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銀狼族の改革

甘み成分が過多となっております。あらかじめご了承ください。

 腕に感じる柔らかい感触と妙な音で俺は目を覚ました。

 周囲を確認すればもう朝のようで、ゆっくりと顔を横へ向けると、俺の腕を抱きしめてあどけない表情で眠っているエミリアの顔が目の前にあった。

 エミリアはまだ目覚めていないが、無意識なのか嬉しそうに尻尾を振っていた。音の正体は振られた尻尾が毛布に当たる音か。


 窓から見える日の高さから、いつもより遅い時間に起きたようだ。いつもならもっと早く起きているのだが、やはり昨日の戦いで疲労が溜まっていたようだ。魔力枯渇を何度も起こして回復を繰り返したから疲れるのも当然か。

 そしてエミリアもまた過去を乗り越えたり魔物と戦ったりしていたので、俺以上に深く眠っているようだ。

 眠っているのに、俺の腕に何度も頬を摺り寄せては寝言を呟いていた。


「シリウス……さまぁ……」


 それにしても……本当にエミリアは幸せそうだ。

 その微笑ましさに反対の手を伸ばしてエミリアの頭を撫でてやると、嬉しそうに俺に擦り寄ってきて匂いを嗅ぎ始めていた。


「にゅふふ……」

「……起きているだろ?」

「……ばれました」


 俺が指摘するとエミリアは目を開けたが腕から離れようとしなかった。そして俺の顔を眺めながら笑みを浮かべ、一際強く腕を抱きしめてきた。


「私の夢が叶いました。それが嬉しくて……凄く幸せです」


 そしてようやく腕から離れたかと思いきや、体を寄せてきて俺の肩を甘噛みしてきた。昨日から何度も……それはもう何度も噛まれて感覚が鈍くなっているのだが、エミリアはまだ足りないらしい。


「お前の気持ちは本当に嬉しいんだが、そろそろ肩から血が出そうなんで止めてほしいよ」

「申し訳ありません。ですが嬉しくて止められないんです。その、血が出たら舐めますので、もう少しだけ……」


 そう言ってエミリアは再び肩を噛み始めた。もうなるようになれと思ったが……こういう場合は肩を噛むのは違うと思う。


「エミリア、こっち向きなさい」

「あ……」


 彼女の頬に手を当てて振り向かせ、俺はエミリアに口付けをした。

 そして顔から離れたエミリアは蕩けるような笑みを浮かべ……肩を噛んだ。


「結局噛むのかよ……」

「大好きです……」


 そして……遂に血が出た。




 その後、離れたがらないエミリアを何とか説得してから起きた俺達が外へ出ると、すでにレウスとガーヴは起きていて集落の広場で何か話し合いをしていた。レウスが拳を振るっている様子から、何か教わっているようである。

 ちなみにレウスは昨日の戦闘で怪我は無く元気だが、ガーヴは必殺技の連発かつ腕を酷使し過ぎて左手が軽く骨折していた。幸いな事に俺の再生活性とリースの治療により大事には至らず、包帯を巻いて安静にしておけばすぐに治るだろう。


「あ、おはよう兄貴、姉ちゃん」

「ああ、お前達か。おはー……」

「おはよう」

「うふふ……おはよう、レウス、お爺ちゃん」


 俺達が朝の挨拶をする中、ガーヴだけは言葉に詰まっていた。まあ……孫娘の変わりっぷりを見ればわからなくもない。

 エミリアは俺の後ろで頬を染め、尻尾を振りながら幸せそうにしているのだから。


「ま……まさかお前……」

「おお! 姉ちゃん凄いご機嫌だな」

「当然よ。だってシリウス様に……うふふ」


 銀狼族は匂いに敏感だが、エミリアの様子を見れば何があったのか丸分かりだろう。

 ガーヴは孫娘に何があったのか察して絶句し、レウスはいつもと変化無しだ。まあレウスの場合は理解しようがしまいが変わらないと思う。

 昨日から見張りをしていてくれたホクトが近づいてきたので頭を撫でていると、エミリアとガーヴが真剣な表情で向かい合っていた。


「私がどうこう言える筋合いは無いが……それでいいのだな?」

「はい。私はシリウス様と供に。それが何よりの幸せです」

「そうか。私もこの男ならば……不満はない。フェリオスとローナの分も含めて、お前の生きたいように生きておくれ」

「はい!」


 気づけば孫を託してくれる程度にガーヴからの信頼も得ているようだ。だが俺も一度きっちり挨拶をしておかねばなるまい。

 ホクトを撫でるのを止めて、俺はガーヴの前に立って頭を下げた。


「遅れましたが、貴方の孫とお付き合いさせていただく事になりました。必ず幸せにしてみせます」

「ああ……頼む。だが、孫を泣かせたら殴りに行くかもしれん。肝に命じておけ」

「その時にはお願いします」

「大丈夫ですよお爺ちゃん。シリウス様が私を泣かせるとすれば嬉し涙だけですから……うふふ」

「ふ……おめでとう」


 俺の宣言にエミリアは更に喜び、恍惚した表情で俺の腕を抱きしめて尻尾を振り回していた。ガーヴは苦笑していたが素直に祝福してくれて、レウスも手を叩いて喜びを表していた。


「へへ、良かったな姉ちゃん。兄貴が本当に兄貴になるのも近いな」

「気が早いわよレウス。私はあくまでシリウス様の従者なのよ。でも、子供が欲しければいくらでも……」

「はぁ……お前達は揃って気が早過ぎるな。ところでリースはまだ寝ているのか?」

「リース姉ならあそこの家で朝食を作っているよ。ほら」

「ご飯できましたよー!」


 振り返れば、俺が寝ていた別の家からリースが出てきて俺達を呼んでいたので、一度その家に集まって朝食にする事にした。




「というわけで、今から予定を決めようと思う」


 リースが用意してくれた朝食を食べながら、俺達はこれからの予定を話し合う事にした。

 と言ってもやる事はそれほど無いだろう。一番の問題であった銀狼族一家の仇は討てたし、周囲の魔物もすでにホクトによって掃除が完了している。

 後はこの集落に住んでいた者達の墓を建てるくらいだろうか?


「墓を建てると言っていたが、この集落には何人住んでいたんだ?」

「百人もいませんでした。ですが骨も遺留品もほとんど残っていませんので、集落の端に大きなお墓を一つ建てようと思っています」

「後は思い出せる範囲で名前を刻もうと思っているんだ。兄貴、石を用意できたらあのナイフを貸してほしい」


 確かに俺のミスリルナイフなら岩に文字を刻むなんて簡単だろうが、それはもう墓じゃなくて慰霊碑だよな。まあ呼び方は置いておいて、姉弟はそれを建てるだけで良いのだろうか?


「一応聞くが、この集落を復興させたいとか、また住みたいとか思ったりしないのか?」

「無い……とははっきり言えませんが、流石に復興は厳しいと思っています。唯一の生き残りである私達はここに残れませんから」

「うん、俺達は兄貴のいる所が住処だからさ。それに仇は討てたし、父ちゃんと母ちゃんのお墓を建てられるだけで十分だ」

「そうだな。私達の集落から人を出す余裕も無いから仕方あるまい。私も息子と仲間達の墓を作って弔えればそれで良いのだ」


 いくら実力があろうが、集落の復興とは別だと理解しているようだな。

 ならばここから張り切って作業をしないと。百人近くを弔う上に姉弟の両親も含まれるのだから、それに見合った立派な物を作らなければな。

 簡単に予定を決めたところで、俺達を眺めていたリースが口を開いた。


「ところで……エミリアはいつまでそうしているの?」

「え?」


 エミリアは会話の最中も俺の口に食事を運び続け、甲斐甲斐しく世話を焼き続けていた。断ると目に見えて落ち込むので、俺は完全に諦めてエミリアの好きにやらせている。

 手で掴む物や箸で摘める物なら今まで何度もやってきたが、今回は飲み物まで飲ませてくる始末だ。こちらの呼吸を完全に合わせて飲ませてくれるので、自分の手で飲むのとほとんど変わらない感じだ。つまり……俺は朝食が始まって一度も食器どころか食べ物にすら触れていない。エミリアの従者としての能力が極限まで覚醒した瞬間であった。

 一口食べさせる度に幸せそうにしているエミリアにリースは少し呆れているが、若干羨ましそうにしている気がする。


「ごめんねリース。今はシリウス様の世話をしたくて堪らないの」

「全くもう。でも、今日は仕方ないよね。だってエミリアの夢がやっと叶ったんだもの」

「リースの御蔭よ、本当にありがとう。だからリースにも……はい、飲み物を飲ませてあげるね」

「べ、別に私はー……あれっ!? 凄いっ!」


 朝食前に今日初めて顔を合わせたエミリアとリースだが、リースは笑顔でエミリアの肩を叩いて祝福していた。二人の様子から険悪な雰囲気は一切感じられないし、女性陣は仲が良いようで何よりだ。

 エミリアの矛先がリースに向いてくれたので、俺は息を吐きつつ料理に手を伸ばした瞬間……。


「どうぞシリウス様、お口を開けてください」

「……ありがとう」


 確かにエミリアはリースの方へ向いていたのに、気づけば俺の口元に料理を差し出していたので食べる。

 見ればリースも俺と同じようになっていて、エミリアの手によって口元に差し出された料理を少し恥ずかしげにしながら食べさせてもらっていた。


「悪くないけど……セニアでもここまでしなかったわ」

「お世話する事に関してエリナさんの教育に隙はありません!」

「絶好調だな姉ちゃん!」

「羨まー……いや、私は何を言っている!?」


 そんな風に混沌としたまま朝食は続くのだった。




 朝食を終え、俺達は墓……慰霊碑を作る作業に入った。

 まずは集落の一部分を掃除し、続いてレウスの剣で岩を綺麗に切り取って大き目の石を作って設置する。後は俺のナイフで集落に住んでいた一人一人の名前を彫っていく作業だ。

 エミリアとレウスが交互に交代しながら名前を刻んでいるが、流石に百人近くは時間が掛かるので、一度中断して昼食の用意をする事にした。


 俺達は食料調達の男性陣と、調理担当の女性陣に分かれて作業をしていた。

 エミリアとリースが二人だけで話したい様子だったので分けたのだが、雰囲気からして喧嘩はまずありえないだろう。おそらく昨日の報告と言ったところだろうか?


 そして俺達は近くの川へやってきて川魚を捕まえていた。ちなみにホクトは魚がある程度溜まったらエミリアとリースに届ける役目をしている。


「……よし、五匹目っと。中々食い付きが良いな」

「そうやって魚を採る方法もあるのだな」


 俺は太い枝を握り『ストリング』を釣り糸にして、即席の釣竿にして魚釣りをしていた。そして少し下流の方でレウスは訓練も兼ねて手掴みで魚を捕まえている。ちなみに銀狼族達の漁は銛のような物で突く方法だ。

 ガーヴは怪我人という事で、近くでゆっくりと休みながら俺の釣りをぼんやりと眺めていた。


「……このようにのんびりと過ごすのも久しぶりだ」

「仇を討てたんだ。気を抜くのも必要だろう」


 この集落が襲われたと聞かされてから、ガーヴはどこか落ち着かない日々を過ごし続けてきたそうだ。時折だが息子と喧嘩する夢を見たりして眠れなかった時もあるらしい。

 しかし集落の惨状を直接確認し、仇を討てたガーヴの心を乱すものは無くなった。気が抜けるのも当然だろう。


「そうだな。そして私に残されたのはこれだけ……か」


 ガーヴは持ってきていたミスリルの手甲を取り出し、乾いた布で手入れを始めた。それはガーヴが装備している左手の手甲ではなく、右手用の手甲だ。

 この手甲はあの魔物が寝床にしていた洞窟でレウスが見つけた物だ。

 その周辺には丈夫そうな骨や金属も落ちていたので、おそらく魔物の吐瀉物なのだろう。そこにこの手甲があるという事は、間違いなくレウスの父親は魔物に食べられた証拠でもある。

 ようやく息子に渡した手甲が戻ってきたものの……残酷な現実にガーヴはどこか寂しそうに手入れを続けていた。


「何を言っているんだ。もっと大事なものが残されているだろう?」

「そうだな。私にはまだ……孫が残っていたな」


 視線を横へ向ければ、川に入って魚を捕まえようとしているレウスの姿が見えるが、その光景を眺めるガーヴの視線は優しかった。

 だが……ガーヴはレウスの呪い子の姿を見た筈だ。その辺はどう考えているのだろうか?


「なあ、レウスが呪い子だって知ったんだよな? 掟はもういいのか」

「掟……か。あの時はリースという子に叩かれて納得したが……正直に言えば未だに迷っている」


 あの時……変身したレウスを見て呆然と立ち尽くしていたガーヴだが、横から割り込んできたリースがガーヴの頬に平手打ちを食らわせていた。


『何をやっているんですか! 貴方のお孫さんは一生懸命戦っているんですよ!』

『だ、だが……』

『呪い子だから何ですか! 姿が変わろうとレウスは貴方の孫です! そのレウスが戦っているのに、家族である貴方がこんな所で何をやっているんですか! ガーヴさんが今するべき事は何です!』


「確かに姿が変わろうと、私の孫に違いない。だが……あの時はそれを忘れて戦ったが、銀狼族の長だった事のある私には完全に納得できないようだ。すでに私は、過去に呪い子を手にかけているからな」


 過去にガーヴは呪い子になった大人を殺している。当時は長であり、一番の実力者だったからそうだが……同族で仲間だったその者に手をかけた時、彼は身が引き裂かれそうな思いを味わったそうだ。

 それにしても、どうして銀狼族にはそんな物騒な掟があるのだろうか? もしかしたら理由を知っているかもしれないので、俺はガーヴに聞いてみた。


「……言い伝えにこういう話がある。遥か昔、呪い子となったとある銀狼族が暴れ回り、銀狼族だけでなく他の種族を虐殺し回った話だ」


 虐殺……大げさに聞こえるが、ある意味納得もしていた。

 レウスは変身すると身体能力が跳ね上がるが、妙に興奮して攻撃的になるのだ。何年も近くで見てきた俺の推測だが、変身すると己に眠る本能が表に出やすくなるのかもしれない。

 言い伝えが本当ならば、おそらく殺人に快楽を覚える男が呪い子になってしまったのかもしれない。


「なるほどな。ガーヴはそれを信じてー……いや、信じたからこそ手をかけたんだな」

「最初は全く信じていなかった。だが、呪い子となった者が我を忘れて周囲に襲い掛かり、近くの子供に手をかけそうだったのだ。私は無理矢理でも信じるしかなくなり、当時の集落の長として……殺した」


 言い伝えだと信じて無理矢理自分を納得させたのだろう。辛い役割だ。


「……シリウスはレウスが呪い子と知った上で育てたのだな? もし……もしもだ。成長したレウスが変身して、人を殺すような男になったらどうするつもりだ?」

「そうだな……まずは理由を聞くな。俺は人殺しをするなって言うつもりはないし、納得できる理由があれば何も言うつもりはない。だが、レウスがガーヴの言うような殺人狂になったら……」


 少なくとも俺が人を殺すなって言える資格はない。だが、レウスが快楽の為に堅気へと手を出すと言うのならば……。


「殺すさ。レウスを鍛え、育ててきたのだから当然だろう?」

「そうか……」


 その言葉を聞いてガーヴは寂しく呟くだけだった。何か達観して諦めた様子だが、俺の言いたい事はまだ続きがある。


「だが、あくまでそれは最終手段だ。ようはレウスをそんな風に育てなければいい。見てみろ、あいつが人殺しを楽しむような男に見えるか?」


 視線を向ければ、レウスが大きな魚を捕まえて俺達に見せるように高々と掲げていた。その表情はとても楽しそうで、子供の頃から変わっていない無邪気な笑みだ。


「あいつは変身しても自分を制御できているんだ。それは昨日も見ただろう?」

「……ああ」

「俺はレウスを立派な男に育ててやると決めている。たとえ暴走したとしても、殺してでも止める責任と覚悟を持って接しているんだよ」


 当然、気持ちだけでなく実力もそれに合わせないと駄目だろう。

 俺はレウスに負けない為に訓練は欠かさないし、信頼を得る為に親のように接している。どちらも意識してやっているわけじゃなく俺の自然な行動だから無理はしていない。


「とまあ……色々と言ったが、俺とガーヴでは価値観と考え方が違うからな。あくまで俺はそんな感じだが、答えになったか?」

「ああ……十分だ」


 少しだけすっきりした表情になったガーヴが横を向けば、魚を捕まえたレウスがこちらへ向かって走ってきていた。


「兄貴! 爺ちゃん! こんなにもでかいの捕まえたぞ!」


 レウスが捕まえてきた魚は両手で持ち上げるような大きさだった。獲物を自慢げに見せてくるが、ガーヴは頬を緩ませながら首を横に振った。


「それはまだ小さい方だ。私はもっと大きいのを捕まえた事があるぞ」

「本当か!? よーし、絶対爺ちゃんより大きいの捕まえてやるからな!」


 魚を置いて再び川へと戻るレウスを見送るガーヴの目は、もはや完全に孫を優しく見守る爺さんであった。これでようやく吹っ切れたのかもしれないと、俺は静かにほくそ笑むのだった。



「ところで、魚はもう十分じゃないのか? その大きな奴で数人分はあるぞ」

「甘いな。うちの子達にかかれば、これくらいあっという間に食べつくすさ。じゃあ頼んだぞホクト」

「オン!」


 レウスが持ってきた魚と今まで釣った分を入れた籠をホクトに持たせ、雄雄しく歩いていくのを見送った。たとえ魚が多かろうが、干物なりにして保存食にしてしまえば問題ない。

 俺の言葉に納得したのか、ガーヴは手甲の手入れを再開したので俺も釣りを再開した。

 そのまま、川のせせらぎと手甲を磨く音だけしか聞こえない静かな時間が流れた。

 そして釣竿が揺れ、十匹目となる魚を釣り上げたところで一度中断し、肩を揉みながら体の凝りをほぐした。

 もう痛みは無いが、エミリアに噛まれ過ぎて肩の感覚が鈍い気がする。一時的なものだろうが、肩に違和感があって仕方がない俺が何度も肩を揉んだりする光景を、ガーヴは苦笑しながら眺めていた。


「ふ……どうだ。銀狼族の女は情熱的だろう?」

「情熱的過ぎて血が出たよ。まあ……あの真っ直ぐな好意は嬉しいけどな」

「私の妻もそうだった。あの子も負けていないようだな」


 どうやら過去のガーヴも同じ状況だったらしい。

 同じ痛みを知る同士……俺達は静かに握手を交わしていると、レウスが再び魚を捕まえて走ってきた。


「これならどうだ爺ちゃん!」

「ははは、まだ小さいな」

「ちくしょーっ!」


 食料調達の時間はほのぼのと過ぎていくのだった。




 その後……昼食を終え、銀狼族の三人が引き続き墓石に名前を彫る中、俺は石を組み合わせて作った即席の調理台で料理をしていた。

 昼食で使わなかった魚を処理して干物にしたり、魚を煮込んで出汁をとっている俺の隣ではリースが手伝ってくれているが、釣りから帰ってから彼女は全く俺と目を合わそうとしないのだ。

 恥ずかしそうに顔を真っ赤にしているので、間違いなく女性二人で話し合った事が原因だろうが……状況からして俺が聞いては駄目な内容だと思っているので放置している。

 そして下準備が終わり、後は夕飯まで煮込むだけとなったところでリースが遠慮がちに俺に話しかけてきた。


「あの……シリウスさん。エミリアとは、その……恋人になったのですよね?」

「俺はそのつもりだけど、向こうはどうだろうな?」

「やはりそうなんですね。先程エミリアにも聞いたのですが、自分はあくまで従者と言っていました。恋人になれたのならその位置を選ぶ筈なのに、従者に拘るなんて不思議ですね」


 恋人になれたのを喜んではいたが、エミリアは俺を従者として世話をするのが好きだと言うので、周囲にはあくまで従者と口にしているようだ。

 おそらくエリナの影響かもしれないな。エリナは自分の全てをエミリアに叩き込んだと言っていたから、従者としての喜びもしっかりと伝えていたのだろう。


「私も……いつか恋人に……」


 無意識に呟いてしまったらしく、リースは顔を真っ赤にして口を押さえていたが、俺の耳にはしっかりと聞こえてしまった。

 彼女はエミリアのように絶望から救って恋をしたわけじゃなく、普通に恋をしている。だからエミリアに引っ張られつつもゆっくりと恋を育んできたようだが……今の状況から少し焦っているのかもしれない。


「焦る必要は無いぞリース。だが……エミリアにも聞いたが、リースは俺でいいのか?」

「……でなければ、私はここまでついてきません」

「そうか、嬉しいよ。俺はリースの事がー……」

「待ってください」


 俺の気持ちを改めて伝えておこうと思ったが、リースは首を横へ振りつつ遮った。


「嬉しいですけど、今日はエミリアを見ていてあげてください。出会ってから何度も口にしていた夢がようやく叶ったのですから……ね?」


 そう口にするリースは、心から親友を祝福する聖女のような笑みを浮かべていた。本人は偽物の聖女だとか言っているが、聖女と呼ばれてもおかしくはない包容力を持っている。

 考えてみれば、エミリアのついでみたいな感じで告白するのも失礼な気がする。だから今日はリースの言葉通り、俺の気持ちは飲み込んでおくとしよう。


「それに……私はまだ頬にするだけでも限界ですから、これ以上はとても……」


 洞窟前で俺の頬に口付けしたのを思い出したのか、リースは顔を真っ赤にして俯いていた。聖女の祝福と称して積極的に攻めてきたが、あれが今のリースにとって限界だったようだ。


「わかった。とにかくリースのペースでゆっくりと歩いてきなさい。俺は待っているからな」

「あう……は、はい。待っていて……くださいね」


 あまりにも時間がかかるようなら、こちらから攻めるつもりではあるが……今はこの辺りで止めておくとしよう。

 袖ではなく、俺の手を握るようになったリースが頬を染めつつも笑みを向けてきたので、俺もまた笑みで返してやるのだった。




 夕方前になってようやく墓石に名前を刻み終えた。

 表には災害の詳細が刻まれ、裏側には百人近くの名前が彫られた立派な慰霊碑に仕上がっていた。

 それにしても、よくこれだけの人数の名前を思い出せたものだと思う。銀狼族の特徴である深い仲間意識ゆえだろうか?


「最後はお前が刻むがよい」

「姉ちゃん……頼む」

「任せて」


 最後に……エミリアの手で最後の一文が刻まれ、慰霊碑はついに完成した。


 そして作った料理をお供え物として並べ、俺達は慰霊碑の前で黙祷をして死者を弔うのだった。

 俺は部外者だけどエミリアとレウスの両親である、フェリオスさんとローナさんに一言だけ伝えておきます。


 貴方達の子供は、俺が責任を持って幸せにします。


 心の中でそう誓って目を開けると、姉弟とガーヴが立ち上がって俺に頭を下げていた。


「ありがとう。これでようやく私は前へ進める。孫と出会えたどころか、こうして墓を作れたのはシリウス……お前の御蔭だ。改めて感謝する」

「ありがとうございます、シリウス様」

「ありがとう、兄貴!」


 笑みを浮かべる銀狼族の一家を見て、ようやく全てが終わったのだと実感したのだった。


 そして慰霊碑に刻まれた最後の一文は……。


『我が家族達よ。貴方達の冥福を心から祈ります――集落、最後の生き残りより』






 それから俺達は数日ほど集落へ留まった。

 理由はガーヴの怪我を完治させる為だ。本来なら半月は安静にしないと駄目だが、俺の再生活性とガーヴの元から備わる高い自己治癒によって骨折ならば二日もあれば十分そうだった。

 しかし次の日にはレウスと一緒に拳を振って鍛錬をしていたので、それを知ったエミリアがガーヴを正座させて説教をしている光景もあった。


 ちなみにエミリアは次の日には落ち着きを見せていたが、俺への世話焼きっぷりは戻らなかった。次の日の食事も俺の手を一切使わせないのである。その過剰とも言える献身は嬉しいのだが、このままでは俺が駄目になってしまうので半日掛けて説得し止めさせた。

 他に変わった点と言えば、俺の寝床に以前より入ってくるようになった事だな。と言っても、エミリアが俺の腕に抱きついて寝るだけだが。


 俺達は集落の後片付けをしたり、非常食を作ったりしながらのんびりと過ごしていた。

 それからガーヴが完治し、最後にもう一度慰霊碑を拝んでから俺達は集落を旅立った。


 集落へ来た時の道を辿り、馬車の元へと戻ってそこで一泊した次の朝……ガーヴとの別れの時が来た。


 実は俺達の旅に誘ってはみたが、集落に帰りを待つ弟子達や仲間達がいると言って断られたのだ。本音は孫といたかったようだが、それでは孫の為にならないと俺だけにこっそりと教えてくれた。


 そして……馬車に乗って街道まで戻った俺達はガーヴと向き合った。

 最初は集落まで送ろうとしたが、ガーヴはここで別れようとはっきり口にしたのである。

 ここから北へ向かえば闘技場が存在する大きな町があるらしく、自分を送ると遠回りになるからと断られた。これもまた本音があり、これ以上一緒にいると別れが惜しくなるからだとか。エミリアとレウスを孫と認めてから可愛く見えて仕方がないらしい。完全に落ちたな。


「ここでお別れだが、その前にエミリアとレウスには謝っておかねばならんな」

「謝るって……何が?」

「そうですよ。お爺ちゃんが何かしましたか?」

「仇を討つまで、孫であるお前達をまともに相手をしてなかった事だ。家族だと言うのに……情けない姿を見せてしまった」


 姉弟を孫と見るようになり、一番変わったのは姉弟を名前で呼ぶようになった事だな。

 ガーヴの謝罪に姉弟は首を傾げていたが、すぐに笑みを浮かべてガーヴの傍に近づいていた。


「別に気にしていませんし、私達はお爺ちゃんの優しさをちゃんと理解していますよ」

「そうそう。情けない姿を見せてくれたってのは、それだけ家族として見てくれてたからだろ? それに今回は姉ちゃんが一番ー……ひっ!?」

「レウス……後でお話しましょうね。とにかく、お爺ちゃんが謝る必要はありませんよ」

「……ありがとう。私は良き孫を持って幸せだ。もっとよく顔を見せておくれ」


 ガーヴは少し屈み、姉弟の顔を眺めてから目を細めていた。


「短い間だったが、楽しい旅であった。レウスよ……」

「何だ爺ちゃん?」

「これを持っていくがいい」


 ガーヴはおもむろに装備していたミスリルの手甲を外し、レウスへと渡していた。息子へ渡した右手の手甲ではなく、両方の手甲をである。


「お前は防御が少し足りないからな。これなら剣を持つ邪魔にはならないだろう?」

「でも……これ爺ちゃんの武器だし、父ちゃんの形見……」


 殴る為に使ってはいるが、元々このミスリルの手甲は防具なのでレウスの大剣を振るうのに問題は無さそうだ。

 希少な鉱石であるミスリルが使われたこの手甲なら、金貨数十枚は軽くかかりそうだが、ガーヴは躊躇無く手渡してきたのでレウスを困惑させていた。


「これは今のお前が持つのが一番だと思う。私とフェリオスからの餞別だ……遠慮なく受け取ってくれ」

「爺ちゃん……ありがとう」


 レウスは早速装備してみたが、若干手甲の方が大きかったらしく調整をしていた。しかしレウスはまだ成長するだろうし、しばらくすればピッタリとなるだろう。

 詰め物で調整をし、しっかりと手甲を装備したレウスは、嬉しそうに何度も拳を打ち鳴らしていた。


「すまん、エミリアには何もやる物がないな」

「別に何か欲しいわけじゃありませんけど、なら少しだけ屈んでもらえますか?」

「……こうか?」


 少し腰を落としたガーヴに抱きついたエミリアは、ガーヴの肩を軽く噛んでから離れた。


「私はお爺ちゃんがいるだけで十分です。だから、今度会う時まで健康でいてくださいね」

「ああ……そうだな。お前達の成長をもっと見届けなければなるまい。長生きをしよう……」

「俺もだぜ爺ちゃん!」


 続いてレウスも飛びつくようにして噛み付き、ガーヴは今にも泣きそうな顔をしていた。

 それでもガーヴは何とか堪え、最後に姉弟の頭を撫でてから背中を向けた。


「シリウスとリース。私の孫を……頼む」

「ああ、任せておけ」

「頼まれる必要はありませんよ」

「……ありがとう。そしてエミリアとレウスよ。お前達とまた会えるのを……私は楽しみにしているぞ」

「私もですお爺ちゃん!」

「またな爺ちゃん!」


 そして、振り向きもせずガーヴは歩き去った。


 姿が完全に見えなくなるまで見送った俺達は、馬車に乗って次の目的地を目指した。

 手甲を磨くレウスに、御者台に座る俺の腕に抱きつくエミリアと、遠慮がちに俺の手を握るリースを乗せて馬車は進む。


 目指す先は闘技場があると言われる町で、見聞を広めるなら行って損は無いそうだ。


 こうして……俺達の旅は再び始まった。









 ――― ガーヴ ―――




 エミリアとレウス。

 初めて会った私の孫は強く、そして大きく成長していて、私には勿体無いくらいに可愛いものだった。


 そんな孫と別れるのは寂しいが、年老いた私がいたところであの子達の為にならない。

 それに……あの子達にはホクト様がついているし、なによりシリウスがいる。

 孫をここまで大きく育てた彼がいるならば私は必要あるまい。だから安心して送り出せた。


 孫と再び会えるのを信じて、私は集落へと向けて歩き続けるのだった。



 生まれ育った集落へ戻ると、皆はすぐに私が無事に帰ってきてくれたのを喜んでくれた。

 そして皆に息子が住んでいた集落の状況を説明し、そして慰霊碑を建ててしっかりと弔ったのを説明すると、集落の者達は安心した笑みを浮かべていた。

 やはり、私の居場所はここなのだと改めて思う。


 僅か数日だが、集落の様子に変化はー……いや、一つだけあったな。

 私の家のすぐ横……ホクト様がよく眠っていた場所に、ホクト様を模した石像が作られているのだ。像は前足の片方を上げていて、その足に子供が触れれば百狼様の祝福が授かるかもしれないと言われているらしい。

 問題は……時折食料がお供えとして置かれているので、処分が大変と言ったところだろうか?




 それから数日後……集落で事件が起こった。


「ガーヴさん! アクラが!」


 アクラ……私の弟子の中で一番年下の少年だ。


 数年前……集落に住む若い夫婦の夫が、ある日魔物から息子を庇って亡くなった。

 残された妻と息子は大いに悲しんだが、自分のせいで父親を失った息子は弱い自分を嘆き、まだ遊びたい盛りなのに私の弟子となった。それがアクラだ。


 その熱意に負け、私は本気で鍛えてきたのだが……どうやらそのアクラが呪い子に変わってしまったらしい。

 呪い子なんて一生で一度あるかどうからしいが、まさか私が生きている間に二度も……いや三度も見る事になるとは思わなかった。


 私が現場に駆けつけると、呪い子の姿となったアクラは泣き叫びながら私に襲い掛かってきた。

 呪い子になるととてつもない力を発揮するが、子供ゆえに動きが稚拙なので無力化は簡単であった。


 倒れたアクラを見下ろしながら……私は周囲を見回した。

 皆……悲しげにしていて、特にアクラの母親は涙を流しながら自分を抱きしめていた。夫に先立たれ、唯一残された息子が掟によって殺されるのだからその悲しみは計り知れまい。

 私の一撃を受けて完全に動けなくなったアクラは、恐怖に怯えながら私を見上げていた。


「嫌だぁ……死にたく……死にたくないよぉ……」


 涙を流し、土を掻き毟っているアクラを眺めていると、長が私の肩を叩いてきた。


「ガーヴさん……私がやります。これは長の仕事です」

「いや……私がやろう」


 私はアクラの体を持ち上げ、涙でぐしゃぐしゃとなった顔を覗き込んだ。


「いやだぁ……僕が死んだら、母ちゃんが……一人になっちゃう」

「母を守りたいのだな?」

「僕のせいで……父ちゃんが死んだんだ! だから……父ちゃんの代わりに……僕が……守る……んだよぉ……」

「ならば……お前は私が預かろう」


 呪い子の姿となったアクラを抱きしめ、安心させるように背中を撫でた。

 そんな私の行動に周囲は騒然としていたが、私は孫であるレウスが呪い子だった事を説明した。呪い子に変わるのを完全に制御していて、シリウスがそれを理解して訓練をしていたという事も含めてだ。

 周囲の反応は悪くなかった。

 シリウスは集落の皆に様々な事を教えて信頼を得ていたし、呪い子だろうと屈託無く笑っていたレウスを思い出して納得すらしているようだ。


「だから私はアクラを育てよう。もしアクラが同族を殺すような者になれば……私が責任を持って始末をつける」


 反発は……無かった。

 掟だからと言って仕方なく見過ごしていたが……私の覚悟に皆は黙認してくれた。

 元から仲間を殺すのは嫌だったのだ。これが切っ掛けになったのかもしれない。


 あの時シリウスに質問して理解したのはこれだ。

 私に足りなかったのは……覚悟なのだと。

 

「でもガーヴさん、長として掟は……」


 長は立場上賛同するわけにいかず、表面上は私に反発してきたが、私は孫に言われた事をそのまま言い返してやった。


「こんな掟は……くだらないのだよ」


 私はその言葉を笑いながら口にする事が出来た。




現時点で考えている集落のその後。


 その後……銀狼族の集落にて、ガーヴに育てられたアクラは次期集落の長となる。

 そして息子を救われたアクラの母親は心からガーヴに尽くすようになり、いずれ再婚して後に一人の子供を授かる……予定。







おまけその一


本編ではありえない会話。※このおまけはフィクションです。



リース「ねえ、もしシリウスさんが凄くエッチで……毎日のように求められて、足腰立たないくらいにされる人だったらどうするの?」

エミリア「どんとこいです!」

リース「うん……そうだよねぇー……」



レウス「じゃあ、兄貴は相手を殴ったり傷つけるのが大好きな人だとしたら?」

エミリア「シリウス様なら何があろうと喜びに変えてみせます」

レウス「対兄貴限定の能力だな!」



ガーヴ「では……シリウスが女だったらどうする?」

エミリア「……構いません!」

全員「「「受け入れた!?」」」





おまけその二



今日のホクト


※ピンポンパンポーン……


 大変申し訳ありませんが、今回の『今日のホクト』は休載とさせていただきます。

 理由としましてはホクト氏のスケジュールが切羽詰っておりまして、シリウスのペット……モデル……CM撮影……ネタ切れと多忙の毎日ゆえです。

 ご関係者の皆様には大変ご迷惑をお掛けしたのを深くお詫び致します。


 つきまして……ホクト氏から一言だけコメントをいただいておきましたので、ここに載せておこうと思います。



ホクト「オンオン!」



 ……翻訳?

 それは皆様の心の中で思った事が言葉になります。






 というわけで、今まで一番長くなった章である、銀狼族編が終わりです。

 この後は幕間を一度挟んで、次の章へと続く予定となっています。


 現時点の問題は……おおまかな流れは決まっているのですが、細部が未だに決まってない点ですね。

 行き当たりばったりな作品ですが、これからもよろしくお願いします。



 申し訳有りませんが、仕事の関係で一日、二日程執筆作業ができないので、次の更新は一週間後になりそうです。

 下手したらもう一日増える可能性もありますが、ご了承ください。

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