評定 前
1546年(天文15年) 4月上旬 那古野城 織田信長
さて。親父の勢いを保つと言っても、すぐにどうこう出来る訳ではない。やはり一番大切なのは、力を溜めていくことだな。
親父の今の最大の敵は、北にいる美濃の斎藤道三だ。
親父は2年前、道三が下克上を果たした美濃土岐氏を助け美濃に攻め込んでいる。今年か来年辺りには、親父は再び美濃に攻め込むつもりでいるだろう。
しかし史実では親父はこの時大敗を喫していたはず。確か死にかけたんじゃなかったっけ? だから俺はまずこれをどうにかしようと思っている。
俺の強みは、何と言ってもこのスキルと知識だろう。歴史的知識が徐々に使えなくなるとは言え、未来の技術知識は十分強みだし、スキルも大人数には使えなくても、限局的な爆発力にはなる。
と言う訳で、その強みを生かした行動をとっていこうと思う。
1546年(天文15年) 4月中旬 那古野城 評定の間 織田信長
元服を終え一応大人の仲間入りを果たしたと言う事で、俺は人を集める際はこの評定の間を使うことになった。
俺が評定の間に入ると、見慣れた顔の奴らが円を描くようにして座っている。俺はその間をそそくさと通り過ぎ、上段の上座へと腰を掛けた。
俺に一番近い右の上座には、家臣の筆頭である平手の爺が座っている。爺は俺の傅役でもあり、親父からの信頼も厚い。口はうるさいが、青ポイントも47Pと俺の知る限りは最高値だ。なんだかんだと俺の一番の支えになってくれている。
その対面と言うか俺の左に座っているのが、俺のもう一人の傅役である内藤勝介。爺より少し若い壮年の男で、口数が少なくいつも憮然とした機嫌の悪そうな顔をしている。
俺は初めこのおっさんの事が嫌いというか苦手だった。だっていつも機嫌悪そうだし、あまり喋らないから何考えているか分からないんだよ。ただ、他に傅役として付いていた奴らが離れていく中、こいつだけは依然として俺の下に残ってくれている。
本来俺の傅役には他に二人いたんだが、俺が元服して半蔵を正式に家臣にしようとした時に文句を言ってきたんだ。でも俺はこれに腹が立って、半蔵をお前たちと同等に扱うつもりだと言い返してしまった。 そしたらこの二人、俺に怒って城を出て行ってしまったんだよな。正直感情で動いたことには反省している。
半蔵達はすでに俺の護衛もしてくれていて、間諜の排除もとても捗っている。それから他国の情報収集や職人や銭種(綿花や蚕など)集めにも多大に貢献してくれている。
だけど、表立っての武功がある訳ではないから、それを重用すると言うのはやはり拙かったらしい。が、まぁいずれはこうなっていたことだろうし、何よりも情報や影働きの大切さを家臣たちに分かって欲しかったから、良い機会だと思い直すことにした。
まだあの二人が勘十郎の下に行ったのかは分からないが、とりあえずもう戻ってくることはないんじゃないかな。
しかし2人が離れていく一方、この内藤は、「若の御随意に」とうなずいて俺の下に残った。正直まだ何を考えているのかよく分からないが、青Pは20台で低くはないからまぁ良いだろう。
平手の爺の横には、俺の兄で将来一門筆頭になってくれるであろう織田信広が座っている。彼は今俺の傍付きをする傍ら、爺を手伝い城の内政も行ってくれている。
兄貴は要領がよく、なんでもそつなくこなせるみたいで爺も助かっているみたいだ。他にも平手久秀、服部半蔵、丹羽長秀、八兵衛がずらっと弧を描いて座っている。
万千代こと丹羽五郎左衛門尉長秀は、俺と同じく今年元服し五郎左衛門尉長秀と名乗っている。
まだ元服は早いんじゃないかと思ったけど、吉法師軍団で俺以外に元服したリーダーが必要だと言う事で時期を早めたらしい。
丹羽家はまだ斯波の家臣のはずだが、こいつはこれを機に俺の下につくことを表明したようだ。
八兵衛に関しては、平手の家臣であり半蔵の配下でもあると言うややこしい立場だったので、これを機に俺の直属の家臣とすることにした。名前は平部八兵衛吉理とし、今では俺の銭稼ぎの筆頭を担ってくれている。
さて。この少数メンバーが、とりあえずの評定の人員だ。まだ俺は一城しか持ってないし、何の活躍もしていない。だからまぁこのくらいがちょうどいいだろう。あんまり多くなっても話が纏まらなさそうだしな。




