく思えた。妖怪の寿命は永劫、もしかするとその考えを持つ日も、すぐそこまで迫って来ているのかも知れない。
「天狐さん、加胡川さん、お久しぶりです。私達は今日も元気いっぱいですよ!」
ツクモノは二人の挨拶を笑顔で返した。コンディションは万全、いつでも加胡川の体を乗っ取れる勢いだ。
加胡川の体を借りる理由としては、やはり妖怪としての不思議な力が使えるところが大きい。変化の力さえあれば、もしもの時も対処しやすかった。
「うむ。ならよい」
より一層顔の皺を増やして、天狐も笑みを浮かべた。
「じゃあツクモノ、行こうか」
「はい!」
等身大の人形の体であれば、これまで轆轤首の補助がなければ出来なかった乗車が、こんなにも簡単に達成されてしまう。
もうずっとこの体でもいいかも知れないなぁ。現在はもう使われていない視聴覚室、そこに置いてきた市松人形の体を思い浮かべて苦笑した。
「ではお願いします。東京の、お兄さんの所まで」
車は発進した。一人の女の果たせなかった、悩む兄への想いを乗せて。それが例え、知則からすれば単なるお節介であろうとも。
月の光はそんな彼らを、まるで鼓舞するかのように照らしていた。




