彼女と歩む道
「……朝か」
久しぶりにベッドで眠れたせいか、目覚めは中々快適であった。
窓から外を見れば概ねいつも通りの時間に目覚めたので、予定していたあれをしようと思っていたが……俺は動けなかった。
「……すぅ」
理由は隣で眠っているリースが抱きついているからだ。
エミリアは俺の腕に抱きついて寝ていたが、リースの場合は体全体で俺に抱きついているのである。彼女は抱き枕派なのだろうか?
起きれないので剥がそうとするが、リースは抱き締める力を強くして離れようとしなかった。
「リース、そろそろ起きたいんだが?」
「……けーきぃ」
……見事なほどに熟睡していて起きる様子がない。
顔を見れば少しだけ口を開けているので、涎が零れるんじゃないかと心配したくなるくらいに無防備だ。
子供のような可愛らしい寝顔を眺めていると癒されるが……いつまでも眺めているわけにもいくまい。
とりあえず、力技じゃない方向で起こすとしよう。
「よしよし、チーズケーキだぞー」
「……おかわりぃ」
もう食べたのかと突っ込みたくなるが……反応はあった。引き続き攻めるとしよう。
「じゃあ起きたらチーズケーキ焼いてやるぞ。ほーら……目を開いてごらん」
「うん……起きー……あれ?」
そこで目を開いたリースは、俺と視線が合うなり固まった。
徐々に顔が真っ赤に染まり始めた彼女は俺から離れ、そっとシーツで顔を隠そうとしたが、俺はそれを止めて彼女の額に口付けをした。
「おはようリース」
「……はい」
口にしなかったのは、おそらくリースが恥ずかしさで爆発してしまいそうな気がしたからである。
額は正解だったようで、リースは顔を真っ赤にしながらも隠れるのを止めて柔らかい笑みを向けてくれた。
「体は大丈夫か?」
「ちょっと違和感あるけど大丈夫です。それ以上にふわふわした満足感と言いますか……とにかくエミリアの気持ちがよくわかりました」
昨夜は色々と覚悟した顔でやってきた彼女だが、この喜んでいる表情を見て安心した。
「ちょっと馬車で作業をしてくるから、リースはまだ寝ていなさい」
「はい……でも馬車で何を?」
「言っただろう? ケーキを焼いてくるのさ」
昨夜に寝る前にリースが、再会のお祝いでフィアにケーキを食べてもらってはどうかと話してきたのだ。決してリースが食べたいからではないと思う。
リースの垂れそうな涎を見なかった事にし、俺はケーキを作る為にベッドから起き上がった。
準備を済ませている間ずっとこちらを眺めていたリースだが、俺が部屋を出る前に彼女は上半身を起こしていた。
「シリウスさん。私……上手く出来たのでしょうか?」
「ん? 上手く出来たとかそういうのを気にする必要はないさ。とにかく、これからは恋人としてよろしく頼むよ」
「……はい!」
顔は真っ赤だが、リースはとても満足気な表情で返事をしてくれた。
「オン!」
「おはようホクト」
廊下に出て待っていたのはホクトである。
昨夜、リースが俺の部屋を訪れたのを確認するなり、ホクトは空気を読んで姉弟とフィア達と一緒の部屋で寝ていたのだ。
ホクトの頭を撫でながら朝の挨拶を済ませ、俺は馬車を駐車した庭にある小屋へと向かった。
「おはよう兄貴!」
ホクトを連れて外に出ると、レウスが庭で朝の訓練をしていた。
狭い庭なので腕立てをしていたが、俺を見つけるなり爽やかな笑みを浮かべながら挨拶をしてきた。
「ああ、おはようレウス。今日も元気だな」
「当然だぜ。ところで兄貴、今から外に走りに行くんだけど兄貴も行かないか?」
「今日はちょっと予定があるから、走るのはまた今度な」
「そっか……久しぶりに兄貴と競争したかったんだけどなぁ」
「フィアのお祝いにケーキ焼くつもりー……」
「すぐ帰ってくる!」
レウスは土煙を上げながら走り去って行った。
おそらく言葉通りすぐに帰ってくるだろうと思いつつ小屋へ入り、馬車の盗難防止を解除した。
「よし……完成だ。味見してみるか?」
「オン!」
エプロンを装着して馬車内でケーキを焼き、完成したケーキをホクトに味見させていると、誰かが近づいてくるのに気付いた。
「おはようシリウス、ホクト。何だか良い匂いがするわね」
やってきたのはフィアだった。昨夜はワインを相当飲んでいたが、彼女は全く体調が悪そうに見えない。酒に強いってのは本当のようだ
俺は挨拶を返しつつ、焼きたてのケーキをフィアに差し出した。
「もしかしてそれがケーキってお菓子なの? 美味しそうね」
「フィアとの再会祝いだからな。食べてみるか?」
「是非……と言いたいけど、こういうのは皆で食べるのが一番でしょ? 後でいただくわね」
「はは、それは正解だぞ。あいつ等はケーキになると目の色を変えるからな」
僅か一日だが、フィアはすでに弟子達の性格を掴んでいるようだ。
しかしケーキが一つなのも寂しいから、別なのも作ってカチアやセシルさんにお裾分けでもするか。
「今からもう一つ焼くけど、フィアはどうする? 朝食までには戻るから、宿に戻って休んでいてもいいぞ」
「邪魔じゃなければ、見ていてもいい?」
「別にいいけど、見ていて楽しいもんかね?」
「ふふ、貴方のエプロン姿……似合っているわよ」
特に断る理由もないので、俺はフィアの視線を受けながらケーキ作りに勤しんだ。
そして材料を掻き混ぜて型抜きに流し込んでいると、背後から感嘆の声が聞こえてきた。
「へぇ……手際がいいわね。実はシリウスって料理人を目指していたりするの?」
「そんなわけないだろ? これはあくまで趣味だ」
「趣味もそこまで行くと凄いわよ。私の愛人さんは何でも出来て鼻が高いわね」
「何でも出来るわけないと言いたいところだが、愛人設定は何とかならないのかよ」
フィアと雑談しながらケーキ作りを進め、馬車内に備え付けられた魔法陣に魔力を流してオーブンを起動させた。
「貴方と一緒にいれるなら愛人でも十分よ。それより、リースとの夜はどうだったかしら?」
「……彼女の勇気には応えてあげたつもりだ」
「まあ、今朝のリースを見れば満足させてあげたのがよくわかるわ。私も楽しみにしているわね」
「本当に積極的だな君は。それより、リースはもう起きていたんだな」
「さっき部屋に来たのよ。恥ずかしがりながら私に礼を言ってきたけど、エミリアを見て焦っていたわね」
「……エミリアに何かあったのか?」
後はケーキが焦げないように見張るだけだが、フィアの言葉に思わず振り向いていた。
フィアの様子から不味い状況ではなさそうだが、俺の視線を受けたフィアは思わず目を逸らしながら口を開いた。
「……二日酔いよ。ちょっと飲ませ過ぎちゃったみたい」
「はぁ……」
その程度だと判明して喜べばいいのか、虚しくなればいいのかわからなくなる。
とりあえずケーキが焼きあがって冷ます工程まで進め、俺はケーキ作りを中断してエプロンを外した。
「完成したの?」
「まだ仕上げが残っているけど、今はエミリアだな。二日酔いに効きそうな薬を調合しないと」
薬と言っても、体内代謝を促す前世で言う漢方薬みたいなものだ。劇的な効果があるわけではないが、服用すれば治るのが早まるので用意して損はあるまい。
エリナから学んだ薬草学を思い出しながら馬車に常備している薬草で調合をしていると、レウスが息を乱しながら帰ってきた。
「た、ただいま兄貴! 今日はチーズケーキなんだな!」
「おかえり。ちゃんと体の手入れを済ませてからだ。手も洗うんだぞ」
「わかったぜ!」
「……師匠と言うより保護者ね」
調合を終え、優し気な笑みを浮かべるフィアと一緒に俺は宿に戻った。
俺達は完成していた方のケーキを持って、エミリアの部屋に向かった。
扉をノックするとすぐにリースが顔を出したが、俺と視線が合うなり顔を真っ赤にしていた。
「あ……う……シリウスさん。その……改めて、おはようございます」
「ああ、おはよう。ところでエミリアが寝ているって聞いたけど?」
「あ……そ、そうでした! どうぞ、診てあげてください」
恥ずかしくてもエミリアを優先してくれるのがリースだ。若干ケーキに視線が向けられているが……気のせいだろう。
部屋に入るとベッドで寝ていたエミリアが俺に気付き、目を開けてこちらに顔を向けてきた。
「シリウス様……」
「大丈夫か?」
枕元にあった椅子に座り、頭を撫でてやると気持ち良さそうに目を細めていた。ついでに『スキャン』でエミリアの体調を確認したが、単なる二日酔いで間違いないようだ。
「このような体たらく……申し訳ありません」
「偶にはこういう事もあるさ。薬を持ってきたが、まずはお腹触るぞ」
二日酔いの原因を大雑把に言えば、体内のアルコールが分解しきれないから起こるのだ。なので俺の再生活性で体内の代謝を向上させれば早く治るだろう。
しかしエミリアは伸ばした俺の手に触れて止めてきたのである。
「いいえ、これは自業自得ですから自分で治します。シリウス様の手を煩わせる必要はございません」
「……そうか。なら薬は大丈夫だろう? これと一緒に水をよく飲んでおきなさい」
エミリアの上半身を起こして薬と水を飲ませてから、再び横になったエミリアの頬を撫でてやった。
二日酔いで気持ち悪い筈なのに、エミリアは撫でられる手を握って嬉しそうに頬ずりしている。
「ふふ……従者としては失格でしょうが、シリウス様に看病されるなんて幸せです」
「そうか。特に予定もないし、治るまで傍にいてやろう」
闘武祭が開催されるまで二日もあるし、焦って町を観光する必要もない。
なのでエミリアを看病しながらのんびりとしようと思っていたが、エミリアは苦笑しながら首を横に振っていた。
「とても魅力的ですが、私に遠慮せず町を観光なさってください」
「しかしなぁ……」
「実はシリウス様が来られる前にリースと二人で話し合ったんです。今日はシリウス様とフィアさんの二人だけにしてあげようって」
振り返ればレウス、リース、フィアの三人は揃って嬉しそうにケーキを食べていた。
放っておけば全部食べそうなので、エミリアの分は残しておけと伝えるのを忘れない。
「それは嬉しいが……つまり、エミリアはフィアを認めたという事でいいんだな?」
「はい。フィアさんは私達と一緒で、シリウス様が大好きなんだと言うのがよくわかりました。それに……フィアさんは十年近く離れていましたから、シリウス様と二人きりにしてあげたいんです」
「ありがとう。俺は良い恋人を持ったものだ」
「私は貴方の従者です。ですが……もっと撫でてもらえますか?」
それから朝食の時間まで、甘えてくるエミリアの頭を撫で続けるのだった。
宿が用意してくれた朝食を終えた俺達は自由行動にする事にした。
エミリアはベッドで、リースはその看病で宿に残り、レウスは冒険者ギルドを探して訓練場を使わせてもらうと言って出かけた。
そして俺とフィアはホクトを連れ、闘武祭でお祭り騒ぎになっている町中を歩いていた。
「ふふ……凄い人の数ね。ちょっと移動が大変だけど、この楽しそうな雰囲気は悪くないわね」
「はぐれるなよ。と言っても、俺とホクトがいればすぐに見つけられるけどな」
「オン!」
「あら、じゃあこうするわね」
フィアはそっと俺の腕に抱きついて肩に頭を寄せてきた。少し歩きにくくなったが、フィアは笑っているので気にするまい。
惜しいのは、彼女がエルフだと騒がれない為にフードをかぶっている点か。本人も少し残念そうで、彼女の綺麗な長髪が隠れているのは勿体ないと思う。
俺達は様々な店を冷やかしながら買い食いしたり、フィアに渡すチョーカーの色を聞いて生地を選んだりしながらデートを楽しんでいた。
その途中、ホクトが気を利かせたのか俺達から距離をとって姿を隠していた。『サーチ』で調べれば建物の陰に隠れているようで、俺とフィアをこっそりと見守っているようだ。我が相棒は芸が細かい。
ホクトだけだと通報されるかもしれないが、この町では普通に従魔を連れ歩いている冒険者がいるので、しばらくの間なら問題あるまい。例え珍しいからとアホな奴等に狙われたとしても、ホクトなら逃げるくらい容易いだろうし。
二人きりで町の散策を続けている内に昼となり、俺達はオープンテラスがある食事処を見つけて昼食にしていた。どこの店も満席だったが、駄目元で訪れた店でちょうど空席が出来たのである。
外の席に案内された俺達は適当な料理を頼み、食事をしながらフィアとの会話を楽しんでいた。
「ここの食事も美味しかったけど、朝食べたケーキの方が何倍も美味しかったわね」
「あれはお菓子だから、この料理と比べるのは何か違うと思うぞ」
「それもそうね。ところでレウスは闘武祭に出場するって聞いたけど、貴方は出場しないのかしら?」
フィアが外の街路を眺めながら呟いているので、俺も釣られて外に視線を向けた。
闘武祭のせいで、町を歩く人のほとんどが冒険者だ。パーティを組んでいるであろう若い冒険者達が武器屋の前で相談していたり、ベテランに見える屈強な男達が昼間っから酒を飲んでいる光景もあった。種族も多種多様なので、この町は種族間の差別がほとんどなさそうである。
そんな街並みをぼんやりと眺めながら、俺はフィアの質問に答えた。
「出場して目立つ理由もないからな。俺なんかよりレウスを応援してやってくれ」
「応援はするけど……勿体ないわねぇ。貴方なら絶対優勝できそうなのに」
「おいおい、昨日再会したばかりの俺をよくそこまで持ち上げられるな」
「だって、子供の頃からあんなにも異常だった貴方が弱いわけないじゃない。さっき抱きついた貴方の腕……凄く逞しかったわよ」
フィアは目を細め熱の入った視線を向けてきた。エミリアやリースだと微笑ましいと思うが、フィアが言うとこうも色っぽくなるのか。
「俺の手が届く範囲は守れるようにずっと鍛えてきたからな。それにまだ理想とは程遠いし、これからも努力を続けないとな」
「貴方の理想って……一体どれ程なのかしらねぇ」
生まれ変わった俺は前世より遥かに強くなっているだろうが、俺の壁で目標だった師匠には及ばないと思う。
弟子を守る為に、記憶に残る師匠に勝てるようになるまで俺は鍛え続けるつもりだ。
「ところでレウスから聞いて思ったんだけど、貴方について行くなら私も訓練を受けなければいけないのかしら?」
「あの三人は俺の弟子だからやらせているだけで、仲間であるフィアがする必要はないよ。それは本人の自主性に任せる」
「うーん……見てから考えるわね」
これからも含めた会話をしながら食事を終え、俺達は再び町の散策をしていた。
そして露店が立ち並ぶ街道を歩いていると、急にフィアが立ち止まって俺の腕を引っ張ってきたのである。
「あ、シリウス見て。中々洒落たのが売っているわよ」
「……ちょっと待て」
言葉だけ聞くと仲の良い恋人のようだが、フィアが笑いながら手に取った物は……首輪である。
この露店は奴隷用品を主に扱っているらしく、首輪の他にも様々な調教道具が並んでいた。間違っても、恋人同士で立ち寄るような露店ではない。
フィアが持っているのは奴隷に付けられる隷属の首輪だが、首輪から魔力の反応が感じられないし、金属製ではなく柔らかそうな革製なので偽物だろう。
「……お客さん、そいつは偽物だよ。あくまでプレイを楽しむ為の品だ」
「へぇ……じゃあこれ貰える?」
「買うのかよ!?」
店員も慣れているのか、特に何も言わずフィアから代金を受け取って商品を手渡していた。
そしてフィアは自然な動作で偽物の首輪を俺の手に握らせてきたのである。
「……色々と突っ込みたいところだが、何のつもりだ?」
「もちろん私に付けてもらうのよ。昨日も言ったけど、奴隷なら一緒にいて違和感が無いからね」
奴隷の首輪には着けた奴隷の位置を主人に教える機能に、念じれば遠隔で殺せる機能が付いているので、首輪を着けた者は誘拐される可能性が相当減るのだ。
しかし奴隷扱いなので様々な面で格下に見られるだろうが、希少なエルフであるフィアを守るには有効な手段なのは間違いない。
間違いないのだが……。
「本当ならチョーカーが出来るまで待つつもりだったけど、今は恋人のように貴方と堂々と歩きたいの」
「フード、外したいんだな?」
「あはは……ごめんね。貴方に迷惑かかりそうだし、やっぱり無しにー……」
「別に首輪なんかいらないだろ?」
何だか色々と面倒になってきたので、俺は問答無用でフィアのフードを外していた。
突如現れたエルフに周囲が気付き始めて足を止める者も出てきたので、フィアは慌ててフードをかぶろうとしていたが、俺は彼女の手を掴んで止めた。
「ちょ、ちょっとどうしたのよ!? 注目を集めちゃうし、私達が狙われちゃうでしょ!」
「別に狙われたってかまうものか。俺もフィアと堂々と歩きたいし」
そもそもフィアが奴隷だろうと何だろうと、アホな奴等から狙われるのは変わらないのだ。
だったらもう開き直ってしまえばいい。どちらにしろ俺が守るのは変わらないのだから。
「俺以外にもホクトや弟子達がいるし、何があろうとフィアを守ってやるさ。だから周囲なんか気にせず一緒に歩こう」
頬を染め、満面の笑みを浮かべたフィアは先ほど以上の力で俺の腕に抱きついてきた。
「……殺し文句ね。そこまで言われちゃったら、もう付いて行くしかないじゃない。あ、でも私は守られるだけの女じゃないからね?」
「わかっているさ。それより……胸が当たっているんだが?」
「当てているから当然よ。貴方さえ良ければ、今からどこかの宿に入りたいくらいだもの」
「流石に真昼間からは勘弁してくれよ」
妙に艶めかしい会話をしながら俺達は歩き続け、腕を組んだまま大通りに出た時にそれは起こった。
「し……シェミフィアーさん!?」
「……あちゃあ」
突如周囲に響き渡る大声に振り向けば、そこには二人の護衛らしき者を連れた貴族の男が立っていた。
年齢は俺より少し上くらいだろうか? 貴族らしい煌びやかな衣装を身に付けた青年は驚愕に表情を染め、フィアを指差しながら震えている。
フィアはすぐに自分の顔を隠していたが……すでに遅かったようだ。
「……彼は何者だ?」
「えーと、一言で言うなら……私に一目惚れして付き纏ってくる貴族よ」
この町に訪れる前の話だそうだが、フィアはとある町で買い物をしていた時、ちょっとした不注意でフードが脱げてしまったらしい。
すぐにフードは戻したが、やはり数人に見られてしまったらしく、その内の一人があの叫んでいる貴族だそうだ。
「他の人達は優しい人だったから騒ぎにしなかったけど、あの人だけは別ね。私に惚れたとか言って、何度もしつこく迫ってくるのよ」
「情熱的……と言った方がいいのか」
「確かにそう見えるけど、ちょっと私には合わないのよね。理由はー……会えばわかるわ」
フィアが本気で嫌そうな顔をしている中、貴族の青年は笑みを浮かべながら走ってきた。
そして俺達の前に立ち、まるで演劇をしているように両手を広げて喜びを表していた。
「ああ……運命の悪戯により離れ離れになった私達がこうして再会できるなんて。これもミラ様のお導きですね」
こっそりとフィアに耳打ちされた補足によると、運命の悪戯以前にこの男……ジークが嫌でフィアが逃げだしただけの話だ。
ちなみにミラ様とは彼が敬愛している宗教に存在する女神様の名前だとか。
「再会出来たのは偶然よ。それより私達はデートの最中だから、邪魔をしないでくれるかしら?」
「ん? 何ですかこの男は。おい、シェミフィアーさんから離れろ。彼女が嫌がっているだろう?」
「……断るよ」
「そうよ! 私は嫌どころか好きでいるんだからね」
ようやく俺がいるのに気付いた上に、自分にとって都合の良い光景しか見えないようだ。非常に面倒な性格だとすぐに理解できた。
ジークが俺を睨みつけてくるが、フィアは見せつけるように俺の頬に口付けをしてきた。
「なっ!?」
「私はこの人と恋人なの。だから貴方の運命の相手じゃないから諦めてね」
「間違ってはいないが、露骨過ぎないか?」
「この男にははっきり言わないと駄目なのよ。私にはシリウスがいるって何度言っても諦めないし、目の前で見せれば流石にわかるでしょ」
「ああ……うん。何となくわかるよ」
この一方的な暑苦しさから、フィアの考えもすんなりと理解出来た。
絶望の表情を浮かべていたジークはしばらく悶えていたが、急に殺気を放ちながら俺を睨みつけてきたのである。
正直大した殺気ではないのだが……嫌な予感がした。
「そうか……貴様はシェミフィアーさんの弱みを握って無理矢理手篭めにしているのだな!」
「……は?」
「その持っている首輪が証拠だ! シェミフィアーさんを奴隷にして欲望を満たすつもりだろうが、そんな事は私が絶対にさせんぞ!」
「ああ……やっぱり駄目ね」
背負い袋が無いので、さっきフィアに渡された首輪を握ったままだった。
それにしても、ここまではっきりと見せつけても認めないとはな。余りにも都合の良い解釈に、フィアが頭を抱えながら首を振るうのも当然か。
ジークは更に熱を上げ始めているが、対照的に俺達は冷めていくばかりであった。
「あのさ……弱みを握られている女性がこんな笑みを浮かべると思うか? 彼女が好きならば、嘘をついていないってわかる筈だろ?」
「お、おのれ! シェミフィアーさんを騙している平民の癖に生意気な。彼女は私が守る!」
「彼女の心を理解できないお前に言われたくない。フィアは俺が守るから、さっさと諦めて帰れ」
「貴様のような弱そうな冒険者に彼女が守れるものか! その点、私は様々な冒険者を雇って彼女を守る事が出来る。見るがいい」
ジークの後ろに控えていた護衛が前に出てきて威圧感を放ってー……こなかった。むしろ雇い主の行動に呆れ気味で、仕方なくといった感じだ。
そうとは知らず、ジークは自慢気に護衛を紹介し始めている。
「この男はあの剛剣ライオルと戦った事のある実力者だ。明後日の闘武祭において優勝候補とされているのだぞ!」
「剛剣とねぇ……」
この世界では、最強のライオルと戦った事がある……という事実だけでもちょっとした箔が付く。何せライオルと戦えば死ぬか、彼に認められる実力があるかに分かれるからだ。
それが本当かどうかわからないが、少なくともその中年の男性である護衛はかなりの実力者だと感じられた。闘武祭の基準がわからないが、優勝候補と言われてもわからなくもない。
「そしてこっちの男は剛剣のライバルでもあった剣聖の息子だ! この者達に守ってもらえれば、どんな相手だろうとシェミフィアーさんは安全だ!」
剣聖……確か剛剣ライオルに一歩及ばず生涯を終えた剣の達人だ。
一度だけ爺さんが剣聖について語った事があるが、彼は隠居する前の最大のライバルだったとか。
そんな剣聖の息子である男はジークより若干幼く、レウスとほとんど変わらない年齢で線の細い男だった。だがその細い体には鍛え抜かれた筋肉が凝縮されていて達人の風格を漂わせている。軽そうな剣と防具を使用している点から、一撃より手数による攻撃を得意にしていると思う。
なるほど……確かにこれ程の実力者ならフィアを守れるかもしれない。
「なあ……護衛よりあんたはどうなんだ?」
「力とは腕っ節だけではない! 私自身は強くないが、それを補う財力と身分を持っているのだ。己の持てる全てを使い彼女を守る……それこそが私の力!」
彼の言いたい事はわかるし、同意できる部分はある。実際、これ程の実力者を護衛として雇っている力を持っているのだ。
ただ……それがフィアの趣向に合うかどうかは別問題だ。
「なるほど……フィアが合わないわけだな」
「でしょう? あのねジーク。確かに貴方はそういう意味で強いかもしれないけど、私は自分の力で守ってくれる人が好きなの」
町を歩いている途中で、フィアは俺が好きになった理由を語ってくれたのだ。
絶望的な状況で現れた俺の背中に惚れたとか、聞いているこっちが恥ずかしい事ばかり言っていた。つまり彼女の言葉通り、身を張って守ってくれるのが彼女の好みなのだ。
再び告げられた拒絶にジークも認めざるを得ないと思ったが……彼はまだ諦めていなかった。
「な……ならばその冒険者はシェミフィアーさんを守れると?」
「ええ、きっと守ってくれると信じているもの。それに、私はただ守られるだけの女じゃないって理解してくれているし……貴方の言葉で言うなら、彼は運命の相手よ」
「こ、こんな平民の冒険者が……」
「よし、ならばこうしようじゃないか」
悪いとは言わないが、こちらの状況を知らず、フィアしか見ていないから理解できないのだ。
もっとわかりやすく、大勢の証人がいてはっきりとさせる方法を提案するとしよう。
「そこの護衛二人は相当な実力者なんだろう? そして、明後日の闘武祭に出場する……合っているな?」
「そうだ。闘武祭で優勝し、シェミフィアーさんの護衛にするつもりだ。そうすれば、下手な男は彼女に手を出してこないだろう」
「俺もそれに出場する。そこの二人を倒すか、優勝したら二度と彼女に言い寄らないと約束しろ」
「何だと!?」
俺の言葉にジークは驚いているが、倒すと言われた二人の護衛は威圧を放ってきた。
それを平然と受け止めて仕返しとばかりに威圧を放ってやると、護衛二人は面白そうに笑みを浮かべ、ジークへと耳打ちをしていた。
「……いいだろう。それを受けてやる。だが、逃げたら地の果てまで追い続けるからな!」
「決定だな。俺達は受付に行くが、信頼できないなら付いてくるがいい」
返事を待たず踵を返し、俺とフィアは闘技場へと向かって歩き出した。歩きながら振り返れば、ジーク達は睨みながらも俺達の後を付いてきていた。
面倒な相手であるが、護衛をけしかけて無理矢理奪おうとするようなアホではないのが救いだろう。
「すまないな。せっかくのデートに寄り道が増えた」
「何を言っているのよ。元は私のせいだし、シリウスが私の為にしてくれるんだから嬉しいくらいよ。ねえ、今夜部屋に行ってもいいわよね? というか、行くわ!」
感極まっているフィアを宥めつつ闘技場に足を運び、俺は正式に闘武祭の受付を済ませた。
俺が闘武祭に出ようと決意したのはジークを納得させる為であるが、本当はフィアを守る男だと知らしめるためだ。
ジークの言葉通り、俺が闘武祭で優勝出来る程の実力者だと見せつけ、その男がフィアを守っていると知れば狙う輩は減ると思うからだ。
希少なエルフであるフィアと共に歩くと言うのはこういう事だろう。
すでに俺の周りにはエルフ程ではないが珍しい銀狼族や、水の精霊が見える聖女がいるんだ。今更一人増えたところでどうという事はない。
俺はもう大人の冒険者であり、目立つのを恐れる必要はないのだから。
それに……弟子ばかり目立って、師匠の俺が駄目だったら申し訳ないからな。
学校でやってしまった失敗は繰り返さない。
「あらホクト。二人きりにさせてくれてありがとうね」
「オン!」
「なっ!? お下がりくださいシェミフィアーさん!」
途中……もはやデートじゃなくなったと理解したホクトが姿を現し、再びジークは騒ぐのだった。
参加の受付を終えて宿に戻った頃には夕方になっていた。
その頃にはエミリアも回復していたのだが、帰ってくるなり俺にいきなり抱きついてきたのだ。いや……抱きついているより俺の匂いを嗅いでいたに近いな。
「……フィアさんの匂いは感じますが……至っていないようですね」
「色々と突っ込みたいところだが、理解できたのなら離れてほしい」
「…………」
「離れないのかよ!?」
剥がそうとしても離れようとしないので、結局そのままの状態で弟子達に俺が闘武祭に参加する事とその経緯を説明した。
「私は賛成です。シリウス様なら優勝確実でしょうし、そうなればフィアさんも堂々とシリウス様や私達と歩けるようになりますね」
「凄く情熱的な人ですけど、フィアさんの気持ちを考えないのは酷いね」
「フィア姉だけフードかぶってるのも嫌だよな。それに俺も頑張れば手を出しづらいだろうし、やる気出てきたぜ!」
「貴方達……ありがとう」
弟子達の優しさにフィアは満面の笑みを浮かべ、一人一人に抱きついて感謝の言葉を告げていた。
「これで闘武祭の優勝と準優勝はいただきだな! もちろん優勝は兄貴だ!」
「決めつけるのは良くないが、優勝を狙っていくぞ。レウス、試合で当たっても手を抜くつもりはないからな」
「当たり前だぜ兄貴。俺は全力でやるからな!」
「ああ、全力でこい」
この二日、観光やフィアとのデートで町を歩き回ったが、ジークが連れていた護衛以上の強者は見当たらなかった。
俺達の壁となる存在があるとすればその二人なので、レウスには油断しないようにしっかりと伝えておいた。
「爺ちゃんと戦った強者に、ライバルだった剣聖の息子か。どっちと戦うかわからねえけど、腕が鳴るぜ!」
……少しレウスに気になる点が出来たが、それは闘武祭当日に言ってやればいいか。
その後……俺達は改めてフィアの歓迎会を行うのだった。
それから二日後……闘武祭が始まった。
おまけ
「当たり前だぜ兄貴。俺は全力でやるからな!」
「ああ、全力でこい」
レウスもやる気でなによりだ。
「レウス、言っておくけど、シリウス様を傷つけたら許さないわよ」
「あれ!? じゃあ俺どうすればいいのさ?」
「寸止めするか、傷つけないようにシリウス様と戦いなさい」
「姉ちゃん!?」
……そして、理不尽な命令にやる気も削がれていた。
今日のホクト
その日……ホクト君は御主人様が子供の頃に出会ったエルフの女性と会いました。
突然御主人様に抱きついてきた時は驚きましたが、彼女は御主人様が大好きだというのが理解できましたし、御主人様を理解してくれる人は多い方が良いので、ホクト君は満足気に彼女を受け入れました。
そして……御主人様の次に好きなリースちゃんが、御主人様の部屋にやってきました。
ホクト君は空気が読める子です。
意図を理解したホクト君は、そっと部屋を出て後輩達の部屋で寝ることにしました。
「うふふ……ホクトはふかふかねぇ……」
「シリウスしゃま……」
酒臭い部屋でしたが、フィアさんに撫でられながら夜は過ぎて行きました。
次の日、ホクト君は朝一で御主人様の部屋の前で待っていました。
予想通り御主人様はすぐに出てきて、馬車でケーキを作るようです。
そしてケーキが焼き上がり、御主人様は味見としてホクト君に食べさせてくれました。
ちなみにホクト君は大気中から魔力を取りこんで生きれるので、食事を摂取する必要はありません。
ですが……ホクト君にとって大切なのは、御主人様から食べさせてもらう事なのです。
フリスビー然り、ブラッシング然り……これ等は御主人様にやってもらわないとホクト君は満足できません。プライスレスなのです。
その日は御主人様とフィアさんが仲良くデートをする事になりました。
特に断られなかったので、ホクト君は御主人様について行きましたが……二人は腕を組んだりしてとても仲良しに見えました。
重ねて言いますが、ホクト君は空気が読める子です。
二人きりにしてあげようと思ったホクト君は気配を消して姿を隠し、建物の陰に隠れて御主人様とフィアさんを見守る事にしました。
御主人様の幸せはホクト君の幸せ。
仲睦まじく歩く二人を眺めていると、ホクト君はとても嬉しくなります。
途中、恋人のフィアさんを狙っているような男を見つけたので、ホクト君はそっと背後から忍び寄って始末しておきました。具体的に言うなら肉球と地面のサンドイッチです。
当然ながら御主人様は気付いているでしょうが、フィアさんを心配させない為と、ホクト君の頑張りを見てあえて気付かない振りをしているようです。
物影に隠れていると何度か獣人に崇められましたが、ホクト君は適当にあしらいながら御主人様を見守り続けました。
しばらくすると、御主人様達は妙な男達に絡まれていました。
すぐさま割り込んで止めようかと思いましたが、御主人様が真剣に語り始めましたので、まだ様子見する事に決めました。
男達との話し合いが終わり、御主人様は歩き出し始めましたが、向かう先は闘技場のようです。
どうやらもうデートの空気ではなさそうなので、ホクト君は遠慮なく二人の前に姿を現すのでした。
その日の夜……御主人様から丹念にブラッシングをしてもらって御機嫌のホクト君。
御主人様とレウス君が眠り、ホクト君も寝ようと思ったその時……廊下から気配を感じました。
主人を起こさぬように廊下へと出ると、そこには色っぽいネグリジェを着たフィアさんが立っていました。
「あら、どうしたのホクト?」
何度でも言いますが、ホクト君は空気が読める子です。
察したホクト君は部屋に戻り、レウス君を咥えて廊下に出ました。レウス君が若干鈍いのもありますが、ホクト君の絶妙な力加減によってレウス君は熟睡のままです。
「ふふ……ありがとうね」
そして、エミリアちゃん達が眠っている部屋にレウス君を寝かせ、ホクト君はその部屋で眠るのでした。
御主人様の幸せは……ホクト君の幸せなのです。
※今回のタイトルは、家政犬は見た……という案もありました。
フィアの介入で色々とありましたが、ようやく次から闘武祭が始まります。
ちなみにジークは悪い奴ではありません。
ただ……面倒なだけです。
次回の更新は六日後です。
そして……これから増えたり減ったりして変わるかもしれませんが、この話を投稿したら『ワールドティーチャー』も遂に百万字に到達しました。
まさかここまでこれるなんて……ちょっとした感動を味わっています。
まだまだ続きますが、これからもこの作品をよろしくお願いします。
※すでに日は過ぎていますし、知っている人もいると思いますが、活動報告にエイプリルフールネタがありますのでどうぞ御覧なさいませ。