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九話 兄の買い物

 スニーカーの中に足をスルリと滑らせ、踵の部分に人差し指を潜り込ませて靴をフィットさせる。リュックを背負い、準備は万端。


 ドアノブに手をかけて、ふーっと大きく息を尽く。そして目に力を込めて、出発ののろしを上げる。


「いざ参る!」


 今――、希望の扉が開かれるのだ。




「おーい、ちょい待ち~」


 玄関のドアを開ける寸前に、階段をバタバタと降りてきた兄に呼び止められた。



 ――ちっ……。せっかくカッコイイ出発シーンだったのに、おかげで台無しだよ!



「これこれ、試練のリストアップしたから持ってけ。ちゃんと達成しろよ」


 兄はそう言いながら、一枚のメモを手渡してきた。どうやらそこにミッションが書かれているらしい。


 私はそのメモを受け取り、今度こそ家を飛び出したのだった。






 やって来たのは見渡す限りの人、人、人で溢れかえる、とある駅前。兄がご所望する洋服販売店が、ここの駅周辺にある為だ。


 私は外にあるロータリー前にて立ち尽くし、多くの人と立ち並ぶビルの圧巻さに飲み込まれて唖然としていた。



 ――ここ……どこ。異世界?



 発展した大きな駅とは聞いていたが、私にとって初めて訪れたこの地は、恐怖以外のなにものでも無かった。


 私はビクッと振るえながら周囲をチラチラと確認する。ただ通りすがる人や、視界に映る全ての人が私をあざ笑い、白い目や軽蔑の眼差しを向けているように錯覚してしまう。


「――ひぃぃっ!」


 他人に聞かれてはいけない声を発して、壁沿いに身を寄せる私。


 極力誰とも目を合わせないように、基本は下を向いて、たまにチラチラと正面を捉えながら進むことにした。



 大体の店の場所は、雑誌に地図が描いてあったから把握はしている。まずは兄の買い物を済ませる為、そこを目的地に設定する。



 ――あぁ、早く帰りたい。息が詰まって死にそう。上手く言いくるめられた感はあるけど、請け負った以上は達成しないと、兄に対する私の威厳が保てなくなるしなぁ……。



 そんなことを考えながら下を向いて歩いていたのが悪かった、私は不本意に誰かの背後に頭から特攻してしまった。


「ふべらっ!」


 ふいな衝撃で変な声を出してしまった私は、前にいるであろう誰かに咄嗟に視線を移した。

 

 そこには、フリフリのミニスカートにピンクのジャケット、ウェーブのかかった長い髪に、おしゃれなバッグを持った年上のお姉さんらしき人物がいた。


 お姉さんは後ろへと振り返ると、私の姿を見るなり鋭い目つきで睨んできた。


「ちょっと! 何?」

「ご、ごめんなさい……」


 眉間にしわを寄せて、あまりに険しい剣幕で言われたものだから、すっかり萎縮してしまった私は小さく謝罪をした。


 しかし、お姉さんの怒りは治まらないようだった。


「は? ちゃんと前向いて歩いてたわけ? こんなに道幅あるのにぶつかるわけないじゃん」

「……そ、その……ちょっと、考え事してて……よそ見してました」

「バッカじゃないの!? こんなことで足止めさせないでくれる? 彼氏と待ち合わせしてるのに、あんたのせいで無駄な時間取られたじゃん!」

「……本当にごめんなさい」


 お姉さんは私に聞こえるように大きく舌打ちして、かかとを返しては前へと向き直ろうとした。しかしその瞬間、すれ違い様の一人の男性と肩がぶつかってしまう。


「きゃっ! ――っちょっとなんな……の」


 私とのことでカリカリしていたお姉さんは、再び誰かとぶつかったことで更に不機嫌な面持ちへと変貌させたのだが、相手の男性を見るなり一気にその表情は別人へと変わったのだった。


「あ、ごめんね。大丈夫だった?」


 二十代前半くらいの、普通にモテるであろう男性がお姉さんへと声をかけた。


「あ、はい! 私こそごめんなさい。怪我はしなかったですかぁ? あ~どうしよぉ」

「俺は大丈夫だよ! お互いに何もないし、気にしなくていいよ。じゃ!」

「は~い、ありがとうございまぁす!」


 男性は特に気にしていないのか、何事も無かったように立ち去った。お姉さんも再び歩き出し、私はその光景の一部始終を目の当たりにして呆然としていた。



 ――いやいやいや! 私の時と反応変わり過ぎじゃない!? なにあの変に高くて伸ばすしゃべり方。猫撫で声? とんだ化け猫だよ! 腹立っつぅぅぅ!



 あまりの態度の違いに頭にきた私は、肩にかかるリュックの紐をぎゅっと握り締め、虫の鳴くような声でアホとかボケとかブツブツ言いながら、再び歩みを始めたのだった。






 某大型ショッピングモールへと足を踏み入れた私は、エスカレーターに乗って上の階へと向かっていた。どうやらここの二階に目的の店があるらしいのだ。


 目の前には女子高生の二人組が並び、向かい合ってなにやらおしゃべり中。

 日曜なのに学校に行くなんて大変だなと私は思いつつも、ふと二人組の脚へと視線が移る。


 短いスカートに、後ろ手でカバンを当てて下着が見えないように隠しているのだが、その姿に私は内心小さなイラ立ちを覚えた。



 ――そんなに短くしてるんなら見えるのだって覚悟の上なんじゃないのかよ! 見せるなら見せる、見られたくないなら短くするな! 勘違いもここまでくると公然猥褻こうぜんわいせつだよまったく。もっと私の目をいたわってください!


 

 スカートが長いとダサイだとか、短いほうが可愛いからオシャレだからという理由なのだろうが、もはやスカートを詰める女子の脳内では、”短ければ短いほどいい”という概念に変わっているんじゃないかとさえ思う。


 何事も行き過ぎてはダメなのだ。出る杭は打たれるように、短くするにしても適度な長さが一番じゃないだろうか。同じ女からしてみても、下着がすぐ見えてしまうくらい短いのはさすがに引いてしまうよ。




 そんなこんなで四階フロアまで辿り着くと、そこは見渡す限りの服だらけであった。ファッション関係のテナントが多く存在し、その中の一つに今回のターゲットがあるようだ。


 柱に張られている見取り図で場所を確認し、多くのテナントの店頭に並ぶ商品を見渡しながら歩みを進める。


 途中、目を引くオシャレな服や可愛い服に誘惑されるものの、し〇むらユーザーの私には恥ずかしくてちょっと店に入りにくい。



 ――いいなぁ……私もそのうちああいう服を着たりしたいなぁ。そうすればちょっとは、一聖くんの隣にいても、地味な自分に恥ずかしがることがないのになぁ……。

 


 雑貨カフェで会った他のクラスの四人組の女子、私は自分の中で比較してしまったあの出来事を思い出しながら、心の中で小さく呟いた。


 あの子達は、今私の目に映っているようなオシャレな服を着こなしていた。

 同じ女子高生でありながら、あまりに違う美的感覚のギャップに、私は少なからず衝撃を受けていたのだ。






 そしてようやく目的の店の前へと辿り着いた。雑誌に載っている店名と写真、目の前にある看板と外観が完全に一致しているから間違いない。


 女性向けの店の雰囲気とは違って、ロックなBGMと落ち着いた照明の色合いがカッコよさを引き立てている。多彩な色の服が多い女性向けの店は、パッと見でもカラフルなイメージに輝くが、男性向けの店は基本的に黒を基調とした物が多くて、一瞬視界に映しただけでも雰囲気がまるで違う。

 


 だからこそ、私は店頭で右往左往しているのだ。



 ――あぁぁぁ! どうしよどうしよ、入りずらい!



 さすがに通りすがる人の、「この人なにしてんだ」感が伝わる視線が痛くて立ち止まる。


 店の前で下を向いたまま立っている髪の長い女。他の人からして見れば、これだけでも十分にホラーだろう。


 するとそこに、通り間際に私を不審な目で見ながら、この店に足を踏み入れる男性が現れた。

 私はチャンスとばかりに、その男性にバレないように背後に張り付いて、一緒に店内に潜り込むことに成功したのだった。



 あたかも同伴です作戦により店内に入ったのはいいものの、恥ずかしさのあまりそのまま壁沿いに進んで、店内の角で立ち止まってしまった。


 あまりウロチョロはしたくない。軽く見渡しただけでも、店内には男性客しか見当たらないのだ。

 狼の群れに迷い込んでしまった哀れな子羊の気分。きっと目立てば食べられてしまうだろう。


 ここに来た目的である兄からの依頼の品だが、とてもじゃないが探すことなんか出来そうになかった。多くの商品から探すのは時間がかかるだろうし、探し回るほど現状私の心境は穏やかじゃないからだ。


 だけどそこでハッと一つ思い出した。



 ――あ、雑誌の切れ端! そうだよ! ここで使わなくていつ使うの! ナウでしょ!



 そうと分かれば後は簡単だ。私はリュックの中から雑誌の切れ端を取り出し、店員さんらしき人物はどこかキョロキョロと見渡して探す。


 しかし、それらしき人物はすぐには見つからなかった。



 ――あっれぇ? 店の制服ですぐ分かると思ったんだけどなぁ。早くここから出たいのに、どこに行ったんだよまったく……。しまいには構内アナウンスで呼び出すぞ。



 心の中でブツブツと言いながらも、前髪の隙間から縫うように店内をキョロキョロと見渡し続ける。


 すると、一つ気になる点を発見した。それは、陳列された服の一部を綺麗に折りたたんで戻している男性を見つけたのだ。

 客の一人かと思っていたがあまりに綺麗に折りたたむし、偏見だろうけど男性がそこまで律儀に見た物を戻すのか不思議に思った。


 更に観察を続けていると、首から何かを下げていることに気が付いた。紐の先に何やらカード状の物がぶら下がっているのだ。


 それは、コンビニなどの店員でも、たまに似たような物を首からかけているのを見かけたことがあったので、もしかしたらあれは店員の証なる物なのではないかと私は推測した。


 そしてそれは確信に変わる。店の奥から私服姿の男性がレジ内に現れて、その男も首から同じカードを下げているのだ。



 ――やっぱりあのカードを下げている人が店員なんだ! てか分かりにくいよ! 頭からヒマワリでも咲かせるとかして、もっと存在アピールしてよ!



 だがこれで解決だ。近くにいる商品を綺麗に陳列している店員らしき人物に声をかけ、雑誌の切れ端を見せて「これください」って言えば終わりである。


 私は安堵の息を一つ尽くと、その店員へと向かって足を進めた――のだが、思っていたよりも事は単純ではなかった。



 商品を見るフリをしてその店員の近くまで寄ったのはいいが、なかなか声をかけることが出来ないでいた。

 

 喉までは出かかるのだが、その先へと言葉が進まない。何かが喉の奥に詰まっているような、胸にグッと重さがのしかかるような変な感覚。


 きっとこれは緊張なのだろう。相手がオシャレな感じのお兄さんだから余計だろうが、今まで男の人に自分から話しかけたことがない私にとっては、物凄いプレッシャーを感じるのだ。



 話しかけたいけど、上手く話しかけられない。喉に引っかかる、溜めに溜めた言葉は――。


「はぁ……」


 結局、一つの解放の吐息に変わってしまったのだった。



 そんな自分に嫌気が差した私は、沈んだ心と一緒にしゃがみ込んで俯き、腕の中へと顔を埋めて落ち込んだ。


 まともに店にも入れない、店員さんにすら声をかけられない、ろくに買い物も出来ない。自分の不甲斐なさを改めて思い返したら、悔しくてなんだか泣けてきた。


 すると、私のすぐ横で立ち止まる足音。それと同時に、男の人が声をかけてきた。


「お客様、何かお探しですか?」


 その声に私は一瞬ビクっとしながらも、恐る恐る顔を上げて、その人がいる方へと顔を向けた。


 その人はさっき私が声をかけ損ねた店員だった。私と同じ目線になるようしゃがみ込み、私の顔を覗き込んでいた。


 それだけでも十分恥ずかしかったのだが、私の顔を見た店員はイヤな顔一つせずに、むしろ微笑みを向けて更に言葉を繋げてきた。


「良かったら、僕も一緒に探していいですか?」


 優しい笑顔と優しい言葉。同時に二つの優しさをふいに向けてくるものだから、心臓の鼓動が一気に加速して顔を真っ赤にさせてしまう。


 

 私は震える手で雑誌の切れ端を前へと差し出し、店員に小さく返事をする。


「……こ、これを、ください」


 店員は私の手からそれを受け取ると、中身を確認した瞬間に商品を把握したようだった。


「あ、はいこれですね! お客様、こちらへどうぞ」


 そのまま案内してくれるみたいで、私はうながされるままに小さくなりながらその後ろを付いていった。



 しかし、案内された先はなぜかレジカウンターだった。


「こちらでお待ちくださいね」


 それだけ言って姿を消す店員。

 私は頭にハテナマークを浮かべながらきょとんとしていると、すぐさま先ほどの店員が戻って来た。


「ご確認ください。こちらでお間違えないでしょうか?」


 目の前のカウンターに並べられた三枚のTシャツ。それは兄に頼まれた品であった。

 

 私をレジにて待たせたのは、店員が自ら持ってきてくれたからだった。しかもサイズも選べるように、わざわざ三枚もサイズ別に持ってきてくれたようだ。


 

 サイズも確認して、後は支払いを済ませるだけ。店員の綺麗に服を折りたたむ姿に、ボーっと見とれてしまう。


 ルックスもさることながら、その優しいサービス精神に感動を受けていた私にとって、その姿はとても絵になって輝いて映る。



 すると、店員はカウンターの下に並んでいるのであろう袋に目をやりながら、ふい私に声をかけてきた。


「彼氏さんへのプレゼントですか?」


 その言葉に、私は顔を真っ赤にしながら高速で首を横に振った。まさかそんなことを言われるとは思わず、恥ずかしさのあまり全力で否定する。


「……あ、兄のです」


 小さく返した私の言葉に、店員は微笑んで一つ頷くと、袋を取り出して服を入れ始めた。


 会計も済ませ、買った商品を受け取る際に店員が最後の言葉を私にかけてきた。


「優しい妹さんですね。お兄さん、きっと喜ぶと思いますよ」


 もはや顔から火が出そうになった私は、素早く一つお辞儀をして、早足でその店を後にしたのだった。






 ――ふぅ……恥ずかしかった。まだ心臓がバクバクしてる。


 逃げるように駆け出した私は、駅の近くへと戻ってきていた。歩道橋を上り、駅の二階部分へと繋がる外の踊り場にて、ベンチに座って休息している次第だ。


「でも、一つ目のミッションクリアだ。やった……へへへ」


 自分でも不気味であろうと思う笑みを小さく零し、与えられた試練の一つをクリアしたことで優越感に浸っていると、ふと前方から歩いて来るカップルに目が行った。


 男の方は知らないけど、女の方は見たことある人だった。


 まさかまた会うとは思わなかった人物、そう――私が頭突きしてしまったあのお姉さんだ。



 何かを談笑しながらニコニコしているお姉さんだったが、向こうも私に気が付くと、その瞬間あからさまに不機嫌そうな表情へと変化したのが分かった。


 さすがに私も気まずいので顔を逸らす。そして何事もなくスルーして行ってくれと心の中で願う。



 だが――、それは私も予想しなかった展開へと、急激に発展するのだった。

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