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ワールド・ティーチャー -異世界式教育エージェント- 作者:ネコ光一

十三章 闘武祭

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閑話 ホクト

 どんなに時が経とうと……。


 生まれ変わっても……。


 貴方の温もりは……変わらない。










 雨が降りしきる人里離れた山の中、傷を負った子犬が倒れていた。

 捨てられたのか、襲われて逃げてきたのか定かではないが、乳飲みから離れたばかりの子犬に自活など望める筈もない。
 わかることは、腹を空かし傷を負った子犬の命は風前の灯であるということだ。

 雨に打たれ、体が徐々に冷たくなっていく子犬は、人知れずその生涯を終える…………筈だった。

「クゥー……ン……」

 今にも消えてしまいそうな命は、突然何者かに抱えられて優しく抱きしめられた。

 冷え切った体に優しく染み渡る温もりの心地良さに、子犬は意識を失った。



 子犬は生きていた。

 目覚めて初めて見たものは、心配そうに子犬を覗き込む見知らぬ少年だった。
 周囲を確認してみればどこかの家屋で、子犬は毛布の上に寝かされていた。

「良かった。目が覚めたか?」

 少年の安心した笑みを向けられ、子犬は救われたのだと理解した。
 同時に、あの心休まる温もりをくれたのはこの少年だとも。


 その後、少年の献身的な看病によって子犬は元気になり、いつも尻尾を振りながら少年の後を追いかけるようになった。
 毎日優しく撫でてくれる上に食事を与え、まるで家族のように接してくる少年に子犬が懐くのは当然だろう。
 子犬にとって少年は御主人様となり、親のような存在となっていた。




 少年は人が訪れない山奥で、師匠と呼ばれる人と二人で暮らしていた。
 親子のように見えて、親子ではない。
 傍から見れば奇妙な関係に見えるだろうが、子犬にわかる筈もない。
 子犬から見て少年は大好きな御主人様で、師匠は逆らってはいけない存在であるとわかれば十分であった。

「ふむ……大きくなれば食いではありそうだが、子犬の方が柔らかくて美味しいだろうね」
「キューン……」
「止めろよ師匠! こいつは俺の家族なんだから、食ったらぶっ殺すぞ!」
「ははは、冗談だよ。でもまあ、殺せるものなら殺してみるといい」
「くそ……いつか絶対倒してやる!」

 絶対的な相手から守ってくれる少年に子犬は益々懐いた。




 少年と子犬の朝は早い。

 まだ外が薄明るい早朝に目覚め、準備体操を終えてから日課である走り込みが始まる。
 少年が住んでいる場所は山奥なので、当然ながら歩道や整備された道なんてある筈がない。人一人が通れる獣道らしきものを少年は毎日走っていた。
 動けるようになった子犬は、当然少年と一緒に走るようになった。
 まだ走るのに慣れていない子犬は何度も転んでいたが、少年は手を差し伸べる事をしなかった。しかし決して子犬を置いて行く事をせず、自らの足で追い着いてくるのを待ち続ける。
 転びながらもやってきた子犬をしっかりと褒め、走り終われば子犬の体調確認を済ませて御飯を用意し、毎日子犬のブラッシングを欠かさず、時間があればフリスビーで遊んであげていた。

 少年の愛情を一身に受けながら子犬はすくすくと成長し、子犬は少年を己より優先すべき御主人様であると認識していく。


 朝の走り込みの後は、少年は師匠とひたすら組手と称する戦いを行っていた。
 子犬はその戦いを見ている時もあれば、少年に呼ばれて師匠へと飛びかかる時もあった。恐怖の象徴である師匠は怖くとも、御主人様の命とあれば子犬は己を奮い立たせて共に戦った。こうして知らぬ内に、子犬の精神は徐々に鍛えられていった。

 少年と師匠の戦いは、常人から見て異常としか言えなかった。
 少年は殺す気で攻撃を放ち、師匠はある程度様子を見た後に少年を瀕死一歩手前まで痛めつけるという、常識を逸脱した戦いを毎日続けているのである。
 休んでいる隙を狙って奇襲しようが少年の攻撃は掠る事すら出来なかったので、子犬に援護を求めるのも仕方がない事かもしれない。
 しかし子犬が攻撃に加わろうと、師匠に攻撃が届く事はなかった。少年の手と足も、子犬の牙も爪も師匠に触れる事すら出来ず返り討ちにされる毎日だったが、それでも少年は諦めず師匠との戦いを繰り返していた。
 負けず嫌いもここまでくると異常で、何度倒されても諦めず戦う少年はある意味で壊れていたのかもしれない。

 そんな御主人様と共に戦い続けていた子犬は、これが異常だというのを気づかないまま育った。他の戦い方を見た事がないのだから、当然とも言える結果である。




 それから数年後……。
 相変わらず師匠に攻撃が掠りもしないが、少年と子犬は大きくなり、特に子犬は立派な犬へと成長していた。
 少年との走り込みで遅れをとる事はなくなり、犬だけで狩りができるようになっていた。獲物を狩って持ち帰れば少年が褒めてくれるので、狩りの腕は日々上達していった。
 他にも少年と連携して狩りを行ったりと、犬は少年の為に様々な事を覚えていく。

 そして犬一匹でも生きていけるようになると、師匠は少年を外国へ連れ出すようになった。

 犬は連れていけないと言われ、仕方なく少年は犬に家を守れと命令した。
 寂しくはあったが、犬は大好きな御主人様の命令を忠実に守り、帰りを待ち続けた。
 犬は知る由もなかったが、少年は師匠に連れられて、外国で起こっている戦争に傭兵として参加していたのである。


 数日後、戦争から帰ってきた時……少年は犬を抱きしめて泣いた。

 初めて人を殺めたとわかる筈もない犬は、顔を舐めて慰める事しか出来なかった。
 感情が不安定となった少年から辛く当たられる時もあったが、犬は決して少年から離れようとしなかった。


 少年は戦争へ参加する為に師匠と出掛け、家を空ける日々が何度も続いた。
 その度に犬は寂しく見送っていたが、戦争への参加が十を超えたある日……師匠が相棒として犬を連れて行けと言い出したのである。
 今まで師匠が見守っていたが、いい加減面倒になってきたので、動物の勘と能力に頼れとの事らしい。
 こうして犬も戦争に参加するようになった。


 戦場とは、鳴り止まぬ銃声に大勢の人が死ぬ酷い世界だが、犬は不思議と恐怖を感じなかった。
 師匠との戦いで恐怖に慣れているのもあったが、家で帰りを待つのでなく、こうして御主人様の傍にいる事が何よりも嬉しかったからである。
 自分は御主人様と共にあればいい。
 ただそれだけを胸に犬は少年と共に戦場を駆け抜け、幾つもの戦場を乗り越えていった。


 犬は少年に銃弾から守ってもらい、まだ未熟だった少年が気づかなかった罠に犬が気付き助かった事もある。
 そんな風にお互いを助け合い、少年と犬の絆は深まっていく。


 そして何度目かの戦争で、敵の罠によって少年と犬は孤立無援となり、敵陣に取り残されてしまった。
 追手に追い詰められて縦穴に逃げ込んだが、敵は縦穴の入り口を爆破して味方諸共生き埋めにしてきたのである。
 少年は崩落に巻き込まれて片腕の骨を折ったものの、内部に空間が出来て奇跡的に少年と犬は助かっていた。
 敵から逃げられたが、骨を折ったせいで穴を掘る事もできず、完全に閉じ込められてしまった少年と犬は救助を待つしかなかった。

 敵陣で崩落した縦穴を掘ってまで救助される可能性は絶望的だが、少年は諦めずに救助を待ち続けた。
 折れた腕を応急処置してから棒で固定し、荷物にあったランプを節約しながら使い、少ない水と携帯食料で何とか食い繋いでいた。


 それから二日経ったが……少年と犬は閉じ込められたままだった。

 お互い寄り添って存在を確認し合って混乱を抑えていたが、食料と水は尽き、飢えと渇きによって次第に少年と犬は追い込まれていく。
 この頃になると、少年は犬に離れるように命令していた。空腹によって、犬を肉だと認識して襲ってしまう可能性を恐れたからだ。

「グルルル……」

 犬は知っていた。
 狩りとは負けた方が食われ、勝者のみが生き延びれるのだという事を本能で知っている。
 そして空腹になった犬は、初めて少年に牙を剥いた。

 唸り声を上げながら少年の体の上に伸し掛かり、獲物を狩るように少年の喉元へ食らいつこうとするー……ふりをした。

 犬は少年を食らおうとは微塵も思っておらず、逆に食べられるつもりで襲ったのだ。
 このまま牙を突き立てなければ、少年は反射的にナイフを振るい自分を殺すだろう。その代わり、少年は自分を糧にして生きていけるだろうと。

 犬は少年が咄嗟に抜いたナイフを眺めながら満足気にしていた。
 恐怖なんてある筈がない。
 少年の為に、御主人様の為に、家族の為に……救ってもらった恩を返すだけなのだから。

「…………馬鹿野郎」

 だが……いつまで経っても犬にナイフが振るわれる事はなく、少年はナイフを地面に置いていた。
 犬が少年を大切なように、少年もまた犬が大切なのだ。それゆえに、犬のとった行動の意味に気付けたのである。
 犬は必死に襲うふりを続けたが、少年は犬を優しく抱きしめた。

「お前を食うくらいなら……死んだ方がましだ」

 まだ……正気は保てている。
 だから少年は考える。犠牲なくして、生き延びる事はできないのならば……。

「足はー……駄目だな。お前と散歩できなくなっちまう」

 そして骨の折れた片腕に視線を向けた。

「片腕がなくても……生きていける。待ってろよ、肉……食わせてやるからな」

 二の腕に紐を巻き付けて止血し、反対の手でナイフを握り、折れた腕に振り下ろそうとしたその時ー……。

「やれやれ、ようやく見つけたよ」
「……師匠?」

 塞がっていた入口の岩盤を砕き、師匠が助けに来てくれたのである。


 こうして無事に生還し、少年と犬の間に切れぬ絆が生まれていた。




 その後、治療を終えた少年と犬は再び別の戦争に参加していた。
 幾多の失敗を乗り越えて強くなった少年と犬のコンビに敵はなく、数多くの敵を葬り死神とも呼ばれるようになっていた。

 世界中の戦争に介入し、家に帰れば師匠と戦う激しくも目まぐるしい日々だが、犬はただ少年の隣にいれば幸せだった。




 そして少年が青年へと成長した頃……それは唐突に終わりを迎えた。


『自由に生きろ』


 青年が初めて師匠に一撃を与えられた数日後……師匠は書置きを残して青年と犬の前から姿を消した。

「……勝ち逃げなんて、ずるいよな」

 こうなる事を予想はしていたのかもしれない。
 青年は師匠が消えた悲しみより、一度も勝つ事が出来なかった方が悲しかった。


 そして青年は住んでいた家を出て、戦争で知り合った男の元へ向かい、依頼された目標を始末する特殊エージェントとなった。
 師匠に一撃を与える程の実力に、戦争で鍛え抜かれた勘と現代兵器を駆使する青年に敵はおらず、中規模の基地をたった一人で潰した成果により様々な者から恐れられるようになった。
 しかし、その隣に犬はいなかった。
 青年がエージェントの世界で活躍するようになると、犬は留守番するようになっていたからだ。

 人と犬の寿命差は大きい。
 青年が仕事に最も適した肉体へなるにつれて、犬の肉体は徐々に衰え始めていたからである。

 それでもついてこようとする犬が心配な青年は、とある仕事で命を救った女性に犬を預けるようになっていた。

「あいつを守っていてくれ。お前にしかできない仕事だ」
「オン!」

 その命令は、犬を置いていく苦肉の策に近かった。
 老いで肉体が衰えようとも、犬は青年に何かあれば自らを盾にしてでも守ろうとするだろう。残酷な言い方だが、老いた犬では達人が競う世界で生き残れないからでもあった。


 犬は寂しかったが、それでも御主人様の命令を忠実に守った。

 預けられた女性は青年に命を救われ、青年を何よりも優先する部分が同じなのか、犬と女性は戦友のように仲良くなって青年の帰りを待つのが日常となった。


 仕事が終わり、帰ってきた青年にいち早く気付いて迎えに行くのは犬だった。
 帰る度にブラッシングやフリスビーで遊んでもらい、離れていた分だけ愛情を注いでもらった。
 そして仕事へ出掛ける青年を見送る、犬にとって寂しくも穏やかな日々が過ぎていく。

 時は緩やかに進み、犬の肉体は老いによって徐々に衰えていった。




 そして何十回となる仕事で外国へ旅立った青年を見送った後……犬は寝たきりとなった。

 数日前まで青年と楽しくフリスビーをしていた筈なのだが、もはや立つ事すらできず、女性に優しく撫でられながら力なく寝ていた。

「そっか……お前はあの時、御主人様と遊ぶ最後の機会だってわかっていたんだね」

 次に青年が帰ってくるまで、犬はもう二度と走れないと理解していたのだろう。
 これが最後だとばかりに、犬は全力で青年と遊んだのだ。




 それから数日……犬は起きている時間の方が短くなっていた。

 目覚めたら女性に世話をしてもらい、終われば寝るを繰り返す辛く苦しい日々。
 それでも犬は生きる事を諦めなかった。
 もう遊ぶ事は出来なくても、あと一度だけ御主人様に撫でてもらえるかもしれないと思い、犬は懸命に生き続けた。

 たとえ……次に青年が帰ってくるのは半年近く先であったとしてもだ。




 更に数日……犬の命は限界を迎えていた。

 寿命は尽きかけ、意識が徐々に遠くなって死を予感させていたが、犬にとってこの感覚は初めてではなかった。

 まだ子犬だった頃、空腹と傷によって動けず、雨に打たれて死を待つばかりだったあの感覚と同じだった。
 痛みも……空腹も……何も感じられず、何かが零れ落ちていく感覚だけが犬を支配していた。

「クゥー……ン……」

 けれど……御主人様に拾われ、抱きあげられたあの温もりは忘れられない。
 忘れるなんて出来なかった。
 だからもう一度だけ、あの温もりを感じたかった。


 犬はそう願いながら、静かに目を閉じた。


 二度と目覚めぬ眠りへと……。



















「……ただいま」












 大切な人の声と温もりを感じ、犬は消えかけた意識を繋ぎ止めた。

 目を開けば何よりも会いたかった青年が、息を乱しながら自分を抱きしめてくれていた。
 気付けば近くに女性もいて、腕や足に血が滲んだ包帯を巻いている青年を見て顔を真っ青にしていた。

「だ、大丈夫なの!?」
「ああ、ちょっと無理して仕事終わらせちゃってな。だけどその御蔭で間に合った。お前を……看取る事ができる」

 犬は御主人様がいるだけで十分だった。
 涙を流しながら撫でてくれる青年の優しい手つきと温もりに、犬は全てを委ねた。

「お前がいてくれたから俺はここまでこれた。だから……ゆっくり眠れ。俺が見届けてやるからな」
「クゥーン……」



 大切な人に看取られ、大好きな温もりに包まれながら……犬はその生涯を終えた。















※※※※※








『一人じゃ寂しいだろ? 運が良ければー……』








※※※※※









 その声は、自分が――だった頃に聞かされた言葉だ。

 大切な御主人様の顔と名前すら思い出せないのに……何故かその言葉だけは心に残っていたのである。

 そんな中、一つだけ思いだした事があった。



 自分は犬だった……と。






 犬だと思いだして目を開けば、そこは森の中だった。

 自分は大切な人に見送られて死んだ筈なのだが、何故か子犬の姿になって見知らぬ森で倒れているのである。

 それだけでも十分驚くのだが、一番驚くべき事は現状を理解し、何故そうなったのかと考える事が出来る自分の知能だった。
 まるで人間のように考える事が出来るようになった犬は、以前より美しい毛並みになった自分の足に疑問を浮かべていると、近くの茂みから一匹のゴブリンが姿を現した。
 そしてゴブリンは美味そうな獲物を見つけたように涎を垂らし、本能のまま襲いかかってきた。

 犬は初めて見る得体の知れない化物に驚きはしたが、即座に判断を下して戦闘態勢をとっていた。これも青年と一緒に数多くの戦争を経験した御蔭だろう。
 子犬とゴブリンの大きさには絶望的な差があった。子犬の大きさは、立ち上がって体を伸ばしても相手の膝までしかなかったのである。普通に考えて、戦いを挑むのは自殺行為だろう。
 だが犬は目前の化物が大した相手ではないと本能的に理解し、自分なら勝てると判断していた。それゆえの戦闘態勢である。

 ゴブリンが獲物を捕まえようと伸ばしてきた両手を避けた犬は、その腕に乗って一気にゴブリンの体を駆け上がり、急所である相手の喉へ食らいついた。
 しかし子犬の牙は短く、せいぜい出血させる程度だろう。なので犬の狙いは相手の戦意を奪って追い払う事だったのだが……そこで予想外の事が起こった。

「ギィッ!?」

 食らいついた牙が容易く突き刺さったかと思えば、肉を抉り、喉を食い千切っていたのだ。
 まるで豆腐のような柔らかい物を噛んだように、ゴブリンの喉は脆かったのである。
 この化物が弱いー……いや、自分が強いのだと犬は理解した。

 部分的とはいえ、喉を食い千切られたゴブリンは出血多量により死んでいた。仕留めた以上は食うべきだと、死骸に目を向けた時点で気付く。
 空腹を一切感じないのだ。不味そうな肉だから食欲が湧かないわけではなく、食欲すら存在しないのだ。更に言うならば排泄すら必要ないようだった。

 子犬の姿でも化物を一撃で仕留める圧倒的な力に、もはや犬と呼んでいいのかわからない自分の体。
 謎は深まるばかりで、犬は自分に起きた変化に戸惑っていたが、悔しくも感じていた。
 もしこの力があれば……青年の仕事に置いて行かれず共にいれただろうと。

「アオーンッ!」

 だが、今更こんな力を得ようと共にいるべき人はもういない。
 目の前に転がっている見た事のない化物に、明らかに違う世界の空気。何故かわからないが、今まで自分が生きていた世界とは違うと結論を出していた。
 世界が違う……つまり自分より大切なご主人様は存在しない証拠でもある。
 悔しさのあまり放った遠吠えが、周辺に悲しく響き渡るのだった。


 食べない以上、用のない死骸を背にして犬は森の中を移動していた。
 途中で様々な化物と遭遇したが、異常に発達した感覚によって敵の位置を事前に察知し、奇襲で仕留め続けた。
 ゴブリンから始まり、異常に大きな狼、二足歩行をする豚……等と様々な化物を倒しながら、犬は宛てもなく歩き続けた。

 そして歩き続けて水場を見つけた犬は、水面に映った自分の姿を見た。

 見た目は犬というより狼で、輝く程に白き体毛に、しなやかで頑丈そうな尻尾。
 明らかに変わった自分の姿を確認した瞬間、犬は途方に暮れていた。

 自分はこれからどうすればいいのだろう?

 もはや犬の全てだった御主人様はおらず、自分の親どころか仲間さえ見当たらないのだ。
 生まれ変わったのに、生きる糧が存在しない犬は絶望し、静かに目を閉じて地面に寝転がっていた。

「クゥーン……」

 御主人様のいない世界なんて、生きる意味がー……。




『一人じゃ寂しいだろ? 運が良ければ、また会えるかもしれないから……頑張りな』




 その時、目覚める前に思いだした言葉に犬は気付いた。
 あれは御主人様と自分が一度も勝てなかった師匠の声で、姿を消す前に聞いた最後の言葉だった。

 あの化物じみた強さに、明らかに常人と違っていた雰囲気からして、自分がここにいるのは師匠のせいではないかと犬は思い始めていた。
 そんな師匠が口にした、また会えるかもしれないという言葉に犬は希望を見出した。

 自分がここにいるのなら、御主人様もこの世界にいるのかもしれない……と。




 生きる意味を見つけた犬は強くなる事を決めた。
 今の姿でも十分に強く、大きくなればもっと強くなるかもしれないが、師匠の強さを知っている以上は何もせず大きくなるわけにはいかない。

 練習台である化物は周囲に幾らでもいるし、戦い方も過去に何度も眺めた御主人様と師匠の戦いを思い返せば問題なかった。
 ただ眺め、時折参加して本能のまま戦っていた以前と違い、今の知能で思い返せば参考になる点は沢山ある。

 犬は御主人様を真似るようにして自分を鍛え続けた。

 己の限界を知り、体全てを武器として使うように心掛け、尻尾を木すら薙ぎ倒す武器へと昇華させた。
 他にも殺したくない人間が敵になるかもしれないので、ゴブリン相手に手加減も学んだ。

 犬は知らなかったが、百狼と呼ばれる獣の体は異常な成長力を見せ、犬の実力と体は日に日に大きく成長していった。




 それから数年後……。

 子犬サイズだった体は大きく育ち、犬は森における生態系の頂点に立っていた。
 この世界で生まれて数多くの魔物と戦ったが、一度も自分の同種を見かけず、他の魔物と比較しても飛び抜けた強さを持っている点から、自分はとても希少な種ではないかと推測もしていた。
 実力もつき、親も仲間もいないこの森に留まる必要がなくなった犬は、森を出て外の世界へと飛び出した。

 青年と会える保証はない。
 それでも希望を信じ、犬の旅は始まりを告げた。




 人の欲望を知り、自分の異常性に気付いていた犬は人に見つからないように森を選んで歩いていたが、ある日魔物に襲われていた少女を助ける。
 少女と出会う事で自分は百狼と呼ばれる存在だと知り、それから何となく気になった少女を見守りながら世界の常識を学んだ。
 しかし欲に塗れた貴族によって少女の家族が襲われそうになり、犬……百狼はさり気なく貴族をぶちのめして少女の前から去った。少女は気にはなるが、そこに御主人様がいなければ留まる必要はなかったのである。
 少女が無事なのを確認した後、百狼は再び旅を再開した。




 百狼の旅は大陸を越える。しかし別大陸へ行く為に海を渡る必要があった。
 打ち捨てられた小船を見つけ、犬はそれに乗って海をのんびりと漂っていたが、途中で奴隷船と遭遇し、自分を狙って襲ってきた奴隷商人を倒して捕まっていた奴隷達を解放した事もあった。
 神聖な獣という存在もあり、百狼は奴隷達に英雄扱いされたが、やはり御主人様は見当たらなかったので逃げるようにその場を去った。


 その後も様々な事件に遭遇し解決してきたが……愛しき御主人様は見つからない。

 それでも、たった一人の人物を求めて百狼は世界を巡る。




 旅を始めて数十年経った頃……百狼はとある山へ辿り着いた。

 御主人様と暮らしていた山と雰囲気が似ていて、魔力が満ち溢れる環境を百狼は一目で気に入ったが、猿のような魔物が大量に住み着いていた。
 生態系を崩すのでないかと心配したが、魔物の特徴と環境の違いから余所者と判断し、遠慮なくぶちのめして追い払っていた。

 邪魔者を追い出した百狼は、落ち着く場所を見つけてしばらく居座る事に決めた。
 どこか懐かしい空気と満ち溢れた魔力の心地良さに、百狼は時を忘れるように眠り続けた。



 そしてー……。









 過去の夢を見ていたホクトは、そこで目を覚ました。

 顔を上げてみれば、近くのベッドで眠るホクトの御主人様、シリウスが眠っている。

 外の明るさからそろそろ起きる時間のようだが、ホクトは少しだけ早く起きてしまったらしい。
 音もなく立ち上がったホクトは、シリウスを起こさないようにベッドの傍へ立って御主人様の顔を覗き込んだ。

 前世の面影は微塵もなく、匂いだって全く違うが……ホクトに向ける眼差しと愛情は、拾ってくれた時から変わらない。

 シリウスを御主人様だと確信し、新たな名前を授けられた瞬間からホクトの世界は輝き始め、涙を流しながら生まれ変われた事を感謝した。
 やはり自分の居場所はこの人の隣なのだと、夢中で遠吠えをしたものである。
 そして今は化物と呼ばれる程の力も得て、それを御主人様の為に振るえるのが何よりも嬉しい。


 しかし過去の夢を見たせいだろうか、御主人様を置いて死んでしまった頃を思いだして寂しくもあった。
 ホクトはゆっくりとシリウスの胸元に顔を乗せ、大好きな温もりを感じていると、シリウスはゆっくりと目を開いた。

「……ホクトか」

 体重をかけていないとはいえ、胸元から感じた違和感で目覚めたシリウスは、寝た状態のままホクトの頭を撫でた。

「朝からお前が甘えてくるのは珍しいな」
「クゥーン……」
「別に怒っていないさ。少し早いが、起きる時間だしな」

 そのまましばらくホクトを撫でていると、隣のベッドに寝ていたレウスも目を覚ましていた。

「ふぁ……おはよう、兄貴。ホクトさん」
「おはよう。体は問題ないか?」
「勿論だぜ兄貴。怪我は完全に治ったし、そろそろ鈍った体を取り戻さないとな」

 そして二人が運動しやすい服に着替え終わる頃、シリウスの恋人達が朝の挨拶をしながら部屋に入ってきた。
 全員動きやすい服装で、今から朝の走り込みをするらしい。

「シリウス様、準備完了です」
「体力に自信はあるつもりだけど、貴方達について行けるか心配ねぇ……」
「冒険で鍛えていたフィアさんなら大丈夫ですよ。何もしていなかった私は過去に何度倒れた事か……」
「それでもリース姉は諦めずについてきただろ? 凄い根性だと思うぞ」
「あはは……シリウスさんやレウスに何度も抱えられていたよね」
「なるほど、倒れたらその可能性もあるわけね。私はシリウスにお姫様抱っこを希望するわ」
「倒れる前提で言うなよ。フィアは初日だし、加減するから無駄な心配だ」

 和気藹々と語り合うシリウス達を、ホクトは穏やかな目で眺めていた。

 大変そうだが、充実して楽しそうにしている御主人様を見るとホクトも嬉しいのだ。

 シリウスの幸せは、ホクトの幸せ。

「それじゃあ出発するか。まずは軽くから行くぞ」
「「「はい!」」」
「ふふ、新人だから頑張って付いて行くわね」

 師匠を打倒しようと、一人と一匹でただ走り続けていたあの頃とは違う。
 四人の大切な仲間を引き連れて部屋を出ようとしたシリウスは振り返り、笑みを浮かべながらホクトを呼んだ。


「行くぞ、ホクト!」
「オン!」



 大切な御主人様と共に、ホクトの輝きに満ちた日々は続いていく……。



 師匠と共にいた少年が異常に育ったように、犬も同じく異常に育つお話でした。




 闘武祭の流れ的にライオルの爺さんの話かもしれませんが、ふと浮かんだのでホクト話になりました。

 エミリア達がシリウスに懐いているのは、助けてもらったりお母さんみたいな存在だからですが、強いホクトがシリウスに忠誠を誓っている理由を書きたかったのです。




 余談
 前世の青年が犬を看取ろうと急いで仕事を終わらせた部分の裏設定。

 本来ならじっくりと潜入捜査をし、武装基地の奥に隠れていた目標を仕留める算段だったが、女性から犬が危篤の知らせを受けた青年は強行突破。
 手当たり次第撃ち殺し、まさか強行してくるとは思わなかった目標は慌てて飛行機で逃げようとしたが、青年はロケットランチャーで飛行機を撃ち落として依頼達成する。
 もちろん色々と問題があって揉めたが、全て相棒に丸投げして、犬の待つ家まで直行できる飛行機を私的にチャーターする。
 そして家の上空に着いたらパラシュートで落下し、犬の元へ駆けつける……という設定だったり。




 ちなみに、ホクトがシリウスと出会う以前の漫遊編は、いずれ『ぶらり、ホクトの旅』てなタイトルでやりたいな……と考えていたりします。


 本来ならこの投稿で十三章を終える予定だったのですが、二、三日後に短い小話を挟み、その後次の章へと移りたいと思います。
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